case2# Higher than Higher -6/10
ゲストエリアの階段には運転士を誘導して地上へ向かうハナたちがいた。機械室ではストラヴィンスキーが移動を続けている。つまり地上への抜け道があるとするなら、ハートが持ち場を離れたバックヤードが相当だった。
建設中の最上階は完成図があるだけで、現在どうなっているのか上がってみなければ分からない。そのため情報は欲しいところだが小うるさいイヤホンを払い落とした今、ナビゲートこそ頼めなかった。いや頼んだところで却下されるに違いなく、レフは端末の図面をまた拡大する。見つけ出した道に従い、ビッグアンプル内を屋上へと向かっていった。
その最後の直線は思いがけず長い。ひと思いと駆け抜け、打ちっぱなしのコンクリートをくり貫いた入口、その傍らに身を添わせる。
明かりは点けない。
息が整ったところでわずか、中へ視線を投げた。
車なら八台ほどか。駐車できそうな空間は広がっている。上層を支えて剥き出しの鉄骨は柱と並び、外壁はその片側だけがまだなく、張られた落下防止のネットが夜景を透かしていた。上層へ伸びる階段は、そんな空間の奥にかけられている。数度の反転を繰り返して、かぶる天井の向こうへ消えていた。
いったん正面へ向きなおる。相手が多量の火薬を使用する輩なら銃もまたその範疇だろう。丸腰だという保証こそなく、手のひらへマガジンを落とす。残弾を確認して押し込みなおすと、引いたスライドで装填を完了させた。
今度こそ懐中電灯へスイッチを入れる。掲げてレフは、中へと踏み込んでいった。
「向かってますけど、こっちの上、建設途中で上がれないみたいじゃないですか。レフはどこから上がるつもりなんですか?」
ストラヴィンスキーの口調は珍しくも苛立たしげだ。
「悪いけれど運転士をワタライへ申し送るまで離れられないわ」
ハナこそ重要参考人の誘導中である。
「わからん。だが俺の来た方向へ走っていったぞ」
体を掴まれたまま返すハートの手元に淀みはない。
「じゃあ、バックヤード側から上がったんだ。ですけどここ、ソッチへ行くには一旦、降りないとどうも繋がってない、んですよね……」
端末の図面を繰っているのだろう。最後を独り言のように漏らしたストラヴィンスキーが口調を鈍らせる。つかまえてナビゲートを申し出たのはオペレーターだった。
「これで全員ですね」
声は降りて来た運転士らへ確認するハナのものだ。
耳にしつつ百々もまた、懸命に考えを巡らせていた。何しろレフの行動はある意味、正しいと思えてならない。だから一人で行ってしまったことがどれだけ危険かも理解できた。そう、百々はカゴの中で確かに動く人影を見たのだ。
と、ハナへ答える運転士の声を、マイクは辛うじてこう拾い上げる。
「いやぁ、もう一人いたんですけど、忘れ物があるとかで拾ってバックヤード側から下りると別れました。もたついていたなら彼が最後です」
瞬間、のんだ息に、通信はオペレーターのものさえ途切れていた。
「俺は誰も見てないぞッ」
即座に返すハートの怒鳴り声が響き渡る。
それこそあの人影だ。百々の両目に力はこもった。たまらずその目で辺りをさぐる。果てに取った行動は、今でも正しいと言い切ることができる。見つけて駆け寄った防護服の腰周りから、百々はフラッシュライトを毟り取った。
「コレ、借りるねっ」
「あ、ちょ、何を」
「外田さん、あたしが先に上へ行きます。できるだけ早く上がって来てくださいっ」
マイクへ吹き込む。しかしながら悠長に、苦手な図面を読んでいる時間こそない。百々はエレベータに沿って伸びる階段へ顔を上げた。
「ここから動くなッ」
とたん足元へ、察したハートが分解した爆発物のカバーを投げつける。だとして百々が身をすくめたのはその一瞬だけだ。
「どうしてですかっ。そいつが犯人ですっ。だのにレフが一人で行ったのは危ないってことくらい、わたしにだって分かります。だから外田さんが来るまで無茶しないよう待たせてきます。じっとしてる場合じゃないっ」
とたんレフがイヤホンを払いのけたくなった気持ちを知る。ストップの指示は百々へも雨あられと繰り返された。煽られ、それこそ間違いを起こしそうになって百々もイヤホンを引っこ抜く。
「どこへ行くッ。指示に従えッ」
駆け出せば背でハートが怒鳴っていた。振り払い、百々は階段の手すりを掴む。
「だってあたし、エレベータで上に誰かがいるの見たんだもんっ」
最初一段へ身を躍らせた。
二度の反転。
階段は三度目を繰り返すことなく、その先を夜空に架けていた。
時折、足元へ視線を投げるが動くモノは見当たらない。放ってレフは上り詰めたそこからそっと、屋上へ頭をのぞかせる。吹きつける風がごう、と唸って聴覚を奪った。そのまま三百六十度。敷き詰められた床を地平に変えて見回す。
高所だからか。そこに資材らしい資材は置かれていなかった。次の作業のための足場として、やぐらのように組まれた鉄骨だけが床から等間隔をおき突き出している。あいだに、周囲に、落下防止のハーネスを繋ぐワイヤーは張り巡らされ、果てで床は切れると、床材を貼る前の組まれた鉄骨を空へと突き出していた。積み上げたろうクレーンは一基、その前に長い腕を立てている。さらに向こうにも似たような床の島はあるらしい。そこにも一基、鎮座するクレーンのシルエットは修行僧よろしく見えていた。
懐中電灯を床へ放り上げる。なるべく姿勢を低く保ちながらレフは屋上へ身を持ち上げた。つい下の様子が知りたくなりイヤホンを摘むが、浴びせられたばかりの声が脳裏をかすめ諦める。代わりとばかり背後へ振り返った。耳を澄まし目を凝らす。だが強すぎる風のせいで何者かがいるもいないも気配というものが伝わってこない。
警戒しつつ、懐中電灯の光を頼りに床の端まで足を進めた。途切れたそこから谷のようにえぐれた足元へ光を向けてのぞき込む。持ち上げ、クレーンの運転室もまた確かめた。
息はそのとき背後から近づく。
振り返れば胸先を何かはかすめて横切った。
その近さにも勢いにも、レフは咄嗟と身をのけぞらせる。目に、前のめりとなった黄色いヘルメットの、「安全第一」とプリントされた文字は飛び込んでいた。空振りに踏み留まった短いツバはそこで、ほんのわずか持ち上がる。二つ、目玉をのぞかせた。
めがけて殴り返すより先だ。レフは懐中電灯の光を突きつけ返す。そこへ銃口もまた沿わせた。
「作業員は全員退避の指示が出ているハズだぞ。それとも作業員は格好だけかッ」
眩しさにヘルメットは、開き切った瞳孔をかばいながら後じさってゆく。やがてゆっくりとだ。顔の前へ振り上げていた腕を下ろしていった。瞬間、ある意味、百々は間違っていなかったのだと思い知らされる。あらわとなったその顔は、確かにあの俳優とよく似ていた。
「思ったより早いな。爆弾、解除しなくていいの?」
端正な顔立ちで男は、静かにレフへ笑いかける。
エレベータのカゴ同様、階段室もまた造りは簡素だった。おかげで風は縦横無尽に吹きつけると、接近しつつある台風の湿り気もろとも百々をなぶる。だがもう下を見ても怖くはなかった。使命感もさることながら、のっぴきならぬ状況に映画譲りの「野生」は百々を奮い立たせる。いや勝手に重ねて本人だけがその気になった。「その気」が連れ込むのは根拠のない自信で、果てに火事場のクソ力は失速させることなく百々を最上階までのぼり切らせる。せいや、で途切れた手すりを押しやり百々は屋上へ飛び上がっていた。
「レフっ」
思い出してフラッシュライトの明かりを点ける。だが風鳴りが強過ぎるのか、返事こそ聞こえてこない。あるのはレールに乗ったクレーンと、その脇で青いビニールシートをかぶった資材だけだ。その向こうで床は切れると、鉄骨も剥き出しと大きく窪んでいる。
いないのか。百々はイヤホンを耳へ押し込んだ。
「レフ、どこ? アニー、聞いてる? こちらクッキーモンスター。今、最上階よっ」
返事を待ってしばし黙る。だが返されてきた声は一層下りてバックヤードエリアへ移り、呼び寄せたエレベータに乗り込んだことを知らせるストラヴィンスキーの声と、解除に成功した爆発物の中にあの弾がないか確認する、と告げるハートの声だけだった。レフの声だけが聞こえてこない。
まるきり無線を聞いていないのだ。思うほかなくなっていた。それは素人目にもあり得ない行動だと感じられてならず、それでもいつレフの声が混じるやも知れないと会話を傍受し続ける。しながら、建設途中と窪んだエリアの手前まで風に逆らい進んでいった。目立つはずの長身を探してのぞき込む。
なるほど、ストラヴィンスキーがストレートに上がってこられないはずだと思えていた。建設途中の窪みこそストラヴィンスキーのいたマシン室一帯だ。足場にしてそこにはもう一基、クレーンが建てられている。百々はそんなクレーンの運転室へ、辛うじて光の届くフラッシュライトを向けた。動くものがないなら、さらに遠くへ視線を投げる。
そこに同じような床はあった。
灯もなく霞んで暗い。
だが確かにそれは百々の目に映っていた。
懐中電灯の光はチラチラ、そのとき瞬く。
瞬間、向かって百々は声を張っていた。




