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星を追う者たち  作者: 矢口
第六章 海の風、国境の炎
85/222

84:確認、未確認!

 巧達のキャラバンのルース領への進入は特に問題なく成功した。

 山塊の最北端を越えると、砂漠は益々酷くなる。

 しかし、そこから少し北上してルース領の端に当たる村の近くに突き当たると、いきなり緑が多い地域に出た。


 急激な景色の変化であり、多分、山塊に降った雨が少しずつ地面に染み込んでわき出す部分があるのだろう。

 差程(さほど)の大きさではないが湖や泉もちらほらと見えた。

 その湖から低地に当たるルース領へ向かい川が幾筋か伸びている。

 此の様子ならば、旧ルース領は生活飲料や農業用水に困ると云う事はないであろう。

 

 右手に見る砂漠の景色と対照的すぎるため、唖然とした表情を隠しきれない巧達に向かいルースは自慢げに説明していく。

「此処は『御留場(おとめば)』にしてあったんだ。 

 名目的には俺個人が楽しむための狩り場って事だが、水源を保つ為には山裾(やますそ)の森や林を無闇に潰す訳にはいかなかったんでな」


 ルースは議員としての範囲の我が儘を通すことで周囲に疑われぬように、地域住民の生活を優先させる政策をとっていたのだ。

 

『徴税が出来れば後は知ったことではない』という議員が一般的ではあるが、地域住民の生活向上を目指す議員が少ない訳ではない。

 しかし、それらの議員は力も有り、何より純粋シナンガル人として主席に不審を感じさせぬ人物である。


 ルースのような人間ともなると力を付けるにしても注意が必要である。

 特に非公然にではあるが『奴隷制度廃止』を訴えていた議員としては付け込まれる『隙』を作りたくなく、政策一つ成し遂げるにも様々な(かく)(みの)が必要であったのだ。


     ◇   ◇   ◇   ◇   ◇   ◇


 森の出口に近付くと一件の小屋が見えた。

 此処は旧ルース領より、標高が四百メートルは高い。山小屋と云う事になるのだろうか?

 まるで童話にでも出て来るような可愛らしい山小屋である。

 緑の粘板(スレート)屋根の下には小さな戸口が据えられ、家の大きさに比しては広めの窓からは明かりが良く入りそうである。

 庭先には小さな花壇が揃えられており、鳥に果実を与えるための止まり木が見えた。


 風情があるのは外観だけではない。

 遠目からでも窓の向こうに書棚が(こしら)えられているのが判り、住む人が決して野卑(やひ)な人物では無いであろう事が伺える。


 話を聞いて驚いた事に、この家が国境警備に当たる施設だというのだ。

 なるほど、ルースが到着()いてからのお楽しみ、と言うのも納得である。


 前回の訪問時まで、国境警備人はガーインの商人に取っては知った顔であったが、今回はルースの行方不明、或いは敵対行為によって領内がどの様に変わっているか分からない。

 一応に外観や家屋の整え度合い、また昔と変わらず奴隷の姿が見えないことなどから、この家に住む人物が変わっているとは思えないとルースは言う。


 しかし念のために、と通行許可を得る名目でガーインからの商人達が斥候に出てくれることになった。

 彼らなら見つかった所で、どうにでも言い訳が出来ると自ら志願してくれたのだ。


「捕まって奴隷にされる心配はないのかい?」

 そう尋ねた巧に、

「バルコヌスの人間が無抵抗のガーインの人間を奴隷にする場合、海岸に流れ着いた人間に限られるんですよ。大抵が海賊と見なされますからね。

 それに、過去の商人としての証明証も持って来ていますから」

 との返事が帰ってくる。


 茂みに潜んだ巧達が見ていると、小屋をのぞき込んだガーインの商人達はだいぶ歓迎されたようだ。

 馬車から数種類の果実の袋を持ち出した。

 商人の一人が、少しの量だが小屋にそれらを持ち込む様子が見える。

 玄関先にチラリと見えた家の主は人の良さそうな老人であり、服装は贅沢ではないが清潔に保たれているように思えた。


 さて、この後どうするか。

 巧が悩んでいる中、いきなりルースが立ち上がる。

「おい、ルースさん。(まず)いって!」

 声を掛けたが、彼は「大丈夫!」 そう言って山小屋に向かって歩き始めた。


 ルースがドアをノックすると取引をしていた山小屋の主が出てきたのだが、驚いているのが在り在りと分かった。

 取引を放り出しルースの前で片膝を突いて泣き出したその姿から、未だ旧領主であるルースに対する忠誠心は生きているようである。

 (いず)れかの段階で巧達もシナンガル人の前に姿を現す決断をしなくてはならなかったのだ。 

 ルースの手招きに分隊は素直に応じることにした。



    ◇   ◇   ◇   ◇   ◇   ◇



 現在のルース領は放置されていた。

 ルースが投獄されたにせよ、刑期が終われば戻ってくることになっていた事もあるが、あまりにも寒村過ぎて維持する意味すらも無いと思われていたのだ。


 バフェットという議員が受け持ちたがったのだが、認められなかった。

「ルースが戻れば反乱の拠点になりますぞ!」

 と彼は訴え、実際それは正しい意見だったのだが、彼は無闇に徴税地を求めすぎて顰蹙(ひんしゅく)を買う男でもあったため誰も耳を貸さなかったのが幸いした。


 (しばら)くは免税地として、住民の生活力の回復を狙うこととなっていた。

 何より、此処はフェリシアからは遠過ぎる。

 スゥエンに反乱を(そそのか)した人物が本当にルースであったにせよ、戻ってくるなどとは誰にも考えられて居なかったのである。


 議会において、ルースは『死亡』、或いはフェリシアに『幽閉』されており、スゥエンへの警告文も彼の『名前』だけが使われた可能性もあるものとして捉えられていた。

 ルースは奴隷解放の話さえしなければ有能な議員と認められていたらしく、万が一を考えると議会は慎重にならざるを得なかったようだ。


 議会にとっては、実は先の裁判で彼が()められたことなど周知の事実であったのだが、馬鹿げた奴隷解放の言動を反省させる名目の有罪判決であったらしい。

 

 その為、ルースが何らかの形で帰国に成功した場合は裁判が行われ、スゥエンの件が無罪であるなら徴税地も返さなくてはならない。

 そのような理由が重なって旧ルース領の現状があった。

 

「運が良かったね。ルースさん」

「全くだ!」

 巧の声にルースも朗らかに答える。

 彼は議員の中に味方を作ることも忘れていなかった事が幸いしたのだが、やはり今の応答にも見られる彼の朗らかで裏表のない性格は、数は少ないながらも心ある人からは好かれるに充分な要素であったのだ。


 小屋の中で管理人に茶を振る舞われ、一息吐きながら今後のことについて相談を進めることになった。


 因みに、今飲んでいる紅茶は巧達の持ち込んだものである。

 管理人の忠節に報いて、殆ど全て置いていく事にした。

 コーヒーの方が高く売れるのだそうだが、フェリシア産は質が良すぎて逆に問題になる。

 紅茶なら等級の低いものは誤魔化しやすいが、コーヒーはそうは行かないのだ。


 誰かに所持を知られれば出所を詮索され、ガーイン侵攻に利益があると考えられる事を恐れた。

 旧ルース領からガーインへの街道は全く秘密の街道という訳ではない。

単に侵攻する利益が感じられない事と魔獣の出没のため放置されているに過ぎないのだ。


 ガーインでの柑橘類の栽培量が増えて、シナンガルの食指が動くようになる可能性もある。

 今後はどうなるかは分からないため、ガーインとしても商売については気を遣わなくてはならない。

 ルース軍こと地球軍の前進基地は其の意味でもガーイン人にとっても急を要する課題になるであろう。


 管理人の老人も奴隷解放組織の一員であり、会話は自由に進めることが出来た。

 但し、前進基地は出来上がるまでは秘匿しなくてはならない。

 その点は全員が理解して話を進めていくが、やはりガーイン方面から来た以上は管理人に全く察知されないはずもない。


「では、(いず)れは軍を率いて戻ってくる事になるのですな?」

 老管理人にそう言われてルースは頷いたが、自分が此処に現れたことは秘密にするように、と命じた。

 その上でルース軍が上陸するならば南部、つまりラキオシア方面からと味方にも話を進めておくように更に念を押す。

 敵を欺くにはまずは味方からを地で行くことになった訳だ。


 この老人ウラヌフは、元は議員であったが妻子の無い(まま)に養子も取らずに過ごしていた。

 しかし、サミュエルという少年に出会った時、感じるところがあったのであろう。

 議員を辞職してルース家の家庭教師として一生を終えることにしたのである。


 彼は純粋な人間でありながら魔術師でもある。

 かなりの攻撃力と通信力を併せ持つ為、今でも妻を娶って子を残すように議会から何度も勧告を受けている。


 本人は『自然の中でなら精力も付きましょう』と言って、国境に当たるこの森の警備を一人で引き受け此処に住んでいる。

 詰まるところ彼が事実上の旧ルース領の代官とも言える。

 その為、ガーインの人々はこの森を抜けたと云う証明を老人からもらえれば、問題無くシナンガルに入る事が出来る訳である。


 先に語ったが老人はルースの家庭教師であった男であった。

 実は奴隷開放の思想も老人の温厚な性格と教育によって育てられたようなものである。

 その事実がルースの口から語られると誰もが驚くことになった。


「つまり本当の革命の父は“ウラヌフ”さんって訳ですね」

 山崎の言葉にルースが頷く。

「まあ、俺は先生の傀儡(かいらい)だな」

 そう言って笑うと、ウラヌフ老は困った顔をした。

「坊ちゃんは昔から私をこうやって(いじ)めるのです。 

 教えた事を真面目に聞き入れて下さったのは一つだけですなぁ」

「それが、革命とくりゃお釣りが来るだろ!」

 ルースが軽口を返す。


 全く、命がけの授業を受けたものである。 

 授業を飛び越えて最早、洗脳と言えるのかも知れないが、ルースは其の洗脳に喜んで乗ったとしか思えない。


 冒険を望む先祖の血は彼に色濃く受け継がれたようである。



     ◇   ◇   ◇   ◇   ◇   ◇



 その後、巧達は女性兵二名と、その護衛に石岡を残して商人達と共に村を廻ることになった。

 桜田も桐野も村を見たがったのだが、何らかのトラブルが起きて、相手から“女を置いていけ”等と言われては戦闘にもなりかねない。

 常に最悪の状況を考えて行動するのが敵地における正しい選択なのは常識だ。

 そう言い含めてようやく納得させる。


 幸いにして小屋は高台にあるので、最北の集落まで無線が通じるかも知れない。

 精々、音声だけでも状況を感じられる事を期待してもらう。


 ルースは髪を黒く染め桜田がメーキャップを施すと、別人になってしまった。

 後は人前で喋らない事に気を付けて行動することになる。

 声を覚えている領民が居ないとも限らないからだ。


 現在、領主不在だが旧家臣団と村々の長による自治によって治安は特に悪化しては居ないとウラヌフ老は言う。

 彼は代官扱いであるとは言ったが正確に言えば関所の管理人である。

 その為、出来うる限り行政に口出しを控えている。

 余程に自治が乱れない限り、彼は国境警備の為に近隣の軍を動かす権限があるに過ぎない存在なのである。

 

 そう聴けば、『老人の(もと)に兵力は在るではないか!』と思うだろうが、そうはいかない。

 バルコヌス半島の兵は全て徴税地議員の私兵と言って良い。

 何より反乱となれば、どれだけの兵が味方に付くかなど知れたことである。

 数を押さえ込むほどの圧倒的な火力が必要になることは誰にも予想される事実であった。





 村は何処(どこ)に行っても貧しい。

 建物は寂れ、冬の時期の今は特に路上に人影は少ない。

 元気に走り回っている様に見える子供達にですら、何故か活気が感じられなかった。

 家々の窓は明かり取りに隙間を取っているだけであり、内部は昼でも暗いであろう。

 窓ガラスなど、見たこと処か存在さえ知らぬ者もいるのではないかと思う程の酷さである。


「こんな所で商売になるんですかね?」

 柑橘類は高級品である。 簡単に売れるものでは無い。

 岡崎の質問は(もっと)もなものであったが今回は利益を度外視した商売になのだとガーインの商人達は言う。

 味を知って貰い、この地を仲買地(なかがいち)としてバルコヌス全体に広めても良いのだ。

 要は、この村の人間が最終消費者である必要はない訳である。


「なるほど!」

 と岡崎が感心すると、商人達は気恥ずかしそうに「実は自分たちの考えではないのだ」という。

 今までは塩を高値で売りつけるのが関の山だったのだそうだ。

 ルース領の南西の海岸線は殆どが切り立った断崖で製塩業が成り立たない。

 山から切り出された質の悪い岩塩か南方の豊かな徴税地、若しくはガーインの商人から塩を手に入れる他に道はなかった。


 塩は人間には欠かせないため、多少高くとも買うしかない。

 はっきり言えば過去に於いてガーインの商人達もルース領にとっては余り良い人々とは言えなかった訳である。


 しかし、『指導者ヴェチェスラフ・ヴォリン』ことヴェティの(げん)が彼らの考えを変えさせたのだ。

 ヴェティは、『此の様な商売を続けていれば、塩を買う人間そのものが死に絶えるぞ』と商人達の目を開かせたのである。


 その上でバルコヌス処かシーオムに至るまでの土地で、柑橘類の流通をこの村の人々が成功させてくれる事を見越して塩の値も半値以下に落として売り歩く様に指示を入れていた。

 謂わば『歩くアンテナショップ』となるのが今回の彼らの役割であり、ルース領と相互に助け合える関係を創りたいというのがヴェティの考えである。


 塩は利益率が高い。

 地球においても専売を行っている国家は多い。

 有効な税収になるからだ。

 そのような戦略物資であるが故に今までの売値は『暴利を得ている』と言える値段であった。

 その方針を転換し、安値で塩を(おろ)すことでルース領を味方に付け、情報をいち早く得ることで街道を使った侵攻を防ぐなど、国防の意味をも()ねた商取引に切り替えなくてはならないとヴェティは考える。


 若いながら『考え深い人物』である。と巧はヴェティを高く評価せざるを得ない。

 いや彼を正しく評価したガーインの人々こそが最も高く評価されるべきなのかも知れない、とも思う。


「しっかし、貧相な村ですねぇ。 

 フェリシアでは幾ら貧しくても此処までってえのは見た事は無いですよ」

 北風に舞う砂埃(すなぼこり)が酷く、フードで顔を押さえつつ歩く岡崎の言葉にルースが苦々しげに答える。

「悪かったな。(これ)でも税率は収穫の1割以上は取ったことはなかったんだぜ」

 岡崎がそれを聞いて跳び上がった。

「十パーセントって、格安じゃないですか!」

 

 二人の会話に耳を傾けていた巧も(これ)には驚く。 

 税率は抑えてあるとルースから聞いてはいたが此処まで低いとは思わなかったのだ。



 余談だが、巧の国の封建時代の幕府直轄領ですら『二公八民』、即ち二割は取っていたのだ。

 他の『藩』と呼ばれた徴税地では“四公六民”や酷い時には“八公二民”などと云う所もあったようだが、農民も対抗して山中に隠し田を作って闇米を流したり商品作物を栽培して現金を手に入れたりしていたと云う記録は商人側に幾らでも残っており、結構豊かであったようだ。

 村が貧しいことを強調して直訴するための練習文というものがまかり通っていた為、寺子屋と呼ばれた私塾などではそれらを如何(いか)に上手に書けるかを子供達が勝負し、最も上手く村の悲惨さを強調できたものが次代の村のリーダーに選ばれる事も有ったと云う。

 当然、行政官である代官や徴税官も其れを知っては居たのだが、藩を取りつぶされる程の『一揆』と呼ばれた集団強訴(ごうそ)を恐れて見逃すのが普通であった。



 だが、ルース領の村はそのような例とは違い、実際に悲惨な様子が()()りと(うかが)えるのだ。

 人通りは少なく、市場には(ろく)な物が置かれていない。

 一人の男が、“買うべきかどうか”とはっきり分かる悩み顔で困っていたが、小銭をポケットから出して僅かな分量の肉を切り取ってもらい家路に向かう。

 市場中の男を見渡すと誰の服も色が()せ、継ぎを当てたものしか見る事ができない。

 同じような貧相な姿の女性もちらほらとは見られるが、基本的に買い物は男の権利らしい。


『財布を握る』

 貧しいからこそ、それが重要なのであろう。


 その市場の様子を見ていた岡崎が更にルースに質問を被せてくる。

「じゃあ、何でこんな素寒貧(すかんぴん)な村なんですか?」

「……」

 不機嫌なルースからの答えはない。


「この寒さだろうね」

 巧がルースの代わりに答えるとルースは忌々(いまいま)しげに肯定した。

「そうだ。 北が砂漠化してからと云うもの気温が乱高下するようになった。

 作物の育成にも影響が出る。何より冬を越すための(まき)を南方の他の議員の持つ徴税地から買い入れなきゃあならん。その薪も糞ったれな値段で売りつけに来やがる」


 ルースは声こそ低く押さえているものの、聞いている側としては、その口調から怒りがフードの外にまで(あふ)れそうに感じられる程だ。

 確かに北部の砂漠化は独立と奴隷解放への道を切り開いた。

が、反面としてルースは自分達が追い詰められているだけである、という事実も認めなくてはならない事が忌々しいのだ。


「ガーインから売り込めれば良いんですが、此方(こちら)も冬場は薪不足でして……」

 ルースが発する剣呑(けんのん)な空気を感じたのか、ガーイン商人の一人が申し訳なさそうに、ぼそりと呟く。


 幾つかの村を廻り、柑橘類(かんきつるい)を扱ってくれる店を数件だが探す事に成功する。

 話が進むにつれルースの顔に少しばかり赤みが差して見えた。


 商談が纏まる度に岡崎が、「良かったですね」と商人ではなくルースに声を掛けていたのは現状を知ったものとしては当然な同情の発露であったのだろう。


 と、その中で店舗の主人から不思議な話を聞くことになる。

 砂糖の値段が高騰(こうとう)、いや暴騰(ぼうとう)しているというのだ。

 また、奴隷の一部がシーオムの西部で放棄されて久しい鉱山を再開させるために送られたという。


「奴隷の数が減ったから、収穫が出来なくて砂糖の値が暴騰してるのかな?」

 巧の質問に店主は肩を(すく)めて、

「あたしらにゃ難しい事は分かりませんがね。 

 唯、今年の収穫が終わった畑の奴隷から順に送られていったんですよ」


 バルコヌス半島の砂糖はフェリシアの甜菜(てんさい)糖ではなく、黒糖、所謂(いわゆる)サトウキビから作られる。

 その後に精製して白糖化させるのだが、収穫の時期は丁度ひと月前頃であったはずだ。

 収穫後も色々な作業もあるだろうに奴隷を北に送れば、砂糖も値上がりしてしまうのは当然として、何故、鉱山に奴隷を送るか、だ。

 しかし鉱山となれば(やじり)や剣、盾などの武装品を揃えると云うことは容易に分かる。


 侵攻は近いと誰もが考えた。


「取り敢えず、小屋に戻ろう」

 巧がそう声を掛けた時、無線に石岡の声が入ってくる。


「准尉、先任が話をしたいと言ってます」

「おい! 石岡伍長。お前、桜田より後から伍長になってたのか?」

「先任は俺たちと違って短大出てますからねぇ」

「……、そ、そうか。で?」

 巧は桜田がいきなり無線に割り込んできた時、場合によっては彼女の怒鳴り声がスピーカーから漏れかねないと思い、必ず石岡を通すように言ってあった。

 ハインミュラー老人のヘッドホンタイプならいざ知らず、現代のイヤホン性能でそのようなことが起こりうるはずもないのだが、伍長就任も石岡が先だとばかり思い込んでいたためだ。


 石岡が言うには、桜田は砂糖高騰の原因をもう少し調べるべきだという。

 何故か?と問うと、桜田が直接出てきた。


「あのですね。砂糖って軍事物資でもあるんですよ」

 その通り、塩、砂糖に限らず、食品の多くは軍事物資だ。

 と言うより、人間が生活する上で必要なものならば家や家具意外なら全て軍事物資になり得る。

 何を言いたいのだ、と尋ねると。


「何、言っているんだ? じゃないですよ!」

 やはり怒鳴ってきた。

 店から離れていて正解であった、と巧が思う中で桜田の怒声は続く、

「主任、いや大佐からのメッセージで落ち込むのは分かりますが、いつまで落ち込んでるつもりですか! 

 いつもの准尉らしくないですよ!」


 桜田の叱咤(しった)は巧には効いた。

「すまん……、そうかも知れんな」

 やはりおかしくなっていたか、と云う自覚とヴェレーネの名前が出たことで何故か桜田にまで優しい口調になる。


 巧の態度に機嫌を直したのか桜田も声が低くなった。が、次に発せられた彼女の言葉は巧に自分の迂闊(うかつ)さを気付かせる事になる。

「准尉……、砂糖は、消耗品です!」

「あっ!」思わず叫ぶ。


 全員が無線は聞いているのだが、意味が分からないと言う顔だ。

 だが、巧には桜田の言葉の意味が一瞬にして理解できた。


 そう、砂糖は消耗品である。

 しかも、シナンガルでは一般人が食べる砂糖はバルコヌス半島でしか栽培されていない。

 個人の一日の消費量と、今期に搬出された量、その他小麦や『塩漬け肉』等の加工品との生産状況を比較計算すれば、敵兵力の動員数か戦場における展開可能な期間を計ることができるだろう。

 値段の高騰は鉱山開発と同じく、軍用に廻されるためであろうと容易に想像できた筈で、其処を見逃すのは迂闊としか言いようが無い。


 勿論、春から秋まで延々と戦闘を続けることも有り得る。

 国境線における闘いなのだ。補給路の安全はどちらも確保できている。 

 つまり年間を通じての総動員数の最終的な予測にまでは繋がらない。


 だが、この情報を整理すれば『今回の作戦』において動員される総兵力だけでも計ることは充分に可能だ。

 其れによって、此方も長期の防衛計画を作り上げることが出来る。


 戦争では何事も計算通りには行かない。

 クラウゼヴィッツの言葉で言う処の『戦場の霧』という不確定要素が絡むからだ。

 しかし基本的な兵力計算が無ければ何事も進まないのも、これまた事実である。

『戦場の霧』を言い訳にして計算を放棄する事など有ってはならない。

 行き着くところ戦争とは、どうにもこうにも数字の世界なのである。


 その重要なヒントを放置して帰ろうとすれば、それは桜田でなくとも怒鳴ろうというものであろう。


「すまん。 助かった」 心底から巧は桜田に感謝した。



 そうして彼らは諜報活動を再開していく。





サブタイトルはアジモフのエッセイ集「発見・また発見!」よりです。

今、同じエッセイ集の「素粒子のモンスター」に目を通していますが、難しい内容を随分とわかりやすく纏めてあります。

アジモフ自体も凄いのでしょうが、翻訳者”山高昭”氏の力量のなせる技でしょうね。

凄いなぁ、と感心するばかりです。

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