81:言の葉の森
ガーインに向かうインディファティガブルの舷側には腰を掛けるのに丁度良い何らかの船具を仕舞う箱があり、出航以来の巧はその上に腰掛けて考えに耽っていた。
あまりにも深刻な表情であったのだろう、ルースや隊員達が身に覚えのある悪さをそれぞれに白状して詫びを請うた程である。
“こいつらはホントに……”とは思ったものの、ルースや桜田は相変わらずヴェレーネの件を秘密にしていた事に巧が腹を立て続けていると思っていた様であり、男性隊員達に関しては、それぞれに他愛もない物であった。
だが桐野に関してだけは少々注意を入れて置いた。
三七ミリ機関砲の調整を命じておいた処、船上や陸上の試し打ちで試験認可された数量よりも百発は余分に海上に向けて撃ったと云うのだ。
機関砲ともなれば小銃如きとは違う。
あっさりと笑って済ませられるものでは無い。
始末書を出すように言っておき、取り敢えず巧の処で留めることにした。
弾薬消費はそのうち訓練の調整で帳尻を合わせるしかない。
彼自身、“我ながら此の様な所が甘い”と思わざるを得ないが、その事すらも巧の頭からは直ぐに追い払われてしまう。
巧が頭を悩ませていたのは、この世界の『言語』についてである。
先の失敗を繰り返さぬように此の世界の『交渉の常識』について再度考えていたが、そこから言語そのものに関心が傾いてしまったようだ。
外交や諜報について考えている内に、先のマリアンとの通信におけるコペルの名前から其の方向に流れたのであろうが、この世界の言語は統一され過ぎているのだ。
ラキオシアやノーゾドには『方言』とでも言うべき特殊な言い回しはある物の、標準的なカグラ、というかノルン大陸の言葉と何ら変わりない。
特にラキオシアはノルン大陸部からはかなり離れている。
言葉が独自の進化を遂げ、全く別の言語になっていてもおかしくはない。
だが殆どの単語と文法に統一性が見られるという。
これは何故だろうか?
この世界に来てから歴史好きの巧らしく六ヶ国戦乱について様々な話を聞いた。
流石に本はまだ読めないが、文字はアルファベットに近い表音文字であるため学習中である。
聞けば、六ヶ国戦乱時代には既に言葉は統一されていたという。
戦乱の中で言葉が統一されるものであろうか?
勿論、軍部は情報を得ることを目的として敵の言語を学ぶことはあるだろう。
だが、一般庶民まで敵性言語を好んで使うとは思わない。
戦乱前には既に言葉が統一されており、その後何らかの理由で戦乱が起きたと考えられる。
仮に此の予想が当たっていたとすれば、六ヶ国戦乱とは一種の内戦と言える。
言語とはひとつの民族を形成する重要な要素だ。
勿論、同じ民族で違う国家を持っていてもおかしいことはないのだが、同じ民族が分裂すると言うことには其れなりの理由がある筈なのだ。
或いは……、
其処まで考えた時、桜田が甲板を走ってくる。
手にはVTRカメラを持っており、何やら喚いているが風が強くて聞き取れない。
巧の処まで桜田がやってくると、桐野がその後に附いてきた。
何事かと問うと、VTRの映像を見ている内におかしなことに気付いたのだという。
最初の内はルースとバラカの闘いにばかり目が向いていたため、気付くのが遅れたのだそうだ。
画面をのぞき込むと確かに巧も違和感を覚え、その正体に気付くと。
「ん~~、何というか……」
後は声が出ない。
それに反するかのように、桜田は声を張り上げる。
「詐欺です! こんなの詐欺です! 萌えて損したぁ~!!」
最後は泣き声になっている。
それを桐野が宥めているのだが、巧としては桜田の嘆きは兎も角、これは軍事行動に転用されると不味い技術だ、と警戒を強めた。
ガーインでは『この件』について調査を進めるように二人に命じる。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
ガーインで検疫を受けながら、VTRを廻していた桜田は、画面と係員を見比べて、
「此処は詐欺じゃないですよ!」
と大喜びであり、その言葉を聴いた係員は“ああ、あんたらも被害者か”と言って笑った。
実は、美貌のものが多いというノーゾド、ガーインであるが、実際の処その言葉に当てはまるのはガーインだけであった様である。
ノーゾドでは僅かな魔法力を持つ者達が、自分の外観をその魔法力で美しく見せかけていただけであったのだ。
処が人間の目はごまかせても機械は誤魔化せず、桜田の撮った映像に映るノーゾドの観衆は美貌どころか標準以下の容貌の者が殆どだったと云う事で、桜田が嘆いた訳だ。
「整形手術みたいなものか」
と巧は呆れたが、諜報工作員にこの技術を使われては人相書きも役に立たなくなる。
写真技術の導入がこの世界にも必要かも知れない、と考えた。
だがその必要性はどうやら薄いようだということが後々分かっても来る。
実はノーゾドで族長達との会見前にオベルンが最後に付け足そうとした言葉は、桜田が発見した事実を含めて実に重要な内容であり、そのことをガーイン代表者との会談で巧は再確認することになる。
「彼らは言葉は通じますが、『概念』が通じない事がままあるのです」
そう言ったのは、ガーインの若き『指導者』であるヴェチェスラフ・ヴォリンである。
驚くことにようやく二十歳になったばかりであり、その背後には多くの補佐役が付いては居るものの、決して“傀儡”という風には見えず、会見も最初は巧と一対一で行われた。
ルースとの会談が始まる前に、露払い的に巧がフェリシアからの使者として挨拶に赴いたのだ。
此処で得た情報を元に互いにルース共々に本会談に臨むことになる。
ノーゾドでの失敗を繰り返したくなかった。
未だ幼さが残る黒い瞳に金髪に近い刎ねた髪の毛を気にしながら何度もなでつけ、『指導者』ヴェチェスラフは自分の名は省略して『ヴェティ』と呼んでも構わないとまで言ってくれた。
彼が此処まで好意的なのには訳がある。
ノーゾドに於ける一件を見物していた観衆の中にガーインの商人というかスパイが居た。
決闘後に巧達はとっととインディファティガブルを出航させたのであるが、洋上で凪となってしまい一日あれば着く隣の半島まで二日半を掛ける事となってしまった。
その間にガーインのスパイは両半島の間を通る僅かな平野に馬車を走らせたのだ。
結果ガーインでは、フェリシアの騎士が西海岸の王を僭称して防衛体制の弱い島を狙って暴れ回っていたバラカを半死半生にまで追い込んだ挙げ句、哀れみを持って命を取らずに見逃してやったとの話が広まっていたのである。
しかもその恐るべき強さには次第に尾ひれが付いていった。
噂話の上でのルースの力は今や留まる所を知らないが、銃も使わず剣も腹しか使っていないことは確かだ。
更に言うならパワーアシストシステムの力も半分程しか使っていない以上、あながち大げさとも言え無いであろう。
バラカを見逃した事に最初は不満の声もあった様だが、バラカは実際かなり強い上に、場合によっては逃げ足も速い。
自分たちも何度も奴を逃している以上はやむを得まい、と云う事になりルースの活躍は大きく喧伝されていた。
当然、そこから巧達一行に対する感情は好意的なものとなったのだ。
其れは兎も角として、ヴェティの言う処の「言葉は通じても『概念』が通じない」とは?
と巧が問い掛ける。
オベルンからある程度のことは聞いており、既に理解していたが、『その件』に関してガーインの人々がどの様に考えているのか、またオベルンの言葉は真実であるのか、慎重に確認する必要があったのだ。
言葉は内容の真偽だけでなく、『その意味』に気を付けて取り扱わなければ外交に於いて大きな失敗を招きかねない。
巧はノーゾドに於いて肌身で感じた直後であったため慎重であった。
巧が問いかけた『概念』とは言い換えれば存在の意味であり、それを表す言葉の定義である。
例えばフランス語から英語になった言葉で『ナイーブ』という言葉がある。
巧の国では二〇一〇年代まで、その言葉をフランス語の意味そのままに『純粋で繊細な性質』という意味に使ってきた。
その為、英語圏の人々に「ナイーブ」と言われると、過去に巧の国の人々は『自分はそんなに純粋かな?』などと不思議がっていたのだが、有るニュースで日本人の性質についてアメリカのスポークスマンが軍事に関わる事として此の言葉を使ったため、英語での意味が一気に広まることになった。
英語圏で『ナイーブ』とは『世間知らずの馬鹿』、或いは『神経質な臆病さ』という意味だったのである。
つまり、巧の国の人間は七十年近くも『世間知らずの馬鹿』と言われて、『いや、そんな事はないですよ』とにこやかに答えていたのだ。
これでは一部で恐れられていたとしても仕方有るまい。
しかし、これはフランス語の意味を勝手に改編した英語圏の方が悪いとも言える。
(フランス語でも悪い意味で使われる場合もあるのだが)
また巧の国の人間は外国語の習得率が低い、と言われる。
巧もあれほど頑張って覚えたドイツ語など殆ど忘れてしまっている程だ。
尤も当時から授業用のレポートは兎も角として、話し言葉は片言であったであろう。
しかし其れには訳がある。
『翻訳』、即ち、その概念を意味した言葉が自国語に充分に存在するため、国内においては余り欧米の言葉に頼らなくとも良いのだ。
経済用語で『為替』や『手形』と言う言葉がある。
英語で言うならば、exchangeやbillであるが、これらは巧の国では封建時代から使われてきた制度であり、株式のチャート表なども三百年以上前から大阪の米市場で使われていたものが世界基準で使われている。
『ローソク足表』と呼ばれる物だが、そのまま英訳されて『キャンドルスティック・チャート』と呼ばれている。
経済学や高等数学ですら欧米に頼る必要性が低いまま発展を遂げてきたため、外国語の必要性を感じる機会も、また少ないのだ。
巧の国のノーベル賞受賞者に英語が喋れない人間など珍しくもない。
普通は巧の国以外の非白人国家において、高等教育と言えば英語かフランス語で行われるものである。
その国の言葉に、経済学や数学、物理、化学あるいは科学そのものに該当する『概念』が存在しないからだ。
祈りや呪いで病を治す事が当然と考えている人々に『細菌』という言葉ひとつを教え理解させるのに、どれだけ時間が掛かるであろうか考えてみて欲しい。
加えて其れに該当する言葉を作るのも一苦労である。
数字を言語にせよ。と言う以上に難しいのであろう。
何にせよ、巧の国が国際社会で先進国をやってこられたのは、一部必要に応じてはきちんと外国語を習得する人々が居た事に加えて、国際基準に合った『契約』や『信用取引』の概念が一般庶民にまで根付いていたためであろう。
言葉を換えるなら、ヴェレーネがアルバやリンジーに説いた『神聖な職務に仕える価値観』と云える考え方が国民の共有事項であったと言う事だ。
更に例を重ねるが、巧の国の言葉を取り入れて、『約束』、『契約』という言葉を発音も其の儘に自国語に採用した国があった。
その国に旅行に行って帰ってきた学生が『その言葉、あっちでも同じだよ』と言う光景がよく見られたものだ。
処が、その言葉が導入されて百年ほど経ち、ネット社会となった頃、巧の国の人間が其の国の人間とネット上で会話をした。
だが、どうにも『約束』の意味が分かっていない様だ、と云う事に気付いたのだ。
『約束』の意味を聞くと『相手を気遣う』とか『よく考えておく』とか頓珍漢なことを言ってくる。
そこで、不思議に思った当の人物は問題となった其の国と取引をしている商社の人間を探しだし、どういう事なのかと尋ねたところ、
「あの国では契約後、『それは無理だ』とか『金が足りない』と言われるのは普通のことであり、契約を持って取引が完了するのではなく、そこから取引が始まるのだ」
と言われ絶句したと言う。
また、大陸の言葉には『優しい』という言葉が存在せず、当然その概念もなかったため、大陸の文章を読める人でも新聞などはその部分だけ母国語で『優しい的』と書かれていて、つい笑ってしまったという逸話も残っている。
結局、その話が出て二十年も経たずに大陸は分裂してしまった為、当の概念も根付いたかどうか知られては居ないままだ。
繰り返すが、言葉が無い、或いは外から取り入れたものしか無い、と言うことは『概念』が存在しないか理解されていない、ということである。
近い意味や同じ意味の言葉があって翻訳を行うのとは文字通り『訳が』違うのだ。
つまりは、その価値が分からないと云う事になり兼ねず、個人間、国家間の交際においても非常に気を遣うことになる。
ノーゾドとガーインは言葉ひとつとっても、『概念』の違いが大きすぎての対立関係を数百年続けてきており、巧達の常識に近いガーインとしてはノーゾドとの関係に疲れ切っていた所であったのだ。
其処に降って湧いたラキオシアの統一と、バロネットを通さないフェリシアとの交易開始は、彼らにとって新時代の幕開けと受け止められていたのである。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
結局の処、言語や概念についての巧の疑問はすぐに答えが出るものでは無いようだ。
今暫くはガーインの内情に目を向けていこう。
ガーインは他にも巧達の国に似たところはある。
独立独歩的な部分が生まれ掛けており農地の整備に改良を加え、科学的な研究にも余念がない。
土地が乾燥したことを逆手にとっての葡萄の栽培の他、オレンジなどの柑橘類の栽培も盛んであり、インディファティガブルも壊血病の予防の為に此の地で多くの柑橘類を仕入れている。
驚いたことに科学的というか技術的な進歩も素晴らしく、原始的なカメラの祖である「カメラ・オブ・スクーラ」まで作り上げている。
これは外国人の入国に際して魔法で風体を誤魔化していないかを確かめ『その本当の顔』を書き写すことに利用していた。
カメラ・オブ・スクーラでは、正確な像を逆さに結ぶことは出来ても其の像そのものは手で書き写すしかない。
それにしても充分すぎる発明と言えた。
聞くと、納屋の隙間に開いた小さな穴から入る僅かな光が反対側も壁に逆さの像を結ぶことに気付いた子供達は、納屋の中と外とに別れてポーズの当てっこ遊びをしていたのだという。
そうしている内に子供が納屋に入り込んで遊ぶ事を不思議に思った父親が何をしているのか尋ねた結果、その理論を解明して専用の箱を作り上げたという。
カメラ・オブ・スクーラ(ウィキより模写)
様々に感心した巧ではあるが、取り敢えずフェリシアの王宮から、
『海賊行為は取りやめられているかどうか』が調査の対象になっていることを告げると、ヴェティは少し困った顔をしたが答える。
「勿論、国策としては取りやめております。
私が父を殺してこの座に着いたのも、その為です」
と、会話の中で自然過ぎる程にヴェティは恐ろしい事を口にした。
巧は平静を装うしかない。
彼の話は続く。
ノーゾド人四十万以上に比べ、ガーインは土地も七分の一以下であり、人口も二十万程度である。
しかし、だからこそ部族は大きく分裂せずに済んでいる。
北の山脈から湧き出る水を使い、北西部のアスタルト砂漠を開発することを狙っており、其れに対する援助が欲しい。
海賊行為は未だ行われているが、ノーゾドに対する個別の報復的なものであり、防衛体制が整えば其の必要も無くなるであろう。
要は『ルース軍?の駐留はガーインにとっても有益である』と言った訳だ。
ルースの活躍は両半島に於いて鳴り響いており、力は有るが高潔な騎士としてガーイン半島の人々は彼に対して好意的である。
対等であるならば、条約は問題無く結ばれるであろうとヴェティは約束してくれた。
二人がテントから出て来ると、左側にヴェティの補佐役達が、右側に巧の部下達が控えていた。
二人がテントの前で握手を交わすと、両方から大きな歓声が上がったものである。
但し、その直後に巧は桜田にでかいゲンコツを食らわせた。
桜田は必死で「×ってません、×ってません!」と騒いでいたが、二人の握手の瞬間の桜田の恍惚とした表情を見た後ならば、其れは嘘だと巧の拳骨に全隊員が納得するしかなかった。
ガーイン側としてはキョトンとするばかりであったが、明日はいよいよルースとの本会談である。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
三月四日、アスタルト砂漠北西部
「お~~! 長~い。なっが~いよっ! ルナールっ!」
そう言って頬を紅潮させ空を仰いでいるのはスーラである。
天に向かって伸びる三本のロープを見ているがその先は雲に隠れてしまって全く見えない。
ルナールとスーラは現在、シェオジェの実験の見学許可を受け、その場へ立ち会っている処である。
侵攻作戦が決行されれば、ルナール軍はシェオジェの指示に従って動く事になる。
実験の実情も知っておくべきであり、此の一月の間に様々な研究についての説明を受けていたが、今回の実験はその白眉とも言うべきものであった為、軍師が同行を求めたのだ。
(白眉=最も優秀であること、転じて最も注目されるもの、の意味にもなる)
「ルナール様が、ワン家のお嬢様と何やら不思議な旅を続けているとはお聴きしていましたが、事実で御座いましたのね」
シェオジェの言葉に言外の意味は含まれては居ないようだが、不審に思っていることは確かなようだ。
此の様な場合は事実を踏まえて話すに限る、とルナールは判断した。
「新しい金属の開発にお嬢様の知識、いやひらめきが必要になるとアダマン様が考えたようですな」
嘘は吐いてはいない。真実を話す必要もないが。
だが、シェオジェはどの様な人生を歩んできたのであろうか、その手の事には慣れた様子である。
「最終目的は教えては下さらないのですね」
一瞬ギクリ、としたルナールであるが其処も流す事にした。
「私も知らないのですよ。大気に潜む先祖に誓いましょう」
これも嘘ではない。
ルナールの目をじっと見ていたシェオジェだが、少しの笑顔を添えて頷いた。
「分かりました。信じましょう。
それと、このひと月のルナール様の為人を拝見した上で、信用してお話致します。
ルナール様ならこれを聴いても私を軽んじた扱いはせぬでしょう。
つまり、私にそれほど丁寧な言葉を使う必要はないということなのですが」
「と言いますと?」
首をかしげるルナールに、シェオジェは悲しげに口調を転じる。
「私は奴隷です」
「奴隷? まさか!
御母上は議員でこそありませんが、その席は既に用意されております。
一人娘である貴女はその跡取りですよ」
ルナールがそう言うと彼女は首を横に振った。
それから『苦痛』とでも表す外は無い表情と共に言葉を発した。
「私の父親は名も知れぬ奴隷です」
それを聴いてルナールはクスリと笑う。
シェオジェはやはり言うべきではなかったかと後悔したが、ルナールの返事には意表を突かれる。
「私の母親も奴隷ですよ」
彼は別段気負った風でもなく、まるで夕食の食前酒を頼むが如き気軽い口調であった。
「は?」
「いえ、ですから、」
ルナールが同じ言葉を繰りかえそうとした時、可愛らしい怒鳴り声がした。
「こらっ! ルナール!」
スーラお嬢様である。
「これは失礼いたしました、お嬢様。何か、お気に召さぬ事でも?」
そう言って片膝を着き、頭を下げるルナールに向かってスーラは頬を膨らませた。
「うわきしようとしてる……」
「は?」
今度はルナールが先程のシェオジェの状態である。
あっけにとられるルナールを尻目にシェオジェに向き返ったスーラは、彼女に人差し指を突きつけると断言した。
「お前、どろぼう猫だな!」
サブタイトルは、ル・ヴィンの「言の葉の樹」からです。
頂いたのはタイトルイメージだけですね。
中身は方向性がちょっと違いますから。
尚、我が国の明治期における英文和訳の多くは、何紀之、福沢諭吉、中村正直、国木田独歩、新島襄、津田梅子(敬称略)等の方々により12年間で1万件近くの哲学、科学、経済に関わる英単語が和訳されています。(変わったところでは、愛とか恋とかの情緒ですね。 個人的にはデストリビュータを配電盤と訳した東大の方々のセンスに脱帽します)
しかしこれも、まず日葡辞典を大切に保管し続けたことやオランダ語の基礎があり漢文の素養があった更なる先人の方々の並々ならぬ苦労の成果だと思います。
1年で英会話をものに出来なければ腹を切ると宣言して、実際その寸前で習得に成功した「通事=翻訳者」の方もいらしたそうですから、正しく命がけで文明開化を成し遂げたのですね。
現在の東京理科大学などは東大物理部の教授方30名以上が全くの無給で集まって夜間部として建学した上で「物理学術語和英仏独対訳辞典」を編み、その辞典は今の日本物理学用語の語源になっています。
今、其れらを使わせてもらって居る我々は幸せ者だなぁ、と感じます。
また、その翻訳語の元となった様々な『概念』も数千年の長きから生まれたものであり、私たちは歴史という巨人の肩に乗って、ようやく何かを見渡せる権利を与えてもらっている気がします。




