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星を追う者たち  作者: 矢口
第六章 海の風、国境の炎
77/222

76:思考の海

挿絵(By みてみん)



 北の大陸ノルンと南の大陸ビストラントの間には回廊となる海峡がいくつか存在する。

 巧達の地球の船ならばガスタービンエンジンとサイドスラスターの力を使って三万トン、或いは正確な深度航路図まで得られるなら五万トンクラスの船までは海峡を通り抜けることは可能であろう。

 この海峡部に魔獣が存在しないわけではないが、ある理由からその地域を根城として生息することは不可能であり、ヴェレーネから与えられた地図においてもその地域は赤く示されている。


 しかし、この世界の船は帆船である。

 風を頼りに航海する以上は、どうしても流される事を計算に入れざるを得ず、安全に海峡を抜けるには大きく見積もっても二千トン前後までの船舶が限界である。


 巧達の世界で言うと四本マスト・バーク型帆船『海王丸』あたりがそれに当たるであろうか。

 ちなみに『バーク型帆船』は『シップ型』と違い横帆の数が少ない。

 その分、構造が単純であり、船の大きさに比べて貨物量は多く人員も大量に運べるが、速度はどうしてもシップ型の船に大きく及ばない。


 その速度も風に影響されるため、確実にどれだけのノット数が出るとは判定できない。

 つまり、これだけの『ノット』(毎時一八五二メートル)が出る、と公称しても所詮は風任せの話なのである。

 その為、地点間の到達日数で船足を計るのが大体の目安となっている。


 ラキオシア王宮所有の船には幾らでも大型のものはある。

 しかし、オベルンが現在インディファティガブルを使用しているのは、フェリシアとの交易が本格化されておらず、速度を重視して連絡に重きを置いている事が大きな理由だ。


 地球における最後の高速帆船と呼ばれたカティサークはクリッパー(高速船)の名に負けず、オーストラリアのシドニーからアフリカ南端を抜けイギリスまで七九日間という記録を持っている。

 ライバルのサーモピレーとのデッドヒートは運の悪さもあって負け越しが多かったようではあるが、最高速度は二十ノット(約三七キロメートル/毎時)を誇り、操作性にも優れていたという。


 インディファティガブルもビストラント海峡を抜ける能力に長けており、ポルトからラキオシア首都リンデまで三三日間という記録を誇る。

 その秘密は船体構造の優秀さだけではなく、海流を読む腕に長けた船長が居ることにある。

 北風の時期でもノーゾドまでなら、どれほど長くとも二五日を超えることはない。


 だが、この世界では高速であるにしても、巧に言わせれば余りにも時間が掛かりすぎる。

 その為にも航空機の前線基地はどうしても必要だ。

 彼は両半島のいずれかに、滑走路を敷きたいと思っている。

 例えばオスプレイは垂直離陸が出来るが、積載量を最大にした場合は滑走離陸しか出来ない。

 また、オスプレイごときではバルコヌス半島に本格的に物資を送り込むには機体が小さすぎる。

 時間を無視して大型の船舶を地球から持ち込むにしても、大陸からの脅威がある以上、国防海軍からは『一隻も廻せない』と突っぱねられるのが落ちだろう。


 とは言えども下手に利益優先の民間船、民間人を使う訳にも行かない。

 海外からの穀物輸送が滞って焦っている商社、船会社が多すぎるのだ。

 何処を選ぶにしても混乱は避けられず、海軍処の騒ぎではなくなることは目に見えている。


 空軍の大型輸送機が二~三機は欲しい。

 二兵研でも一機は準備中ではあるが、搭乗員の選別にまだ暫く時間が必要のようだ。


 大型船舶には更に大きな問題がある。

 地球とカグラに時間のズレが有るとは云え、それが常に優位に働くものではない。

 幾ら大陸の脅威に備えるためとは云えども海軍艦はカグラで一年過ごして一時間後に地球に帰還という方法が採れる程事は簡単ではない。


 機材は使用すれば整備が必要なのだ。

 大型船舶となれば尚更である。 

 時間を短縮できる事が裏目に出る事は充分に考えられる。

 地球で整備完了して送り出した船体が十分後にオーバーホールが必要な状態でフェリシアから戻ってきたなら、整備員達は過労死する前に退職するかストを打つであろう。

 兵器の運用コストと整備稼働率だけをとっても、カグラと地球の間に迂闊な時差を生み出す訳には行かない。

 二兵研だけで細々と活動していた頃とは全く状況が違うのである。


 現時点では地球での稼働率の低い国防空軍にカグラの防衛と物資輸送を頼る事が現実的と言える。


 そろそろ空軍が結論を出してほしいものだ。と答えを待ちわびる巧にオベルンから明日出港すると連絡が入る。

 直後に三十式の積み込みが完了したと岡崎から笑顔と共に報告があった。

 かなり苦労したようであるが、自分の力量を試せた事が嬉しかったようだ。

 相変わらず前向きな男である。


 ホテルの窓から見るインディファティガブルの甲板は(にわか)に騒がしいさを増したように感じられた。



     ◇   ◇   ◇   ◇   ◇   ◇



 シナンガル西部において廃棄された製鉄、精錬所を手に入れることは差程難しい事ではない。

 鉱山を試掘しては廃棄し、又新しい鉱山を試掘する。これが百年に渡って行われてきたのだ。

 ルナールが手に入れた製鉄所もその様な試掘鉱山のひとつに付属していた施設であり、ガンディアの西に二百キロ程行った場所にある。

 手入れをして使えるようになるのに、差程(さほど)の日数は要らなかった。


 六人の男性エルフのリーダー格のダスラフと手先が器用だというペットルの二名が製錬に手を付けることになった。

 因みに『製錬』と言うからには、即ち鉱石から鉄や鉛を取り出す精錬だけでなく、素材の加工や精度の向上までをも目指す事になる。


 リーダーのダスラフは初めのうちは館に残り仲間を外に出そうとしたのだがルナールの言葉の端々(はしばし)に何らかの意味を認め、それを突き止めたくなった。

 何より鉱毒の汚染の危険があると聞いては仲間を其の様な所に送り出せないと考えた。

 条件は女性陣のみのフェリシアへの帰還であるが、出来ることなら男達もチャンスを見つけて脱出して欲しいと願う。

 二人は製錬を行うに際して、その成果がフェリシアに向けられる可能性は十分に承知していた。

 その為、どの様な仕事に付けられるにせよ、一旦成功させたように見せかけ、製錬した素材に何らの『罠』を仕込みたいと思ってもいる。

 気付かれれば命はないであろうが、彼らは既にその程度の覚悟は終えていた。


 そうやって気を張って製鉄所に来た二人だが、ルナールは妙な事を言う。

「フェリシアに向ける武器を作りたくはないだろう。そこは適当にやっている振りでもしていてくれ」と。


 何が何だか解らないが、罠かも知れない、と考えると油断も出来ない。

 実際、『ミスリル』と思われる金属の製法については研究を進めるように言われているのだ。

「ミスリルをフェリシアには向けないとでも?」

 ダスラフがそう訊くと、

「侵攻期日は迫っている。ミスリルの作成が年内に間に合うとは思えんよ」

 そう言って二人を放置してシナンガル人技師達に妙な物を作らせ始めていく。


 造らせているものはかなり上質の鉄による大型の箱、筒、球そのようなものばかりだが、球を除いては、全て二つに分けられ内部に小石が入る程の穴を開けさせている。

 最終的にはそれを全てつなぎ合わせるようだ。


 初めは単に興味本位で見ていただけだが、組み上げられていく『それ』を見て二人の顔面は蒼白になっていく。


「あんなものでシエネを攻められたら、堡塁(トーチカ)如き一瞬で消えて無くなるぞ!」

 震え声のペットルの言葉にダスラフも頷く。

 しかも、『あれ』を一つ二つ壊した所で『技術』は既にあるのだ。

 フェリシアの無事を祈るしかない己達の無力さが歯がゆい。

 仲間達が仮に帰郷できても、あれではフェリシアごと奴隷に落ちるだけではないのか、と胸が締め付けられる思いがした。


 二人の表情を見るルナールとしては複雑な思いである。

 確かに今までなら『あれ』があればフェリシアなど物の数ではないと自分も考えたであろう。

 しかし、彼らは奴隷であるため外の世界を知らない。

 鳥の恐ろしさを、いや何よりマーシア・グラディウスを。


 マーシアに比べればあのような玩具(おもちゃ)、時間稼ぎにしかならない。

 後は『軍をその気にさせる』と云う程度の意味しかない代物なのだ。

 

 しかし、そう考えるルナールの苦笑がエルフ達には悪魔が牙を剥くように見えているようだ。

 彼はそれに気付いたものの、今はまだ何事も話す時期では無い、と口元を引き締めただけであった。



      ◇   ◇   ◇   ◇   ◇   ◇



 ピナーの元にフェリシア侵攻に関する作戦会議を首都で行うため、出頭するように命令書が届いたのは一月二四日のことであった。

 二月の四日を目処に会議を開催するという。


 少しばかり驚いたのは、自分はあくまで後方支援であり、侵攻そのものに関わる事は無いであろうと思っていたからである。

 普通、補給物資の準備についての命令書が届くとピナーはそれに沿って準備を進める。

 それがこれまでの手順だった。

 前回五十万動員の時はもとより、二百~千人単位の小競り合いの際でも彼に課せられた役目というのはその程度のものだったのだ。


 前回、竜の育成要塞に招集されたのも精々、竜の生態を知り『必要な糧秣の準備について考えておくように』という意味だと思っていただけだ。

 勿論、“いつかは!”と云う意識が無かった訳では無い。

 しかし、これ程早くに前線の作戦会議に参加できるなど夢にも思っていなかった。


 今までなら「望外の喜びである」、と言ったであろう。

 だが、いくら何でも情勢が変わりすぎた。


『マーシア・グラディウス』


 確かに『戦 魔 王』ザーストロン・ルシフェルと呼ばれるほどの化け物だとは知っているつもりであった。

 しかし、丘ひとつ消し去るなど、最早、化け物がどうのというレベルではない。

 あれを相手にしては百万の軍勢ですら一瞬も持ちは済まい。

 あの女にどう対応すべきだというのだろうか。

 ……その上に例の『鳥』の存在。


 今やフェリシアに手を出すなど、不可能としか思えない行為だ。

『作戦会議?』 

 自殺の方法を考える会議としか思えない。

 南部のノーゾドやガーイン、或いはラキオシアでも狙った方がまだ、ましであろうと思う。

 

 不満も不安も有りはするが首都からの呼び出しに応じぬ訳にもいかぬ。

 ピナーは重い足取りながら街道を西へ向う馬車の主とならざるを得なかった。



     ◇   ◇   ◇   ◇   ◇   ◇


 二月二日


 フェリシアの海岸線から南六十キロ程の海上で北風に向かい三十度斜めに切り込みをかけながら風上に向かって船足を進める船がいる。

 前部の三角帆であるフォアマストや後部のスパンカーと呼ばれる船体と平行に張られた帆を使って横風を受け流し蛇行を繰り返して西へ西へと向かっているのだ。


 インディファティガブル号が出航して五日目。巧が船長室で茶を振る舞われていると、ルースがオベルンに面会を求めてきた。


「船旅はどうですかな?」

 オベルンの言葉にルースは“すこぶる満足”と答える。


 実際、この船は見た目こそ十八世紀の帆船だが、帆走すること以外は全くの別物と言って良いだろう。

 まず、客室がきちんと整備されている。

 戦闘時には中央の避難所に移動するように言われたものの、部屋には窓ガラスまで使われており、通気性もよい。


 何より驚くのは食料品の質だ。魔法によってその鮮度がきちんと保たれている。

 帆船の旅で一番困るのが『食事』である。 

 地球の場合、帆船時代に冷蔵庫がある訳では無かったため、その時代の肉類は全て塩漬けにされており、それ以上に水を得るのが、これまた一苦労であった。

 つまり船内は『不潔と栄養失調』の温床であったのだ。


 例えば血液中のビタミンCの不足から来る病気である壊血(かいけつ)病は、主に野菜を取らないことで起こる。

 しかし、長期の船旅で野菜などそうそう持つものでは無い。

 壊血病に(かか)ると症状が軽ければ『古傷がうずく』くらいで済むが、酷くなれば感染症、歯の脱落、最後は出血が止まらなくなり死に至る。


 一七五三年にリンドによって柑橘類が壊血病の予防に繋がる発見もあったが、その後も暫くは猛威を振るった船乗りの病であり、ある船では百八十人の乗組員の内百名が死亡した記録も残っている。


 また、辛うじて保存に耐える残りの食料も、とても真面(まとも)とは言えなかった。

 ビスケットに穀象虫(こくぞうむし)()くぐらいなら未だ良い。

 船乗り達はそのような事は気にせず、虫をはたき落として粉になったビスケットを食べるか、そうでなければビスケットの形を保つために虫ごと食べた。


 しかし塩漬けの肉にですら(ウジ)が湧いたことにはまいったようだ。

 キリスト教徒は教義の関係から魚を好まないものが多かったため、魚を釣り上げるとそれを肉の上に置く。

 すると新鮮な魚に蛆が移動するので其処を狙って肉を食べるという涙ぐましい努力をしていたのだ。


『チーズに足が生える』という表現もある。

 腐りやすい、と言う意味ではない。チーズは元々発酵食品である。


 早い話がチーズに群がった大量の蛆がチーズの下に潜り込んでいくので、本当に足が生えたように「チーズが動き回る」と言う意味である。

 

 まあ、このように帆船の生活というのは地獄の食卓と切っても切り離せない物なのであったが、この船ではその心配はない。


『魔法ってホントにありがたいモノですねぇ』

 前述の話を巧から聞いた直後の桜田がしみじみとそう呟き、涙目になったそうだ。

 岡崎が後に語った処によると、その姿は『いきなり二十も年を取った様に見えた』とか。



 それは兎も角ルースである。


 挨拶を済ませると、『両半島の主要な産業と生活の様子を教えてくれ』と言ってきた。

 やっとそこに気付いたか、と巧は胸をなで下ろす。

 

 桜田が先に言った『経済活動』、その根底にあるのは『産業構造』即ち、誰が、何処で何を行って生計を立てているか、なのだ。

 そこを基盤にして社会全体の経済が見えてくる。


 指導者達が利益を独占しても物が溢れている程豊かならば、必要な利益は当然ながら『もの』では無い。

 情報であったり、安全であったりする。

 (もっと)も、両半島共に昨年まで海賊が主産業だったのだから豊かな訳もなかろう。


 問題はいずれの利益であっても、どの様に提供できるか、だ。

 その為には何よりも最初に、人々が『何を重視して生活をしているか』を知らなくてはならない。

 つまり、ルースが与える利益が豊かさだろうが安全だろうが、半島の現状を知らなければ何も始まらないのだ。


 オベルンはルースではなく、ほっとした顔の巧を見てニヤリと笑った。

 気が付いていたんだろ? という表情である。


 しかし、それを巧に問い掛けることはせず、まずはルースに

「情報を得た後の、あなたの計画が合格点に達する事を期待していますよ」

 と一言入れて説明を始めた。


挿絵(By みてみん)

サブタイトルは、グレッグ・イーガンの短編集「祈りの海」からです。

最後に載せた帆船の絵は海外のフリー素材から見つけた物です。

本文中にあるとおり、帆を30度程傾けて風上に向けて切り込んでいるところです。

読んで下さる方のイメージが膨らむと良いかな、と思って載せてみました。

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