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星を追う者たち  作者: 矢口
第六章 海の風、国境の炎
74/222

73:一人で歩きかけた少年

「まあ、考え方はおっさんなんですけどね」

 小さく呟いて、遠ざかるガールフレンドに手を振る少年。

 自分の中の『老いた』感覚を矯正するために楽しくもないデートに時間を費やした。


 エルコーゼ・オベルン十三歳。


 本日の競技会も無事「準優勝」で終わった。

 優勝する必要はない。自分に当たらずに決勝戦まで来れば優勝は決まるのだから他の子供達に平等だと思う。

 これしか方法がないのだ。


 彼は、相手を打ち()えない。

 剣を巻き上げ、撃ち落とし、軽い組み討ちで引きずり倒す。そうやって相手を無力化する事で判定勝ちを積み重ねて来た。

 近頃は剣を叩き落とすと一本取った事にされるので、試合が早く済んで楽である。


 今日の準決勝は斜め上から振り下ろされた相手の剣の先一寸(約三センチ)程の点を狙って思いっきり叩いた。

 受け流すのではない。樫の木刀なので折れる心配もないと斜め上に向けて叩いたのだ。

 梃子の原理の応用である。 

 それだけで相手の少年は手首を押さえて(うずく)まってしまう。

 彼は膂力(りょりょく)はあるが、剣の持ち方がなっていなかったのだ。

 挙げ句、使っていた獲物は直刀のロングソードである。 

 その程度を叩き落とすなど、実に容易(たやす)い事であった。


 エリックの剣技は外見(そとみ)に剣筋の速さばかりに目が行くが、其処は本質ではない。

 体をどの様に動かせば剣が体に附いて来るかを知った『それ』であった。

 逆に言えば相手の体の動きを見ていれば、剣を振っている時と剣に振られている時を見極める事ができる。


 (もっと)も同年代で一瞬でも剣を『振っている』奴に会った事など無いのだが。


 決勝は何時もの如く相手の木剣が身をかすったと思った途端に一方的に負けを宣言して終わった。

 これには相手も怒り狂ったが毎度の事である。

 エリックに言わせるならば、“手順通り”に審判席でしこたま叱られ、競技会は終了した。


 その後はガールフレンドと楽しく(?)デートである。

 競技会に余計な手間は掛けられない。自分の中の妙な感覚を矯正するためには、年相応の振る舞いが必要なのだと焦っているためだ。


 しかし、彼は自分が年相応の馬鹿である事に気付いていない。

 力のある者が『勝ちを譲る』などプライドの高い敵を増やすだけなのだ。

 何より、まともな人間の行為とは言えない。

 全く持って其処に気付かぬ程に彼は自分の中の『妙な感覚』に振り回されているのだろう。

 あまり幸福な少年時代とは言えず、結局、少年時代に最も大切なものを失う事になる。


 つまりは信頼できる友人を作る事も出来ずに、唯、時間だけが流れていったのだ。


 兎も角、近頃は”叩き落とし”や”巻き上げ”に対処できるほど彼の技に慣れてきた少年も多いので、自分より大柄な相手ならば懐に入って投げ飛ばして終わる事も多くなって来た。

 腕を打ち据えるぐらいは認められているのだが、相変わらず彼はそれが出来ない。

 怪我をさせる程でなく、軽く打ち据えて木剣を落とさせれば良いだけなのだが何故か出来ないのだ。

 仕方無しの行為である。


 それらの技に対応するために他の少年らも腕を磨いてくる事になるだろう。

 結構な事だ、と彼は思う。


 エリックのあまりの強さに対処するため、彼の同世代は剣技や組み討ちの研究に貧欲である。

 又、エリックが最も好む弓に力を入れるものも多い。

 師範達には『此処百年で最強の世代が生まれるであろう』とまで言われ始めている。

 

「ま、そうなりゃ、俺は殺しをしないで済むんだから、楽っちゃ楽なんだよなぁ。

 けど、それは卑怯だよなぁ……」

 遠ざかるガールフレンドをぼんやりと見つつ、大きく息を吐いた。



 彼の中に不思議な感覚がある。

「人を殺すのは良くない事だ」という感覚である。

 そして同時に「あまりにも哀れな死を見過ぎた。また、人は愚かさや貧しさから罪を犯しやすい」

 という感覚である。


 後者は分からないでもない。 

 分別の付かぬ五つの頃、腹が減ったと八百屋から林檎を盗んだ事があるのは事実だ。

 母親が八百屋の主に土下座をするのを見て、二度としないと心に決めた。


 だが、前者の『人を殺すのは良くない』と戦場の記憶すら持つかのように感じるのは何故なのだろうか?


 戦場の話は聞きはする。

 後三年、いや早ければ二年もすれば、十五才で戦場へ出る事になるであろう。

 兄たちは病弱な小兄(しょうけい)を除いて皆、戦場に行っている。

 自分の大事な人たちを守る為のことなのだ。何が悪い事なのかさっぱり分から無い。


 それなのに『嫌な感覚』がどうしても消えない。

 いや、近頃はもっと不味い感覚が生まれてきた。


 オベルン家の長兄は三十も過ぎて既に戦場と首都を行き来して十年になる。

 負傷した軍団長の代理まで引き受け、敵を撃退した事もあるほどの猛者だ。しかも、いよいよ父の後を接ぐ時期にまで来ている。

 その長兄から戦場の心得を十一の頃から常に教えて貰っていたエリックだが、半年前から彼は長兄が急に若造に見え始めたのだ。


『何という失礼な感覚だろう!』


 自分でも当然に驚いたのだが、四十歳前後の人物を見てもそう思う程なのだ。

 次第に自分の中で妙な感覚がわき起こってくる。

 今まで『僕』と言っていたのが心の中で『俺』や『私』に変わる。


 心配になって次兄に自称の事だけでも相談すると、

「そりゃ、お前。少し成長すりゃあ、何時までも『僕』とは言わんだろ?」

 と一笑に付された。


 しかし、そのような感覚ではなく『俺』、『私』を既に使い慣れている、と云う感じなのである。

 子供らしく『僕』というのが気恥ずかしい程にだ。


 問題は更に大きくなる。

 自分には妻と子供がいる、という感覚がどうしてもぬぐい去れない。

 こればかりは誰にも相談できない。

 笑いものになるどころか、頭の正気を疑われてしまうだろう。


 しかも彼は自分の剣技を天分(てんぶ)の才ではなく、多少の修行を重ねた経験と大人として『相手を呑んでかかる力』の上に成り立っている、とも感じているのだ。

 同じように人を殺傷するのを嫌がるのは『無益で残酷な死をあちこちで見過ぎた』という感覚に根ざしている。


『見た? 何処で?』


 答えは出ない。 


 そうして十四の生誕日も過ぎたある日、彼は更にとんでもない感覚を身に付けている事を知る。



 委員会クラン即ち、『サムライ・テリトリー』においては銅貨や真鍮(しんちゅう)貨は存在するが、銀貨や金貨は存在しない。

 他のクランと貿易する際は、金や銀で決済するがテリトリー内部では高額な単位の場合は『紙幣』を使っている。

 金鉱山はあるものの金の産出量は年間制限されており、物価をコントロールしている。

 また重い金を持ち運ぶよりも便利な上に、委員会に持って行けば何時でも『金』と取り替えてくれる紙幣に誰も困る事はないからだ。


 委員会クランの製紙能力は高い。 

『造紙』ではなく『製紙』と言う程に高品質の紙を作り、その上、印刷技術まで他のクランに真似できるものでは無い。

 友好的な島に限られるが、独立した他の島のクランですら委員会クランの紙幣を国内で流通する事を認めている所すらある程だと言えば、その信用度が分かるであろう。


 しかし近頃はきな臭い。少しでも手元に『金』を置きたいという人が増えてきた。

 係員は委員会クランが滅亡するまで此の地を守る義務がある。

『名乗り』を持つものに限られる崇高な義務だ。


 しかし別に『家族まで犠牲にしろ』、と言っている義務ではない。

 万が一を考えて、長兄が自分の給与をため込んで弟たちのために金貨に変えてくれた。

 その中にフェリシア金貨があったのが騒ぎを引き起こす。


 金貨の表にレリーフされた女王の横顔に見惚れる兄たち。

 それに気を引かれ、どれ程美しいのかと見せて貰った時、エリックは思わずこう言ったのだ。

「あっ、これ俺の女房だ!」と。


 爆笑の渦が湧き起こった。

 エリックも自分が何故そんな事を言ったのか分からなかった為、真っ赤になってしまう。

「にょ、女房って、おまえ、」

「街の女将(おかみ)さんかよ!」

「腹が痛いぃ。かあさーん、エリックの嫁さんが決まったよぉ!」

 などと凄まじい騒ぎであり、その後も度々、揶揄(からかわ)れる様になる。


 長兄は“それほど惚れ込んだなら”とその金貨は彼の取り分だと約束して金庫にしまうと、『見たい時は母さんに頼むように』と笑った。


 どうせ『名乗り』を接ぐ自分には、これを持つ意味はないのだから気にするなとも言ってくれたのだが、最後には、

「ただなぁ。女王は四百才を過ぎてると聞く。お前、年増趣味にも程があるぞ」

 と付け加えたため、側で茶を飲んでいた父親が口の中のものを全て床にぶちまける羽目になった。



     ◇   ◇   ◇   ◇   ◇   ◇


 十六になり北部戦線に出でた時、エリックはシナンガル人の意識改革がなければこの戦争は終わらない事を知る。


『物欲』 


 これは人が人である限り、どうしようもない。

 しかし彼らの物欲には限りがないのだ。


 生きるためには物欲は最低限必要だが、あるラインを越えるとそれが不要とまでは行かなくとも優先順位が相当に下になる場合がある。

 精神文化の発達である。

 人間は精神的成長と共に、文化の創造、自己実現などにより自分が社会に役立っている事を最上の価値とするようになる。

『自己実現欲求』、『承認欲求』と呼ばれる。 


 更に高度になると『存在欲求』ともよばれ、それを達成した人物ならば(ただ)、其処にいるだけで自分も他人も安心できる存在になる。


 間違った自己実現は単なる『自己顕示欲』即ち『権勢欲』や『名誉欲』になる。

 最後のものが一番厄介である。

 これを持ってしまうと人間は様々な組織、社会で害悪化する。


 シナンガル人の多くは物欲を含め、これらの悪い方の『欲』を全て集めたような人々であった。


 勿論、巧達がやってきた時代においてルナールやドラーク或いはアダマンのような人物が居たように、生き辛い生活を強いられているとは云え『人物』と呼べる人たちも地方には細々と生きてはいた。

 そうでもなければ巧達がやってくるまで国が持ったはずもない。


 しかし、戦争で荒廃した自分の国を建て直すことも考えず、更なる略奪を求めて南西諸島に渡ってきた人間など、どの様な人種か考えずとも分かる。

 エリックは其処を突いて戦闘を優位に進めるように進言していく。



 シナンガル人と違い、サムライ・テリトリーの戦士達は余分な装飾や華美な服装を好まない。

 馬鹿馬鹿しいからだ。

 勿論、戦場において身を美しくする事は重要である。

 死に様を美しくする覚悟が出来ていれば兵は強い。

 だが、『美』には様々な種類があり、サムライ・テリトリーの人々は一言で言えば『華美』より『渋み』を好んだ。


『金』より『漆』(うるし)であり、

『美は見せびらかすものでは無く、己の中に咲き誇り消えていくものだ』

という考え方だ。

 当然戦術にもこの考え方が反映され、出来る限り正々堂々を好んだ。


 だが、この(いさぎよ)さはでは戦争には勝てない。


 エリックの考えでは、相手に合わせてこちらも『汚く』なって貰うしか勝つ道はないと思う。

 戦争とは所詮(しょせん)野蛮なものだ。

 能力や技術が同じなら結局は精神が『野蛮』な方が必ず勝つ。

 と言って、単なる狂乱的蛮勇は勝利には何の貢献もしない。


 重要なのは『どれだけ相手をだませるか』、『どれだけ相手より多く兵を揃えて正しく動かせるか』である。


 という訳で、エリックは相手の『欲』を利用させて貰う事にした。

 

 今までの彼を知るものなら信じられなかっただろうが、ついに彼は『人を殺した』

 戦場においても嫌々ながらではあるが腕や足の腱を切って抵抗不能にしていたのだが、その敗残兵が最後は放置されて死ぬ事を知って前々から気付いていた自分の欺瞞(ぎまん)に遂に嫌気が差したのだ。


 何より、『頭で殺すのと腕で殺す事に何の違いがあるか』とようやく気付いた。

 彼の子供時代はその時に終わったと言えるだろう。


 哨戒隊に廻して貰い、敵の首を三つ、四つ取ってきた後で上官に進言する機会が与えられると、金、銀、宝飾をこらした騎士の小集団を揃えてもらった。


 前線に置いておくと、普段は突入してこないシナンガル兵が突っ込んでくる。

 あまりにも相手があっけなく引っかかった為、自分の方が罠に掛かったのではないかと不安になった程であった。

 側面から彼らを援護するが、金騎士の一団は、重い飾りや宝飾を自分の体から外し、馬の鞍から切り離して逃げた。

 彼らが逃げ切った所で、援護を行った正規の兵も整然と引き上げる。


 後は、シナンガル兵同士で金銀や宝飾を巡っての凄惨な殺し合いが始まった。

 委員会に作戦を認めさせ予算をせしめると金も銀も宝飾も全て本物を使ったのだ。

 当然と云えば当然である。


 それを二~三度繰り返す。

 三度目からは流石に相互の殺し合いは減ったが、これは未だ撒き餌の段階なのだ。


 次第に北部に散らばっていたシナンガル人達が西へ西へと集まっていく。

 金銀の甲冑を着た弱兵を追い始めたのだ。


 同時に幾つかの全く違った陣では、捕虜になったシナンガル人の前で、兵士に愚痴をこぼさせた。

「委員会の御子息様だか何だか知らんが、そんなに目立ちたいのかねぇ?

 全く、こっちは良い迷惑だよ!

 あいつら金が続く限り、あの格好で出かけて、逃げる時には『重いよ~』って捨ててくるつもりかよ。俺が貰ってやりたいぜ!」


 と云う感じである。

 不思議な事に、その愚痴を聞いたシナンガル人捕虜のうち数人は数日後には幸運にも脱出に成功する。


『奴らを殺すなよ。少しばかり脅せば宝物を捨てて逃げてくれるんだ』

 そのような噂がシナンガル兵の間に広まるのに時間は掛からなかった。


 北部に散らばるシナンガル兵らを一カ所に纏めて潰す、これがエリックの策であった。

 兵力は充分にある。


 シナンガル兵は集落を襲うと後は逃げ回って北部の森林に逃げ込む。或いは船を使って小島に潜むのだから、まったく捕らえ所が無い。

 そんな連中を律儀に追い回すから、こうも戦争が長引く。


 しかも、戦争が長引く原因は実は委員会クラン側に最大の原因がある。


 浸透していつの間にか集落を作り、委員会の軍に抵抗せず従順に振る舞うシナンガル人達は、隙があると近くの街や村を襲い村ごと放棄して逃げ出す。

 次に見つけた集団がその犯人とは限らないため、サムライ達は抵抗しないシナンガル人に手を出せない。

 委員会がそれを禁じているからである。


 しかし、これではいけないのだ。

 エリックは考える。

 どうしても、そのような『義』を守りたいなら、『棲み分け』をするべきである。

 その棲み分けをする範囲を『国』と呼ぶのだから。


 当然、行き着く結論として『抵抗しないシナンガル人も全て捕まえて離島に閉じ込める事』を進言する。

 彼の理論は筋が通っており、現場では受け入れられた。

 と云うより前々から誰もが声に出していた事であり、エリックがことさら目新しい事を言った訳ではない。


 しかし、委員会は難色を示した。


『人権問題である』

 と云う聞いた事もない不思議な言葉が飛び出しており、前線としては戸惑うばかりだが議会は国民の代表である以上、逆らえない。

 しかし二百年前に戦争に突入したのは、その人権問題が理由からだったではないか。

 それが、いつの間にか侵略者の人権まで考える暇人が現れたのだ。


 皆が首をかしげる中、エリックだけは意味を理解した。

『議会、いや、多分『係員室』に偽善者が住み着いてやがる。

 そいつを殺さない限りもっと多くの人が死ぬぞ』

 殺しを嫌う彼が、最初に本物の殺意を抱いたのは自国の指導者達であったのだ。



 半年掛けてまいた餌は、遂に成果を出す事に成功する。

 西岸の街に繋がる商人の通行路も時々は警備を緩やかにして、襲われやすいようにしておいた。 

 東側の警備を厚く見せかけ、こちらから突出する際も東海岸際を重視する形を取った。

 エリックはこの半年で味方もだいぶ殺したと言える。

 しかし、戦場でのエリックの読みはことごとく当たるため北部防衛隊長はエリックを側に置き、参謀として使い続けた。


 北部シナンガル人九十万人の殆どが西海岸よりに集まり始めた。


 そのうち成人男子は三十五万人程で殆どが兵士である。

 いや、彼らには兵士と民間人の区別は実はない。

 主婦を見逃したサムライが、背を向けた瞬間に殺されかけた例など珍しくもないのだ。


 また彼らは農耕をしているように見せかけているだけで、実際の食糧の入手は収奪が殆どである。

 実際に農業を行う場合も奴隷を使った大規模な『焼き畑』であり、島嶼国家のラキオシアには被害が大きい。

 北部の季候が熱帯性である為、辛うじて森林の回復力が持っているだけである。



 攻撃をもう半年、待つ事になった。

 こちらが疲弊していると考えさせたかった事と、追撃戦のための包囲路の整備に時間を掛けた。

『彼らを皆殺しにする……』

 其処まで覚悟した準備であったが、司令部に『一般兵からの反発が予想される』と注意を促しておいたおかげで他の兵士達に気付かれる事はなかったようだ。


 いや一人、気付いた者が居た。

 彼に勝ちを譲られ続け、彼を『憎んでいる』と言ってもよかった少年である。

 名をセシル・フォレスターと言った。




「結局は其処に行き着いたか!」

 エリックがセシルと北部長城の一角で警備に当たっていたある日の昼過ぎ、セシルが唐突にこう言ったのだ。


「何の事だ?」

 エリックはその時、自分の小手を外して磨いていただけであり、特に何か考えていた訳ではなかった。

 その為、セシルの言う事が本気で分からなかったのだ。


「お前の考えはお見通しだよ。しかし、恐ろしい奴だな」

 そのような事はお構いなし、という感じでセシルは言葉を続ける。

「だから何なんだ?」


 風も強い城壁の上で、隣の歩哨まで三十メートルは優に離れている。

 二人の会話は誰にも聞こえない。

 そしてセシルは断言する。

「お前、抵抗がある場合は女子供まで皆殺しにするつもりだろ?」

「なっ!」

「違うとは言わせんぞ! お前が人を騙そうとする時の顔はよく知っているんだよ!」


 エリックは『やけ』にもなっているのだ。

 早く戦争を止めたい。その為には人を殺すしかない、と実際に自分の手を汚した。

 そこから間違った方向に思考が走り始めた。

 少年の殺人に対する意識の(たが)が外れたのは、この戦乱の世では正しい事であろう。

 だが、これは巧が『頭で人を殺し』その報いを受けた結果から狂った事と似ている。

 エリックは逆にその報いを受ける事を恐れ過ぎる余り、先に狂気の中に身を置いて安寧を得ようとしているのだ。


『ある者が暗闇をのぞき込む時、暗闇も又その者をのぞき込む』というやつである。

 セシルはそこに気付いたのだ。


 二人の間に緊張が走る。

 結局、耐えきれなくなったのはエリックの方であった。

「で、それが悪いとでも?」

「悪いに決まってるだろ!」

「奴らとはわかり合えん!」

 エリックは断言したが、セシルは鼻で笑った。


「お前は、彼らの何を知っている」

「幾らでも見てきているだろ!」

「戦場でな。じゃあ、奴らの生活は? 親子関係は? 友人をどの様に扱うかは? 彼らが何故あれほど欲深いのか? 何故そのような考えを持つようになったのか、は?

 ……お前は知っている気になっているだけだよ」


「厳しいな……」

 エリックは返す言葉もなかった、というのが本音だったが、

「だが、戦争だ」と、辛うじて返す。

「エリック、俺はお前が大嫌いだ。いや、大嫌いだった」

 勝ちを譲られた事から来る怒りを指している事はセシルの口調から、すぐに分かった。


「評価が変わったのは有り難いが、変わった理由が知りたいな?」

「その馬鹿さ加減を知って、お前を嫌いになる感情が『同情心』に変わった、というべきかな」


 セシルの言葉はエリックにはさっぱりだったが、彼は基本的には素直な人間である。

 過去に自分の行為で怒らせるに充分な事は心当たりがあったので、その点は詫び、自分はどうすれば償えるか訊いてみる。


「償い、なんてものはいらんよ。お前のお陰で俺たちの世代は皆生き残ってる。

 ただなぁ。お前、いつも心が此処(ここ)にないんだよ。 

 だから誰とも交われない。それが気に掛かるんだ」


 (うつむ)くエリックにセシルは更に言葉を掛ける。

「お前の作戦は、いや戦略と言っても良いかな。こいつは凄いよ。

 素直に敬服するさ。お前のやり方なら、あと一年もすればこの戦にもケリが付くだろう。だがな……」

 そこでセシルは言葉を止める。


「だが?」

 自然と発せられるエリックの問い。

 そこにセシルが返してきた言葉は、エリックが『敵の心理』を知っては居ても『味方の心理』は知らない、事を知らしめた。


 単純化してセシルの話を纏めると、要は委員会はこのような戦略を使うものを危険人物として戦乱が終わった後で始末してしまいかねない。

 そこまで行かなくとも、誰もがエリックを恐れて近寄らなくなるであろうと云う事であったのだ。


 何より、幾ら抵抗されたからと言って女子供に手をかけることを好む『サムライ』が居るとでも思っているのかは少し考えてみれば分かる。

 やむを得ずやる事になった場合も、手を汚した者達の恨みは全てエリックに廻ってくるのだ。

 お前はそれに耐えられるのかと問われる。


 ショックは大きかった。

 

 考えてみれば自分とて味方に、しかも上層部に殺意を抱いたではないか、と気付いて更に自分の馬鹿さか加減が嫌になる。

 セシルの言葉は真実であった。


 話を訊いている内に『彼を信じてみるのも良いかもしれない』とエリックは思うようになってきた。

 悪い奴ではない。

 何より『道を誤る処であった自分』を留めてくれた恩人になったのだ。


「なあ、セシル。俺と友達になってくれないか?」

 もうすぐ十八才になろうという男の台詞とは思えず、セシルは大笑いする。

 だが、返って来た言葉はエリックの期待を裏切らなかった。


「前の哨戒戦で助けて貰ったろ。俺はお前を友達だと思って話しかけたんだぜ。

 だから、お前は『味方の心理を知らない』って言うんだよ」

 屈託の無いセシルの笑い声に釣られた。

 エリックは生まれて初めて、友人と声を合わせて笑い合ったのだった。



     ◇   ◇   ◇   ◇   ◇   ◇



 エリックの戦略は、その半年後に見事に発動した。

 西海岸に向けて移動を続けたシナンガル人達は、海岸線から上陸した海兵隊と地上からの陸戦兵の挟み撃ちにあって完全に撃破された。

 洋上兵力の有効な活用もこの戦略の重点であり、準備に時間をかけた甲斐があった。


 但し、流石のエリックもセシルの助言に従い非戦闘員への殺戮を避けた事や、投降をしやすくするために上官の首一つで十人の投降を認めた事などから、シナンガル人の生存者は意外と多かった。

 結果、囲みを脱出した一部を除いて生き残りの大多数が西海岸の半島部分に押し込められ、バルコヌス半島に移送される日を待つ事になる。


 しかし、委員会。 

 いや係員室からの返答は捕虜のバルコヌス半島への移送は『不可』。

 武装解除をした後は北部を彼らの居留地として明け渡し、自治権を認めるように通達してきたのである。



 エリックとセシルが同期の仲間を集め反乱を計画するのに、そう時間は掛からなかった。




サブタイトル元ネタは大原まり子先生の「1人で歩いていった猫」ですね。

ちょっと進行スピードが鈍っています。

頑張らないといけないのですが、体調ちょっと悪いのですよ。

すいません。


前回、本文の誤字脱字は一文字だけでした。

今回はどうでしょうかね。

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