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星を追う者たち  作者: 矢口
第五章 地球の風、カグラの嵐
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69:階級問題

今回はちょこっと機甲科が悪者になっちゃいますが、彼らには荒れるだけの訳があると言うこともいずれ書きたいですね。

 巧がその部屋に入った時、ベッドの上には黒い干物が転がっていた。


「主任、いや大佐。 時間ですが」

「も少し寝かせてよぉ」

「駄目です! 早いとこ顔を洗うなり、シャワーを浴びるなりして着替えて下さい。 

 増援部隊第一陣の配属式典から寝坊してどうするんですか!」


 巧はヴェレーネ・アルメットの第二副官としての任務まで押しつけられており少々不機嫌であるが、コペルからの話もあって無碍(むげ)にも断れなかった。

 池間が気を利かせた配置であり、有り難いと言えば有り難いのだが忙しさは半端ではない。

 この数日はマーシアともインカムで話すのが精々なのである。


 尤も、忙しく且つ疲弊しているのは巧やヴェレーネに限った話では無い。

 それでも今日以降は少しは楽になってくるのだ。

 此処が踏ん張り処である。


 旅団規模の配備は認められ、正規の五千二百五十名がフェリシアに送られてきた。

 今日から教育期間の済んだ第一陣の一千五十名が哨戒任務に就く。

 

「とにかく起きて!」

 そう言ってうつぶせで寝ていた彼女をひっくり返した時、巧は見てはなら無いものを見た。

 ヴェレーネが着替えずにそのままベッドに倒れ込んでいたと思っていたのだが、やはり体が締め付けられるのを嫌がったのかブラウスの胸元だけは大きく開けて寝ていたのだ。


「うぉ!」

 巧の口から思わず声が出る。

 寝ぼけ(まなこ)だったヴェレーネは、その素っ頓狂な巧の声で異常に気付いた。

 ゆっくりと自分の胸元に視線を落とす。ついで耳まで真っ赤になり慌ててシーツで胸元を覆う。

 それから、涙目になり、



 部屋が爆発した。



     ◇   ◇   ◇   ◇   ◇   ◇


 式典も半ばを過ぎた頃、消し炭のような男が指揮武官席の端に座った。

 巧である。

 直撃を避けたとは云え、二千度近い熱を持つ火炎弾が一気に彼の一メートルほど側を通り抜け壁に激突したのだ。

 取り敢えずマイヤの治療を受け代謝機能を高めて皮膚の殆どは再生したが、替えの服を準備する時間がなかった。


「あの女、恐ろしすぎる……」

 そう思いながら壇上に目をやる。


 彼女の立ち位置はややこしい。

 この世界で言うならば、本来は三軍統括の元帥である。

 三軍と言っても地球のような陸海空ではなく、陸、海の中央、右翼、左翼という意味での三軍であるが、ドラゴンまで従えるようになった今は地球の統合三軍と変わらないのかも知れない。

 また、その下にアルボスやバルテンのような方面軍司令が居り、更にその下に方面隊長、千人長と続く総軍十四万のトップに立つ。

 更に非常時なら最大三十万の軍をも動かす力を持ち、個人でもマーシアのように丘を一瞬で消し去る能力までも持っているであろう。


 しかし、現在はその地位を封印し、地球軍総司令官下瀬高千中将配下の地球軍とフェリシア軍の調整役に収まった。

 即ち『国防軍、穀物ルート防衛独立混成旅団副司令』である。


 その補佐役として地球側では池間勲少佐、フェリシア側ではエドムンド・アルボス東部防衛指令がそれぞれに実戦部隊指揮官となる。

 調整役はあくまでヴェレーネと言うことになっているが、実際の作戦立案には全てに巧が参加しており、非公式ながら『参謀長』と呼ばれてその調整に当たっていた。


 巧の役割は益々重くなってきた。

 その為、巧を病院送りにしたと云うことを聴いたアルボスからヴェレーネはかなりのお目玉を食らったようで、式典後に殊勝な言葉遣いと共に詫びに来たのには驚いたが、最後に付け加えて「レディに勝手に触れるからよ……」とも少し言い訳もした。


 巧も(こじ)らせるのは御免であったので「いや、確かにこっちが悪かった」とだけ言っておく。

 何より此奴(こいつ)を怒らせるのも『起こしに行くのも』もうこりごりだ。


 巧の怪我を知ったマーシアは、久々に殺気を陣地内で振りまいて周りを凍り付かせたため、これは不味いと判断したマイヤが巧を運ぶのを手伝うように指示して、ヴェレーネの元に近づかせないように治療に参加させた。


 だが、その時マーシア、いやマリアンは、実にやっかいなことをしでかしてしまう。

 例の、『纏める量子』の本来の性質の一部をマイヤに伝えてしまったのだ。

 お陰で巧の怪我はものの数分で治ってしまったのだが、これは不味いとしか言いようが無かった。

 と云って、自分のために一生懸命になってくれたマリアンを叱る訳にも行かない。

 医療用に限定した伝達方法を考えて欲しいとマイヤに頼んで巧は治療室を後にした。


 一方のマイヤとしては、それこそ『魔法』のように見る見る内に皮膚が代謝していく巧を見て魔法の新たな可能性に感動していたのは間違い無い。

 上手く使ってくれることを祈るばかりである。


 式典は最後に池間少佐からの各部隊配属についての留意事項の確認で終了した。

 

 今回の第一陣は全て機甲師団である。

 まず三名搭乗の二六式戦車に交代要員まで含めて九十名。計二十両である。

 次いでAS20式。 こちらも二十機、二十五名。

 AH-2Sが二十機とオスプレイ五機にUHヘリ十機。こちらの総員は昼夜三交代制で二百名。

 配備済みと併せてAH三十機、オスプレイ十機、UHは十三機となった。

 航空戦力も相当な増大である。


 航空兵員の実働は二五五名だが、これに各整備兵が四~十二名付く、これが四百名。

 そして、ハンガー要員などが百名少々で計八五五名。

 これに三十式偵察警戒車両とAPCが各十台ずつ増員され、無線通信機能の再点検が行われた。

 これが一千五十名の内訳である。


 次回配属される一千五十名は全て、通信、補給、インフラ管理であり、こちらも一週間後に配属される。

 その後の三千名ほどは、殆どが歩兵と言うことになる。


 本来、補給、インフラが最優先なのだが、防衛線を守る機動兵器が配備されていないことにはそれも安心して配置できない。


 最後に配備される五二五名は固定翼航空機隊、即ち空軍であるが、今の処はA-10が一機、隼一機という小さな空軍である。

 国防陸軍は下瀬の説得もあって順調に集まっているが、空軍では未だ調整が進んでいないようなのだ。

 専任整備兵だけは二兵研からの十二名が付いたしっかりしたものではあるのだが、少々寂しいのは紛れもない事実であり、五十嵐も横田もこのところは溜息が多い。


 反面、一人だけ舞い上がっているのは岩国ぐらいなものであろう。


 パトロールに出る際に、カレシュがどこからとも無く現れて彼らを護衛してくれる事だけが空軍の好条件である。

 そのため『岩国はいずれ絞める!』事を決めたにせよ、カレシュに悪い感情は抱けない五十嵐、横田の二人であった。



 さて、最初に配備された戦車部隊内では配備前にちょっとした問題が起きていた。

 指揮官を、魔力の目を持つリンジー達が乗り込む戦車の長であるハインミュラーにするように池間から指示があったのだが、池間も歩兵科の人間である。


 機甲科の兵員達としては納得がいかないのだ。

 彼らとしては、自分たちの指揮官を差し置いて得体の知れないドイツ人に指揮権を預けろと言われては納得できないのも道理であるが、此処は普通の戦場ではない。

 そこを理解すべきであった。


 彼らは未だに異世界に自分たちのルールを持ち込もうとしている。

 このような傲慢な人間を指揮官に置いた部隊を選抜したつもりは無かったが、実際の処、傲慢でない指揮官というのは『調整型』の人間であり、そのような人間に(あて)がわれている部隊は問題の多い集団である事も事実である。

 その点についてヴェレーネの認識は甘かったと言われても仕方有るまいが、今更言っても仕方無いことだ。


 しかし、仕方無いで済まずに彼らの態度に最も怒ったのはエルフ三人娘であった。

「あんたらが魔獣を相手にしたら一時間で二十両全滅よ!」

 罵った言葉は事実ではあろうが、これは不味かった。


巫山戯(ふざ)けるな!』と怒り狂った国防軍兵士と、一触即発の状態になってしまったのだ。


 ハインミュラーとしては、単騎で勝手にやっている方が好みに合う、と思った事と何よりも、

『連携の取れていない味方は敵より怖い』と云うことで池間に丁重にお断りしたのだが、池間としては彼の手腕を国防軍に伝授して欲しかったのだ。


 現在まで撃破した大型魔獣が百三十頭以上、そのうち三十頭近くをハインミュラーの戦車一両で仕留めており、その上小型のものまで含めると百を数える。

「技術を後進に残すのはあなたの義務である」

 とまで言われては「痛い所を突くな。若いの」と返すしかない。


 という訳で、模擬戦を行うことになった。

 二六式とレオパルト2A8EXはほぼ互角の性能と言われている。

 条件は問題無い。

 ややレオパルト不利なのは砲身の固定性能、即ち照準性能という最後の重要な部分で、二六式に僅かに軍配が上がると言われている事である。


 五対一で良い、とハインミュラーが言った時、国防軍機甲科の怒りは頂点に達した。

 馬鹿にするなと一対一で行ったのだが、一分を持たずハインミュラー側の勝ちが決まる。


 機甲科の代表は高速を生かして相手を翻弄しようとしたのだが、平野部で何をグルグル走り回っているのだと呆れたハインミュラーによる予測射撃を喰らい、あっさりとケリが付いた。

「始め」と聞こえた数秒後、照準は撃破判定を出したのだ。


 続いては五対一で行ったが、これも多少時間が掛かっただけで同じ結果に終わる。

 エルフ三人組の能力がハインミュラーの指示を支えた事は言うまでもない。

 彼は何時か巧に話した通り、戦闘において使えるものは何でも使う。

 卑怯などと言う言葉は、死んでからは口にする事も出来ない事を知っているのだ。

 エルフ三人娘の能力をフルに使って二六式のレーザー照準器にでたらめな情報を送り込むと、全ては終わった。


 こうなると、若い連中は現金なものである。

 第四小隊の全滅を知っているだけ有って、命が掛かっているのだからとハインミュラーに教えを請いに来たが『基礎も出来ていない連中に教えることはない』と追い返された挙げ句、『間抜けと一緒に行動して死ぬのは御免だ』

 とまで言われると戦車隊員達は完全にへそを曲げてしまった。


 最早、ハインミュラーが戦車隊の指揮を執るのは無理であろう。

 と思われたその時、巧から戦車隊全員に招集が掛かった。


 ブツブツ言いながら集まる面々に苦笑いするしかない巧であったが、話が始まると顔付きも変わる。

 戦車隊の指揮官は大尉であり巧より三つも階級が上だが、彼は物怖じしなかった。



「諸君は、どの様な時が負けた時だと思っているのかね」

 巧の言葉は随分と上からの物言いであるが、これには意味がある。

 かちんと来た、小隊長少尉が、

「上官に対する言葉遣いではないな。無礼だぞ貴様」

 と言ったが、巧はそれを鼻で笑う。


「今は参謀長として話をしている。階級はひとまず置いて頂きたい。

 それとも、少尉殿は敵に向かって『俺は少尉だからお前の負けだ』と言えば相手が勝手に自爆してくれるとでも考えていらっしゃるので?」

 言葉は丁寧だが馬鹿にした事この上ない。


 返された少尉の顔付きは怒りで赤くなる。

 よもや下の階級の人間からこのような言葉を聴くとは思わなかったのだろう。 

 何か言い返そうとしたものの、そのまま思考が停止したようだ。 

 煙に巻かれた状態の少尉を巧は無視した。


「ハインミュラー氏があなた方を相手にしたく無くなったのは、そのような意識がはっきりと見えているからですよ。 

 いざという時、連携が取れない機甲部隊など各個撃破の良い的です。

 いや、そのように自分たちの優位を信じて疑わないという意識のある人間が中隊に一人でもいれば、自分の車両に同乗する部下の身すら危うい、と考えているのです」


 その通りである。 

 一旦は引き受けたハインミュラーが(にべ)も無い返事を返したのは、(ひとえ)にリンジーやアルバ、マイヤの身を案じた為なのである。


 誰もが静まりかえった中、巧は声は続けて響き渡る。

「軍に置いて命令系統は絶対です。そうでなければ、軍が瓦解しますからね」


「ならばこそ、あのジジイの態度は問題だろうが!」

 声の主は先程の少尉である。


 出来るだけ偉そうな態度で体勢を回復しようとする少尉を巧は一睨みした。

「階級は、正規軍の作戦における命令責任を明確にするために存在しているのです。

 このような寄せ集めの部隊に置いての勝つための命令系統とは『信頼』のみです。

 それから、これは重要な事ですから言っておきましょう。

 ハインミュラー氏はフェリシア軍の義勇兵です。 

 彼があなた方にどの様な態度を取ろうと彼の自由です!」


 ハインミュラーを侮辱したこの男だけは許さない、巧のその気持ちは怒声となった。

「彼は国防軍の誰の命令に従う義務もない! 貴様は思い上がるのもいい加減にしろ!」

 少尉は声も出せずに口を動かすだけで、遂には黙り込んでしまう。


 一方、巧は何事もなかったかのように再び口調を変える

「さて、彼をあなた方の上の階級に置いたとしても状況が始まったら彼の命令を無視して、旧来の階級に沿って『命令系統』を作り直すつもりでしょうね。

 在り在りとその姿が見えますよ。 

 教えを請うなど(もっ)ての(ほか)の『恥知らず』も良い所です。

 それなら、最初から一緒に行動しないのが一番いいのです」


 図星を指された上、面と向かって『恥知らず』と言われては返す言葉すら思いつかないようだが、憎しみに似た視線の群れが巧を突き刺す。

 反面、中隊指揮官とおぼしき大尉は何故か『ほっ』とした顔付きになってきた。

 その顔をチラリと見て巧は話を進めていく。


「一つ例を挙げましょう。

 過去の話ですが、近接航空支援(CAS)において、現場で支援が必要な場合は本部伝達を行ってから指示が出て、それから爆撃点指示の順で行っていました。 

 上空に支援ヘリがいても、歩兵を支援してくれるのに数分から十数分かかるという馬鹿げた現象が起きていたのですよ。 何故だと思いますか?」

 巧の言葉に兵士達は真逆(まさか)という顔で、首をひねる。 


 それを笑うかのように巧は言葉を継いだ。

「答えは地上に居るのが軍曹でヘリに乗っているのが少尉である可能性もあるため直接指示が出来ないということと、参謀本部の計画通りに動くためには現場の意見は最後にする、です」


 巧のこの言葉に全員が更に呆れた顔になる。


「ほう驚きましたか。しかし、今そこの少尉殿が言っていた階級主義は、これと何処が違うのですか? あなた方はこの少尉殿と同じ意見だったようです。

 と言う事は、このような命令が参謀本部から出た場合は従って貰いますよ」

 巧は執念深い。 また、この連中は少しばかり叩いて置くに限ると判断した。

 そうしなければ魔術師達からそっぽを向かれた戦車隊など、例え百両あっても、目のない虎も同じだ。

 羊にすらなぶり殺しにされるであろう。


 兎も角、話を続ける。

「また、政治的な判断も含めて攻撃箇所が決まっているなどの現象があり、誰でも支援爆撃が受けられる訳ではなかった時期も長く続きました」


 ベトナム戦争などその最たるものである。

 支援国の介入を避ける為、北部に進入した米歩兵が重要軍事施設を発見したとしても、爆撃要請が無視されることはよく有ったのだ。


 このような戦場の常識が覆ったのは二〇二〇年代も終わりになってからである。

 禁止事項以外の支援攻撃は基本的に現場の判断に委ねられるようになった。


 しかし、ハインミュラーの時代はまた違った。

 戦友同士、お互いが命を繋ぐためなら、どの様な手段でも執っていたのだ。

 また、彼らは戦車が撃破されたことを持って『負け』とはしない。


『闘う意志を失った時』、それが負けた時なのだ。


 この戦車隊はまぐれででもサイトにレオパルトを捕らえたなら勝った気になっていたであろう。

 実戦なら、半壊した戦車から反撃弾が返って来る事も有り得るというのにだ。

 事実一九九一年に三両の戦車に囲まれ被弾したM1A1戦車は、殆ど身動きが取れないままであったにも関わらず、撃破したと思い込み油断して近づいてきた敵戦車三両へ反撃し、その全てを撃破している。


 このような事を話した上で、最後に巧はとどめを刺した。

「あなた方は魔獣に対する危機感より自分の面子が優先だ。

 ヘルが幾ら上層部に『依頼』されたとは云え、一緒に行動して第四小隊と同じ目に会いたくない、と思っても仕方ないでしょう。

 私が取ったような態度を不快とお思いでしょう。 

 だが同じ姿勢をカグラの人々に向けるあなた方では、フェリシア軍の一般兵ですら行動を共にする事を拒否する場合も有り得るでしょうね」


 最初は麾下(きか)に入れと言われ反発し、次に手口を得るためだけに掌を返す。

 実力を見せられたからやむを得ないというのは分かるにしても当人達が実戦において命令に従う覚悟が怪しいのではどうしようもないのだ。


 巧が最初に階級を無視した横柄な口調で喋ったのは何故か、それは彼らの年長者やフェリシア人に対する態度を真似たのだと分かった機甲科の面々は項垂れる。

 この世界にはこの世界のやり方があると教育されてきたはずなのに、全く理解していなかった事を思い知らされた。


 身動(みじろ)ぎひとつ出来ない隊員達の中、一人の男が立ち上がった。 

 中隊長の(かしわ)である

「柊准尉、我々に問題があるのはよく分かった。 

 部下に対する教育はやり直す事を約束しよう。 意識改革がなければあの人の指揮を仰ぐどころか、此処での連携も無理だと言う事だと理解した」

 

「その上で『参謀長』殿にお聞きしたい。あの人は何者か?」

 声も出せない全員の持つ疑問を代表して訊いてくる。


 巧は、ちょっとした秘密を打ち明けるかのように答えた。

「私の見る処、あの人のハインミュラーというのは偽名ですね」

「偽名?」

「ハインミュラー氏が一九九二年のベルリンから来ていることはお聞きですか?」

 殆どの者が頷く。その点は有名人のようだ。


「ならば、此処だけの話と言うことにしておいて頂きたいのですが、

 あの人はソ連に捕まったため、偽名を使ったと思われます。

 本名が知られたら生きてはいなかったでしょうね」


「どういう事だ?」

 別の小隊指揮官の少尉が首をかしげる。

「エースと言うことだね」

 柏大尉は既に巧に一目置き始めたようだ、言葉遣いまで丁寧である。


「はい。ヘル・ハインミュラーはエースであった。それは間違い無いでしょう。

 真逆、下っ端のどうでも良い戦車兵に五対一で完敗したとは私も思いませんよ」

「准尉、意地悪はもう勘弁してくれたまえ。私も含めて全員反省している」

 柏大尉がそう言って隊員達の顔を見渡すと誰もが力無く頷いた。

 件の少尉など顔も上げ切れていない。


「では、言いましょう。私の見る処、あの人物は『クルト・クニスペル』です」

「何だって!」

 巧の言葉に驚いたのは柏唯一人であった。

 他の全員はきょとんとしている。


「あの、中隊長殿。そのクルト・クニスペルってのはドイツのエースなんですか?」

 一人の軍曹が柏にそう尋ねると、あちこちから声が上がる。


「ミヒャエル・ヴィットマンなら知ってますね。一三八両撃破!」

「何言ってんだ! 大戦中のエースと言えば『オットー・カリウス』だろ! 一五〇両だぜ!」

「あんなのは宣伝だ!」

「曲がり角のバルクマンだろ、やっぱり! 一度に九両だぞ! 一三二両プラス、トラック四二台だ!」

 しかし、その声の中にクルト・クニスペルの名は出てこない。


 柏が全員を見渡し手を挙げると騒ぎ声は収まった。

「クルト・クニスペルの名が知られていないのは仕方がない。

 彼は最終軍歴が軍曹だからな。バルクマンの様にSS所属でもなかったし、ミヒャエル・ヴィットマンやオットー・カリウスのような尉官でもなかった。 

 それに何というか……」


 言いよどんだ柏の言葉を巧が受け継いだ。

「素行が悪くて昇進も叙勲も受けられなかった上に、新聞にも載せてもらえなかった」

 声を出して笑う。


 柏もクスリと笑った。

「そうだな。だが、最高の戦車長だ。撃破数は一六八両。未公認を含めると一九五両。 

 最後はチェコ南部防衛戦で、戦車ごと爆死したことになっていたはずだ」


「「「一九五両!!」」」

 飛び上がって驚く戦車兵達に、柏は肩をすくめるようにして話を続ける。

「目立つのが嫌いだったらしくてな。撃破数を少なく申告して度々(たびたび)、問題になっているんだよ」

「さっきので二百両突破したことになりますかね?」

 柏の言葉に続けた巧が軽く笑うと、戦車兵達は何とも複雑な表情を浮かばせたまま顔を見合わせたのであった。




     ◇   ◇   ◇   ◇   ◇   ◇



 巧がハインミュラーをクニスペルだと考えたのには色々な訳があるが、チェコ訛りのあるドイツ語を使う戦車長で、バルバロッサ以来東部戦線を駆け回って来たと云う過去。

 現在も様々な戦場で一緒に戦ってきたときに感じた気迫。 

 そして最後は戦車搭乗後の指揮の見事さである。 


 まず、間違っては居ないであろう。



 などと考えながら機甲科とのミーティング、いや一方的な怒鳴りつけを済ませた巧が給養班を覗いた時、随分と楽しそうな声が聞こえてきた。


「あっ、これ、私たちの国にも似たような料理があるんですよ!」

 そう言って鍋を覗いているのは、市ノ瀬衣乃(その)と杏である。

 市ノ瀬は、鍋とそれを囲む人々をカメラに収めている。

 杏も何やらメモを取っているが、基本的には一緒に料理作りに加わる側のようだ。


 市ノ瀬は結局、政府から公報役として選ばれた。

 彼女もバーチャルオンラインの世界を体験してWeb上の『ゲームマガジン』にそのレポートを書く事になる。

 新聞ではない。 

 この世界は現実ではない、と言う事が巧達の国の総意なのだ。

 新聞に記事を載せる際には、あくまで国防軍のシミュレータ訓練の見学をした、と言う形になる。


 また、市ノ瀬は自分の助手に杏を指名してきた。

 首相としては、この件は『あくまでゲーム』であるで通したかったのだが、副総理の御厨が今後の事を考え、

『何時状況が変化するか分からない以上、完全に世界に秘匿していたと取られるよりは、暗黙の了解的に情報を提供した形にしておくことも望ましい』

 として、英独語に優れた人物のレポートも少しずつ漏らした方が世界からの圧力も弱いであろう、という結論に達して杏の助手としての派遣を認めた。


 尤も、政府など関係なしに連れてくる事も出来るのだから、市ノ瀬はあくまであちらの面子を立てたに過ぎないのだが。


 その二人が今、十名ほどのケット・シーや狐人、ダークエルフに混じって料理をしているのだ。

 此処に居る獣人達は顔立ちが随分人間に近い、味覚も同じようなものなのだろうか?

 米を炊いていたようだが、それに会わせた料理と言う事で悩んだ挙げ句、少々手間が掛かるが根菜の肉巻きを作ったようだ。 

『ビーガ』と呼ばれる料理らしい。


 人参や大根、ゴボウなどを人差し指大に切ってそれにスライスした豚肉を巻き、ひとつひとつ短めの串で留める。

 塩、砂糖とショウガや酒などで味付けして煮込んで水気が無くなるとできあがりである。

 地球から醤油やみりんを持ち込んで来たのだが、これも評判が良かった。

 味に深みが出たと、女性陣が大喜びである。

 その中心にヴェレーネがいた。


 どうやら、醤油を持ち込んだのは彼女らしい。

 木皿に取り分けたものを、無言で差し出してきたので巧は素直に受け取る。


 串を摘むと、かなり熱いので少しだけ人参をかじった。

「うん。美味い! でも、大丈夫? ずいぶんな作業になるよ?」

「今は整備班が暇なのよ」

 そう言って指された方向を見ると、整備小隊の面々が給養班に混ざって人参やゴボウの皮むきに精を出していた。


「まったく、機甲科もあれぐらい余裕があって欲しいよ」

「何かあったの?」

「いや、片付いたよ」

「そう、ありがと」

 礼を言われるのも妙な気分だったが、素直に“ああ”とだけ言って料理の残りに手を延ばす事にした。


 湯気だけでも熱い。しかし肉汁が根菜類によく染み込んでいる様だ。

 一口、二口で食べられる大きさも程よい上に、ショウガの香りが食欲を引き立てる。

 口に入れると豚肉は柔らかく煮込まれ、肉汁はやはり大根によく染み込んでいた!

 口に空気を送って「はふはふ」とさせていると、ヴェレーネが水を差しだした。

 これも声にならない礼を言って受け取る。 

 冷たい水を飲み込んで一言「美味い!」と感想を伝えると、


「夫婦みたい!」

 と後から声がする。続いてどっと笑い声が響いた。


 声の質からしてケット・シーの誰かだろうが巧には分からない。

 二人揃って、真っ赤になってしまった。

「しょ、ショウガがよく効いてるね」

「そうね。 そ、そのせいで、あ、あたしも、ちょっと暑く感じる、かな?」

 などと誤魔化したが、後方のクスクス笑いは収まりそうにない。

 市ノ瀬や杏までその中に混ざって、にやけた顔をこちらに向けているのが見えた。

 料理を掻き込むと、『ごちそうさま』と言って、慌ててその場を後にする。



 後から響いて来るヴェレーネの怒鳴り声と女性達の嬌声。

 何も聞こえなかった事にして巧は一目散に逃げだした。




サブタイトルは、ロバート・F・ヤングの「主従問題」の改変です。

クルト・クニスペルをマイナー扱いにしたのはすいません。

ファンの方がいたら、お詫びします。


9/4少し修正、冒頭ギャグパートとは云え熱量多すぎですた。

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