67:高い城の男達
地球十月六日
内閣閣議室において、報告を受けた閣僚達の顔は蒼白であった。
たかが『訓練』において十八名の死者と七名の重傷者を出したのである。
幾ら旧隊と違うとはいえ、国会での責任問題に発展する事は免れない。
しかも、五人は遺体の一部すら発見されておらず、遺体が残っている兵士にしても誰一人として遺族に見せられる状態ではないというのだ。
「国防相はどう責任を取られるおつもりですかな」
横柄に口に出したのは農林水産大臣であるが、それに対する反論は凄まじかった。
「元を正せば、日頃から“食糧生産”を政治の道具に使ってきた『族議員』等が居るからこそ、このような危機に陥っているのではないか!」
国防相は怒りと苛立ちの余り、言葉を飾る事すらしなかった。
この内閣は二期目に入るが、一期目に起きた特殊テロ事件の際にも、この男の先任者は同じように国民の安全を守るための政治、という観点に欠けた発言を繰り返し、結果として改造内閣ではその座を追われた。
しかし、跡を継いだこの男も農業団体と科学肥料メーカーなどの代弁者に過ぎなかったのである。
国防相の怒声は食糧というものに関わる仕事が国民の生命・安全にどれ程重要かを何ら分かっていない、という怒りも込められ、殊更に厳しい。
農水大臣が幾ら阿呆でも『族議員』が自分を指す事ぐらい気付く。
「何を言うか!」と怒鳴り返したが、
「止めたまえ!」
二人の間に入ったのは、副首相の御厨である。
五十歳の若さで請われてその座に就いただけあって、首相の信任は厚い。
また、外交手腕の確かさの割に、自分のやり方に不満があるなら何時でも政界を去るという意識が見え隠れするため、誰もが一目置かざるを得ない人物だ。
「まず、国防相は生け贄を一人、用意したまえ。一週間あれば事故内容も作れる」
薄い唇をはっきりと開いてゆっくりと喋る。
こちらも飾っても仕方ないとばかりの率直な、いや率直すぎる物言いであった。
要は、軍の訓練において大事故を起こした以上、将官クラスの馘首を一つ用意しろ、と言い切ったのである。
他国ならば、どれ程の責任問題だとしても実戦指揮官の佐官の降格が最も重い処分であろう。
だが、この国の政治事情では其の程度では済まされないのだ。
それを見て溜飲を下げ、薄く笑う農水大臣であったが、その笑いと同じく人間も薄い男に対する副首相の言葉は更に辛辣であった。
「農水大臣は、このような事態も想定して『別地』から撤退する場合に備えての食糧確保計画は完成している筈だ。直ぐさま提出したまえ。 二十四時間以内にだ!」
そうでない場合は、お前が罷免だ。とその目は言っていた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
生き残った隊員から僅かばかり得られた証言とは云え、その内容は現場の凄惨さとも併せて派遣連隊の魔獣制圧作戦に大幅な修正を迫らせるほどの衝撃的な内容であった。
携行式ATM(対戦車ミサイル)は歩兵による魔獣制圧の要である。
三十式の援護を受けてその命中精度を高める事も考えて運用しているとは云え、本来は単体で魔獣、特にハティウルフ程度なら充分に対応できると考えて作戦が立てられていた。
その前提が全て崩れたのだ。
挙げ句、レーダーを含むその他のセンサー類が殆ど効かないとなっては、残る頼りは陸戦用の分散開口システム (DAS)を中心とした『目視戦闘』を中心とした闘いになる。
DASはヘルメットバイザーから得られる情報を、リンケージした隊員全員で共有し、相互に援護し合うシステムである。
また、今回の失敗から考えて此処が最も重要な点であるが、DASならば『バイザーを通してみた夜間の視認能力、索敵能力は昼間と全く変わらない』ことが最大の優位点となるため、早急な装備計画をしなくてはならない。
「連隊を正式規模に拡大。いいえ旅団規模まで引き上げて歩兵用DASの使用を認めさせるべきです」
巧の言葉に池間も頷く。
彼などは第四世代二型の二十六式戦車まで持ち込む必要性があるとも考えていた。
少なくとも二十両。一個中隊の戦車が必要である。
混成戦闘集団としてそれだけの数を揃えるなら、今の航空機の規模から言えば旅団態勢五千二百五十名か、それは無理でも三千名は、どうしても必要だ。
腹をくくるしかない。
また最初に言ったが、魔力というものに身を包んだ魔獣は電子機器では捕らえられない可能性が高いと見るべきである。
AH-2SのDASは結局の処、魔力に包まれたと思われるハティウルフを暗闇の中では発見できなかったのだ。
今後、最新鋭画像認識装置に写るのは夜の森だけと云うことは充分に予想できた。
そうなれば接近戦なら兎も角、遠距離においては兵士の『目』となるのは同じ魔力を持った『魔術師』と云う事になるであろう。
戦闘に置いては、『先に敵を発見した側』が勝つのは常識なのだ。
今更ながらに、フェリシアの魔法兵士を『邪魔』と切り捨てたのは傲慢のそしりを免れない行為であったと言える。
「大佐はどうお考えですか?」
池間の言葉に、ヴェレーネは苦い顔をした。
結局押し切られて池間の案を了承したのは彼女だ。
部下を“間抜け”と罵って終わって良い話では無い。
何より、この世界の事は彼女が誰より分かって居たはずで、池間のような異世界人が『間違っている』と思ったなら『案内人』の役割をきちんと果たすべきであったのだ。
「結局、人が死んでからじゃないと分からない事ってあるのね」
そう言うと、少し時間をもらえないかと言ってきた。
但し、編成、即ち増強案は今の形で進めておいて欲しいとも。
それから彼女は部屋に戻って行った。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
このような時間に自分の部屋をノックする者など今まで居たであろうか?
ヴェレーネは初めての事に驚いたが、ノックの主が巧だと知って取り敢えずは招き入れる。
どうにも落ち着かないヴェレーネに向かい、巧は話をすることもなくいきなり彼女のクローゼットを開いた。
黒い上着、黒いフレアスカートと白いブラウスだらけのクローゼット。
同じ服しかないのか、と巧はブツブツ言いながらも赤いドレスを見て『ほう!』と声を上げたが、それも投げ捨てた。
「ちょ、ちょっと何すんのよぉ!」
いきなりの行為に訳も分からず慌てるヴェレーネの抗議の声を尻目に、クローゼットを漁っていた巧は一振りのショートソードを探り当てる。
「何故こんなものが必要なんだ?」
「いきなり入ってきて失礼ね。あたしが何を持っていようと、あたしの勝手でしょ!」
「これ、根本に付いてるの魔法石だよな?」
その言葉にヴェレーネは一瞬どきりとするが、気を立て直して部下に向き直る。
「この世界では普通のものよ」
「そりゃあ普通の魔術師が持ってるなら普通だろうさ。だが、あんたにこんな増幅器が必要なのか?」
そう言われてヴェレーネは言葉に詰まる。
俯くヴェレーネに巧は言葉を投げかける。
「一人でやるつもりか? 何故待てない?」
「どうして分かったの?」
まるで叱られている子供のような声で問いかける。
「勘かな? 迷いながらも、何か決心したような、そんな顔だった」
くるりと身を翻すと、巧に背を向けたヴェレーネはかなり強い口調で言葉を返した。
「分かってるなら良いじゃない。私にはその力があるわ」
「本気か?」
「どういう意味?」
巧は問いただす。
「あんた。自分がマーシアについて語っていた魔力の暴走についてどう思う?」
「……」
「分かってるんだろ、自分にもその可能性が有るって事を?」
「大丈夫よ。あたしはそこら辺、きちんと弁えてるから」
「かもね。主任は自分の事はよく分かってる人だ」
意外なことにあっさりとヴェレーネの言葉を肯定した。
ヴェレーネとしては拍子抜けと云った処だが、取り敢えず嫌味ぐらいは、と巧に向き直る。
「じゃあ、どうしてこんな嫌がらせするの?」
きつめの言葉で返す。
だが、巧はいつもの喧嘩腰では無い。
「心配だから……」
まるでマーシアに話しかけるような優しさがあった。
俺も悪党だよな、と巧は思うが、女を騙すその悪党を演じようという自分の気持ちはどこから出ているのか気付いていない。
それに気付いたのはヴェレーネの方だったのかも知れない。
巧は彼女の目から涙がこぼれるのを見た、そんな気がした。
「主任、どうした!」
俯いて泣いているかのような、ヴェレーネの肩を思わず抱く。
「隊員達の遺体を届けにあっちに戻った時、遺族の方の顔をまともに見られなかったわ」
くぐもった声でそう言ってから、やっと次の言葉を繋ぐ。
「あと、小田切さんから連絡が入ったわ」
「なんって?」
「政府は、フェリシアから手を引く可能性が出てきた、って」
「まさか! 俺たちの国だって食糧危機も有り得るんだぞ」
「未だ、国内世論が纏まっていないのよ。 広田さんからも『厳しい情勢が予想される。武器は送るのでフェリシア人に軍事訓練を行わせる方向で作戦を練り直せないか』って……」
広田氏にしては早まった言葉だ。
ここに来て誰もが間違った方向に舵を切り始めている。
巧はそう思わざるを得ない。
フェリシア人に近代兵器の操作方法など教えてどうするのだ。
魔導研究所の一部の人間ならまだしも、一般兵にまで武器を装備させれば、必ずその製法を考える人間が出て来る。
武器の紛失は戦場では当たり前の事なのだ。
国防軍の軍人だけなら、それも最小限に防げるだろうがフェリシア人が悪意を持ってそれを偽装した場合どうなるか、考えるだに恐ろしい。
構造が知られれば、そこから逆算して雷管や金属薬莢まで生み出される可能性も充分に考えられる事だろう。
日頃から王宮を始めヴェレーネやアルボスが危惧する内容ではないか。
広田も其処までは気が回らなかったのであろうが、迂闊な一言である。
ヴェレーネが先走ったのも分かる気がした。
「取り敢えず、現在の態勢は維持させるように政府と話し合いを持とう。
広田さんにも今回の意見は間違っている事をきちんと知って貰わないといけないよ」
先程と変わらず柔らかい口調でヴェレーネに話しかけると、彼女は頷きつつも、恥ずかしいから一人にしてくれと言った。
顔を上げられないのだ、と小声で訴えてくる。
「早まるなよ」
そう言ってヴェレーネの部屋を後にしたものの、巧とて良案がすぐに出る訳ではなかった。
「くそったれな状況だな! 何が参謀長だ!」
自分に対する怒りで顔が真っ赤になる。
何とか今回の戦死について軟着陸させないと、次に繋がらない。
うちの国民にだってどれだけ被害が出るか。
食糧危機は起きないかも知れない、しかし起きたらどうするのだ。
ヴェレーネを始めこの国の国民は誇り高い。
一旦裏切った相手が、『状況が変わったからもう一度頼む』、等と言って受け入れてくれる人々とは思えない。
この世界の人々は感覚が中世である。
実利よりプライドを選ぶ可能性がかなり高いのだ。 其処を見誤ってはならない。
「直談判しかないな」
そう呟くと、彼は地球に戻る事を決めた。
急ぎ、政府との交渉内容を纏める。
池間とハインミュラーに現状と交渉内容を相談すると返事は、消極的ながら『了』であった。
やらない訳にはいくまい、と二人とも言って来た上に、巧にとっては妙な事を池間が付け加えたのだ。
「政府はお前さんに借りがある。 話ぐらいは聞かざるを得まい」と。
これはマリアンの死亡の件だが、巧はそれを政府と結びつけるのをすっかり忘れていた。
彼はマリアンの死を何かの代償にすることなど最初から頭に無かったのだから当然ではあったとは言えるのだが。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
マーシアに頼み込んで、プライカから地球に跳んだ。
帰りは、自力で帰れると聞いて驚いたが何の事はない魔法石を一つ預かっただけである。
マーシアにはアルスと共に前線に出て貰い、暫くは魔獣に対抗して貰う。
力に溺れていない彼女なら問題は無いと見たが、マリアンには強く言い聞かせておいた。
ただマーシアは、『マリアンの方が過激だぞ。男の子だからな』と笑う。
やや心配になってきた。 早めに戻らなくてはなるまい。
巧一人では現地時間とのズレを作る事は出来ないのだ。
あちらで過ごした日数はそのままカグラでの日数に重なる。
巧は地球の十月十日に飛んだ。
ヴェレーネが小隊員達の遺体を送り届け、カグラに帰還した翌日である。
まずは広田と話し合いを持つと、彼は武器の件についての己の不明を素直に詫びて、巧の行動に協力する事を約束してくれた。
それから早速、小渡切に政府との渡りを付けて貰うと、驚いた事に、いや池間に言わせれば当然の事に首相はすんなりと面談を約束した。
ヴェレーネ・アルメットの代行と名乗った訳でもなかったのに、だ。
念のため広田にもその場に来て貰ったのだが、ちょっと変わった人物も同行させる事にした。
本人は、『何で私が!』と大パニックであったが、彼女のネームバリューはどうしても必要だったのである。
巧と広田を出迎えたのは、首相と副首相の御厨、官房長官そして国防相の4名であった。
「初にお目に掛かります。一介の下士官の面談に応じて下さった事を感謝いたします」
まずは堅苦しい挨拶から始まったが、そこからは遠慮はしなかった。
「今回の件は作戦の失敗ではありますが、失敗の度に兵を引いていては国防は成り立ちません」
いきなりの巧みの言葉に閣僚達は鼻白む。
まるで百二十年前に事変を起こした青年将校の如き傲慢さである。
『人の命をなんだと思っているのだ』
それが、巧の言葉に対する彼らの偽らざる本音であった。
それは返す言葉にも表れる。
「シビリアンコントロールという言葉を知らないようだね」
御厨は高圧的にそう言った。
「私は、現場の意見を口にしたまでです。
生意気な言葉で申し訳ありませんが、我が国との約束を守るため、あちらの方々も命を張っております。
一度引けば、もう一度頼む、と言うのは虫の良い話だと考えるでしょう」
「あちらも必要とあれば態度は変わるだろう。国家や政治というのはそう云うものだ」
そう言う首相に巧は首を横に振る。
「四百年前の我が国の人々が損得のみで動いた、と考えますか?」
「どういう意味だね?」
首相が首をかしげた。
これで巧としては、ようやく本題に入れる。
面白い事に、最初に巧の言葉の意味に気付いたのは官房長官であった。
表情にはっきりと表れたのだ。
歴史に多少の造詣のある人物であったのだろう。
巧は、今までフェリシアから送っておいた記録VTRをもう一度見る事を勧めた。
フェリシアの人々の様々な声が、行動が、何より価値観が見えてくる。
それを見ている内に、閣僚達は次第に巧の言うことが分かってきたようである。
現代に生きる此の国の人間とはまるで違う価値観で動いているのだ。
「う~~ん。なるほどね。君の言うことも分からんではない。
しかし訓練において、いきなり十八名の死者というのは認められないのだよ」
御厨まで、先程とは変わってやや弱気の発言である。
巧は此処で一押しした。
「現在、突出した攻勢に出ることはなく、防御を固めています。
今回の犠牲は無駄にはしたくありません」
だが、国防相が強く窘める。
「『犠牲を無駄にしたくない』など、軍人がよく使う戦線拡大の口実だよ。それは」
「そうですね。 そう言われても仕方ありません。
しかし、食糧危機に備えるには引いてはならないのも事実ではありませんか?」
そう言うと、巧は先の大戦で南洋諸島に置いて補給線が絶たれ人肉食まで出た事例を挙げ、農業従事者数の少なさをも加えた上で、
「この国全体が、ガダルカナルになりますよ」
そう言ったのだ。
この言葉はかなり効いたが、御厨も引かなかった。
「今の処、小麦の暴騰があるとは云え、未だ一年十ヶ月分の備蓄はある。
その間に、南北戦争に片が付く可能性も高い」
首相も後を継ぐ。
「君の国家に対する貢献はよく覚えている。当然、君を疑うものでは無いが、民主主義国家においては何より世論が重要だ。 今の状況では押さえられない。分かってもらえないかね?」
こうまで云われては、巧も此処までかと諦めた。次の手段を実行に移すべきであろう。
席を立とうと考えた時、官房長官が発言を求めた。
「先のマイクロウェーブ送電の問題について、まあ名義上は池間上級大尉ですか、実際は柊准尉から提出されたレポートは今、国防改造の大きな柱になっています」
そこまで言って周りを見渡す。
残りの三名が頷いた。官房長官はそれを確認すると話を続ける。
「彼には、もう少し計画を詰める時間が必要なのではないでしょうか?
少なくとも今回は事故で終わらせることに決まりましたが、何時状況が変化するか分かりません。
南北戦争が長引けばどうします?
実際、オーストラリアは状況が明確になるまでは小麦の輸出は全面的に止める、とまで言ってきているんですよ。
目先の事でフェリシア、でしたか? そちらとの関係を切って良いものでは無いでしょう」
危うく諦める所だった、と巧は我に返った。
平静を装っているつもりでも、国家のトップとの会談でやはり緊張していたようだ。
腹をくくって爆弾を落とす覚悟を決めた。
「ありがとう御座います。
実は提案なのですが、フェリシアの存在を世間に公表してはどうでしょうか?」
広田以外の全員が固まった。
「な、何を!」
誰もが驚く提案であったが、これしかないのだ。
「竜の駆除。これを大義名分に出来ませんでしょうか?
人を相手にしている訳ではありませんので、国民の理解も得られると思います。
また食糧ルートの確保でもあります」
要はシーレーン防衛とPKOを一緒に行うようなものだと言いたいのだ。
「しかし、誰がそれを信じるね。マスコミか? 観光地にしろと騒がれるのが落ちだぞ。
何より諸外国の介入が恐ろしい」
首相の言葉に巧はまたも首を横に振る。
「外国がどうやって介入できるんですか? 我々とて勝手に入国できる場所では無いんですよ。
それと広報ですが、打って付けとまでは言いませんが、それなりにネームバリューがあって信用の高い文化人が居ます。
その人物にレポートをして貰う、と言うのはどうでしょうか?」
「誰かね?」
首相の言葉に巧は彼女を入室させる。
SPの誘導で入ってきたのは、市ノ瀬衣乃であった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「良い線いくと思ったんですがね……」
官邸から退出した巧達三人は、今出て来た建物を振り返ると誰とも無しに溜息を吐いた。
市ノ瀬の本にはファンが多く、閣僚の内、御厨と官房長官が特に熱心なファンではあったが逆にそれが良くなかった。
公私を混同していると取られるのを嫌がったのであろう。
巧の案は、次善策、として保留になった。
連隊の現状維持が認められただけでも『良し』とするが、それも三ヶ月以内には撤退か継続かを決めなくてはならない。
二兵研からのテスター六十名が希望者として認められたとしても、戦力としては殆ど機能しない事になる。
何より第十三連隊からの選抜者達や池間が抜けるのは痛い。
巧の肩も落ちようというものだ。
その晩は広田のもてなしで三人だけの酒宴を持った。
初めて腰を据えた料亭では、巧の愚痴だけが響いた。
十月十二日
演習事故の発表と責任者の更迭に関わる記者会見が、十八時に行われることになった。
政府公報の定例会見の中でさらりと流す、という形を取るそうだが、さらりと流れるはずも無いであろう。
既に幾つかのマスコミは何らかの重大発表があることをかぎつけているようだ。
政府として正式な記者会見を行うのは、殉職者への国葬の場で行うことになるのであろう。
厳かな雰囲気の中では責任追及など及び腰になるであろうという算段である。
一昔前のマスコミと違って、ネットが発達した今日では場違いな発言は叩かれるだけである事を見越しているのだ。
庶民の正義感を逆手に取ったえげつないやり方と言えるが、政府としては事を大きくする余裕のある時期ではないのだ。
九時頃、先だって巧を擁護してくれた官房長官の曽地から情報が流れてきた。
責任を取って辞職するのは、来年度で依願退職予定であった下瀬高千中将であるとのことだ。
歩兵科のトップと云うことも要因の一つになったらしい。
唯、その名を聞かされても巧にとっては『雲の上の人』であり、彼の二つ名の生みの親とは知る由もない事であった。
次の行動に向け準備を進めていた巧と広田であったが、数時間後、事態は大きく変わる。
正午のニュースに飛び込んできた外電は、国中を、少なくとも多少の経済感覚のある人物ならば誰もが理解できるほどの大パニックを引き起こすことになる。
来年度収穫のアメリカにおける小麦、大豆、トウモロコシについて、USDA(アメリカ農務省)及びUSWA(アメリカ小麦連合)、そして穀物メジャー四社は現時点における先物契約分を除いては、完全に輸出を停止すると発表したのだ。
また、本年度分の取引も現地時間の本日正午を持って終了するとのことであった。
冬小麦の収穫時期である来年五月以降のアメリカ南北戦争開戦は、ほぼ確定となったといえる。
輸出分と政府備蓄分を合わせての戦時食糧を確保する動きが始まったのだ。
フェリシアを切り離すことが、この国の政府・国民にとって自滅の道を歩むことが決まった瞬間でもあった。
サブタイトルは歴史のIFを扱った名作「高い城の男」、フィリップ・K・ディックです。
名作と言われるだけ有って、2重のIFのどんでん返しという面白さがありますね。
以下8/24記述訂正
63話「高みにあるもの」に間違った点があります。
プラスチック爆薬には毒素を混入してあり食べられないようにしてあるそうです。(と言うより元々嘗める程度ならともかく、食べるとグリセリンの吐瀉作用が強すぎて死ぬそうです)
修正:食べられる→嘗める程度なら問題ない。 と変更しました。
話の流れに問題はないのでご容赦下さい。




