59:10月は誰そ彼の国
最後にマーシアが泣いたのは、何時だったであろうか。
確かラリサ母さんが死んだ時だったと思うが、悲しすぎて思い出したくはない。
だが今後もし聞かれることがあれば、王国歴五二二年十月二十一日の午後だったと、はっきり言えるであろう。
「お兄ちゃんが、ぶったぞ! 酷いではないか!」
オスプレイの内部で泣きながら抗議しているのは、紛れもなくマーシアであった。
「マリアンの分ももうひとつタンコブ作ってやるから、マリアンも出てこい」
大声こそ出さないものの、巧の怒りは尋常ではない。
「痛みは一緒に感じてるよ!」
マリアンも抗議するが、二人というか、マーシアは泣きながらも巧にしがみついているので、誰に怒られているのかよく分からない状態である。
(お兄ちゃんにゲンコツ貰うなんて、初めてだよ~~)
“ふふ、そうか。マリアンも初めてか”
マーシアは表面上は泣いて怒っているが、実際は嬉しくて泣き出したのが恥ずかしく、怒った振りをしているだけだ。
光弾が発射された瞬間、後方に居た巧はマーシアに飛びつき、そのまま地面に引きずり倒すと彼女の頭を抱えて、来るべき爆風から彼女を守ろうとしたのだ。
実際の処。後方への対抗力場としての環境も作ってあったため、救われたのは巧を始め、スゥエン城壁やヘリなどの方だったのではあるが、マーシアにとって、そのようなことは関係なかった。
自分を守る為に巧が身を投げ出してくれた。それだけで嬉しかったのである。
喜ぶマーシアとは対照的に巧は心底まいっていた。
彼女にどの様な形であれ、『力』を使わせないように腐心してきたというのに、こいつらと来たら、対抗心というか、子供の破壊衝動のままに動いてくれたのだ。
「二度とやるな!」
とは言ったものの、兵員輸送室内部で後部昇降口際に殆どの隊員が固まって座っている姿をみて再び頭を抱える。
彼らはマーシアに近付きたくないのだ。
誰だってそうであろうとは思うものの、流石に巧にはその光景は堪える。
自分の弟が『最終兵器・妹』になってしまったとは云え、やはり周りから恐れられる存在であって欲しくは無い。
取り敢えず、箝口令だけは敷いておいた。
一機のAH-2S前部席に随分と小柄なガンナーが乗座している。
どうやら女性のようだ。
彼女はマーシアが騒ぎを起こした後、ヘルメット姿のままにスゥエンの城門を訪れ、会談終了の証拠書類にハーケンのサインを求めた。
サミュエル・ルースに提出するためのものである。
会談内容について書かれた書類を読むとハーケンはサインをして返したのだが、その時、彼女の指とハーケンの指が僅かに触れた。
しかし、彼女にとってはそれだけで充分であった。
ヘルメットのバイザーを上げることもせず、彼女は同高度を飛ぶオスプレイに目を向ける。
無線は受信のみにしてある為、彼女の思考が口に出ても其れを聞く者は居ないが、それでも声を潜める。
「あの一撃が止めになったようですけど、放置する訳にもいかないですわねぇ」
困った、と言う風に首を横に振った。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「「どわっ」」
横田・岩国両少尉は思わず叫ばざるを得なかった。
鼓膜が破れるかと思うほどの大音量で、
『すいませ~ん。ちょっと良いですか?』
と、可愛らしい、と思われる声がレシーバーに飛び込んできたのだ。
「耳が痛いぞ。馬鹿野郎!」
と横田。
「あのね。すこ~し、音量絞ってくれないかな?」
こちらは岩国である。
「なるほど、つまりカレシュちゃんはフェリシアが良い国なら『亡命』したい訳ね?」
「『亡命』って何ですか?」
「あ~。つまり、違う国の国民になるって事」
「そうですね。そう言うことです。
唯、この子も一緒じゃなきゃ困りますけど……」
現在、岩国は地上で平坦な土地を探して着陸し、カレシュ・アミアンと話し込んでいた。
二人の隣では竜が巨体を丸めて寝込んでいる。
横田はそれを見ながら上空で警戒待機中であるが気が気ではない。
最初は横田が降りる予定だったのだが、岩国が、
「俺、横田さんのお嬢ちゃんに死亡通知届けるのは御免ですよ」
と家族の事を持ち出したため、危険性も低いであろうと横田も了承したのである。
距離があるにも拘わらず、下の会話の内容が今は横田のインカムに届いている。
あの竜は妨害電波を出していた訳ではなく『話せる周波数』を探していたのだろうが、出力が桁違いに大きすぎて結果としてジャマー(妨害電波発信装置)になってしまっていただけのようだ。
「しかし、これどうなってんの?」
岩国は竜を指して、次いで自分の耳を指す。
「あの子の角を捕まえたまま、あなたたちと話したいな、と思ったら、この子の角の間からピーピー、ガーガーって音がし出して、暫くしたらあなた方の会話が聞こえたんです」
「それで、話しかけた、と?」
「はい。良い人に会えて良かったです」
そう言ってカレシュはにっこりと笑う。
岩国はその笑顔にまいってしまった自分が居るのに気付いたが、十は年が離れていそうなことを思い出して頭を振った。
煩悩退散である。
取り敢えず、食事もまともに取っていないと云う事なので駐屯地に連れて行くことにしたのだが、『竜』は拙い。
「ねえ。あの竜は一旦、隠すことは出来ないかな?」
「近くまで行ったら、何処か林を捜して潜んで貰うと云う事では駄目ですか?」
岩国は横田にどうするべきか尋ねたのだが、危険性がなければ其れで良かろうと云う事になった。
但しアルボス軍ではなく、ASを配備した中央陣に連れて行かざるを得ない。
万が一と云う事がある上に、行政関係ならヴェレーネの管轄であるからだ。
ヴェレーネが居なければカレルでも問題無いだろう。
話が決まって飛び立とうとする前に、カレシュは思い出したように言った。
「あの、その鳥……、鉄、ですよね?」
「うん。そうだね」
「じゃあ、鉄の巨人も仲間なんでしょうか?」
岩国は一瞬判らなかったが、すぐにASの事だと理解する。
何故だか、カレシュの目に危険な何かを感じた。
返事に注意する。
「噂を聞いた事はあるが見たことはないね」
嘘を吐いた。それから尋ねてみる。
「鉄の巨人に何か用なのかい?」
カレシュは少し戸惑った後で、はっきりと言った。
「仇を取らなくちゃいけないんです」
横田も岩国も彼女の云う事が判らなかった。
ASがこの世界で対人戦闘をしたことはないのだ。
少なくとも彼らが知る限りにおいては。
「あ~、その竜の仲間が殺されたのかな?」
横田が無線で聞いてくるが、カレシュは首を横に振る。
続いて彼女の口から出た言葉は彼らを絶句させるに充分であった。
「私の友達は投げ捨てられて体を半分にされた上に、その遺体を樹の上に晒されました」
暫し二人の少尉は言葉を失う。
「岩国、アルボス軍に行こう」
「はい!」
二人は、彼女にASを見せてはならない、と判断した。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
シエネの議員会館で巧とヴェレーネが議題にしていることは二つ。
ひとつめはスゥエンの大隊長達、特にハーケンの感触である。
「どうだった。読めたんだろ? ハーケンという奴の意識」
「ん~~。何っていうのかしらね。
造反に傾いてはいるんだけど、こちらの力に屈した形ってのが気に入らないらしいわ」
「やっぱり、マーシアかい?」
「マーシアもそうだけど。ミサイルの方ね。
マーシアに関しては『敵に回してはいけない』って、それだけ」
「同じ事じゃないのかい?」
「本人の中では違うようね。人間の心理って複雑だわ」
ともかく、いずれは造反か或いはシナンガル軍の中で再編が行われるであろう。
彼ら全員が首都に呼び戻され、代わりが来ることもあり得る。
それだけでも混乱の種としては充分である。
次回の会談に期待するしかない。
もうひとつはマーシアの件である。
まずは何故あのような行動を取ったのかが問題だと、ヴェレーネが問うと、
「そりゃ、シナンガルに恨みがあるからだろ?」
巧としては、そう答えるしかない。
しかし、ヴェレーネの次の言葉は確かに意表を突いた。
「それだったら、あのとんでもない『砲撃』はスゥエンの城塞に向けられてたはずでしょ?」
「そう言やぁ、そうだな」
「他に何か、おかしなこと無かった?」
「帰りはまるで子供みたいだったな……」
自分でそう言って、巧は彼女たちの行動が『子供の対抗意識や破壊衝動』のようだったと感じたことに思い当たった。
ヴェレーネに話すと。
「ふたりの意識の統合が思いの外、進んでいるわね。気付かない?」
その言葉を聞いて、巧は遂に尻尾を掴んだぞと云う顔をする。
「お前。やっと白状したな! あっ、それと何で俺が知ってる事に気付いた!」
「インカムで全部聞こえてたのよ。
彼女があなたを『お兄ちゃん』って呼んでも、あなた自然に反応してたでしょ?」
「覗きみたいな真似するな!」
巧としては会話を全部聴かれていたかと思うと、今度は恥ずかしくてたまらない。
オスプレイ搭乗中は無線を切っていた事だけがせめてもの救いである。
「まあ、その件は後にするとして、完全に別人として会話してるんだが?
何処に意識の統合が見られるんだ?」
ゲンコツを食らわせた時ですら、別々の人格で現れたのだ。
簡単に信じられる話では無い。
「それは、表面だけよ。多分、マーシアはマリアン君に飲み込まれつつあるわ」
「はぁ! 有り得るとしたら逆だろ?」
「マーシアは冷静な女よ。
自分の虐殺衝動についても、実際はそれを一番恐れているのは彼女自身なのよ」
「いや、言ってる事がよく分からないんだが?」
「マリアン君に虐殺衝動があるのか、って訊いてるの」
「無いね。なるほど、そこへ逃げこもうって訳か」
「ちょっと違うわね」
「どう違う?」
「あなたよ」
「俺?」
「そ、あなたがいれば虐殺へ走る意識が薄れていくわ。
勿論、マリアン君の明朗な性格がその基礎になっているんでしょうけどね」
巧には全く理解できない理屈であった。
しかしマーシアがマリアンの中で父母や巧、杏と過ごした記憶を自分のもののように感じ、ラリサやアーキムに子供の頃に甘えきれなかった癒しを得ている。
これは事実である。
流石にヴェレーネも其処までは話す気になれなかった。
マーシアが同情を求めている訳では無いのに、それをひけらかすような真似を代理で行うのは、人の心を読んだ者としてルール違反である気がしたからだ。
「ともかく、しっかり見張って居てって事よ。
あたしも彼女の記憶操作なんか行いたくはないわ」
ヴェレーネはさらりと恐ろしい事を言った。
「おい! 記憶を弄るってのは、下手をすると『廃人』になるって話じゃなかったのか?」
「そうよ。でも、あの砲撃。あれ、彼女の全力じゃないわよ。
下手すれば気候が変わるぐらいの事のことをやりかねないわ」
「まさか!」
「その『まさか』が、現実になってからでは遅いのよ。彼女を守りなさい!
そうでないと、あたしは躊躇せずにやるわよ」
ヴェレーネは今までは巧を騙すかのような誘導しかしてこなかった。
此処まで自分の行動について明確な意志を示すことは初めての事ではないだろうか。
それだけに言葉に重みがあった。
「分かってるよ。俺も元から彼女、いやマリアンに『殺し』をさせたくないから此処まで付き合えてるんだろうからな。
ああ、勿論、ロークの件での契約も忘れてない」
巧としてはそれだけしか今は答えられなかった。
此処で下手な議論になって、この世界から追い出される訳にはいかないのだ。
今後の方針についての会話が一段落した時、池間が部屋に入ってきた。
報告を行うと共に、今後の南部魔獣対策についての話を進めようとしたのだが、その池間の口から驚く言葉を聞く事になる。
「碧い竜が現れた。ライダーが竜ごとの亡命を求めてる」
「碧い竜って……、孵ってたんですか!」
「ジャミングまで行えるらしい。戦闘能力は不明だが、高度三千メートルを時速四百五十キロで距離百キロ以上飛んでも、特に疲れた様子も見せなかったらしいぞ」
「今までの竜とは全く別物ね」
ヴェレーネも驚きを隠せない。巧もその言葉に頷く。
「しかし、悪いニュースではありませんね。
危険だと思われる竜を敵にまわさずに済むんですから」
「罠の可能性も考えて欲しいわね」
巧とヴェレーネはそれぞれに楽観・悲観、両方の感想を口にする。
しかし、そのふたりの顔を見て困惑したような表情の池間の口から、忘れていた事実を思い出させる言葉が飛び出す。
「亡命には条件があるそうでね。
自分の友人の仇であるASを見つける事が出来れば一騎打ちを認めろ、と言ってきた」
首を横に振って言葉を続ける。
「だが、言っている事がおかしい。我々はASに対人戦闘を命じた事は無い。
何より、シナンガル相手に当たるシエネの前線にすら出していないんだがな?」
唖然とするヴェレーネが気付いた時、巧は既に吐き戻すのを堪える様相であった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
首都におけるワン家の別宅でルナールは地下に降りるように促された。
そこで出会った『軍師』と呼ばれる人物は一風、いや、かなり変わった人物であった。
マークス・アダマンによって引き合わされたのだが、そのアダマンですらその人物に一目置いている様子が在り在りとうかがえた事にも驚かされる。
それ以上に驚いたのは言葉遣いと声質からして、多分女性と思われることである。
多分というのは常にフードを目深に被っており、マスクを掛けているため、その相貌が掴めないのだ。
彼女は自分が人前で顔を晒す事はないのだといった。
部屋に通されると、椅子に掛けたままの彼女と二人きりにされる。
差し向かいに置かれた椅子を勧められなかった為、ルナールは立った侭だが、身分差が在る際の会話の有り様として、この国では普通の事である。
特に気にもならなかった。
アダマンの退出と同時に、何らかの『魔法』が周辺に張り巡らされるのを感じた。
そうして彼女は挨拶もせずに喋り始めたのだが、ルナールにはこの『軍師』なる女の出だしの言葉は聞くに堪えない暴言に感じる。
「名前は、ルナール・バフェット。年は二八。父親は、まあいいか。
それより母親ね。あなた庶子って事になってるけど、要は奴隷の子でしょ?」
「よくお調べになりましたね」
言葉は物静かだが、怒りを抑えるのにルナールはかなりの努力を必要とした。
「それほど隠してもいないでしょ、あなた。
それにしても、よく売り飛ばされもせずに家名を持つ事を許されたものね」
「許されたのは家名のみです。
それ以外の権利は全て持っておりません」
「ふむ。バフェットも其処までか」
「何を仰りたいので?」
軍師はルナールの質問には答えず、逆に尋ねてきた。
「あなた、奴隷制度とこの国を、いえ、この世界をどう思う?」
いきなりとんでもない質問が飛びだしてきた。
ルナールも自分の出自からして奴隷制度には考える所がある。
しかし、それを『どうこう』とできるとは思ってもいなかった。
国の有りようなど考えた事もない。
軍人として栄達を極め、奴隷出身者である事がさほど人の口に出なくなれば良い。
その程度の考えしか持っていなかったのだ。
ましてや『世界』など、どういう事を指して言っているのか全く理解の範囲外である。
「重ねて言いますが、何を仰りたいのか掴みかねます」
ルナールの問いに軍師の言葉は素っ気ないが、相変わらず意味不明である。
「この世界を、本来の『あるべき姿』に戻したいのよ。
爺さん方はまずまず手なずけたけど、軍人の『駒』がひとつもなくてね。あなた私のために働いてくれないかしら?」
「『有るべき姿』というのが何を指しているのか分かりませんが、『駒』と言われて喜んで配下になる人間はいないでしょう。
何より私は国家の軍人です。
誰かの私兵ではありませんよ。議会の命令になら従いますが」
はっきりと腹を立てて言い切ったルナールだが、次の彼女の言葉は辛辣だった。
「この国の何処に正義と公正があるの? 議会?
それこそ議員たち私物じゃないの
『選挙』って言葉すら生まれてこの方聞いた事もないでしょ?
あなたは既に『私兵』なのよ」
「選挙ぐらいは聞いた事はあります。フェリシアの風習だとか」
「知ってて猶、この国の議会を認めるようじゃ、流石奴隷の子としか言いようがないわね。
人並みに平民の真似などせずに奴隷に戻りなさいな」
ルナールの頭に血が上る。
剣を抜き払うと、一気に斬りつけた。
この先の事など一切頭になかったのだ。
が、切っ先が彼女に届く、届かない処の騒ぎではなかった。
彼は何者かの見えない力でその場に叩き伏せられたのだ。
体中が鉛になったように重く、息も出来ない。
必死でもがく。
いや、それすらも許されない状態で窒息も間近である。
ルナールの意識が途切れる寸前、彼に向かって彼女は人差し指を突き出した。
そうした後、少し笑う。
同時にルナールの肺は、ようやくその機能を取り戻した。
依然として体が見えない何かで押さえつけられている事には間違いなく、身動きは全く取れないままであるが、取り敢えず彼は生き永らえた。
彼女は半ばあざ笑うような声でルナールに問い掛ける。
「何故、あたしを殺そうとしたの?」
息も絶え絶えに、ようやくではあるが怒りを込めてルナールははき出す様に答える。
「私の母を侮辱したからだ! この売女め!」
「おや、奴隷というのは侮辱の呼称なの?」
「当たり前だろうが!」
「でも、それを無くす気はない、と」
言葉も出せないルナールに彼女は続ける。
「口は出さずとも、腹の中であなたの母親を侮辱しているものは幾らでも居るでしょうよ。
いえ、あなたこそが、自分の母親を侮辱したのよ。
今の行為にそれが現れているでしょ?」
言われてみて気付く。自分は奴隷という言葉に反応したのではない。
『奴隷の子』と言う言葉に怒ったのだと。
自分が情けなく、これ程までに矮小な存在に感じた事は無かった。
「殺せ……」
何故こうなったのだ。自分は唯、軍師とやらと話をするために此処に連れてこられたのではないのか、等とも思うが、今はそれ以上に母を裏切った自分を嫌悪するだけであった。
人前で奴隷の子である事を隠した事はない。
それが母親の名誉を守る事だと思っていた。
父親は彼の母親を平民だと言っているが、それも馬鹿馬鹿しいので訊かれれば堂々と答えていた。
それでも彼の才覚から彼を侮る人間などいなかった上に、居たならば居たでそれなりの報いを与えて此処まで来たのだ。
だが、それすらも実際は母ではなく自分のための怒りだと気付かされた。
体術では及ばず言葉でも打ちのめされ、最早どうにでもなれ、と云う気分にまで陥ってしまった。
何より、自分に愛想が尽きた気がした。
「ちょっと読ませて貰ったけど。あなた、先の切り通しへの丘での闘い。
荷車だけを破壊して、奴隷には極力手を出さずに済ませられれば、と思っていたようね」
ルナールの心臓が跳ね上がった。
確かに、そのような意識があったのは事実だ。
足さえ奪ってしまえば奴隷も諦めるであろうから、無益な殺生はせずに済むと考えてあの馬鹿げた大きさのバリスタを用意したのである。
尤も彼はトラック自体を目にしていた訳ではないので、木造の車軸でも潰してしまえと思っていただけである。
だが、何故この女にそれが分かる!?
「“読んだ”とはどういう意味だ」
「まあ、気にしないで。それより、どう? もう一度は話し合わない?」
ルナールが了承すると、戒めは解けた。
少しふらつきながも立ち上がり、進められた椅子に体を預けると、軍師は彼にまたもや別の質問をぶつけて来る。
「鉱山開発が百年間無闇に続いている事は知っているわね?」
「ええ、それが?」
「理由を知ってる?」
「いいえ。誰しも知りたい所でしょうね」
ルナールの口調も面会最初の頃のように上下の礼を保ったものになった。
半分は投げやりで形式的なものではあるが、様々な力の差を見せつけられた以上はこうもなってしまう。
「おかしいとは思わない?」
「何が、でしょうか?」
「ワン家よ。あれだけ土地を荒らせば議会から糾弾されて主席の座からとっくに転げ落ちてるはずよね?」
言われてみて、ルナールは自分の迂闊さにようやく気付く。
そう言われればそうである。
自分が生まれる何代も前から主席と言えばワン家であり、それに疑問を持った事など無かった。
しかし、議員間選挙は代替わりの際に、必ず行われているはずなのだ。
ルナールに考える間を与えずに、彼女の言葉は続いた。
「有力な議員ほど、先のないこの地に残っているのは何故かしらね?
これからこの国の中心は、ロンシャンになるのは目に見えているのに」
これも又、事実である。
ルナールは段々と、この国の上層部に何らかの異常な秘密があるのだと、彼女が言いたい事に気付いたが言葉には気を付けなくてはならない。
「此処はワン家の別邸です。その様な話をして宜しいので?」
「漏れないわよ」
そう言われて、部屋に入った時、何らかの『魔力』を感じた事を思い出した。
「防音ですか?」
問われて彼女は頷き、話は続く。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
『セム』がそれに気付いたのは偶然だった。
定期的な自己スキャンのついでに『バード』のスキャンを行い、ランダムに選んだ一機のバードを動かした処、近くに別の動作反応を感じたのだ。
『アルテルフ8が動いてる? アクスの仕業か?
L5から逆相違側に四百万キロね。
不安定な位置だけど、此処ならそりゃ、直接は僕の目にはひっかからんわなぁ……。
って、感心してる場合じゃない。これ、コンタクト取らないとやばいわ。
ありゃ、コンタクト拒否。
マーシアの件もあるってのに忙しいなぁ、もう。撃ち落としたろかい!』
相変わらず、愚痴の多い『セム』であった。
サブタイトルは、レイ・ブラッドベリの短編集「10月はたそがれの国」からですね。
「たそがれ」の語源は夕方、薄暗くて「誰そ彼?」=あれは誰、と言う時間帯を指した言葉だそうですので、ひねりも何にも何も無いタイトルですが、二人の意識の統合はどちらが優越を得るのか、軍内部では不明のカレシュの探す仇、謎の軍師の登場などの情況に合っているかと思って使わせて貰いました。




