56:最後から二番目ぐらいは真実かもね
ハーケンは様々な情報に注目することでフェリシア側の心理を読み取ることには成功していたが、別の人物について、すっかり失念していた。
人間が小物過ぎて相手にもしていなかったのだが、彼の『立場』には注目すべきであったのだ。
いや、人間が小さい人物だからこそ、気に掛けるべきだったのかも知れない。
巧達が引き上げる際の、
『砦の兵士が思いの外に強そうであり、占領に失敗した。
痛み分けと云う事で引き上げるに当たって、身の安全を保証して欲しい』
という表向きの名目で渡された貢ぎ物を一番に喜んだのは、スゥエンの将軍達ではない。
砦を落とされ、更には失神までしてしまったシルガラの司令官である。
彼はヤン十人長が巧の指示で、表向きの話しかしていないことを知らない。
実際、判断はスゥエンの総司令官が行うのであるから、ヤンは別段に軍を裏切っていることにはならないのだ。
馬鹿に判断を委ねる方が怖い。
ヤンとしては直接の上司に報告する義務があったのかも知れない。
しかし、武人の名誉を保たせて貰ったという事実と、司令官への不甲斐なさを覚える気持ちが巧との約束を守らせた。
しかし、そのようなヤンの気苦労も知らずシルガラ砦司令官は有頂天である。
形式上、マーシア・グラディウスと引き分けた司令官という称号を手に入れたのだ。
寝ている間に。
当然ながら、彼はこの成果を首都に報告を入れた。
ついでに、将軍の一人ぐらいには誇ってやろうと名誉欲を出して、ルーファンショイのピナーにまで報告したのである。
しかし、この男、本来はスゥエンの許可を受けて行う行為を全てすっ飛ばして行動したのである。
何れにせよ、巧達にとっても不確定要素が一つ転がり込んできた。
そのようなことを知らぬドラーク達は、巧の交渉内容に根を上げて副首都まで跳躍魔術者を跳ばして『裏切りの振り』について連絡を入れたのだが、巧は其処に二重三重の罠を巡らせておいたのだ。
尤も、この罠は相手の心理に訴えかけるもので確実性の問題では六割程度にしか考えておらず、実際は交渉で揺さぶる事に主眼を置いていた。
混乱が起きれば其れで良い、程度のものである。
具体的に仕掛ける罠は幾つかあるが、ます二つは最初から予定していたものである。
そして、不確定ながらもうひとつ計算に入れたのが、今回のシルガラの寝坊助司令官の行動。
一つ間違えると、これが全てを狂わせる可能性はあるが今のところ
「シルガラの司令官が失態を誤魔化すためにそのような行動を取る事はあり得る」
と巧は考えて作戦に組み込んでいた。
さて、問題となる罠の内容だが、巧は会談に先立つ五日前、ある二人のバロネットと交渉して彼らを交流地に送り込んでいた。
王宮は先の件でバロネットと対立状態にあったため、カレルの幼なじみやその仲間を頼ってようやく数名確保していたのだ。
二人が交流地へ向かったのはスゥエンに最初の早馬が届いた日のことである。
彼らの商業権は凍結されているが、交流地に入る権利まで取り上げられた訳ではない。
凍結が解ける日のために、情報交換に交流地に入る者は幾らでも居た。
まず、バロネットの一人は巧がヤンに話した内容をルーファンシャンと繋がりの深いシナンガルの商人に『此処だけの話』として流した。
交渉の日時まで添えて、だ。
「何故、敵国人の私にそんな事を教える」
「俺たちは戦争が活発になった方が良いんだよ。その方が権利の凍結も早く解消される」
「何故だ?」
「そこまで教えてたまるか、馬鹿!」
ともかく、話を聞いた商人はその日のうちに馬車を飛ばしてルーファンへと街道を駆け上がっていったのは間違いなかった。
続いては、半日以上経ってのことである。
もう一人の男がブラブラと交流会館の中をふらつきながら様々なシナンガル商人との情報交換を行っていた。
取り立てて変わった話は当然ながら無かったのだが、ある男と話した後に彼は急にそわそわし出し、フェリシアのバロネットを探す。
先程の一人目の仕掛け人である男を見つけると、それとなく物陰に引き込んだ。
そう、一人のシナンガル商人にわざと見つかるように気を付けながら、である。
そうして、低いと言えばそう言える声で彼は話し始める。
「シルガラという砦に、うちの軍が攻め入ったが失敗したらしい」
「ほう! もしかして捕虜が出たのか? なら、俺たちが交渉人に成れるかもしれんな!」
相手を請け負う男は、高々と喜びの声を上げる。
だが、
「しっ!」
そう言って、話を持ち込んだ二人目は周りに気を配った。
後を付けてきたシナンガル商人は直ぐさま柱の影に隠れた。
「誰が聴いているのか分からんのだから、大声を出すな」
少し考えれば交流会館で話す内容ではないと判りそうなものだが、シナンガル商人は男の真剣さに見事に騙された。
バロネットは仕事柄、人を騙すのが上手いとは云え、この二人の演技力はカレルが集めたバロネットの中でも群を抜いていたのだから仕方あるまい。
何より、このところのフェリシアからの流通停止によって、何でも良いからと誰しもが商売のネタが欲しかった時期なのだ。
怪しむ余裕は無かった。
「あのな。飛行魔法兵器の話は聞いているだろ」
「ああ、魔獣も一撃だとか」
「あれをスゥエンに貸し出すことで手打ちになるらしい。
たった今、繋がりのあるシナンガルの商人から聞いた処だ。その時、砦にいたらしい」
「どういう事だ?」
「まさか、うちの国を攻撃する訳では無いだろうな。
シナンガルではなく、『スゥエン』に貸し出すと言うことだからな」
「それじゃあ?」
「分からんが、あそこは『銀』が出るそうじゃないか。あと農地も肥沃だ。
それに高地に位置している」
「まさか……」
一人目の男は引きつった顔を見せる。
柱の影の男にはその顔は見えては居ないが、話している内に二人とも完全に役にはまり込んでしまったようだ。
それが、その場の空気を見事、真実に変えた。
「その先は口にするなよ。
話が広がる前に向こうと繋がりが持てれば、凄まじい儲け話になるぞ。」
「……とっとと引き上げるか。
今はシエネでは魔法兵器のお陰で普通の武器の値段は安定している」
「だがこの話が広まれば、すぐに値上げだ」
そう言って二人はそそくさと交流地を後にした。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
ピナーの下に、シルガラの司令官であるハンという男から、マーシア・グラディウスと引き分けたという連絡が届いたのは十日程前のことであった。
「遂に狂ったか。あの男!」
というのが報告を受けたピナーの最初の感想である。
ハンという男は、有力なシナンガル議員に連なる人間である。
純粋シナンガル人以外は例え一般国民であっても奴隷と変わらない、と常に考え行動も其れに沿っている。
武においても、文においても大した能力もない。
いや、平均以下と言える。
しかし自己顕示欲だけは人一倍有り、トラブルばかりを起こしていたため、現在の処は戦略上、何の価値もない地位に付けることとなった。
即ち、シルガラ砦に司令官として送られた訳である。
それだけの理由で司令官に廻されていた男なのだ。
名目上、祝いの使者という形で文書を送った処、四日後に戻って来た使者は、
「あれでどうやって引き分けたのか、さっぱり判りません」
と言う。
どういう事かと尋ねると、東側の街道に面した城壁の半分が綺麗さっぱり消えて無くなっていたというのだ。
使者がシルガラを出立前に、ようやっと補修が始まった所だという。
「城壁が消えている!?」
「はい」
「敵は、いやマーシア・グラディウスは其処までの魔法力があったのか!?」
『心胆寒からしめる』とはこの事ではないのか? とピナーは驚きを隠さない。
使者となった部下は、そこで、『どう説明すれば良いのか困るのですが』と前置きをして、語り始めた。
「兵士達の話ですと、何でも『鋼鉄の鳥』が現れたとか。
それから、シエネで使われた『火箭』と言いましたか?
あれをその翼の下から放ったそうです」
「『竜』とは違うのか?」
ピナーも竜の育成要塞に赴いてそれを見たことがある。
兵士達が竜の鱗を見て鋼鉄と勘違いしていると考えたのだ。
だが、使者は首を縦に振らない。
「いいえ、『竜』とは全く違うもののようでした。
砦の練兵場にも降り立っていたようで、間近で全員が見ています。
誰に訊いても、『からくりで飛んでいた』と答えました」
「そのことについて、ハンは何か言っていたか?」
ピナーがそう尋ねると、使者はいきなり腹を抱えて笑い出した。
涙まで流している。
どうしたのか?
と聞くと、ハン司令官は城壁が壊された瞬間に気絶し、マーシア・グラディウスが引き上げて丸一日経ってから、ようやく目覚めたのだと声を震わせ、咽せ込みながら説明してきた。
砦の兵士達から彼への人望は全くなく、誰もが包み隠さず同じ事を教えてくれたという。
これを聴いたピナーも使者と同じく笑いが止まらなくなってしまった。
全く、涙が出るほど笑うのも理解できると云うものだ。
しかし、そうなると撤退交渉をまとめ上げたのは誰なのだ?
端とピナーは気付き、その点を尋ねる。
「ヤン・ホルネンという十人長ですな。
先のシエネ攻略に参加していたようで、その時にマーシア・グラディウスの顔を間近で見ていることから選ばれたようです」
「そんな理由でか?」
ピナーはあきれ果てたという表情を露骨に表す。
まあ、あの砦は怪我人と厄介者を纏めておく以外に、後は新兵の経験場所程度の意味しか無い所ではある。納得せざるを得ない。
「それにしても其のホルネンという男、大したものでは無いか。
十人長程度にしておくには惜しいな。年は分かるか?」
「三一とか言っておりましたな」
「そうか。其れで、どの様にして撤退させたのか訊けたのか?」
ピナーのその言葉に、使者は渋い顔をして首を横に振った。
「スゥエンにおいて判断を下して貰う条件で引き上げて貰ったので、自分の口から話す訳には行かない、と頑なでした」
「益々、良いな。軍機の意味をよく知っている」
「元は百人長だったそうですが、丘からの殿を引き受けて怪我をした為、後方に搬送されたのだとか。
かなりの怪我であったため、復帰に時間が掛かると云う事で位を落とされたようです」
「馬鹿な! 功績を挙げて位を落とされるというなら、誰も働かなくなるわ!」
ピナーの怒りは正当なものである。
攻略戦に参加したものだけの問題ではない。軍全体の兵士に対する扱いの問題だ。
これは早々に議会に上申すべき問題であろう、と彼は考えた。
ピナーは人並みに欲はある。しかし、人並みに他人の心情を計る力も有ることも間違いはないであろう。
ともかく、そのように考えていたピナーに対して使者は、『最後になりますが』と言って報告を続けたのだが、それは聞き捨てなら無い内容であった。
「実質、勝った形に持ち込んだそうです。
撤退時の身代金まで払わせたそうで、現在の城壁の補修財源もそこから出ているとか」
またもや“馬鹿な!”と言いたい処であるが、撤退させただけでもおかしいのだ。
これは何か裏がある、と誰しもが考えつく結論にピナーは辿り着く。
そして最後の一押しは、使者が報告を締めくくった言葉であった。
「先のホルネンが、一言だけ言うならば、と教えてくれましたが、
『スゥエン方面への警戒を怠る事無かれ』との事でした」
そう言って報告は終わった。
ヤン・ホルネンという男は、『スゥエン方面』と言った。
これが『スゥエン』とだけ言ったなら、方面軍に相互不審の種を蒔くスパイである、として処断されかねない。
そこで、『方面』という言葉を使ったのだとピナーは判断した。
その方向から敵が来る可能性を考えた、と云う言い方にも取れるからだ。
しかし、この場合、彼が指しているのはスゥエン『そのもの』を指していると考えて良いであろう。
それにしても、どの様な理由付けでスゥエンに使者を送るべきか?
そう考えていた二日後、出入りの商人が『軍団長』に直接お会いしたい。
と息せき切って駆け込んできた。
商人なら市長の管轄である。
不思議に思いつつも、門衛が、「ただ事ではない様子で『一刻を争う』と言っている」との言付けを聞き、会うことにした。
その商人の話は、最初は聞くに値する事も無い様ではあった。
サミュエル・ルースがスゥエンに反乱をそそのかしており、その支援に魔法兵器『鳥』が使われる予定だというのだ。
確かに、先のホルネンの警告と合致する。
しかし、情報の出所がフェリシアのバロネットと聞き、『罠ではないか?』とピナーは慎重になった。
いや、一蹴し掛けたと云っても良い。
彼は一度、欲に目が眩んで失敗している。
勿論、彼を非難するものは居ない。
部下達ですら、自分たちの先走りを留めたピナーに対する敬意が高まっているほどだ。
だが、彼自身は『自分が』失敗したことを知っている。
これ以上の無様は御免だ、という気持ちが強い。
悩む彼の元に、副首都に向かうという別の商人が現れた。
彼はこれから『武具』の買い付けに向かうのだそうだ。
値上がりが見込めるという。
「どういう事だ?」と尋ねると、柱の影から盗み聞いたフェリシア人達の話を披露した。
話の出所は“シルガラ砦にいた商人”だと、話していたという。
「なるほど」とピナーは勘違いをした。
このタイムラグを作るのに名演技者二名は苦労したのである、掛かって貰わなくては困る。
ピナーは“こう”考えた。
つまり、元々はシナンガル内部からの情報がフェリシアに漏れた。
しかし、それを聞いた最初の商人は『情報がフェリシアから出た』と思い込んだのだ、と。
うわさ話を先に聞いて、「本当かよ?」と笑い飛ばしていたら、それなりに信用できそうなソースが後から出てきて納得してしまう。
と言うことは日常生活や地球のインターネットの世界でも間々見られる事である。
ピナーはこれに見事に引っかかったのだ。
順序が逆なら、出来すぎている話だとして思考の整理を付けようとしたであろう。
その間に首都との連絡も完了していたに違いない。
しかし、そうはならなかった。
彼は首都にその商人を、そしてスゥエンにスパイを送ることに決めた。
又、首都へ公式にはシルガラ訪問時に得た情報のみを送った。
商人の情報と自分の情報を分けた理由は前述の通り、分断工作、利敵工作の責を問われないためである。
伝達が別々のルートで送られ、しかも内容が似通いながらも重要な点で違う。
この様な情報程にトップを混乱させる要因はないのだが、スゥエンからも首都に連絡が行っているなど夢にも思わぬピナーであった。
スゥエンからは裏切りの『振り』をするという情報、ルーファンからは商人によって持たらされた不確定なものであるが、裏切る可能性が『ある』という情報。
似ているが、全く違う。
裏切りがあるなど信じたくはないが、スゥエンの銀とその発展がルーファンからの情報を重く感じさせる。
何より、金の掛かる新開発地から、銀の『八割』を奪っていたという後ろめたさがルーファンの情報に首都の議員達の気持ちを傾かせていった。
「ドラークはともかく、あそこにはハーケンが居る。注意してもしすぎることはない」
彼らの思考は、既に『スゥエン造反』の前提で全てを考えるようになっていた。
行動も調査ではなく、証拠固めの方向に向かっていく。
最初の証拠は、シルガラ砦は決して負けていないという『報告』であった。
実際、身代金も手に入れ、城塞の修復に掛かった事も確認されると、ピナーからの報告の『ごく一部』がこれを裏付けて話は次第に拗れていったのだ。
そして、その報告者のピナーも『スゥエン造反』を確定事項として動き始めている。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
ピナーによって派遣された二人の魔術師が潜んでいる僅かに高台になった雑木林は、スゥエン城壁から一キロは離れている。
最初の商人が持ってきた話は、見事に当たっていた。
商人が情報に会談の日時まで持ってきていたことを、二人の魔術師も最初は馬鹿にしていた。
が、当日の早朝から雑木林の出口辺りで潜むとも言えない程度に潜んでいると、会談時間と言われた時間の二時間ほど前に数十人の兵士が城門から現れ、そこから数百メートル離れた地点に何らかの会場を設営し始めたのに驚き、慌てて藪の中に飛び込んだ。
これ以上近付く訳にはいかない上、会談場所の設置状況から見て、彼らの能力ならギリギリではあるが、会談における双方の声を確かめることは必ず出来る。
魔法具もルーファンの武器庫から最高のものを貸し出して貰い、力の増幅も完璧だ。
今の彼らなら、フェリシアの中堅魔術師と互角と言われても問題無いであろう。
「おいおい、冗談じゃなかったのかよ!」
「一つ間違えると殺されるな。情報より命あっての物種だぜ。
お前、変に功績を考えていないだろうな?」
「大丈夫だよ。適当に、だろ。判ってるよ」
それからまた暫く待つと、バリバリと聞いたこともない音が幾つか重なって聞こえてくる。
空からだ。
見上げるが、雑木林が邪魔で上手く探せない。
二人は、そっと林から出ると、草地に伏せながら音のする方角へと目を向けた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「おっ、准尉。お客さん来てますぜ!」
オスプレイのレーダー員がそう言って巧をコックピットに呼び込んだ。
巧は、ヴェレーネからの戦時特例ではなく、国防軍からの正式な辞令による准尉昇進を遂げていた。
下手に士官学校を出ている者以上の実戦経験を済ませており、尚かつ戦略の構築も行っているとなれば、『最早、彼を下士官に留めておく必要はない』と上層部は判断したのだ。
作戦終了を持って少尉に上がることになるであろう。
呼ばれた巧がコックピットのモニタをのぞき込むと、其処には機体カメラに映し出された二人の魔術師が草むらに伏せ、こちらを覗っていた。
会談場所からは五百メートル程離れているであろうか。
「バロネットの御二人に感謝だね」
巧がそう言って笑うとレーダー員も二度頷く。
失敗しても仕方ない、と思っていた布石だが、これで混乱は更に高まる。
幸先が良い、と素直に喜んだ。
しかし、心配事も一つあった。
「バチェク大隊長。そろそろ着陸ですが、大丈夫ですか?」
オレグは何度かオスプレイに搭乗し、航空機に慣れて来たつもりではあったのだが、今回の任務を考えると最初に乗り込まされた時の緊張感が戻って来てしまったようで、何度か吐き戻していたのだ。
青ざめた顔ではあるが、うがいも済ませて先程よりは良くなったと言う。
しかし、降りてからは少し時間が欲しいとも言ってきた。
マーシアは、自分もマリアンの感覚を共有していなければ、もしかするとこのような事態になっていたのかも知れないと、同情に堪えない視線を送っている。
今回、マリアンでは無くマーシアが表に出てきているのに、雰囲気の変化に多くの隊員が気付かないのはその為であろう。
が、着陸すると状況は一変した。
彼女の瞳がシナンガル兵を捕らえると、側にいた兵士達は全員、彼女から距離を取った。
『殺意!』
とは、形になるとこのようなものなのか、と誰しも恐れるほどであったのだ。
元々、スゥエンの兵に恐慌を起こさせないように、会場まで百メートル以上の距離を取って着陸したが、これはオレグを回復させるのにも隊員達を落ち着かせるのにも役に立った。
何より、マーシアを。
(マーシア、しっかりして!)
マリアンは彼女を狂気の海から必死で呼び戻すと、次第に鼓動が落ち着いてくるのが判る。
どうやら、上手くいったようだ。
“すまん、マリアン……、大丈夫だ”
(今だから言うけどね。 『あの本』、マーシアを押さえる方法も書いてあったよ)
“本当か!”
(嘘だよ)
“からかうな……。”
(ホントに落ち着いたようだね)
クスリと中でマリアンが笑う。それが更にマーシアを落ち着けてゆく。
自力で回復できたこと、マリアンのバックアップがあること、何より、今の『本の話』が実は本当であり、いざとなっても自分を押さえ込める方法があるかも知れないと思うこと等から、ようやっとではあるがマーシアは平常心を取り戻した。
また、知らぬうちに側に来ていた巧に、左手を繋ぐように握られていたのが心地よい。
マーシアはいつもの様に手の平を下に向け、巧にかがむ様に促すと、
「ありがとね。お兄ちゃん!」
と耳元で礼を言う。
マリアンからのものなのか、マーシアからのものなのか、巧には判断が付かなかったが、彼にとっては、最早どちらからでも同じであった。
頭を撫でてやると、嬉しそうに笑った。
「すまんな。頑張ってくれよ」
巧がそう言うと、「うん」と可愛らしく返事が帰って来た。
オレグは、マーシアの殺気のお陰で逆に軍人として気合いが入ったようだ。
顔色も元に戻っている。
反面、隊員達の方が浮き足立ってしまい、落ち着けるのに苦労した。
彼らは、殺気を放つマーシアだけなら受け入れられたかも知れないが、その後、巧に撫でられて喜ぶ彼女の変化に混乱してしまったのだ。
年の近い軍曹が、気を利かせて軽口を叩く。
「ヤンデレって奴ですか?」
「人の妹捕まえて、言ってくれるなぁ軍曹! まあ、間違っちゃ居ないんだから近付く時は気を付けろよ」
巧がそれに応じて意地の悪い返事をすると隊員達がどっと笑い、場の雰囲気も穏やかなものになった。
さて、此処から隊員達には『規律ある殺人者』に意識を切り替えて貰わなくてはならない。
巧は、マーシアの件がなかったかの如く、最後の訓辞を行った。
予定にはなかったものではあるが、隊員達に気を引き締めて貰わねば困るのだ。
当然、余裕も併せ持って貰うことを目的とした。
それにしても、と巧はこれから向かう方角を見つめる。
百には満たないが、それなりの数の兵士が会談場を設置して集まっており、彼らの緊張感が伝わってくるかの様だ。
また砲艦外交の最たるものとはいえ、こちらにも命の危険はある。
「ペリーもこんな気持ちだったのかね?」
と何故だか思った。
タイトルは、フリップ・K・ディックの「最後から二番目の真実」を弄らせて頂きました。
内容とは何の関係もないですね。 ただ、情報錯綜のイメージに合ってたものですから、すいません。
少しずつ、調子よくなってて来ましたほっと一息ついています。




