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星を追う者たち  作者: 矢口
第五章 地球の風、カグラの嵐
45/222

44:世界の合い言葉は『食料』

小田切無双の回です。

 第二兵器研究所に戻った時、リンジーを始めとするエルフの面々には第六倉庫内にあった予備の整備員服を着てもらった。

 目立つ服では拙いと云うこともあったが、何より帽子には夏場用の首の陽除(ひよ)けが付いており、耳をきれいに覆うことができる。


 桜田は巧の個人宿舎(フラット)に入ってもらい。

 彼女を通じて一部のみの事情を市ノ瀬に話し、エルフ陣を匿ってもらうことにする。

 携帯電話が使えればよかったのだが、ここも一応に軍事施設であるため、住居地区以外は各員の携帯電話の持ち込みが認められておらず手間がかかった。


 そうやって、巧とヴェレーネはロークを付属病院に担ぎ込んだのだ。

 ヴェレーネは所長名で病院内の看護士達にロークに関わる箝口令を敷いたのだが、これが後に繰根の逆鱗に触れることとなった。


 付属病院は研究所の付属施設である以上、そこに関わることも最終的には研究所所長の判断に一任される。

 しかし繰根としては、自分には何ら連絡のないまま『頭越しに』事が決められたことには大きな不満があったのだ。

 何より患者が普通とは言えない。

 看護士や医師達も体の部分がシーツに(くる)まれたロークを見て最初は大型の狼が担ぎ込まれたものと勘違いしたのは当然である。


 しかしロークの体を一目見た繰根は“流石は医者”と言える行動を取った。

 自分の不満は後に回し、患者の命を最優先として手術室に入ったのである。


 そして巧はというと。ロークが手術室に入ったことを確かめ次第、急ぎ電話のブースを占領して研究所の親会社である商社、というよりも『広田修身』へと連絡を取った。



 彼とて別段、名案があったわけでもなく、広田とヴェレーネの裏の関係を知っていたわけでもない。

 しかし、親会社から病院に何らかの圧力を掛けられないものかと藁にもすがる思いであった。

 唯、それだけだったのだ。


 巧としては順を追って話をしている時間は無かった。

『急にこのようなことを言って、頭がおかしくなったと思われるかもしれないが、少々この世界の人間とは違う風貌の友人を救ってほしい。 

 見た目がまるで人間とは違うのでトラブルになる事は確かなのだ』

 と巧が電話口でそこまで口にしたとき、広田が思いがけない事を口にする。


『巧君。 君、もしかしてフェリシアに行ったのかい!?』と。


 度肝を抜かれるとはこのことであったが、そうなると話は早かった。


 広田は、

『医師には不審な怪我人に関しては、報告義務があるので必ずトラブルになると思う。

 特に繰根さんは、そこら辺は頑固だからね。 

 しかし、こっちで手を打つので出来るだけ時間を稼いでほしい。 

 息のかかった警官をよこすから。それから、ミズ・ヴェレーネにも連絡をくれと伝えて欲しい』

 矢継ぎ早に言って、電話を切った。


 広田の言葉は、まさに地獄に仏であった。

 こうして、巧は広田を信じては時間稼ぎに徹していたのだ。


 そして彼らがやってきた。

 小田切、白川、玉川の三名である。


 三年ぶりにあう間柄ではあるが旧交を暖める訳にもいかず、互いに初対面のふりをして通すことになる。

 いずれにせよ広田は、政府を通じて公安を動かすことに成功したのである。




「公安、外事調査官の小田切です。お忙しい中、時間を取って頂きまして感謝します」

 声も穏やかであり、なおかつ小田切の腰は低い。

 が、それによって『公安』という言葉の響きに畏怖を抱いていた繰根の心情はほぐされた。

 表情から警戒の色が消える。


 小田切は、挨拶一つで会話の主導権を握ったが、当の繰根(くるね)は全く気がついて居なかった。

 しかも彼は、大抵のエリートクラスの人間ならグラリと来る一言を後に続けたのだ。

「今回こちらにお邪魔したのは、来たるべき国家の危機において繰根先生の御助力を(あお)ぎたいと考えた為です」


 自分が国家の重要戦略の一端を担う。

 普通の人間なら何が何だか分からず、腰の引ける話であろう。

 しかし、なまじ高学歴の人間はこのような言葉に弱いのである。


 冷戦においてソ連との経済交流を断ち切り、『封じ込め政策』によって世界を動かしたジョージ・ケナンにあこがれ、新政策を発表する官僚が後を絶たないのもこのためだ。


「国家の危機と言いますのは?」

 繰根(くるね)は既に食いついている。

 彼女の院長職における『最大の欠点』と言えば欠点に当たる部分。

 それは名誉欲ではない。

 かといってこのような話の中心に自分を置きたがる権勢欲でもない。


 それは『未知に対する異常なまでの探求心』なのだ。

 このため新しい症例の研究の為とあらば、度々海外へと飛び出して言ってしまう。

 事務が滞りがちになることも屡々(しばしば)で有り、彼女が他の病院に勤められない理由も此処にあるのかも知れない。


 それについては、今回の件において善くぞロークを解剖しなかったものだと、ヴェレーネが胸をなで下ろしていた程である。



 さて、その繰根(くるね)が飛びついた小田切の話は、最初は重要ながらも地味なものであった。

 しかし、次第に話は危険な方向に進んでいくことになる。


 彼はまず、この世界における事実を話し始めた。

 無論、他言無用との前置きをしてからだが、


 彼の所属する『外事調査官室』というものは先にも語ったとおり、遊撃隊的な側面があると共に別の隠された大きな裏の面がある。

 それは『対米・対欧州』との情報戦の最先端にいると言うことである。


 公式に公安外事課には大陸や、ロシア、インド、中東などに対応する『課』は存在するが、同盟諸国である西側先進国には諜報(スパイ)を行っていないことが建前だ。

 しかし、そのようなことが有り得よう筈もない。

 北米に対する諜報・対諜報も当然ながら行われている。

 それが『課』に所属しない外事調査官『室』である。


 要は、個人活動の範囲に絞って行動させ、いざという時は個人を切り捨てることで『国家』に対する被害を最小限に抑えるシステムになっている訳だ。

 組織の監督責任は問われるであろうが、『個人のスタンドプレー』で片を付けることも可能だ。

 当然、事によると命の危険もある。

 所属する人間は、職務の遂行の為に様々なものを投げ捨てる覚悟が必要であることは当然であろうが、小田切が何故其処に所属することになったのかという話は、別の機会を待つ。


 さて、彼らは各省庁内において公然の秘密となっている『第二次アメリカ南北戦争の可能性』について調査を進めてきた。


 そして、出した結論は『二年以内の開戦』である。



 何故、アメリカで南北戦争が再開されるのか、理由は以下の通りである。


 巧の国の国民は誰もが『所得税』を払っている。

 アメリカでもそうであるのだが他国との大きな違いは、実はアメリカにはその「所得税」に関する法律が全く存在しないのである。

 驚くべき事だが事実である。

 企業から利益に関して税を取った上で、そこに働く労働者から更に税を取るのは二重課税であると言う考え方からだ。

 しかし、アメリカ国税局は当然のように所得税を徴収している。

 更に問題は、その金の行き先である。


 二〇〇六年、ある有名映画監督はこの事実をドキュメンタリー映画として発表した。

 彼はアメリカ人の富が不法な徴税を通じてFRBと呼ばれる『アメリカ中央銀行』にすべて奪われている。

 と映画を使って全国民に告発したのだ。

 それから半年後に、彼は身内も友人も知らなかった持病の悪化により病死した。



 巧の国にも勿論、中央銀行はある。

 しかし、その株式の半分以上は政府が握っており、中央銀行といえども勝手な振る舞いは出来ない。


 だが、一九一三年に創設されたFRBはその株式は全くの未公開であり、どこの誰とも知らない完全な民間銀行の連合体なのである。

 その主体はロンドンの金融街である“シティ”の銀行連合とも言われており、独立戦争を戦って独立したはずのアメリカは実は一九一三年以来、既に植民地に戻っているという経済学者や社会学者が現在までも存在するほどだ。


 余談と言えるかどうかは知らないが、FRB創設の承認を行った大統領ウィルソンの臨終の言葉は、

『私は馬鹿だった。うっかりして国を滅ぼしてしまった』だったと伝えられている。


 また、これもあまり知られていない事実であるが、イギリスの銀行連合は先の大戦の際、敵国のドイツに対して、第三国を経由した燃料、武器、弾薬の販売までしているのである。

 どうやら彼らにとって『国』など何の意味もなかったようである。


 ともかく、『その事実』が知れ渡った二〇一〇年頃から南部諸州では、所得税不払い運動が始まり、少しずつではあるが合衆国脱退の気運が高まってきた。

 そして数十年かかったが、遂に堪忍袋の緒が切れたと言うところであろう。


 もし、南北戦争が起これば『巧達の国』はどうなるか?

 同盟国としての防衛面はもちろんだが、実は差し迫った大きな問題が生まれる。

 それが食糧問題だ。

 この国は輸送燃料共々、消費食料の四十パーセントをアメリカからの輸入に頼っている。


「主食の米は百パーセント以上、毎年国内生産されていますよね?」

 繰根がそう聞いてくる。


「肉はどうします」

 と、小田切が訊き返すと、

「医者として言わせて頂きますと、この国の人間は肉を食べすぎです。 

 もう少し菜食化してもいいとも思いますよ」

 と返してきた。


「野菜ってどうやって作るか、ご存じですか?」

 小田切の質問に繰根(くるね)は露骨にいやな顔をした。 

 馬鹿にされたと思ったのだ。

「畑で作るに決まっています。いくら世間知らずでもそれくらい分かります」

 刺々しくそう答える。


 小田切は怒らせてしまったことを詫びると、同じ質問を二人の刑事にも行った。

 何らかの意図があると気づいたのか、繰根の表情も怒りから困惑に変化する。

 当然、二人の刑事も繰根と同じように答えたのだが、


「まあ、普通そう思いますよねぇ」

 小田切の言葉は『知らなくて当然だ』という感じであり、そこに嫌味はない。

 このような人だったかと巧は驚くが、それには気づかぬ小田切は、そのまま説明を続けた。

「あのですね。実は根菜(こんさい)はともかくとして、葉野菜の六割はもう工場生産なんですよ」

「「「えっ」」」っと三人が声を上げる。

 巧は知っていたので得には驚かなかったが、ヴェレーネまで当然という顔をしている。

 実はセントレア周辺の葉野菜もこれから小田切が説明するものと同じ方法で工場生産されているのだ。


「水耕栽培ってご存じですか?」

「あの、クロッカスの球根を育てるような?」

 小田切の質問に、繰根は今度は素直に答える。

 小田切はにこやかに頷いた。

「そうです。実は植物の育成には水と養分さえあれば土は邪魔者になる場合の方が多いんですよ。ですから、葉野菜の多くは工場の水耕栽培で生産されているんです」

「はあ、それはよく分かりましたが、それとアメリカの戦争とどの様な関係が?」

 繰根は完全に小田切に飲まれてしまっている。


 そこで小田切の表情が僅かに曇る。

「肥料です」

「は?」

「日本で栽培されている野菜の肥料や農薬は露地(ろじ)栽培、水耕栽培を問わずその多くがアメリカの化学薬品会社からの輸入なんですよ」(露地栽培=普通の畑での栽培)

 これには、繰根も凍り付いた。

「もしかして……、米の肥料も?」

 小田切は無情にも頷き、更に言葉を続ける。

「それどころではありません。食肉だって元になる動物は餌を食べるんです」


 繰根は、事の重大さにやっと気づいてきたようだ。

 体が前のめりになり、次第に顔全体で小田切の話を受け止めようとしている。

「もしかして、その餌も?」

「はい。同じく四割がアメリカからの輸入です」


「どこか他の国から輸入を増やすことも出来るんじゃないんですか? 

 あとは国内で生産とか?」

 繰根の提案に小田切は首を横に振る。

「この国の食料輸入はそれなりに分散されています。もういっぱいです。

 それに国内の土地を開発して農作物が食べられるようになるまで何年かかると思います?」

 そして、ここからが本題だとばかりに繰根を見据えた。


「先生。アメリカで戦争が起きたとき、アメリカ人は農業を優先させるわけにはいかないでしょうね?」

「ええ、農地その物が戦場になるかも知れませんしねぇ……」

「鋭い読みです。

 化学薬品会社も肥料ではなく、弾薬や医薬品の製造に力を入れるでしょう。

 となると、アメリカでも食糧が不足するとは考えられませんか? 

 あの国の人口は現在、四億五千万人ですよ」


 小田切は軽く彼女を持ち上げて置いてから、次第に核心に迫る。

 繰根も段々と小田切が何を言いたいのか分かってきた様である。


「アメリカに食料が流れて、他国からこの国に入る食料も不足すると言うことですか?」

「そうです! いえ、それどころではありません。アメリカは世界最大の穀物輸出国です。

 他の国も自国の食糧確保に動き出すでしょう。

 輸入が止まるのはアメリカからだけではないと『我々は』見ています」


 最後の小田切の言葉に顔色を失ったのは、繰根だけではない。

 小田切の後ろに控えた刑事二人まで、真っ青な顔をしている。


「ど、どれくらいの被害が出ると政府は予想しているんですか?」

 今や繰根は小田切に掴みかからんばかりの勢いである。

 しかし小田切の返事は冷たかった。


 まるで、紙に書いた文章を読み上げる様に、

「首都圏を含んだ全国の都市部で、最低二百二十万人が餓死するものと思われます。

 その他、全国民の栄養不良、栄養失調者が三千万人近く。

 それに伴う暴動も予想され、治安維持的な処置も行われる可能性が有ります。 

 先の大戦時は、未だ近郊で農業をする者も多かった。

 当時の農業従事者比率は七十八パーセントは有りました。 

 五パーセントを切った今日(こんにち)とは違います」


 と、淀みなく言い切った。


「まるで戦争じゃないですか!」

 繰根は呆然とする。

 が、それも長くは続かなかった。


 はっと我に返り、(まくし)立てる。

「でも、何故それほどの事を私が助けられるんですか?

 私は単なる外科医ですよ!」


 小田切は頷いて、やっと本題に入れると言うと、繰根に直球で訊いてきた。

「変わった患者の手術をしましたよね?」

「ええ、ですから今、その連絡を警察にするところでした」

 そう言ってヴェレーネと巧を睨んだ。

 こいつらが邪魔をしたのだ、と言わんばかりの目つきである。


 小田切は頷くと、

「では、その件に関しては警視庁から来てもらった二人に受理してもらう、と云うことで宜しいでしょうか?」

 そういって白川、玉川に視線を送った。


 繰根にも嫌は無い。宜しくお願いしますと云うのみである。

 それを確認した小田切は、

「では、これで先生の医者としての義務は無事に果たされたと言うことですね」

 と笑顔を見せた。

 社交ではあるが、そうですね、と繰根も笑顔で頷く。

 が、小田切の表情はそこで一変する。

 まるで、今までとは別人としか言いようがない。

 生きた氷のようである。


 ここから話すことが先生への協力依頼であり、国民の命を救う道であるが、秘密が守れないと思うのならここで話は終わりにして我々は引き上げたい。

 まずはそう言ってきた。


 そして、その後、

「いずれにせよ、この研究所が全国民の生命線となりかねません。

 ご了承頂けないようでしたなら、先生にはこの病院から去って頂くことになります。

 研究所の『本社』も政府の方針に協力して下さるそうです。」


 脅しまで入れてきたが、別段命まで取ると言っている訳ではない。

 何より、全国民の生命を守るという大儀を背負って話をしているのだ。

 繰根の個人的な医者としての倫理観やプライドなどチリにも等しいと言われても、それを指して『彼女に対する侮辱を口にしている』などと誰が言えるであろうか。


 小田切の三年間での変わり様は、このような大局に関わる事案を多く見てきたことに一因があることが伺い知れる。

 自分の感情や社会的な関係など『詰まらぬ事』と割り切れるほどに、混迷する世界の情報戦略に揉まれてきたのであろう。


「あの患者は、それほどの重要人物なのですか?」

 繰根は息をのむ様に訊いてきたが、小田切は黙して答えない。


「話せないと言うことですか?」

 落胆する繰根に対して小田切は首を横に振る。

「まだ先生の御返事を聞かせて貰っていません」

 あっ、と気がついた様に繰根は慌てて言葉を返そうとしたが、重大な案件だということを思い出し、努めて落ち着いた口調で話し始める。


「私もこの国の国民です。 

 と言うことは二兵研(ここ)から離れようが離れまいが事態の当事者になることには変わり無いということになります。国民である以上『運命共同体』です。

 この問題の対処に私の力が少しでもお役に立つのなら、此処に残り事態の対処に参加させて貰えませんでしょうか。約束は当然お守りします」


 結果として出来るだけ丁寧に、と言うよりも『過ぎるほど』の言葉遣いで返事を返した。


 満足そうに小田切は頷く。

「では、確約も取れたと言うことで説明させて頂きます。

 重要なのは『その患者』ではありません。その患者の所属する国なのです」


「外国人なのですか?」

 どうやら、繰根は外国で人体実験が行われ、その対象者が第二兵器研究所に派遣なりされてきたと思ったらしい。


「まあ、そういえますね。繰根先生には今のところは段階的にしかお話しできませんよ。

 何より後にいる二人も先生と同じで、先程、確約を取ってこの件に参加して貰っているんです」

 小田切がそう言うと二人の刑事はそれぞれに頷いた。




 三人ともロークの姿を見たらどう思うだろうと、巧は頭が痛い。


 しかし、小田切は何を、何処まで知っているのだ?と巧の不安は募る。

 ロークが運び込まれたのが一昨日、彼の安静を待つ間には『軍機』を盾に今日まで引き延ばしを計ってきた巧達だ。

 昨日一日で、広田は何処まで行動できたのであろう?

 また、広田は何処まで政府を或いは彼個人を信用して話をしたのだろうか?

 

 巧との電話の後、広田からヴェレーネに連絡があったと聴いた。

 信用して任せて欲しいということで、ヴェレーネが譲れない点は三十年前から判っている、と広田は言っていたと聞いたが……。


 巧としては悩む。

 広田は言葉で、小田切は体を張って自分達姉弟(きょうだい)を助けてくれた。

 二人とも共に大恩人である。

 悪くは思いたくはない。

 しかし何より、ヴェレーネとの約束を破る訳にはいかない。


 巧は悩むくらいで済むが、ヴェレーネにとっては国家の危機だ。

 あれだけ彼女に対しては大きなことを言っておいて、流れに身を任せるままになっている自分が不甲斐ない、と感じる。

 話を聞いている範囲では、食糧という武器でこの事態をチャンスに変えられる対等な取引なのだが……。


 そこまで考えて、巧は危うく声を出しそうになった。

 対等処の話ではない。

 これは……。





 小田切の話は続いていた。

「実は私も全貌を知っている訳ではないんです。 

 現在、私の臨時の上司は政府の代行者として『その国』と個人的に国交を結んでいる『ある人物』でして、私もその方の指示に従って動いているに過ぎません」


「は?」

 繰根は意味が分からない、と云う顔である。

 其処(そこ)に白川が話に割り込んできた。


「あの、警視。何か勘違いをなさっていらっしゃるのでは?

 個人と国とでは国交は結べませんよ。 

 まあ、親善大使のような意味合いで話をなさっているのでしょうが……」


 その白川の言葉を聴いて小田切は笑い出した。

「白川さん。酷いなぁ、私は外事課の人間ですよ。 

 それぐらい知らないとでも思ってるんですか?」


「はあ、話を(さえぎ)って失礼しました。 

 しかし、もう少し詳しく話をして頂けないと、繰根先生だけではなく私たちにも何が何だか?」

 側で玉川も頷く。


「それじゃあ、繰根先生に今回の不審な怪我人の何処(どこ)が不審なのか、語って頂きましょう」

 小田切は繰根に話を(うなが)した。


 繰根はまるで誰かが潜んでいるのでは、と心配するかの様に、周りをきょろきょろと見廻す。

 それからようやく嫌々ながらに口を開いた。

「え~っと、ですね。信じられないかも知れませんが、首から上が……」

「「首から上が?」」

 二人の刑事の声が揃う中、繰根は戸惑った後、思い切った様に声を出した。


「『犬』なんです!」


 この言葉に、刑事達が質問するよりも早く巧が切れた。

「ロークを『犬』などと言うな! 

 彼は誇り高い狼人族(ライカンスロープ)だ!」


 繰根は巧の迫力に押されたのか首をすくめてしまった。

 が、巧としてはつい興奮して怒りにまかせて叫んだのだが、全員の唖然とした顔を見て我に返った。


「すいません。つい、興奮してしまいまして。

 友人を侮辱された様に感じたものですから……」

 一礼して、席に座る。


 しかし玉川が、巧の顔を見て問い質してきた。

「いま、ライカンスロープと言いましたよね」

「はい」

「それって、いわゆる『狼男』のことですか?」

「狼人族と呼んで頂いた方が適切ですね」


 巧の言葉に今度は、繰根(くるね)が声を上げる。

「族、今、『族』って言いましたね、柊曹長。狼の国があるって事ですか?」


 白川まで話しに加わりそうになり、収拾が付かなくなりかけた。

 小田切が全員を落ち着ける。

 その間、巧はヴェレーネにヒールで足を嫌と言うほどに踏みつけられていた。


「まあ、今、其方(そちら)の『柊曹長』が仰った通りです。 

 我々人間とは、少々違った発展を遂げている国があるようです」

「馬鹿げてます!」

 小田切の言葉を繰根は、ばっさりである。

 だが、小田切は特に腹を立てもしなかった。


「しかし、既に取引は行われているんですよ」

「何のですか?」

「穀物です。彼らの国から小麦や大豆などの穀物を年間九十万トン近く。

 この三十年間。『ある商社』が買い付けて、国はその商社から国家備蓄として、更に一部を買い上げています」


 此処まで来れば、繰根にも分かる。

『ある商社』とは即ち、この第二兵器研究所の親会社であろうと。


「つまり、彼の国が()の国の『食糧輸入元』だと言うことですか?」

「はい。アメリカでの開戦後は輸入不足分の補充の確約も頂いております」


「では、私に対する協力要請とは、今回のことを黙っていて欲しい。と云う事ですか?」

 それぐらいはおやすいご用だ。という顔付きで答えた繰根だが、小田切は首を横に振った。


「違うんですの? それじゃあ、何ですの?」

「いえ、勿論それもありますよ。しかしですね。事はもっと大きくなりそうなんですよ」

「と、言いますと?」

「その患者さんの怪我というのは、どの様な怪我ですか?」

「鋭い刃物と思われる何かで、ざっくりと腹を切られていましたね。 

 柊曹長の話では、『ASの盾が倒れた事故に巻き込まれた』そうですが……」

 そう言って、この嘘つきめ、と云う顔で巧を睨む。


 その時、小田切はそれに同調する様にはっきりと言い切った。

「ええ、そうですね。柊曹長は嘘を吐いていらっしゃいます」

 遂に来たか、と巧は思う。

 巧達のピンチは今、フェリシアのチャンスに切り替わる。

 しかし、広田は政府と何処まで取引できたのであろう?


「何があったか、小田切さんはご存じなんですか?」

 繰根はやっと真実が分かると晴れ晴れとした表情だ。

 だが、すぐに地獄行きなのは間違いない。


「実は『患者さんの国』つまり、我々の食糧の生命線となっている国は現在、侵略を受けているそうです。患者さんは多分、兵士でしょう。

 そうですね?」

 小田切は巧に確認を求める。

 巧は素直に頷いた。

「ならば、更に怪我人が出る。そうですね?」

 再び頷く巧。


 その遣り取りを見ていた繰根(くるね)は、目が泳ぎ始めた。

「あの、もしかして、私への依頼というのは……」

 そこから先は恐ろしくて言えないと云う風情である。


 それに頷きながら小田切は繰根に代わり、答えを述べて行く。

「はい。此処を彼らの重傷者に対する野戦病院として提供して頂きたい。

 これが政府からの依頼です。

 猶、此処まで聴いて断るというなら今回来た警視庁の二人は、そのままあなたを逮捕するだけです。 

 あなたの精神鑑定のカルテも既に作成済みです。

 事が終わるまで。いいえ、終えた後でも話が表に出て貰っては困りますので」

 話どころか当の本人が一生表に出られない、と脅しを掛けてきた。


 なまじ感情が籠もらない事務的な言葉である為、威圧感は並ではない。

 繰根はパニックを起こして、完全に涙目である。


「どうしろって言うんですか! 私は黙っていてもスタッフが六十名もいるんですよ!」


「それについても、あなたに責任を取って貰います。方法はお任せします」

 実に爽やかに小田切は笑った。本日一番の笑顔である。



 馬鹿馬鹿しい。 冷静に考えれば分かるではないか。

 六十名のスタッフに完全に秘密を守らせるのも、繰根を偽のカルテで心療内科病棟送りにするのも不可能な話だ。

 要は、彼女は余計なことは考えず、ヴェレーネや巧の話に素直に頷いて今後は逆らうな、と言うだけの話なのだ。

 噂を聞きつけたマスコミが騒ごうがどうしようが、此処は建前として民間施設なのだ。

 開放の義務など無い。


 又、いざとなれば患者は一時的にフェリシアに送り、その後にマスコミを入れても良い訳だ。


「繰根先生、先程の話はあくまで最後の手段です。

 しかし『その国』と我々は運命共同体なんですよ。

 あちらは、こちらの医療技術が欲しい。

 我が国はその国が侵略を受ければ、国民に多大な『餓死者』が出る。分かりますね」

 小田切は駄目押しで繰根に確認を入れる。


 余計な好奇心など出すのでは無かったと項垂(うなだ)れ掛けた繰根ではあったが、先に自分が言った言葉。

『食糧危機が起きれば自分も当事者だ。運命共同体だ』 

 と云う言葉を思い出し、何とか立ち直る。

 スタッフに対しては『二兵研の人体実験』で押し通しますよ、と開き直った。


 そうなのだ。今、巧の国とフェリシアは完全に運命共同体と言える状態になりつつある。

 フェリシアを守ると言うことは、巧にとっては『母国』を守ると云うことになったのだ。

 何というタイミングの良さであろうか。

 この世界の戦争が、異世界(フェリシア)を救うことに繋がるとは。


 巧達としては最初は精々本社からの説得という形で『医療に関わる僅かな協力を今後は堂々と受けられれば、』と思ったに過ぎなかったのだが、思いの外の大収穫であろう。


 これでヴェレーネとの約束を守りながらも、母国を背くことにはならずに済むと、『ほっ』とした自分に巧は気付く。

 以外と自分が『軍人』であったのだ、と今更ながらに思える感情であった。


 そして、最後に小田切は巧達に更なる土産を置いていく事になった。

 巧と言うよりはヴェレーネに対してだが、

「政府のごく一部では、」

 小田切はそう言って親指を立てて話を続ける、『親指が意味するもの』それは首相に他ならない。

「二兵研の『兵器試験』において、希望者に限ってですが当該国での活動を行うことを認めました。

『事故による負傷・死亡に関しては国の責任において処理する』

 とのことです。

 勿論、『あちら側から』の承諾があればと言うことですが。


 南北戦争の開戦については、早晩にも知れ渡ることとなるでしょう。

 臨時国会が開かれ政府も対応を迫られることになります。

 穀物ルートの確保の為、国防軍全体での本格的な介入も可能になるかと。

 こちらも当然ながらミズ・ヴェレーネの認める範囲で、輸入元について話せるという前提が入るのでしょうが。 


 私が協力できる範囲については、今後は二兵研主任の指示を仰ぐ様に言われております。

 また私が何を知ることが出来るかは、全てあなた次第だとも言われました。

()の人物』の言うことには、ミズ・ヴェレーネ、あなたがこちらでの窓口だそうですね。宜しくお願いします」

 そう言って警察式の敬礼をすると退席することになる。


 警視庁の二人も同じく敬礼で部屋を出ていった。

 彼らとも、しばらくは顔を合わせる回数が増えそうである、と思う二人であった。



 三名の警察官が退室した後、繰根(くるね)は哀れなほどに力無く項垂れ、

「今更ながらに、ようやく分かりました。二兵研(ここ)の支配者が誰なのかね」

 と言って両手をバンザイの形に挙げる。


 ヴェレーネは笑って、

「今後も宜しくお願いします。 

 先生の知的好奇心を満たす患者が訪れるかも知れませんよ」

 そう言うと、繰根は『狼男以外にも何らかの異種人類がいるのか?』

 などと大興奮であり、ヴェレーネの手を取って、こちらこそ宜しくお願いします。

 と期待に満ちた目で見つめてきた。

「健康診断ぐらいにしておいて下さいね」

 やや危機感を感じた返事をして、繰根と和解した二人は院長室を後にする。



 しかし、これから忙しくなる。

 テスター・パーソンをカグラに送り出す許可が政府から下りたとは言え、やはり信用できる人物に限られる。

 また、アメリカ南北戦争から起きるであろう『食糧危機』も未だ明確ではなく、切実に自国の為に戦うのだ、という意志を持ってくれるのであろうか?

 外国の為の傭兵扱いである、と反感を買うのが落ちではないのか?


 何より、この好機も何時ひっくり返るか分からない。

 だらだらと時を待ってチャンスを逃してしまうこともあり得る。


 難題は山積みであった。



サブタイトルの元ネタはアーシュル・K・ル・ヴィンの「世界の合い言葉は森」ですね。 

数年前に公開された映画「アバター」の元ネタという人もいます。 未読ですが、そう言われると読みたくなります。

司政官シリーズ、まとめ買いしましたのでその後になるかなぁ。


さて、繰根先生の名前ですが、元になった『クローネ』は英語で言うと『クラウン』即ち王冠のことです。

何時ぞやのエルフリーデに対した事件に続いて、ヴェレーネには女王に2連勝して貰おうと思ってこの名前にしました。 

雇われでも院長って「病院の王様」ですからね。

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