42:袋の鼠と竜のゲーム(Gパート)
カレルはトラックを下げて荷台にロークを乗せたが、すぐに完全な治療には入れなかった。
桜田やロークに変わって周りへの警戒を確認する必要があったからだ。
震えている桜田を避難民に見せる訳にはいかない。
桜田は震えの収まらぬ様子で必死でロークの怪我の手当をしているが、はみ出した腸は腹圧の関係でどうしても腹に収まってくれない。
また、応急処置で大きな出血は一旦止まったものの、やはり包帯からにじみ出ている『それ』はすぐには止まり切ってはくれないのだ。
中央から右脇腹に掛けて三十センチ以上にわたり見事に切り裂かれている。
桜田の隣では、盾の回収時にバリスタアローを発射させてしまった少年が項垂れ、必死で謝っている。
ロークは『気にするな、戦ってのはこんな事もあるもんだ』そう言うと、
「それより防衛に戻れ、俺に悪いと思うならしっかり他の奴を守ってやるんだな」
そう言って少年を荷台から追い払った。
「桜田さん」
「はい」
「カレルを呼んでもらえますか?」
ロークがそう言うと、カレルが荷台に上がってきた。
「いるぞ」
「防衛線はどうなってる」
「盾がかなり集まったからな。正面はそれで対応できる。
崖側は捨てた。あちらに回り込む奴にはRPGで対応するとロッソが約束してくれたよ」
「そうか。なら後二時間、問題は無いな」
「ああ」
その言葉を聞くとロークは安心した様に言った。
「じゃあ、俺を殺してくれ」
桜田は一瞬、ロークが何を言っているのか判らなかった。
いや、それどころか、それに自然に頷くカレルの姿も理解できない。
「な、何、言ってんですか? 二人とも!」
ロークは桜田に詫びた後こういった。
「助かりませんよ。血が出すぎた。何より、我々は此処から動かなくてはならない。
移動に耐えられないでしょう」
「な、内臓は傷ついていないんです。大丈夫です」
桜田の言うことは正しい。
内臓が傷ついていない以上、感染症を防げるなら、その点は心配ない。
カレルも、その程度の技術は有るのだ。
しかし、そのカレルですら桜田の説得に廻る。
「此処から動かせば長く持たない。と言って動かない訳にも行かない。
ロークは皆の為に一番良いと思う方法を選ぼうとしているんですよ。納得して下さい」
「アルスもマーシアも来るわ」
「追撃があった場合どうします。国境まで百五十キロは有るんです」
「だからって見捨てるの?」
桜田は本気で腹を立てている。もう泣いてなどいない。
「じゃあ。じゃあ、もう一人、同じような人がでたらどうするの?」
「本人が望めば……」
カレルは控えめながらも、はっきりと言い切った。
「そんなのイヤ……」
再び泣きそうな桜田の頭に手を伸ばしたロークは、少しおどけた様に言った。
「いや、実はもう痛くて痛くて泣きそうなんですよ。そろそろ勘弁してもらえませんかね?」
カレルの魔法で脳内麻薬の分泌量を増やしているとはいえ、出血量の関係でそれにも限界がある。半分は本音でもあろう。
それから真顔になって言った。
「戦士として死なせて下さい」
この言葉に桜田は切れる。
「何が『戦士』よ! 馬鹿言ってんじゃないわよ! 戦士なら最後まで戦いなさい!」
叫びながら、今度はカレルの頬をひっぱたく。
「あんたもあんたよ! 医者のプライドはないの!」
二人とも呆然とする。
それから共に目を見合わせ、力無くではあるが、確かに笑った。
最初に声を出したのはカレルだった。
「すいません桜田さん。自分が間違ってました」
そう言うとロークを見る。
「最後まで足掻けよ。フェリシアって国もそうやって生きてきたんだ」
カレルの言葉に、ロークは青白くなった顔に強がりを見せて頷いた。
応急処置の再開が始まる。幌を閉じて、荷台内部の殺菌から始める。
それからロークの体を拭き、丸めた布をロークに噛み込ませる。
彼は、最早残ってもいないであろう体力を振り絞り、必死に耐えるしかないのだ。
全身麻酔の魔法もモルヒネも使えない。血圧が下がりすぎている。
部分麻酔のリドカインも同じである為、少量しか使えなかった。
痛みは感じるであろう。
内臓その物に神経はあまり通っていないとは云え、痛みがあることには変わらない。
そのはみ出した内臓を、滅菌した医療手袋をつけた掌で無理矢理に押し込む。
上の方へずらして肋骨の丸みで押さえつけさせる。
そうして皮下膜と皮膚を縫合する。
内臓は放置しておけば勝手に自分で元の位置に戻るのだが、このときが又、地獄の苦しみであろう。
その時まで生きていればの話であるが。
カレルは流石の手際である。てきぱきと事を進めていく。
桜田も彼の汗を拭き取る事ぐらいしかできなかったが、その場から逃げることはしなかった。
処置は二十分足らずで終わった。
最後の一針を縫い上げて、ロークの頬を軽く叩く。
「死んだか?」
「馬鹿、生きてるし、痛いよ。この藪医者が、」
そう言って互いに笑った。
だが、輸血が必要だ。
だがこの世界にはその概念がない。何より、移動に耐えられるのであろうか?
桜田は泣きながら二人に詫びてそれから礼を言った。
「あたし、偉そうなこと言える立場じゃなかったのに。
ただ、自分のせいで、また誰かが死ぬのがイヤだっただけなの……」
「何でも良いですよ。桜田さんの言葉がなかったら、自分は一生後悔していました」
カレルがそう言うと、ロークも返す。
「奇跡が起きるかも知れない。それに、こう云う戦いも悪くないです」
泣き続ける桜田が外に出た時、敵兵が押し寄せて来る音が伝わった。
彼女は荷台に戻り銃を取ると直ぐさま前列の盾に加わる。
「引かない。絶対に守る!」
そう誰とも無しに呟くと涙を拭った。
覚悟を決めたその時、
『おい、桜田! 桜田、聞こえるか!』
無線から巧の声がする。
「はい、曹長。どうしました!」
『マーシアがそっちに行った。
追い込まれてパニックになった敵が其方に行く恐れがある。人質になるんじゃ無いぞ!』
「はい!」
そう言って通話を終了させると、
「ロッソ、ビアンカ聞いた!?」
二人は頷くと味方は勿論のこと、攻め寄せてくるであろう敵にも向かってそれぞれが大声で叫ぶ。
「ザーストロン・ルシフェル、マーシア・グラディウスが援軍に来るぞ!!」
応!と、味方全ての戦列から歓喜の声が上がった!
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
十八時二十分、マーシアが飛び出して云ってから三十分後、三十式に無線が入る。
『敵兵の殲滅を完了した。逃げる敵もいるが、追うか?』
と、いつものマーシアであった。
「いいや不要だ。で、桜田達は?」
巧もいつもの調子に戻った。その問いには無線に割り込む声が答える。
『曹長、マーシアのお陰で皆、無事です。避難民に被害者無し。
……但しロークが……危険な状態です』
「判った。とにかく丘を抜けろ。アルスと合流するのが全てだ。
マイヤも一緒だというから少しは治癒・回復の効果も高まるだろう。」
それから巧は少し言い辛そうに、
「それと、大変な時だろうが出来るだけ薬莢の確認をしていってくれ」
と付け加える。
『はい』
無線は切れた。
「さて、こちらはどうするか? だな」
パノラマ・スコープ・ゴーグルで三百六十度を見渡すが、何処も彼処も敵だらけである。
「南に向かえば突破は別段難しくないが、ロークが心配だな」
ハインミュラーの言葉が彼らの動きを止める要因を全て表していた。
トラックではなく三十式ならロークを分乗させてトラック以上の高速度で飛ばすことも出来る。
その上、アルス達が乗ってくる軽装甲機動車よりもずっと振動は少なく、横たわる場所も取れるのだ。
ハインミュラーが言葉を続ける。
「今は未だ良い。矢も魔法もこの車には効かんからな。
だが、何らかの質量兵器が来た場合は判らんぞ。判断を急いでくれ指揮官」
その通りである。大きな岩を飛ばす様な、先だってのトレビッシュとまでは行かないが、カタパルトの様な兵器に追いつかれることがあったなら、この車など一溜まりもないのだ。
攻城兵器であるから、そう簡単に追いつくものではない。
しかし既に油断して『堀』という原始的な方法で一本とられて居るのだ。
巧は迷ったが“暫く銃撃を続けてくれ”と言うとヴェレーネに無線を繋ぐ。
現状を報告する。だが、そこで信じられない台詞が帰って来た。
『そう、ロークが……、残念ね』
「どういう意味だ!」
『別に意味なんか無いわ。南からあなた方は脱出なさい。
彼らは丘を越えた。其処に居る兵も、もう追いつけない。
作戦は完遂ですわ』
「ロークは見捨てる……、と」
『ロークは獣人よ。回復力は高いわ。
運が良ければ生きてシエネに戻り付けるでしょうね』
感情の籠もらない言葉だった。
「あんた、それでも人間か?」
『私にどうしろと言うの?』
巧の怒りは当然である。しかしヴェレーネの言葉も正当なものだ。
「彼を助ける方法は無いのか」
『……無いわ』
巧は伊達にヴェレーネの相手をしてきた訳ではない。
僅かな『間』の持つ意味が分かった。
「それは技術的な意味でか。それとも、それ以外の要因を含めて言っているのか?」
巧の言葉にヴェレーネは直接は答えなかった。
『国防軍では一人の兵士を救う為に作戦全体の見直しを図るの?』
「あるんだな。方法が、」
『……あるわ。でも使えない。だから無いのと同じね』
「どういう事だ?」
『じゃあ、訊くけど、この世界には輸血の概念はないわ。
いえ、無かった訳ではないけれど。技術として今はすぐに使えるものではないの。
あなたならどうするかしら?』
巧は一瞬言葉に詰まったが、最もロークが助かる可能性の高い方法を口にした。
「あちらの世界に送る。保存血液も増血剤も掃いて捨てるほど有る」
『そう言うと思ってたわ。だから駄目だと言ったのよ。兵器と医学は同じものよ。
一足飛びの発達は世界を狂わせるわ』
「医学の発達なんて、いつも一足飛びだったよ」
今度はヴェレーネが言葉に詰まる番であったが、何とか切り返す。
『人類種、いえリンジーやカレルぐらいなら何とかごまかせるかも知れないわね。
でも、ロークは“狼人”よ。どうやっても無理だわ』
「どういう意味だ?」
無線機の向こうから溜息が聞こえる。
『あなた巫山戯てるの。それとも知ってて、それでもやろうって言うの?』
「判ってるよ。『騒ぎになる』、そう言いたいんだろ」
巧とヴェレーネの会話の内容はこうである。
巧の世界に『獣人』であるロークが訪れ、手術を受ける。
騒ぎにならないはずがない。
そう言うことだ。
「で、ロークを送ってはくれないのか」
『何故、私にそれが可能だと思うの?』
「あんた、山の中に魔法陣を作成したんだ。出来ないはずがない」
『……』
「出来るんだな」
『出来るわ。でも、それとこれとは、別問題でしょ?』
「取り敢えず、こっちは包囲を抜ける。そっちもシナンガル領に、これる所までは来てくれ。
通信終了」
そう言うと、巧は一方的に通信を切った。
外は未だ明るい。条件次第では巧の考えは使えるだろう。
「ネロ、トレ、降りてきてくれ!」
魔術師コンビを呼ぶと、二人は天蓋ハッチを閉じて降りてくる。
「二人の中で土魔法が得意な奴はいるか?」
巧の問いにネロは、
「自分もトレも『土』は、あまり……」
仕方ない、確実性がないので余りやりたくなかったが、RGP-7を堀の手前にありったけたたき込んで、堀を出来るだけ埋めるか。
垂直面の深さが一メートル程度までになれば、車輪のサイズからしていけるだろう。
六十式は六輪の車輪サイズがそれぞれ直径九十センチあるのだ。
そう思った時、トレが、
「俺、『土』けっこういけると思いますよ」と返してきた。
「嘘吐け! 俺と同じで泥しか作れないくせに!」
途端にネロが怒鳴ったが、トレは負けない。
「おい、俺たち、二ヶ月前まで魔法士だったんだぞ。
先生に鍛えられて精神力が上がると同時に魔力も上がっただろ。
あれからお前の火力が上がった様に、俺の土の構成力も上がったの!」
因みに、此処で言う『先生』とは、ハインミュラーのことである。
ドイツ式の軍事訓練でしごかれることで彼らの集中力は上がり、同時に感応精神力、即ち魔力も上昇した。
結果、フェリシアには八十人、一個大隊を越える魔術師がいきなり生まれたのだ。
こんな方法があるとは思わなかったとばかりに、今では魔法士達が走り込みに精を出している。
何にせよ良い話である。
じゃあ、と言って巧はトレにコクピットから正面の堀を見せ、手で型を作ると、
「こんな感じの坂道をあの堀の手前に造れるか?」
と訊く。
「昇るんですか? そのまま頭から堀に突っ込んじゃいますよ」
そう言うトレに、違うと首を横に振る。
「……」
続けて耳元に何事かを囁くと、
「じゃあ、助走用に地面も固めます」とトレが笑う。
「坂はどれぐらい固くできる」
そう訊いた巧にトレはまたもニヤリと笑って、「岩ほどに」と答えた。
二人の案を聴いたリンジーの顔から一瞬だけ血の気が引いたが、結局は覚悟を決めたようだ。
「思いっきりやって良いんですね」
と念を押すだけである。
彼女も先程の巧の無線を聞いており、トラックに合流しなければロークの命に関わる事は判っていたのだ。
セミオートマチックを解除して、マニュアルシフトに切り替えると車両を思いっきりバックさせる。
「前は任せておけ」
ハインミュラーはそれだけ言った。
「照準合わせたいんで、天井に上がります」
トレに続いて巧も上がる。
「こっちは左の護衛だ。安心してやってくれ。ネロは無駄にシートから離れるなよ」
そういって屋根の上に二人立ってトレは印を結び、巧は小銃を構える。
巧としてはフロントウィンド越しでも構わないのだが、トレはやはり万全を期した。
三十式はリンジーにアクセルペダルを踏み込まれると、速度を押さえられていた鬱憤を晴らすが如くに加速を開始する。
車両が堀に近付くにつれ矢の応射は次第に激しさを増す。
対する巧達は矢をつがえる兵士を見つけては、一人ずつセミオートの三連射で撃ち殺していった。
戦闘の中、トレの魔法により進路上の土は次第に堅さを増していく。
今ではまるでアスファルトの上を走っているかの様だ。
そして、トレが最後の力を振り絞ると堀の前の土が盛り上がり、其処には『ジャンプ台』ができあがったのである。
其処に向かってリンジーは全くの迷い無しに、思いっきり突っ込んでいく。
次第に増す速度、今は時速九十キロも出ているだろうか。
最早、天蓋の二人は立って居られず、ハッチの入り口に必死にしがみついた。
次の瞬間、四百十五馬力エンジンは六メートル、十四トンの車体を浮かび上がらせる。
幅三メートルの堀を見事に飛び越えると、ドガッという程の着地の衝撃を対加重四十二トンのサスは苦もなく受け止め、直後にはその能力を誇るがごとくに車体を跳ね上げた。
車体の動きに殆ど同調したリンジーはギアをひとつ下に叩き込んでパワーバンドを捉え、瞬時にアクセルを踏み込んで再加速する。
マニュアルシフトに切り替えたトランスミッションを、クラッチを切ることなくエンジンの回転数だけで彼女の腕は切り替えたのだ。
ダブルクラッチと呼ばれる高等技術である。
パリ-ダカールラリー、カミオンクラスに出場すればスポンサーがどれほど付くであろう。
シナンガル兵は、その速度と着地の衝撃に完全な恐慌状態に陥った。
高々、人が走る程度の力しかないと思っていた荷車が、彼らから見れば『電光』とも言う速度で駆けだし、挙げ句は馬も跳べない幅の堀までも跳び越えたのだ。
腰を抜かして放心するものまで居る。
ルナールも、その放心者の一人であった。
街道に駆け上がり行く車両を見て、自分が此処まで馬でどれほど時間を掛けてやって来たのかを思い、追いかける気力さえ生まれようもなかったのだ。
すいません。 訳あって3~4日程休ませて頂きます。
事情は活動報告に書きましたので、気に掛かる方はそちらで確認をお願いします。
来週になったら忘れられてるかも知れないと思うと怖いです。




