39:袋の鼠と竜のゲーム(Dパート)
今回は、敵方ルナール君が忙しいそうです。
そんな感じで話は進みます。
ルナールは焦り始めていた。
一昨日、現れなかったのは分かる。
相手が作戦を練るなり到着時間が遅れるなりしていた可能性はあるからだ。
そして、昨日の昼間に来なかったのも当然である。
夜間の突破を狙うのが、これまた当然だからである。
こちらは大兵力ではあるが、その分、同士討ちを恐れなくてはならない。
包囲陣の中にあっても、誰もが必ずかがり火の届く範囲にいるとは限らないからだ。
松明を持つ兵は的になりやすい為、多くは置けない。
詰まり、警戒線に暗闇は必ず存在する。
となれば、多少の危険は犯してでも夜間突破を計るのが筋ではないか。
包囲網の外にも、騎兵、歩兵の斥候を充分に出してある。
後は正面を見据えるだけである。
そう思って……
結局、二度目の夜が明けた。
「馬鹿な! 北は崖と沼地。南は街道だぞ。此処以外に何処を通るんだ?!」
その時である。
別方向から、二人の斥候が同時に飛び込んできた。
階級の高い騎兵が最初に報告を始める。
「マーシア・グラディウスが現れました。本隊からの連絡です。
街道から南の田園地帯の農道で堂々と、」
そこで騎兵斥候の声が止まる。
「堂々と、どうした?」
ルナールは先を促すが、斥候は言い辛そうである。
「お前が信じるか信じないかはどうでも良い。判断するのは私だ」
その言葉に、ほっとした様に騎兵斥候は続きを報告した。
「私も耳を疑ったのですが、街道から南五百メートル程の地点で堂々と火をたいて朝食をとっているそうです」
「はぁ?」
流石のルナールもこれには呆れる。が、続いての報告には更に驚かされた。
「近くまで行った。斥候が捕まりました。が、」
「が、どうした?」
「……朝飯を振る舞われて帰されたそうです。
野営のものとは思えぬ上等の食事であったと聴いております」
「はぁ?」
またしても、呆けた返事を返す。
斥候の報告は続く、
「それでですな。土産を持って行けと言われて、将軍方の人数分、同じものを持たされたそうなのですが。これがそうです」
そう言って斥候が手渡したのはラップを剥がされた『カップ麺』であった。
ルナールはあまりいい顔をしない。
「で、他の将軍方はこれを口になされたのか?」
敬語であるのは彼が末席である為であり、不機嫌なのは当然『毒殺』の危険性を警戒したからである。
「はっ」
斥候は短く答え、ルナールは呆れた様に首を横に振った。
「皆々、生きておられるか」
「毒味をさせた上で召し上がったそうなのですが、伝令が伝える所に寄ると皆様お変わりないそうで。
それどころか……」
再び言いよどんだ。
「何だ?」
「いえ、これほどの美味、味わったことも無いそうで、その物なり秘密なりを手に入れると張り切っておられます。
売り物になると見込んだのかと思われます」
なるほど、将軍職や領地の他に、商売の『ネタ』を手に入れたという訳か、とルナールは納得した。
これは巧の案である。
彼は、自分たちに出来るだけ大軍を引きつける為に文字通りの『餌』を撒き、ルーファンの指揮官らは見事につり上がった。
但し、本命はこの平原にいるルナールその人であった。
巧はルースから『ルーファンショイ』に送られた大隊長クラスの指揮官について彼が知るだけの情報を手に入れたのだが、その中で問題となりうる人物は二名。
まず一人はポワロという大隊長である。
老練、老獪という言葉が見事に似合う人物だという。
そして、もう一人。今のところは評価が難しいが、ルナール。
若く血気盛んなことは他の若手大隊長と変わらないが、年齢以上に慎重で欲が深く無く、『名誉』を重んじつつも『思考の柔軟性』には眼を見張る物があったという。
ルースも一度は手元に置こうとしたのであるが、政敵の息子である為、断念した経緯があるという。
ポワロなり彼なりが北の街道に居るなら突破は難しい。
それがルースの結論であった。
スプライトの斥候によって司令官の容貌がルナールと一致した為、巧は自分たちに向かってくる指揮官達が欲に溺れて失敗するであろうというイメージをルナールに植え付け、救援に向かわせたかったのだ。
確実性はなかったが、これから本隊を小技で翻弄し、その連絡が行く様であれば彼の思考がその方向に傾く可能性は有るであろう。
実際、ルナールはその通りの心配をし始めていた。
じっくり包囲を狭めてから攻めるのではなく、各大隊長が『その食品の権利』を手に入れる為、連携が取れなくなった場合どうするか?
ルーファンの将軍職に関しては大隊長主席のポワロが引き継ぐことが決まっており、報奨金の分け前も規定通りで間違いはない。
しかし、このような新しい『獲物』については話し合いがなされては居ないのだ。
将軍や大隊長達が利益の見込みの為に敵を目の前に会議を開く訳にも行かないが、そうなると一部隊が抜け駆けをもくろむ可能性もある。
互いが疑心暗鬼に陥るであろう。
そうなれば包囲網どころではない。
ルナールは、仕掛けられた『餌』にどれほどの価値があるのか知りたくなり調理を命じた。その間に次の斥候の報告を聴く。
こちらも重大な問題であった。
「此処より西に三キロ程行った森の手前に跳躍魔法陣がありました。
攻撃専門の者ではありますが魔術師に確認させた処、かなりの術者が構築したもののようです。その……」
この男まで、言いよどんでしまった。
「言え!」
表情にも不快感を隠さず、ルナール促す。
「大型の馬車程度なら馬ごと『跳ばせる』のでは、と……」
ルナールは目眩がした。
フェリシアの魔法能力はシナンガルとは比べものにならない。
三~~四人も居れば、二十キロぐらいは荷車一台、飛ばしてしまえるだろう。
流石に彼も『一人で』とは考えられない。あり得ない能力だ。
魔法陣を残す様にアルスに頼んだのは巧である。
全員が逃げてしまった、と思わせられる事に成功すれば警戒線は解かれるだろうと云う思惑からであった。
そうでないにせよ、少なくとも迷わせることは出来る。
そして当然、ルナールも『この陣は既に飛び越えられた可能性が高い』と考えた。
しかし、僅かに考えを修正する。
もしかすると、もしかするとであるが、二台の内、一台までしか飛ばせていないかも知れない。
或いは『跳ばせた』魔術師達が魔力の回復までは、と森に潜んで回復を待っているとも。
しかし、賭である。
悩んでいた処、先程の食品が届いた。
「熱いので、お気をつけ下さい」
と注意されたが、金属製のフォークに熱がかなり伝わっていただけだ。
巧達基準では『ぬるくて伸びてるだろ!』と文字通りの噴飯ものの味ではあるが、彼にとってはこの世の物とも思えぬ美味であった。
これは軍の行動が阻害されるには充分すぎるものだ。
自分もそうであるが、何故、各大隊長はこれに手を出したのだ!
いや、将軍が止めるべきであっただろう。
敵からの贈り物など、大抵は罠なのだ。
彼は先日の脳天気な会議を思い出し、その中で自分も付和雷同していたことを恥じた。
ふと、その『会議』という言葉で思い出す。
「おい! そう云えば『竜』はどうなった?
田園でのんびり飯など食っていられる訳が無かろうに、竜が飛び回っているのだぞ!」
ルナールがそう云うと“未だ竜は来ておりません”と言う答えが返って来る。
なるほど、竜が来るのが遅れていると言うことは、戦端は未だ開かれていないということだ。
急げば各隊長を説得して、連携を崩さない様に提案が出来る。
此処から戦場まで行軍速度を上げれば約四時間の距離だ。
直ぐにでも行動しなくてはなるまい!
ルナールは将軍麾下の千名は残って、念のため森を捜索する様に命じると急ぎ陣を引く準備に入る。
「ああ、『あれ』は置いていけ。運ぶのに時間が掛かるだろうし、何より魔法荷車がまだ居た時には効果があるだろうからな」
ルナールの最後の命令が出た時、何処か遠くで『ターン』という何かを強く叩く様な木霊を交えた耳慣れぬ音を聴いた兵士が居た。
しかし、その兵士は撤退の準備に気を取られ、すぐにそのことを忘れてしまったのである。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
街道から僅かに南に外れた先陣とその後方の街道や広場に集まった六万の軍は、僅かに長弓の射程から外れて止まっている『魔法荷車』を見据えて、どう動くか迷っていた。
予定ではもう『竜』が来る時間はとっくに過ぎているのだ。
昼も近い。
魔法荷車と睨み合ってから既に三時間にはなろう。
朝方、此処まで進軍してきた所、前方から現れるであろうと思っていた魔法荷車が南方五百メートル程先に居るのが見えたのだ。
この街道から南は緩やかな傾斜地で、水路が縦横に流れる草原に森が点在している。
軍の先頭に居るピナーが、全軍を止めて五分も経たぬうちに左手、即ち南の方から聞いた事もない音がする。
ゴウゴウと風が震える様な、或いはある程度の数を揃えた軍が進軍する時の足音の様な音である。
全員が其の方向を見ると、何やら黒い箱の様なものが動いている。
かなり大きな物だ。
馬車にしても、あのような大きな物など誰も見たことはない。
何より馬の姿など何処にもない。
もしや報告にあった『魔法荷車』か、とピナーの中に緊張が走る。
その後部の扉が開き何人かの人物が現れると、火をおこして朝餉の準備を始めたようだ。
五百メートルの遠方とは言え、何も遮蔽物はない上に煙は良く見える。
眼の良いもの達が騒ぎ始めた。
ピナーが何事かと尋ねると、銀髪で黒い服を着込み背中に斧槍を担いだ女が居ると言う。
更には兵の中に先のライン侵攻作戦に参加した際に怪我で後方に下がり難を逃れた者もおり、
『あれは間違いなくマーシア・グラディウスだ』
とまで言っているというのだ。
まさか、とは思ったが“念のために”と斥候を放った。
相手からもこの大軍は見えているだろうに、武器を構える様子もなく。
食事を続けている。
そのうち、潜んでいた斥候が見つかった。
食事中の集団の一人から手招きして呼ばれる。
結局、相手に近づいた斥候は床几(折りたたみ椅子)を出されると卓を共に飯を食い始めた。
「何をしているのだ! 呼び戻せ!」
ピナーは作戦が上手く進んでいないこともあり、怒りにまかせて命令する。
マーシア・グラディウスが敵兵を自分の卓に呼んで食事を振る舞うなどあるはずがないではないか。
そう思い、再び街道の正面を見据えて居たのだが、件の斥候が戻って来くると小振りの羊皮紙で出来たジョッキのような物を八つ差し出した。
木樽ジョッキと違うのは上まで紙で塞がれている事である。
『これは何か』と尋ねると、斥候は興奮しながら答える。
あそこにいたのは間違いなくマーシア・グラディウスであった事。
食事に誘われ、殺されるぐらいならと覚悟して食べたものがこれである。
沸騰した湯に浸けて三分待てば食べられるのだが、この世の物とは思えぬ味であった。
将軍以下、隊長殿達への贈り物だと言って渡された。
また、
「自分たちは自国民が奴隷になっているというので迎えに来たに過ぎない。
このままおとなしく帰る予定であるので、道を譲って欲しい。
取り囲む様ならば、その者だけには攻撃させて貰う」と言っている。
斥候はそう言った上で、渡された『それ』を将軍以下一人でも不要という物が居れば私が頂いて良いと一筆頂いた。
とマーシア・グラディウスの署名のある文書を見せた。
恐ろしいほどに質の良い羊皮紙である。
指の影が透けて見えるのに頑丈なのだ。
斥候の顔は上気している。
誰でも良いから『要らぬ』と言ってくれ、と顔に在り在りと出ているのだ。
巫山戯たことを言って命が惜しくないのか?
と訊くと、
それをもう一度食べて死ねるならこの世には何の未練もない、とまで言い切った。
そう言われては気に掛かるのが人情というものである。
斥候が一時間経っても問題なく生きていることを確かめると覚悟を決めた。
斥候が“マーシアに教えられた”と言う通りに湯を沸かせて『それ』を調理させた。
『木製のフォーク』が食べるのに望ましいという親切な注意まで書き添えた紙が付いている。
食してみて驚く。
慌てて先の斥候を呼んだ
「これはマーシア・グラディウスが作り上げたものなのか?」
「いえ、其処までは聞き及んではおりませんが、不思議な服を着た一人の若い男が『いくらでも有るから遠慮をするな。何かの縁だから家を教えろ。平和になった時、自分が生きていたら届けに行ってやる』と申しておりました」
『いくらでも有る』この言葉に隊長達は鋭く反応する。
この斥候は気付いていないが、これは凄い金を生むものなのだ。
斥候は軍団長の直属である。
となれば、連携して『その男』を捉えた場合、この権利まで持って行かれかねない。
此処で、その取り分について話し合うようなことは出来ない。
兵士の眼がある上にマーシアからは眼が離せない。
何より目の前にいる軍団長その人が、『その男』は既に自分のもの、と決めてかかった眼をしている。
各人は様々な思いを抱えながら軍を僅かに進めた。
魔法荷車もそれに併せて同じ距離を下がる。
相手も長弓を持って居るであろう。
それよりも何よりマーシアの火炎が恐ろしい。
射程ギリギリまで進んで追撃が可能な状態を作っておくべきである。
そう考えたのだ。
勝手に兵を前進させるな、と軍団長は言ったもののマーシア・グラディウスを討つ事は確定事項である。
南には兵が渡れる程度に浅いとは云え、水路が縦横にあり、魔法荷車といえども簡単には越えられまい、と各大隊長から雑兵までそう考える。
更に二十キロも進めば湖があり、追い詰めたも同然であるのだ。
しかしピナーとしては各大隊の抜け駆けは許せない。
「取り敢えず、竜を待つ」
そう言って前進を止めさせたのであるが、最も連携を欠いた思考に陥っているのがピナーその人であることに自らは気付いていなかった。
その間に各大隊長も抜け目なく、兵に対して『妙な格好の若い男』は必ず生け捕りにせよ、と命令を伝達していったのは言うまでもない。
いや、それどころか一人の大隊長は捉えた者に懸賞を出すとまで言ってしまった。
混乱の原因になるとも気付かずに。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
十一時二十五分。三十式にヴェレーネから連絡が入る。
アルス達の乗ったトラック第一陣は、無事に切り通しの防衛線に辿り着き保護された。
昨日、夕方のことだそうだ。
時計があるなら十七時過ぎと分かったであろう。
昨日のこの頃、三十式は森の奥深くに居り、電波状況が悪かった様だ。
生存信号は届いていたので心配はしていなかったが、連絡できずにやきもきしたとの苦情がヴェレーネからの第一声であった。
アルバは夜通し走って、二日半の距離をほぼ一日半にまで縮めたのである。
切り通しで燃料補給を受けシエネに入ったのがその深夜。
アルスとアルバは軽装甲機動車に乗り換え今朝早く出発したという。
時計を渡されているアルバは本日の夜、こちらの時間で二十時頃には出発点の丘から十キロ地点に着くことを目標に走ると宣言して出発した。
車内は歓声に湧く、すぐさま第二陣に吉報を届けようとした処、向こうから連絡が入った。
巧達が平野部に出たので、通信可能になったのだ。
が、内容は良い情報と悪い情報がそれぞれ一つずつであった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
朝方、桜田は、数人の猟師だったという男達を連れて、四十式小銃の訓練に向かった。
音が響かない場所を探して崖を下り一キロは歩いていく。
過去に教えておかなかったのは、やはりヴェレーネから、
『薬莢のみならず過分な武器の知識はカグラに欲しく無い』
という言葉がブレーキになっていた為である。
が、そうは言ってもいられないのだ。
カレルは許可を出し、十人の男達の同行を認めた。
但し、音の問題があるので実弾を撃つのは一発か二発に留めて欲しいと、注意しするのを忘れない。
その間に残った男達には『手榴弾』の使用法を教えておく。
其処に三人出した斥候のうちの一人が戻ってきた。
斥候役を買って出てくれたのは同じく奴隷にされていた山岳民達である。
桜田が率いて行った男達の様に彼らは元々狩りの民であり、山に潜むのはお手の物なのである。
三十二名の男達と四人の救出隊員は運命共同体である。
誰一人、仕事を嫌がる物など居ない。
いや、故郷に帰るに当たり自分が何もしなかった等と思う事など、フェリシア人の中でも特に誇りを重視する彼ら山の民には耐えられなかったのだ。
奴隷農園で死んだ人々も、皆、労働の過酷さだけで死んだ訳ではない。
脱出を試み、或いは誰か他人の子供の失敗の咎を被って死んで行った人々ばかりであった。
生き残った彼らは、故郷に帰り着けなくても彼らに恥じる行動は出来ないと思っている。
妻や子供達の脱出が成功した今となってはその思いは特に強いのだ。
「桜田さん、大急ぎで戻って下さい。二時間以内には事が大きく動きます」
今、敵陣では昼食が始まったそうだ。
終わるのに二時間は掛かる。交代制だからだ。
そして、その昼食を無視して本隊一万が山を下り始めたという。
つまり残る兵数は一千。
巧の作戦に引っかかり、奴らの中で何かが動き出している。
カレルはそう感じた。
ロークを呼ぶと、剣と弓を使える者から十人を選出した抜刀隊を森の入り口に伏せさせる。
携帯食を食べながら伏せることになるが、味がよいので男達が殺伐としていないことにロークはほっとする。
ハインミュラー老人に言われた精神の有り様を彼なりに消化して、臨時とは云え配下になった彼らにも必要以上の緊張感を持って欲しく無かったのだ。
昨晩、桜田に掛けた『気を張りすぎるな』という言葉もそうである。
尤も、彼はその手の言葉を発する時、実は自分自身に言い聞かせているのだ。
コペルにやり込められたこともかなり『効いている』ためである。
ロークはこの二日、万が一を考えた見張りに集中して、鍛錬の為の木剣すら振らない。
しかし、そのような活動の中で、彼は今までの剣士としての人生においての大きな転換点を迎えていた。
二人目の斥候が戻ってきた。
先に食事を終えた敵兵が、切り通しへの直線地点にかなり大型の逆茂木を設置した事を伝えてきたのだ。
(逆茂木=騎馬兵の突進を防ぐ為、先を尖らせた丸太を斜めに据えた防衛装置)
トラックが残っていることを前提に行動していることが分かる。
ロークは話を聞くと、その二人目をカレルの下へと走らせる。
その際”手順通りに頼む”とも伝えさせた。
まあ、無線があるのだから別段自分で言っても良いのだが、彼らに「自分の仕事が役に立っている」と思わせることが大事なのだ。
仕事への集中は敵地における緊張の緩和にも役立つ。
三人目が戻ったならローク達自身も下がらなくてはいけない。
森の入り口からトラックのある待機地点まで九百メートルと少し。
最も木が密集している地点が此処から三百~~五百メートル先、其処を抜けると広場である。
三人目が戻って来ると”敵が来た”と伝えて奥に下がった。
ローク達は両脇の茂みに散る。
と言っても北側は崖なので注意しないと真っ逆さまである。
敵の斥候が来た。六名。
山の民達全員が弓をつがえて待っていた。様々な方向から狙いを付ける。
五人までなら、誰がどの位置を狙うか決めてあったのだが、最後尾はロークが直接やるしかない。
ロークの口笛で一斉に矢が撃ち出され、死体が五つできあがる。
最後の一人が背を向けて逃げようとした瞬間、ロークは木の上から飛び降りた。心臓を一突きである。
射貫かれた死体は全て崖下に捨てる。
ロークは死体からから剣を抜かなかった。
血が飛び散るのを嫌ったのだ。
崖下に投げ捨てる時に剣を握ったまま死体を引きずると、落ちていく死体から抜けた剣は彼の手元に残った。
敵は斥候が戻らなければ怪しむであろう。
しかし、奥まで進ませてもやることは変わらないのだ。
血の跡を消して全員が三百メートル下がった。
いよいよ敵が来る。
アルスが到着する夜半まで彼らは耐え抜かなくてはならない。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「拙いな。あちらの敵は千に減ったが、森に入ることを選んだ様だ」
巧の一言で、三十式の内部に緊張が走る。
「こっちはにらみ合いで済んでるんですけど、だからこそ下手をすればさっきの一万が山に戻りかねませんね」
リンジーが言う“さっきの一万”とは、ルナールの軍である。
それを聞いてマーシアが言う。
「少し南に進めれば奴らも付いてくるだろう。無線はあと少しは大丈夫なのだろ?」
無線の距離には余裕がある等というなどというものではない。
双方が森に入らなければあと五十キロは確実に届く。
イヤホン型小型無線とは云え三十式が中継して電波を飛ばしてくれるのだ。
「良い案だと思うが、何が引き金になって戦闘が開始されるかは分からん。
覚悟は良いのかね?」
ハインミュラーの言葉に、マーシアは事も無げに答える。
「それは、此処に留まっていても同じだ」
「なるほど」
老人はニヤリと笑い、巧を見た。
「そうですね、」
と巧が言葉を継ごうとした時、後部照準口から外を見ていた魔術師ネロが、
「あちゃ~~、仕掛けが切れましたよ。どっちにせよ。戦闘開始です」
そう言ったのだ。
「どういう事だ?」
巧が尋ねると、一度ペリスコープを覗いたリンジーが振り返る。
「あのドラゴンライダーさん達、保護されたみたいです」
魔術師コンビのトレは、
「まあ、あのまま餓死されるのも寝覚めが悪かったですから、良いんじゃないんですかねぇ」
などと言って四十式自動小銃を点検し、使い慣れたRPG-7を何時でも発射できる様に、天蓋を見ながら、そこから半身が出せる戦闘椅子の側に固定して置いた。
このシートもエレベータ式で二メートル上の天蓋に届く。
手慣れた物であり、国防軍の兵士でも此処まで肝の据わった行動はなかなか取れないであろう。
ネロの言う『仕掛け』というのは一昨日の夜、ドラゴンを全て始末したのはよいがライダーに逃げられても困る。
と悩んでいた処、相方のトレが発案したのである。
そこで、指向性のスピーカーを使ってネロが、
「これは森の悪霊の呪いである。三日間、そこから動かずにおとなしくしていれば呪いは解ける」
と脅したのだ。
その声は周りに響き渡るのではなく、彼らにすれば『自分の脳内に直接』聞こえた様に感じたであろう。
公には宗教が禁止されているシナンガルでどれほど効果があるか分からなかったが、此処まで持ったのだから上出来と言える。
コクピットの三人はそんなのんびり屋の魔術師二人を見て笑ったが、マーシアだけは不思議そうな顔である。
「取り敢えず、動こう。リンジー微速前進。お客さんは出来るだけ多く引きつけられる様にな」
巧の声は悪戯を仕掛ける子供の様にも聞こえた。
午後から、病院です。行ってきます。




