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星を追う者たち  作者: 矢口
第三章 敵地へ
33/222

32:重力が衰える星

初めて、活動報告にコメントを貰って浮かれまくっております。

嬉しかったです。 本当にありがとうございます。

そう云う訳で、頑張って(楽しんで)書きました。 お調子者ですね。


今回もおつきあい下さる皆様に感謝します。

 出発して三日目の夜の食事は、鹿肉と野菜のシチュー。 

 それに炊飯器で焼き上げたパンである。

 アルバがハーブを摘んできてくれた上に、たっぷりと香辛料とミルクを使ったので味は濃厚だ。 


 トラックの荷台での警戒組は、交代でエアコンの効いた助手席に座れるとは云え、昼間は汗を掻いているので塩を多めに振る様に声を掛けた。


 氷を扱う力の強いアルスとアルバも汗とは無縁の様だが、代謝機能が狂うので全く汗を掻かない訳にも行かない。


 ついで、巧はレーションからチョコレートケーキを出して十三名全員に振る舞う。

 ほぼ予定を越えて直線二百キロの走行距離を稼ぐことが出来た祝いも兼ねた。

 今のところ平野には人影もなく、当然ながら交戦もない。


 ハインミュラー老人の為には、良いコーヒーを仕入れておいたのだが中々飲んで貰う機会がなくインスタントだけだったのを残念に思っていたので、その機会が訪れたのも巧には嬉しかった。


 ドイツ人らしくバターコーヒーを楽しんでくれている。

「ケーゼクーヘン(チーズケーキ)と一緒だと、更に美味いんだ。今度ごちそうしよう」

 などと軽口まで出ている。


 アルスやリンジー、アルバも久々に、きちんと煎れた紅茶を楽しむ余裕もできた。


 巧はパンを焼き上げた後で、米を炊かせて貰う。

 国防軍は旧隊以来の伝統で食事には五月蠅(うるさ)い。


 巧達の国は先の大戦で敵潜水艦隊に補給線を完璧に潰され地獄を見た過去がある為、海軍航空隊が対潜哨戒に特化している。

 また、陸軍は国内における軍の補給や国民のライフラインをどの様に守るかを絶対目的としている点も特筆すべき事であろう。

 海外へのPKOにおいても、その点は重視されているため、災害や戦後復興には引っ張りだこである。


 そのお陰であるかは知らぬが、小さな食品に至るまで味はよい。

 世界各国の軍隊と共同演習する際にも、こちらにわざわざ飯をたかりに来る連中も居る程だ。

 それも、武装は何倍も強力な軍ですらだから笑える。


 出発から三日目、平原のど真ん中におあつらえ向けに隠れて下さいと言わんばかりの雑木林を見つけた時の巧達の喜びは半端なものではなかった。


 警戒の為、半分の食事はレーションと乾パンだけで過ごしてきたのだ。

 中央に近付くにつれて、進行速度が遅くなってくるのは、目に見えているので、野営でのんびり料理というのも丸一日ぶりだ。

 

 巧が考えるに皆、よく頑張っていると思う。

 川沿いに進むが森の中を優先させる為、常に川の水が使えるとも限らない距離で野営せざるを得ない。


 巧は色々と考えなくてはならないことが多い。

 外的要因を除いては、補給に失敗した指揮官はそれだけで失格であると彼は認識している。


 特に水には気を遣っている。 

 アルスやアルバの魔法でも水は出せるが、一日三回十四名分も調達していて緊急時に魔力切れは困る。

『それはあり得ない』とはリンジーまでもが言っているが、巧には未だ判断が付かないので、こつこつ貯める程度にしてくれ、と指示する。


 飲み水だけではなく、体を清める為にも水は必要になる。

 どうせなら、そのようなことを優先に魔力は使って欲しい、と巧は判断した。

 怪我や病気が一番怖い。

 飲み水はph(ペーハー)テストと生存菌テストに合格した川から水を汲めた時には『煮沸』してトラックや三十式の簡易冷蔵庫に貯蔵する工夫もした。 

 有り難いことに電力の方は余裕がある。

 シチューに使ったミルクも、お陰できちんと保存できていた。 

 あと数日分は余裕があるが、それが切れたら其処までなのは残念である。


 また、帰りは四十人の救出者を食べさせなければいけない。

 自分たちのことだけを考えて積み荷を選んだ訳ではないので、肉や野菜を無軌道に消費はできない。 

 被害者達の為の保存食と、できればということでパッキングの野菜類も多目に積み込んだ。


 ただ、肉は後述するが意外と簡単に手に入ることが判ったのは、巧にとっては嬉しい誤算であった。


 ハインミュラー老人は、

「レニングラード(現サンクトペテルブルグ)撤退よりはずっと楽な行軍だよ」

と笑い飛ばしてくれる。

 老体には堪えるであろうに、それを感じさせない。

 この人のお陰で救出隊全体がかなり精神的にも行軍的にも楽をさせて貰っている。


 気を遣うことは多いが、現在、行軍状況は良好である。



    ◇   ◇   ◇   ◇   ◇   ◇



 出発前に集まった面々を見て、巧は笑いそうになった。

 自分と桜田は国防陸軍の第二種迷彩戦闘服、それからドイツ国防軍戦車兵装備のハインミュラー老人は兎も角、他の面々はマーシアとロークの軽装鎧、カレルを始めとする魔術師の五人が灰色のローブだ。

 

 そこまでは良いとして、リンジーとアルバの格好は何というか、いかにもエルフという格好である。

 別段露出が多過ぎる訳ではないが、花びらを重ねた様な金色と緑色の混じり合ったスカート裾がヒラヒラとして目のやり場に困るのは間違いない。

 戦闘時に危険でもあると着替える様に頼んだのだが、服の繊維に魔法石を組み込んであり補助魔法具としての役目を果たしていると言うことなので、これではどうしようもない。

 ブーツを履いてくれているのはありがたいではあるし、二人とも今、ローブを作らせていると言うので今回はやむを得ないという事にした。

 最終的には国防軍野営服のポンチョを着けて貰うしかないであろう。


 アルスなど、ウエストは絞られ袖口は開いた目の醒める様な碧いドレスであり、

『何処の貴族様だよ!』

 という格好である。

 前回の国境防衛戦もこの格好で参加したというのだから、最早、言うこともないと放置した。

 スプライトに至っては論外。服の概念すらない。



 しかし、巧はマーシアという娘を見た時、本当に驚いた。

 先に会いに行っていた桜田から話を聞いた時は、

「阿呆!」の一言で済ませたのだが、確かによく似ている。


 但し、よく見ると違う

 というか、当たり前であるマリアンは男の子なのだ。

 年も違う。

 身長も、だ。


 巧としてはマリアンを思い出して泣きたくなる気持ちにもなったが、それは充分に押さえ込める余裕があり、

「宜しく頼む」

「うむ」

 というそれだけの会話であった。


 冷静を保てたことについては桜田に心の中で感謝した。


 しかし、その時巧が気になっていたことがもう一つある

「あのハルバード、いや彼女はドイツ風にハルベルトと呼んでいたか。

 斧の部分は通常より巨大であり、柄を含めたピックまでの長さは一般的な二メートル以上のものよりは短いが、それでも全長一七〇センチはあったと見る。

 対して彼女の身長は一五五センチ前後、本当に振れる物なのだろうか?」

 そう考えていたのだ。


 しかし早くも二日目に、食料を調達してくると言って、目の前で草を咬んでいる鹿を、まるで花でも摘むかの様に軽々と一撃で仕留めたのを見た時、

「自分の常識で語って良い世界ではない」と気付かされた。


 同日、ラインを北上して川を渡る際に四十メートル程の川幅を車が通れる程にアルスが凍らせたのにも、度肝を抜かれた。

(因みにこの地点をシナンガルが渡河地点に選ばなかったのは、シエネまでの道幅が四メートル程しかない地点が多かった為である。 

 対岸側との高低差も大きいため弓も届かない防衛線がある)


 ヴェレーネの火炎を見て魔法は知っていたつもりであったのだが、と落ち込んだ巧であったが、興奮して騒ぎまくる桜田を見た時、自分に足りないのは『あれ』の様な遊び心かもしれないと思うようになったものである。

 根が真面目過ぎて物事を深く考えすぎる悪癖はどうにも直らない、とも思う。



 救出隊の構成は、まず三十式偵察警戒車両に巧、アルス、リンジーそして後部兵員輸送席に魔術師が二名。

 今回は魔術師四名が追加されたが、彼らはRPG-7の操作が可能だと言うことで小銃の扱いにもすぐになれてしまった。

 新兵にありがちな無駄撃ちがなければ良いのだが、と思い少しだけ確認を入れておいた。


 トラック一号車はハインミュラー老人がメインドライバー、副運転手(コ・ドライバー)をカレル医師に頼んだ。

 積み荷は燃料である。こちらには水と氷の魔法が使えるアルバが乗り込む。

又、小銃は持たないがこちらも魔術師が二名。


トラック二号車はドライバーが桜田。 ()が狼人のロークとなる。

 護衛はマーシアである。 そして何故かピクシーのスプライトが付いてきたが、彼(彼女?)は偵察に丁度良いだろうと言うことで、参加を認めた。


 オレグ大隊長にも参加して欲しかったが、一万の軍を預かる事の出来る人間を国境からは動かせない。

 結局この十四名で活動することになる。

 巧は知らないが、マーシアの中のマリアンも含めると十五名ではある。


 電離層反射の可能な無線を偵察車両は積んでいるので、ヴェレーネはシエネに居ながら、作戦の状況を知ることが出来る。

 場合によっては彼女の判断で、『中止』の決定が成される訳だ。


 巧としては、そうならないことを祈るばかりであった。



     ◇   ◇   ◇   ◇   ◇   ◇



 最初に異変に気がついたのは、準備の為にシエネで荷物を運んでいた時である。

 セントレアでは積み替え作業がなかった為、全く気がつかなかったのだが物が全て

 やたらと『軽い』のだ。


 軽油が満載されたドラム缶を運ぶ時、傾けながら転がす様にして運ぶのだが、やけに軽く感じる。

 中身が三分の一程なら一人で持ち上げられそうな程だ。


 握力も上がっている気がする。

 握力計がある訳ではないのだが、そう感じるのだ。


 桜田に尋ねると、自分もそう思う、と言う返事が返ってきた。


「最初に気付いたのは銃の分解整備のときなんですよね。

 私、非力ですから銃そのものを固定していることが難しくて、いつもおろおろしていたんですけど、ここに来ると『力』が入る物ですから分解の時にも慌てませんし、射撃の時にもしっかりホールドできるんです。 ほら、」


 そう言って桜田は小銃を巧に渡す。

 装填はされていないが構えてみる。

 驚く程に軽い。

 なるほど、これならホールドも可能なはずだ。

 射撃精度が上がっていたのはその為だったのか、と納得する。


「反動は?」

 と言う質問にも、殆ど感じなかった、と答えが返ってきた。

 ハインミュラー老人に尋ねると、やはり同じ答えだ。

 二十年若返った気分だよ、と笑っている。


 この世界はどうやら少しばかり重力が弱いのでは、と思いヴェレーネに訊ねると、

「今頃気付いたんですの?」

 と馬鹿にする様な口調で返されてむかっと来た。


 この女、近頃とみに性格が悪い。

 人に協力を求める様になってから、性格の悪さが悪化するとは何事だ!

 と、思ったがそこは押さえて訊くと、


「重力は地球に比べて〇,八倍と言うところですね。

 あなた方は、あちらの一,五六倍の力を出すことが出来ます」

 と丁寧な答えが返ってきた。

 こう云うところは、きちんとしているのだから困る。

 挙げ句に、

「但し、月に一度はあちらに戻って最低でも一週間は過ごさないと、あちらの世界で生きる時には『リハビリ』が必要になりますよ」

 と懇切な注意まで入れてくれた。


 ハインミュラー老人も、本来なら一度戻したい時期だったのだそうだ。

 但し、彼女と一緒に一九九二年に戻ることは最早不可能だとも言った。

 巧はその件にも興味があったが、


「作業を急ぎましょう」

 と言う一言で、取り敢えずの疑問は解けたことで仕事に戻ったのだ。


 作業を再開している時、ある物が目に止まった。


「あ、これこれ!」

 二八歳にもなろうかという男でも『中二病』は完治しない。

 まあこの男の場合、大学生になってドイツで発症したので『大二病』とでもいうべき代物だろうが、それこそ根治不可能なレベルに達していた。


 それを見ながら、

「う~ん、やっぱり良いねぇ」

 などと溜息を吐いていると、ハインミュラー老人と桜田までやってきて、二人とも『それ』には興味があったらしく再び仕事が滞ってしまった。


 何故か二兵研の倉庫に幾つかあったのである。

 因みにハインミュラー老人にもお土産を持ってきてあった。

 これには大層喜んでくれた。


 悩んだけど持ってきて良かった、と思ったものだ。



     ◇   ◇   ◇   ◇   ◇   ◇


 さて、今夜は月夜である。

 巧は『それ』を月光にかざしては、光が反射する様を見て、

「う~ん、やっぱり()えるねぇ」

 などと悦に入っている。


 不寝番(ねずばん)は三名ずつの三交代で行っている。

 日が沈んだばかりで、今は巧、ローク、リンジーの三名である。

 他の者も、車内やトラックの荷台の簡易ベッドでくつろぎながらも未だ起きてはいるので、どちらかというと『歩哨』と言うべきか。


 敵の中心地に益々近付いて行く以上、今後は更に警戒が必要になる。

 今は雑木林の中央を刈り開いて広場にしている。

 火をたいてもライトをある程度付けていても問題はないが、今後、これほど安全な時間と空間が得られるかどうかは判らない。


 地図と比較して、現在位置の正確な確認も難しい。

 平野だらけである為だ。


 先に語った通り、カグラは直径が地球とほぼ同じである為、緯度はこの星にとっての北極星を基準にして割り出している。

 三十式偵察警戒車両の電子計測器を使っているが、これは精度が高く北上度合いはメートル単位で判る。

 

 が、問題は経度、即ち国境線からどれだけ西に進んだかが不正確なのだ。


 経度の算出は無線に頼っている。

 定期通信を行うことで、その通信電波誤差から割り出しているのだが、本来は三カ所以上からの電波を同時に受信して計測しても、二十メートルから二百メートルの誤差が出るのだ。

 今どれほどの誤差が出ているのか分かったものではない。

 GPSがある訳でもないのだ。


 さて考えすぎて気が張ったのか、夜風に冷えたのか、少々膀胱(ぼうこう)が張ってきた。

「ローク、すまん。 少し小さい方、済ませてくる」

 そう言って、今までもてあそんでいた物を腰に差すと、林の外を指す。


「川に落ちないで下さいよ、支流から別れた小川があるんですから」

 と、半ばからかわれる様に注意された。

 彼ともだいぶ打ち解けてきて、年も近い為かお互い悪意のない軽口がよく出る。


 ロークは普段は非常に礼儀正しく、ヴェレーネの客人である巧にも一目置いているが、ヴェレーネを相手に立ち回る姿と今回の作戦指揮を見て、巧に対して儀礼的なものではない兄貴分的な頼もしさを感じる様になっていた。


 小用を済ませた時、巧はかなり近い距離、一キロメートル程であろうかと思われる位置に明かりを見つけた。

 かなり大きい、と云って火事ではない。

 小さな明かりが幾つか集まって明かりを作っているのだ。


「以外と近くに集落がある、(まず)いな。明日は早く出発しなくちゃならん」

 そう独り呟いて振り返った時、息が止まる程に驚く。


(熊だ! でかい。三メートルはあるぞ……、

 しかし何故こんな処に! 此処は平原だ)


 巧は大きな勘違いをしている。

 彼の国で、或いは彼の世界の多くで熊は山に住む。と云うイメージがあるが、そうではない。

 彼らが山に或いはその周辺に住む理由は単純で、

『生息域を人間に追われた』

 だけなのだ。

 熊とて狩りがしやすければ、山よりも平野を好むに決まっている。


 しかし(まず)い。

 右の腰にはヴェレーネに携帯を許されたコルトパイソン357がある。

 薬莢を弾倉に残すことを考え、許可された銃は全てリボルバータイプだ。

 今回は火薬量の多い九ミリマグナム弾を使用している。

 この距離からなら一撃で仕留めることも可能だろう。


 357マグナム弾は元々が体重三百キロ前後の灰色熊(グリズリー)をハンドガンで仕留める為に開発された弾なのだ。


(腹が減っていなければ、去ってくれ)

 そう思うが、どうも、充分すぎる程空腹なようだ。


 それに考えても見れば、巧を見逃しても今度はローク達の方へ行くだろう。

 巧は曹長であり、国によっては准尉と並んで准士官の扱いを受ける為、海外への派遣も想定して拳銃の携帯を許されている上、拳銃射撃の訓練もきちんと受けている。


 二兵研に配属されてからは、尚更(なおさら)射撃量が増えた程だ。

 桐野の元上官が考えた通り、二兵研はトリガーハッピーにとっての天国ではある。


 そう言った訳で撃ち殺す自信はある。

 攻撃の為に立ち上がるだろうから、心臓を狙って一発、咽もとに一発、留めにもう一発入れる必要がある。


 しかしだ、あの明かりが気に掛かる。

 この静かな平原では、一キロぐらいの距離なら確実に音は届く。

 あの集落から人が出て来るのは困るのだ。


 巧の腕では、最低でも三発打ち込まなくてはならない。


 どうする、と悩んだ時、不意に彼は可笑しくなった。


 そうか、これがハインミュラー老人が言っていた『殺意』か。

 確かに今、自分は自分が殺されるかも知れないという恐怖と共に、この生き物を殺そうとしている。

 ヴェレーネに騙されて五人もなぶり殺しにした時とは訳が違うのだ。

 

 それが可笑しくて声を出さずに笑った。


 (かつ)て、下瀬高千中将は巧の思考回路を評して『殺人者の感性』と言った。

 もしかして、それは当たって居るのかも知れない。

 彼は今、殺意を持っている。

 しかし、『殺気』を放っては居ない。 

 自分に殺意があることを隠しているのだ。


 もし仮に、この熊が魔獣だったなら、マーシアやアルス、いやカレルやロークですら察知して巧を助けに駆けつけただろう。

 彼女たちのウィンドカッターなら、音もなくこの灰色熊の命は絶たれる


 また或いは巧が相手に殺気を放ったなら、ハインミュラー老人ですら気付いたに違いない。

 しかし、今此処で殺気を相手にぶつけることは、即ち『死』を意味することを巧は知っていた。


 彼が、対AS戦闘で相手の背後を取る技能に優れるのは、レーダーをかいくぐる技術だけの問題ではない。

 人間が持つ第六感。

 これはヴェレーネが量子論で話していたが、地球の現代科学でも意識は磁波として跳ぶとも言われている部分を全て潰して行動しているからだ。


 つまり、

「何となくだが、この方向は嫌な気がする」という感覚を相手に持たせない。


 本人は全く気がついていないが、一種のナチュラル・ボーン・キラー能力と言える。

 人格的な意味で無いものであって欲しいが。


 しかしながら、その能力によって現在、絶体絶命のピンチを招いているのだから皮肉なものだ。


 撃たなければ自分が死ぬ。

 しかし、此処で撃てばあの集落から何らかの形で軍関係者に連絡が入る可能性もある。

 つまり、奴隷農園の捜索と自分たちの行動秘匿を更に厳しく両立させる必要が出て来る訳だ。


 タイムリミットが迫れば、作戦は中止。

 最悪は大軍に囲まれ捕縛される可能性もある。


 どうする。

 もう一度巧がそう考えたその時、熊が走り込んできた。

 軍で鍛えられて人並み程度になったとは云え、元々余り運動神経の良い方とは言えなかった巧は最もやってはいけない行動に出た。


 真後ろに跳んだのだ。


 完全に阿呆の行動である。 

 真っ直ぐ走ってくるものから真っ直ぐ逃げてどうするのだ。

 レールの上に居て、列車が来れば誰でもレールから外れて脇に寄るではないか。


 挙げ句、跳んだはいいが、着地に失敗して二度後転する羽目になる。


「あ、死んだな」

 そう思ったが、流石は軍人、直ぐさま横に転がる。

 その時、巧は信じられない光景を目にする。


 灰色熊の位置がずっと遠くにあるのだ。

 そう、巧が立ち上がって体勢を立て直すには充分な程に。


 立ち上がった巧と熊の距離は、優に十メートルを越えた。

 

 普通、後に跳んだ場合、自分の身長分も跳べれば上出来である。

 しかし、巧はどうやら五メートル以上は後方に跳んだ上に更に二度も転がった為、充分な距離が出来てしまった様だ。


 熊の方もはっきりと困惑している気配が感じられる。

 通常、動物は逃げようとすれば必ず一端は背を向ける。

 そこを狙おうとしたのに、相手は鳥の様に飛んでいったのだ。

 驚くのも当然であろう。


 なるほど、と直ぐさまに気がつく。 

「重力〇,八に感謝だな」


 そうなのだ。低い重力と、それに反発する筋力。それが彼を救った。


「なら、これでもいけるか」

 そう言うと彼は、右手を左腰に伸ばす。


 先程から、彼が月にかざしてニヤニヤと見ていた得物がこれである。

 帯を巻いて腰に差す訳にはいかないので、専用のベルトとホルダーに収まっていたのだ。


 相州伝綱廣そうしゅうでんつなひろ

 室町時代後期、現代の神奈川県において打たれた刀である。

『束打ち物』と呼ばれる雑品が多く打たれた時期でもあるが、一般に名刀と呼ばれる刀はこの時期のものに多い。


 江戸時代になると刀身が薄くなった為、切れ味が鈍ったのだ。

とか、製法が正しく伝わらなかった。

 などと云われたが、近年の研究で笑い話の様なことが判った。


 確かに、江戸期に入って、『唯、腰に差すだけなら、』と刀の峯幅が細くなり軽くなったことも理由としては事実である。

 しかし、最も正解に近い答えは、江戸時代に入って鉄の質が良くなった為。

 と云うことらしい。


 書いている方も最初は何を言っているのか判らなかったのだが、よく考えると確かに単一元素構造は『(もろ)い』

『折れず、曲がらず、良く斬れる』が信条の刀は、適度に不純物が入っている方が結晶構造のフラクタル化が起きて、上記の三要素を満たしやすくなるという訳だ。


 因みに、今、巧が抜いた刀は二兵研で生み出された『レプリカ』である。


 しかしながら、刃渡り二尺四寸五分(七四,三センチメートル)

 風が渦を巻いた様な乱れ波紋。 

 突くにして良い大切っ先。 切るにして至高の七分の反り。

 本物と同様の造りであり、尚かつ、そのフラクタル構造を精査してそれ以上の強度に仕上げてある。


 今の身体能力ならば負ける気がしない。


 彼は剣道など一度も習ったことはない。

 正式にはである。


 だが父の穣が海外で『サムライ』人気が高いことに目を付け、商談の為にと『剣術』を始めたのだが、これにはまってしまった。


 そこからの絡みで、巧は父に稽古を付けて貰っていたのである。

 一本を取る剣道ではない。

『殺さず』を極める為、『殺す』事に特化した剣術なのである。

 また、すねを切りつけ、指を落とすなど相手の戦闘力を削ぐことにも焦点を当てている。


 相手より徹底的に強ければ、相手を傷つけずに済む。

 幼児が大人に殴りかかったとして、大人が幼児を傷つけることがあるだろうか?

 それが柊穣が惚れ込んだ剣術であった。

 大層『傲慢』な剣術とも言える。


 だが、今の巧が使うなら技術・精神共に未熟にも及ばぬ、単なる『殺し』の剣である。

 彼は、仮にでも其所まで届けばそれで充分だと思っては居るが。

   


 先程とは逆に、こちらから一気に飛び込む。

 しかし流石は野生動物である。

 反応が早い。


 巧の頭を右前足で横殴りに払ってきた。

 普通は、これで終わりである。

 

 が、巧の狙いは、最初(はな)から相手の攻撃に対するカウンターであった。

 体ごと後に倒れ込むと、その腕に刃先を当てる。


 手の上に置いて力を入れずに引けば、刀身の重みだけで腕が落ちると言われた相州伝の刀である。

 あっさりと豆腐でも切る様に灰色熊の右手首から先が消える。


 当の熊は自分の腕が無くなったことに気付かず、巧が倒れた為、そこに同じ前足を置いて、爪を立てようとしたものである。

 当然、倒れながら前に滑り込んだ巧の真後で支える前片足を失った灰色熊は横転した。


 叫び声を上げる。

 怒号である。


 手負いの獣は恐ろしい。直ぐさま片を付けなくてはならない。

 横転した衝撃で相手はおあつらえ向きに仰向けである。

 足の一本ぐらい持って行け、とばかりに体を返した巧は飛び上がって真上から灰色熊の喉に切っ先を突き刺すと、その巨体の上に片足をのせたまま刀を横に引いた。


 弱重力のみが彼にその動きを許した。


 喉を切り裂く。

 血しぶきが飛び散り、胸と云わず顔と云わず彼の体に赤い奔流(ほんりゅう)が襲い掛かってくる。

 凄まじい鉄の匂い。 

 熱い血が噴水の様に吹き上がる。

 灰色熊は残った左前足で巧の足を払おうとするが、その前足の付け根に偶然であろうが巧の片足が乗って熊の最後のあがきの一撃は届かなかった。


(たと)え灰色熊でも、本来切っ先が頸動脈と気管を断ってしまえば、それで良いのだろうが、

「殺さなくては殺される」、と言う意識が先に立った巧は、綱廣(つなひろ)を地面に突き刺さる程に強く刺し込んだ為、逆に切れにくくなってしまう。


 最後はみっともなくも峯に手を添えて押し込む様に切っていった。

 こうなると、名刀も糞もない。


 最後の最後で巧は殺気を跳ばしたのだろう。

 或いは、灰色熊の声か。


 あの明かりの場所まで声が届いて居てくれるなと思いながらも、誰かが走ってくるのが視界の隅に入った。


 ロークかな?と思い、刀を杖にフウフウと肩で息をして居たが、死んだ灰色熊の方を振り向いた時、薄い雲が晴れて月明かりが灰色熊の死体をはっきりと照らす。


 巧はその場で(うずくま)ったまま吐き続けた。 

 殺したことに対する後悔ではない。

 生き残ったことに気付いて、今更ながらに恐ろしくなったのだ。


 自殺願望など、自分の心の苦しさから逃げるための『ポーズ』だったのではないか、と思える程に『恐ろしい』と感じている。


 体が震えて止まらない。

 脚が吐瀉物(としゃぶつ)にまみれる。

 

 誰か女性が彼を後から抱いてくれた。 

 暖かい。ほっとして、少しだけ落ち着きを取り戻す。

 しかし寒い、寒いのだ。 

 回してくれた手を強く握ると、握り返してくれた。


 巧の肩に頬をのせたマーシアが後から巧の顔を覗き込み「もう大丈夫だ」と囁いた。

 そして更に体を(きつ)く抱いてくれた。





サブタイトルの元ネタはジョージ・アレックス・エフィンジャーだったかな?

「重力が衰えるとき」ですね。 

ミステリーSFとかサイバーとか言われています。

まだ読んでいません・・・・・・と思います。

結構忘れるんです。 

ディックの「未来医師」も読んでないと思ったら、読了の本棚にあったり・・・・・・

それはともかく、アクセスビュー10.000件超えたようです。 ありがとうございます。

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