31:カグラの優しい魔人
久々に、マーシア=マリアンの出番ですね。
宜しくお願いします。
マーシアはヴェレーネの指示に従い、三十万都市シエネの中で議員会館から最も離れた旅館に泊まっていた。
しかし何事かあれば、シエネの西部方面防衛隊に協力出来る様に詰め所に近い旅館でもある。
本来なら彼女も議員会館の四階に宿泊するはずだ。
王宮の近衛隊長がその程度の権限を持っていないはずがない。
ちょっと前ならヴェレーネの指示などに決して従いはしなかったであろうが、数日前に彼女はヴェレーネから『そこに泊まって貰いたい』と、いつもの口調で申し出られた。
過去の例なら『巫山戯るな!』と、動きもしなかったであろう。
だが、今回はヴェレーネの腰が特に低かった訳でも無いにも拘わらず、喧嘩腰になることも無しに、
「必要か?」
とだけ訊く。
それにヴェレーネが頷くと、そのまま議員会館を出て寝台をその宿に置いた。
それが五日程前のことであった。
いつもの様にハルベルトと円筒型の軍嚢を担ぎ、腰にロングソードを差した黒ずくめの彼女は夕刻、宿に入る。
ちょうど昼間から飲み始め、酔ってウエイトレスをからかっていた酔漢達が勘定をテーブルに投げ出すとすっ飛んで食堂から出て行った。
彼女はその方向を見向きもしなかったにも関わらず、だ。
但し、
「東部の増援兵は、旅の恥はかき捨て、とばかりに『お巫山戯』が過ぎているかも知れない。軍規の粛正の時期かもしれんな」
と考える。
その場で近くにいる兵を捕まえると、手紙を書いて方面隊長に届ける様に言付けた。
旅館の女将さんが酔漢を追い払ってくれたお礼を言って来たが、
「何もしていないし、治安が悪いのは行政に問題がある。こちらこそ済まなかった」
と言って驚かせた。
彼女の銀髪と黒の革鎧は最早名刺代わりである。
そうして五日の間、彼女は練兵場と宿を往復する他は、マリアンの希望に添って町中をぶらぶらと歩き廻った。
時々、父に連れられ『此処がお前の生まれた街だ』と連れて行かれたプラハや、バイアーン、或いはスイス国境よりでフランスと文化が混じり合ったバーゼルなどの木造建築とよく似た町並みにマリアンは慣れた様子ではあるが、僅かな違いに興味を引かれて目をきょろきょろとさせる。
こう云う時だけは、視覚の主導権をマリアンに譲るマーシアである。
マリアンの育った街に比べると、清潔度ではやや劣るものの、それは『あの国』が地球上のレベルで見ても異常であっただけであり、リアルな地獄の中世ヨーロッパとは違って、こちらの世界は見た目が一緒でも衛生観念は非常に行き届いていた。
巧達の世界での欧州では十九世紀に入るまで公衆衛生という概念は存在せず、トイレなども全ておまる、即ち『便器壺』で済まして川や路上の排水路に流していたのだ。
カミュが恐れた黒死病も流行ろうというものである。
二階以上に住む者は、十九世紀末のロンドンなら『ガーディ・ロー(そら、水が行くぞ)』のかけ声と共に、その壺の中身を窓からぶちまけるのが基本だった。
その声を聞いた後に『酷い目』に会った場合は、逃げ去らなかった方が悪いのである。
欧州の帽子やハイヒール、コート類、或いは香水は伊達に発達したのではない。
フランス王都を流れる川や、ロンドン中央を流れる川の名前は十九世紀にナポレオン三世による都市改革が進められ、ビクトリア朝がそれに倣うまでは河川名がそのまま不潔の代名詞になっていた程である。
二〇五〇年代における地球の『大陸』の汚染と良い勝負であり、違うのは人口ぐらいの物であろう。
この街は清潔である。少なくとも上記の様な危険はない。
(あれ、何?)
“アップルタルトの屋台だろうな”
(マーシアは食べないの?)
“甘い物は、それほど好きではない”
(ぼく、食べたいな。ここのところお菓子はご無沙汰だよ)
“マリアンの記憶に有る程、こちらの物の味が良いとは思えんが?”
(まあ、そう言わないでよ。『おいしそうな匂いだなぁ』って思わない?)
などと文字通りの『脳内会議』を繰り広げた結果、熱々のアップルタルトを路上でほおばる。
濃厚な蜂蜜で味付けされた甘酸っぱい林檎の味が口の中に広がり、マーシアとしてもそれほど悪くはない気分だった。
そっと幼い頃の素直な自分に戻る気がする。
その五日目の夜、ヴェレーネからの使いが来た。
青狼種のロークという青年で、『今回の作戦に同行させて頂きます』と言い。
何らかの作戦が決行されることを臭わせると、
『ヴェレーネ様は明日の朝、こちらに訪れるので、朝食後は部屋でお待ち頂きたい』
本文を伝えて去った。
マリアンは、
(やっぱり、狼さんが喋るなんて赤ずきんちゃんみたいだよねぇ)
とアルボスやその他の狼人を幾人も見ている割には、今更ながらに感慨深げだった。
“『赤ずきんちゃん?』”
と不思議がるマーシアに、マリアンが赤ずきんの話をして、『2人で1人』は仲良く眠りにつくのであった。
翌朝、ヴェレーネは約束通り、朝食後、市庁舎の業務開始の鐘が鳴る時間を少し過ぎて、宿に訪れた。
ヴェレーネが作戦の目的と内容を話すと、
「その自動車という物はどんなものだ?」
と訊いてきたので、マリアンが直接イメージを流し込んだ。
「なるほど、これは凄いな。
この前、会議で聴いた戦車を軽くした物をイメージすればいいのか」
そう言ったが、ふと気がついた様に尋ねる。
「まさか、貴様がシナンガル領内に出向く訳にも行くまい。主導は誰だ?」
マーシアのその質問にヴェレーネは、何気ない口調で答える。
「あちらの世界での、私の部下に当たる『柊巧』が指揮を執る事になるわね」
その途端、マーシアの意識は弾き飛ばされ、人格の表面にマリアンが現れた。
「おにいちゃんが来てるんですか? どうやって、なんで!」
マーシアは表に出ようとするがマリアンは譲らず、人格の主導権を手放さない。
そうして猶もヴェレーネに詰め寄る。
「落ち着いて聴いてね。マリアン君。
マーシアも多分、中で暴れているんでしょうけど、そのまま私の話を聞いてくれます?」
そう言って双方を宥め、落ち着かせた。
「マリアン君。お兄さんは遺骨でも良いからあなたに会いたい。
そう言って私と取引をして此処まで来ましたわ。
まあ、半分以上、いいえ完全に騙して連れてきたんですけどねぇ」
「酷いじゃないですか!」
マーシアの姿でマリアンが上げる抗議の声は、あり得ない言葉遣いだ。
ヴェレーネには妙におかしく感じられたが、此処で笑って信頼関係を壊す訳にはいかない、と耐える。
「マリアン君。でもね、今回の作戦は人助けなの。
お兄さんが自分からやると言ってきたんですのよ。
これだけは、嘘ではありませんわ」
「おにいちゃん、優しいから……」
「そうですわね。(どこが、よ!)
ですから、今回は文字通り目を瞑ってもらえませんかしら?」
「文字通りに目を瞑る? 何についてですか?」
マリアンは言葉の意味が分からずに、問い質す。
が、ヴェレーネの答えは『聞かずに置けば良かった』と思えるものであった。
ヴェレーネはマリアンの顔をじっと見る。
その時、マリアンの中では、マーシアが必死で叫んでいた。
“聴くな、マリアン。耳を塞げ!”
マーシアにはヴェレーネが何を言うのか分かっていたのだ。
そしてヴェレーネは、はっきりと言い切った。
「お兄さんが人を殺すことを、です」と。
目の前が真っ暗になる。意識が途切れそうな気がして、人格の主導権はマーシアに移った。
人格を得たマーシアの目は怒りに燃えている。
壁際に立てかけてあったハルベルトを掴むが、ヴェレーネは彼女の目を見据えただけだった。
その目が、沸騰したマーシアを一瞬にして正常な状態に戻してしまう。
その時のヴェレーネの目は人を従える責任を持つ者の目であり、正しくそれは『王の視線』であったのだ。
『視線に射竦められる』、とはこのような時に使う言葉なのだろうとマーシアは観念した。
「判った。貴様がそう言うのなら必要なことなのだろう」
虎が唸るが如き声を出しながらも、マーシアはハルベルトを元の位置に戻す。
「マリアン君に変わってくれる?」
返事は別の口調で返された。
「はい……」
マリアンが現れる。
「ご免なさい。でもね、そろそろ覚悟を決めて欲しいの」
無言で話を聞くマリアンにヴェレーネは告げる。
「あなた、もう既に『自分が』人を殺したことがある事を知っていますわよね?」
マーシアがマリアンである以上、マーシアの行った殺人はマリアンによる殺人でもある。
ヴェレーネはそのことを指摘したのだ。
頷くマリアンに対して、ヴェレーネの言葉は続く。
「この世界は、あなたの住んでいた世界よりも、ずっと人の命が『安い』わ。
それは分かりますわね?
いいえ、あなたが生きていた『あの世界』でも、此処と同じくらい人の命が安い国はいくらでも有りましたわ。
あなたは、偶々、恵まれた国に生まれたに過ぎない。恵まれた国に育ったに過ぎないのですよ」
平和な国に育った十一歳の子供が聴いて良い言葉ではない。
マリアンは体中をガタガタと震わせて、自分の膝を痛む程に握りしめている。
しかし、ヴェレーネも言わざるを得なかった。
(杏さんの事も含めて、私は何時かは柊巧に殺されるわね)
ヴェレーネはそう思いながらも話を続ける。
「だから、協力して」
「えっ?」
マリアンにはヴェレーネの言葉の意味がよく分からない。
しかし、『この言葉』はいつかどこかで聞いた事がある。
いつであっただろうか?
「私たちは、この国をあなたが生まれた国、育った国と同じように平和なままでいさせたいんですのよ。
どんなに辛く苦しくても、私たちは足掻く事を辞めてはいけないの。
そして、どれだけ時間が掛かるか判らないけれど、この世界そのものも変えて行かなくてはね」
ヴェレーネの目を見るとマリアンは思い出す。
そうだ、この言葉は、この目は、
『兄』だ。
巧が、杏を守れといった時の、人は泣いたままでは生きていけない、と言った時の言葉と同じだ。
この人の目は八歳の時に見た『あの時』の兄の目と同じだ。
『生きるんだ!』、そう訴えかけた、あの目なのだ。
マリアンは知らないうちに自然に頷いた。
それから、
「僕は何をすれば良いんでしょうか?」
そう訊ねたのだ。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
旅館の一階にある食堂でお茶を飲みながら、桜田美月はヴェレーネを待っていた。
トラックの護衛をしてくれるという人物と引き合わせると、言われたのだ。
聞けば、『戦 魔 王』という物騒な人物であり、名前が出ただけで可愛そうに、アルバというエルフは貧血を起こしそうになっていた。
どの様な人物なのだろう。
三国志の呂布みたいな感じかな?
それとも北魏の楊大眼みたいなイメージかな?
ちょっと怖いなぁ……、
段々酷くなってきて、
『カップリング』のネタには無理そうな男でしょうね、などと思っていると。
「ご免なさい。随分待たせましたわねぇ」
ヴェレーネの声がした。
階段を下りて来るその姿を見て立ち上がった桜田は、彼女の背後に視線を移すと、
そのまま後に引っ繰り返った。
床に尻餅をついたまま、声が震える。
「マ、マ、マ、マ……」
「魔王?」
ヴェレーネが怪訝な顔をする。
桜田は立ち上がって怒鳴る
「違います! 何で、此処にマリアン君が……」
が、すぐさま声が止まる。
「あれ、違いますね」
小声になり、一見は冷静。
じっとマーシアの顔を見る。
それから、顔、次いで体をぺたぺたと触り始めた。
特に胸などは念入りに揉みしだいている。
「おい、地球人の初対面の挨拶とはずいぶん変わったものだな」
マーシアの目付きは二割り増し鋭い〔当社比〕
マリアンの仕事がいきなり始まった。
(ごめんね、マーシア。ちょっと変わってるけど、悪い人じゃないんだ。
お願い。少しだけ我慢して)
店内気温が氷点下に落ちた、と客や店員たちには感じられた。
逃げ出したいのだが、誰もが足がすくんで動けない。
その中で、桜田の撫で回しは続く。
「おい、」
遂にマーシアが、怪我はさせないようにではあるが、手を払い退けようとした時、
「おんなだぁぁぁぁぁぁ~~~~~~~~~~~!!」
桜田の絶叫が店内に響いて何人かの客が気絶した。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「失礼しました。
知り合いの子に似ていたことと、予想していた姿とのギャップに我を忘れました」
桜田が、たんこぶの乗った頭を下げる。
製造責任者はヴェレーネ・アルメット©である。
わざわざ椅子の上に乗ってぶん殴ったのだ。
「それにしても主任、痛いです」
「あなたね。この女に殴られてたら、首から上が今頃セントレアにあるわよ。
助けてあげたんですからね。感謝なさい」
「私は随分と酷い言われ様だな」
(ごめんね。僕が後でヴェレーネさんに纏めて抗議しておくからね)
「まあ、ともかく。
あなただけを連れてここに来た理由が分かりましたでしょう?」
マーシアの抗議を受け流したヴェレーネの言葉に桜田は頷く。
「ええ、そうですね。
柊曹長が予備知識無しで見たら、いきなり抱きつきかねませんからねぇ」
自分の行為は忘れている様だ。
不快感を丸出しにしてマーシアが答える。
「其方の方が余程にマシなんだがな」
(うん、僕もお兄ちゃんに『ぎゅっ』して貰いたい)
マーシアとマリアンの意見は消極的と積極的の違いはあるものの一致した。
「まあ、そう言う訳で、あなたには議員会館に戻ったら、『この人物』のことを事細かに柊曹長に説明して貰いたいの。判りまして?」
ヴェレーネの説明に、起立・敬礼で応える桜田であった。
『しかし怪我の功名というか、この女性が来てくれたことで、かなり楽に柊とマーシアとの引き合わせが終わりそうだ。
混乱がなかったとも、これで終わるとも思わないが、いきなり引き合わせるよりはずっとマシであろう』
とヴェレーネは思う。
まあ、色々と問題の多い部下ではありそうだが、それは柊も一緒だと諦めた。
「とにかく出発は日没後よ。昼寝はしておきなさい。
マーシアは夕方、また会いましょう」
サブタイトル元ネタは、J・Pホーガンの「ガニメデの優しい巨人」からです。
ホーガン率高いかな?




