2:民主主義の掟
「武装難民流入事件」
後世までこの名で知られることとなった「この事件」は不幸にも多くの犠牲者を出したものの、海上戦闘から始まり事態終結まで僅か四日間という迅速な対応と、同盟国を含む諸外国の介入を防いだことで不遇を託っていた国防軍の名を一躍高めることとなり、政府を始め国防軍上層部に安堵の溜息を吐かせた。
ここ数年の国防軍は良くて「災害救助隊」、悪意を持っては「無駄飯ぐらい」の名を被っていたのだ。
しかし、現場の兵士ほど事の本質を捉え、
「武装した外国人の上陸を許し、あまつさえ多くの国民の死者があった一事だけでも国防軍として恥ずべき事だ」
と公言する者を始めとして、多くの隊員は国民の好意に対し複雑な感情を持たざるを得ない。
遡って大陸の大国が十二の国家に別れ内乱が起きた頃は、海を隔てた「この国」にも難民流入が危惧され国防軍に期待が高まっていたが、この十年間は僅かな難民の流入を海上警備隊の奮戦で押さえることが可能となっていたことが国防軍の影を更に薄くさせている。
当然のことながら、それは政治に反映され、「国防軍予算の削減案」、「空・陸軍縮小案」は、ここ数年の国会の議題として必ず取り上げられるものであり、軍の拡大化と政界進出を狙う「政治派制服組」と言われる軍幹部が参考人として熱弁を振るい、野党がそれに異を唱えることの繰り返しであった。
しかし、今回の事件において登場したASを人型戦車と銘打ってネットやマスコミが取り上げ、好意的な情報交流と報道が進むにつれ、「戦車削減案」や「国防軍予算問題」は今や存在しないものとして人々の常識となってしまった。
また今回、「武装難民」は偶々と言って良い程に一つの都市に上陸せざるを得なかったが、長い海岸線を鑑みて現在の国防予算の不備に警鐘を鳴らすものさえ現れる。
国防軍には国民から数多くの応援の電話やメールが寄せられ、一部の政治派軍幹部の下がりまくった目尻が元の位置に上がるまでに数週間を必要とした。
「国民の不幸は組織の餌ではないぞ」
現場の兵士の声を代弁するかの様に心ある幹部はそう漏らしたが、大勢の中に置いては小さすぎる呟きに過ぎなかった。
呟きの主の名は下瀬高千と言う。
五六歳。陸軍中将の階級を持ち、本来なら二日前に大将となっていたはずだったが自らその道を閉ざした。
今回の事件の対策作戦の中心人物である中将という準最高位に対して事態収拾の功績は勲章だけで済ませる訳にはいかないはずである以上、そこには当然の理由が存在する。
本来、彼が昇進しなければマスコミによって彼の名が広く知られた後では国民感情がこれを許さないであろうし、この功績を無視するなら軍には昇進条件など存在しないと言うことになる。
現場の規律と士気にも繋がる問題なのだ。
諸外国においても、この国の地方湾岸警備部隊規模の海軍で大将を名乗る者は居る。
結局、その階級にふさわしい人間かどうかはその国の基準に依るとしか言いようがない以上、彼が陸軍大将になることに何ら問題はなかった。
しかし、彼はその地位を辞した。
ASの現場投入を陸軍の中で最終承認した二人の内の一人である彼は、談話室での会話以来、組織の水に染まった自分自身に唾棄するものを感じたのだ。
事態に対しては間違った判断をしたとは思ってはいない。
連名で署名したもう一人の男、陸軍幕僚長「岸田」の言う通り、柊という伍長の上申と自分たちの承認がなければ民間人の被害は拡大していたであろう。
しかしあの時、談話室での会話に至るまで犠牲者数に国民を数えなかった事実が彼を延々と苦しめていた。
その思考の根源にある存在は、彼にとっては目に入れても痛くない十歳になる孫娘。
状況開始後の十五人の中に、いや、命があったとしても身体を弄ばれた被害者の中に、『あの可愛い奈津』が含まれていたら、自分は胸を張って叙勲を受けられるのか?
あの談話室で何故だか「奈津」を思うことで彼の軍幹部としての意識が大きく削られてしまった。
本土の、しかも小規模とは言え都市部で戦闘が起きたと言うことで、彼の中の戦場というイメージが、旧来の原野や森林から息子の住宅のある普通の町中に転換されてしまった為だ。
それまでなら麾下の機械化歩兵部隊が上げた手柄を単純に喜び、今回が初めての例ではあるが、民間人の被害者が出たなら「責任問題」という単語に直ぐさま結びつける。
下瀬はその程度の人間だったのだ。
思考の変換を起こした今の彼の考えは一方では正しい。軍は何より国民の生命と安全を守る組織なのだから。
しかし、叙勲に意味が無いと考えることは現場で命を危険に晒した一般兵を侮辱する考えでもある。
彼は決して部下を消耗品扱いにするほど非人道的な野心家でもない。
組織という狭い枠が彼の思考までも、その幅に狭めていたに過ぎない。
上昇志向を持つ普通の人間に起こりがちな思考の硬直化が彼を支配していたのだ。
かといって今までの彼の考え方である兵力の誇示や戦果を正しく評することも単純に間違っている訳でもない。
政府が議会で野党を押さえた答弁の通り、国家の周辺が不穏な時期に無用に軍事バランスを崩し、兵士の功績を評価せず士気の低下を招く行為の方が余程、国民を危険に晒すことは当然のことである。
彼の叙勲や昇進に係わる今の否定的な感情はあくまで彼自身の問題なのだ。
答えは出ずに堂々巡りのまま、彼は元首からの叙勲を受けた。議会において承認された結果を公務員としては断ることは出来ない、と自分に折り合いを付けたのだ。
但し、昇進は断った。
「主導はあくまで陸軍幕僚長の岸田大将であり、自分は判断の補佐をしたに過ぎない。また、作戦開始後、民間人の死者が出ている以上、責任を取る者も必要である」
その様な理由付けで周りは納得した。元々、議会としては昇進者を増やしたくなかった為、今回の下瀬の申し出は渡りに船であった。
内閣も陸軍幕僚長が階級的にもトップとして君臨し続けることで幕僚の意思統一に矛盾が生まれなくなる事を喜んだ。
敵兵力が上陸して、民間人の死傷者が出ないなどと言うことはあり得ないのだが、一部の離島においてのみの地上戦の歴史しか知らぬ多数の国民の意識は、未だ陸戦における民間人の死者という感覚に疎い。
大陸の驚異は去った訳でも無いにも関わらず、何とも議会と内閣の動きが連動していない。
これが空襲となると少しは納得もするのだろうが、現在はその様な時代でもない。
その為か、議会で文民統制を弄んでいる事に気付かぬ議員が多すぎた。
ともかく岸田が自分の上に居る以上、穏健派の発言力は保たれ、軍拡派とのバランスがとれるだろうと彼に派閥問題の責任を押しつけたのだ。
下瀬は岸田が戦争を実に『冷静に語る』姿が嫌いであった。
しかし、今なら分かる。
軍隊は仮に正当防衛だとしても議会制民主主義による議員とそれを選んだ国民の功罪を背負って殺人を遂行する組織である。過ぎる程に冷静に自分を、そして組織を見つめなくてはならなかったのだ。
こんな当たり前のことに気付くのに何十年を無駄にしたのだろうか。
いや、「奈津」が居なければ多分、一生気付くこともなかったであろう。
そういえば、柊という伍長は昇進したのであろうか?
ふと、件の一兵士の動静が気に掛かる下瀬であった。
次回から、ようやく主人公にスポットが当てられます。
しかし、我ながら「くどい」とは思います。
社会体制や情況を後々のためにきちんと書いておきたかったものですから、とは言っても下手くその言い訳には成りません。
難しい言い回しは、多分年のせいです。
すいません。次回はホントにおちゃらけます。
タイトルは、SFの名作ホーガンの「創造主の掟」をパロって見ました。
※文章中の「不遇を託つ」とは「自分の不運を愚痴る」といった程度の意味です。




