28:猫よ、猫よ
ケット・シーというアイルランドの妖精について聞いた事はある。
王制を敷いているらしく、次代の王は家猫として普通に飼われているらしい。
いじめられるといじめた人間を猫の王国にさらってしまうと言われている。
……のだが、
「これ猫か?」
うっかり注意を忘れて、ヴェレーネに頭を叩かれる巧であった。
「どうせ言葉は通じてないじゃないですか?」
「悪意のある言葉ってのは、通訳不要なのよ!」
「単なる疑問ですよ!」
罵り合う二人であるが、
『子供の前で騒ぐんじゃない、怯えるだろ』というハインミュラー老人の静かな一言で冷静になった。
栗色の髪、ブラウンの瞳、小さな唇、身長は百十センチに達したかという程であるが、頭が大きいため非常にアンバランスな体型だ。
少し眉目がつり上がって、きつい印象を受けないではないが何処にでも居る可愛らしい子供だ。
頭の両脇に耳をはやしていなければの話だが、
彼女は議員会館で目醒めた時、自分のおかれている状況がつかめなかった。
何せ、村でいきなり火炎を浴びせられ熱い思いをして、気を失ったのが災難のはじまりだったのだ。
獣人特有の治癒力の高さでひと月もすれば、怪我は癒えてきたものの、一緒に捕まった隣家の年上の少女と二人で、ずっと人間に混じって『ドレイ』と呼ばれて朝から晩まで働かされた。
力は上手く使えないように、首に針を打ち込まれた首輪をさせられた。
何故かあの首輪を付けさせられると、普段出る力の半分も出なくなる。
「そのうち、レータお姉ちゃんが連れて行かれた。
寂しくて泣いたけど、次の日になると今度は私も大きな建物に連れて行かれた」
彼女の周りで話を聞くのは五人。
ヴェレーネ、巧、ハインミュラー老人に青い髪の若い女性と黒髪の三十代男性が加わっていた。アルスとオレグである。
まあ、巧は椅子の背もたれに両腕をかける逆座りで、その様子を見ているだけだ。
言葉が分からないので仕方ないのだが、ハインミュラー老人のマイクから猫娘の声が僅かに翻訳されて聞こえる瞬間があり、
『あれ、あると便利なんだがなぁ』などと考えていた。
彼女の話は続く、
そこで、彼女は酷く痛めつけられた『レータお姉ちゃん』を見ることになる。
金色の瞳の人間達の言うことでは、自分が里の近くの道を見つけたら『レータお姉ちゃん』をもう苛めないと言われ、逃げられないようにと袋に詰められて運ばされた。
あちこちの尾根道に着くと袋から出されるのだが、何処を見ても知らない土地だった。
四日目に登り始めた尾根道は見覚えがある気がしたため、そう言った。
しかし、その頃、彼女もようやく気がついてきた。
こいつらはもう一度『村』に行くつもりなのだと。自分が道を教えれば村には沢山の『あいつら』がやってくるだろう。
しかし、何時までも知らない振りをしていれば『レータお姉ちゃん』が殺されてしまうかも知れない。
袋の中で悩んでいると耳元で悲鳴がした。
自分を運んでいた男達が悲鳴を上げている。
村の人たちが助けに来てくれたのだろうかと思ったのだが、どうも違うようだ。
地面が揺れる。凄い、体中に響く程だ。
それから耳がおかしくなる様な音がした。
雷が千も一度に落ちた様な音だ。
『化け物!』という声と同時に体が宙に放り出される。
草地の斜面に落ちた様で、転がっていくのが分かった。
谷底に落ちれば死んでしまうと思い、恐ろしくなって体が固まった。
しばらく何かが動く音が上の方からしてきたが、それもしなくなって静かになっる。
少しほっとしたけどもこのまま袋の中に居る訳にも行かない。
一生懸命もがくのだが、どう暴れても出られないのだ。
爪もドレイにされた時に切られてしまった。もう駄目だ。
そう思うと涙が出てきた。
猫族は強いのだ。
力は虎族程に強くはないかも知れないが、その頭脳と奇抜な発想力で王家に使える顧問も何人も出してきた。
父親にそう教わってきた。
『誇り高い猫族は簡単に泣いてはいけない』
でも、今は簡単な時じゃないから泣いて良いよね、と思って泣き続けた。
急に体を押さえつけられた。 堅い板の様なもので、だ。
きつく押さえつけられている訳ではないが、逃げられない、怖い。
袋の口が開かれる。 早くして欲しい。 息が苦しいのだ。
そうして、やっと袋の口が開く、ほっとして息を吸って、それから大きく吐きだす。
でも、その後、何か恐ろしいモノを見て気を失った。
気がつくと、綺麗なベッドに寝かされていた。
フェリシアの人間だと分かるお姉さんが私をずっと見ていてくれたようで、ベッドの側に椅子を置いてそのまま眠ってしまったようだ。
どうしようか悩んでいたら、おなかが鳴った。
そしたら、お姉さんも起きてとても喜んでくれたのでなんだか涙が出た。
今までとは違う涙だった。
お姉さんが、『此処はシエネ』だという。
彼女は窓から外を見て、自分が随分と高い処にいる事に驚いたものだ。
一瞬は又、閉じ込められたのかとも思ったが、フェリシアの人間がそんな事をするはずもないと思い直した。
用意された食事は、見たこともない綺麗な盛りつけであり、味もすばらしかった。
早く村に戻りたいと言ったところ、お姉さんは自分を『軍人』だという。
村には連絡してあるので少し休んで行きなさいと言うと同時に、何があったのか知りたいと言ってきた。
レータお姉ちゃんを助けて欲しい。
その思いから、彼女は自分の知る限りのことを話すことにした。
「そう言えば、お名前は?」
アルスが訊いてきた。彼女は可愛い者が大好きである。
実は今もこのケット・シーの娘を撫で回したいという欲望と必死で戦っている最中なのだが見た目は淑女然としている。
「ティーマだにゃ、……です」
言い直すその姿にすら『萌えている』アルスである。
その側で、巧は
『タマ? 今、タマって言ったよな、この子』などと考えていた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「という訳で、あの子の話を纏めてみると、フェリシア人奴隷の数はおおよそ四十名」
ヴェレーネが宣言して会議は始まった。
巧の為の翻訳機もようやく届いた。
ハインミュラー老人のヘッドホンタイプではなく、耳に掛ける骨伝導マイク&スピーカーの一体型であり、非常に軽く薄く作られている。
その材質は二〇五〇年代の母国のイヤホン市販品と遜色がない。
もしや第二兵器研究所の製品では?と巧は疑ったが、今は些事である。
気にしないことにした。
彼女の話を元に、山村の結界から外に出たまま行方不明になった者の殆どが拉致され、奴隷化されていると言うことが判り、その救出作戦が行われることになったのだ。
山間部はトガもそうであったが税の大部分が免除されている。
それどころか場合によっては国から補助が降りる程だ。
トガから山を下っただけの平野部にあるリースの村などとは税率も補助も随分と違う。
山脈が防衛線であるフェリシアは山村に住む人々を、重要な『国家の守り人』として扱っている。
山地の人間が平野に降りてきた時に、街の人間が彼らを『田舎者』などと罵ろうものなら衛士によって、そのまま牢で一晩頭を冷やさせる程だ。
山間の民を見捨てると言うことは国家にとっては防衛に係わる大事なのである。
なんとしてでも取り戻さなくてはならない。
それはともかく、問題は奴隷を集めている場所だ。
遠すぎては救出もままならない。シナンガルは広すぎる。
しかし、彼女が農場から山裾まで移動した距離は、まず馬車を使い十日。
それから跳躍が十回、後は山道だったと言うことが分かった。
シナンガルの魔術師達は一回で十キロ跳べるものはまず存在しない。
最大でも三キロメートル程度だと言うことは知られている。
勿論、技術の向上は考えられるが、剣士や山地案内人まで含めてというのは無理がありすぎる。
平地を歩いた距離を考えると、最大五百キロ前後の距離と言うことになる。
ジェリの村と国境入り口のシエネからほぼ同距離の地点を探した。
『開拓地』がある可能性が高い、と言う結論が出てきたのはオレグの言葉からである。
「実はシナンガルは、首都シーオムから住民を副首都と呼ばれる都市に移動させたそうです」
副首都とは、シナンガルから東に二千キロ程行ったデール湖のほとりにある『ロンシャン』という都市である。
シーオムよりも住宅状況は良い程だという。
民生品の生産工場などを含め、シーオムの住民七百万人、周辺住民まで含めると六千万人近くが、移動するらしい。
シーオム周辺の水質汚染や大気汚染が酷い為、住民は喜んで移動している様だ。
唯、不思議なことに首都機能はそのままであり、政府要人も半数以上がシーオムに留まった儘だという。
「何にせよこの『ロンシャン』周辺がシナンガル人の新たな生活圏です」
オレグの説明が終わる。
「フェリシア国境からはどれくらいの距離になるのかな?」
巧の質問である。
「千五百キロ、と言うところですね」
なるほど直径三千キロの範囲なら四億人は充分に食べさせられる。
四億どころか十億でも地質や水源、農業技術によっては可能な程だ。
新しく開墾を始めたという訳か。と誰もが納得する。
「しかし、それだけ土地があって何で侵略?」
巧の質問に答えるものは居ない。
オレグはヴェレーネの顔を見たのだが彼女が首を横に振った為、肩をすくめて両手を挙げるポーズで分からない事を示した。
今は不確定な話はすべきではないと判断したのだろう。
「それで、その奴隷の収容所というものの場所は見当が付くのかね?」
ハインミュラー老人がかなり真剣な表情で口にする。
彼は戦後に知った祖国の『政治犯収容所』についての情報から自分なりに考えるものがある。
また彼自身が戦後に生きた国自体も『収容所』に近いものでもあったとも思う。
ソ連のノーベル賞受賞作家、ソルジェニーツインは東側諸国にある収容所の多さから、それを指して、『収容所群島』と呼んだ。
ハインミュラー老人の中で、強制労働や収容所と云う言葉は決して他人事ではない。
彼がこの世界に跳び込むことになった最後のトリガーが、
『私たちは奴隷として狙われている』というヴェレーネの言葉だったのだ。
ハインミュラーの言葉に帰って来たオレグの返答は芳しくない。
「北の登頂不可能山脈地帯は同じ程の距離に見えたそうです。勿論幾分か西寄りですが」
「つまり、予想の範囲ではあるけれど具体的には分からないってことね」
ヴェレーネも難しい顔だ。
道を見つけてそれに沿ってと言うならば簡単だろう。
だが、連中は何度か跳んでいるのだ。
捕虜にした魔術師の記憶量子も読んでみたが、彼女は設置された魔方陣を追うだけの能力しか無く、開放した後は西に向かって歩くだけだそうだ。
彼女が救難を求める街までは分かったが、そこから先は上手くつかめなかった。
「まいったね。スーパーコブラですら航続距離は五百五十キロだ。仮に俺が操縦できたとしても探し回るどころじゃない。途中でUターンだな」
巧は椅子の背もたれに顎を着けて呟いた。
「其方の技術でも難しいのでしょうか?」
アルスが尋ねる。
「出来ないことはないが、その能力を持っている奴で協力者は居ないだろうね」
ちらり、とヴェレーネを見る。
「あなたには国境防衛と、後は幾つか今後のことをお願いしようと思って居たのですよ」
「今後の事って何ですかね?」
周りに現地人もおり、この国でのヴェレーネの立場も考えると、座る姿勢はともかく丁寧語ぐらいでは答える。
「あなたの立場と能力の問題ね」
「?」
「今は話せないわ。何にせよ、この件にだけでも乗ってくれるんでしょ?」
全員の視線が巧に集まる。
「主任、ずるいじゃないですか。こんなところで交渉なんて!」
元から参加するに嫌はないが、巧としては嵌められた気分だ。
「巧君、済まんが儂からも頼む」
ハインミュラー老人まで頭を下げる。
ドイツ人って頭を下げたっけ?と思いながらも、年寄りの願い事には弱い巧としては、返す言葉がない。
「ヘル・ハインミュラー。自分は嫌とは言っていませんよ。『方法が思いつかない』と言っているんです」
「あら、お爺様にはちゃんと『ヘル』を使うのに私には『フラウ』を使わないんですのね」
「混ぜっ返さんで下さい!」
ヴェレーネの敬称論議につきあっている場合ではないのだ。
と、その時、ふと巧が思いついたことがある。
「フラウ、そうか、フラウか」
「どうしたの?」
ヴェレーネが驚いた様に尋ねる。
「あの女魔術師の記憶は読んだんですよね?」
「ええ、でもその時の記憶では、彼女も魔方陣に頼って奴隷農園に行ったことしか捉えていないわね」
「何を作っていたかわかりますか?」
「え?」
「農園で何を作っていたかと訊いているんだよ。花が咲いていりゃあ、分かるだろ!」
巧は今、ヴェレーネにとんでもない口をきいているのに、気がついていない。
巧は『フラウ』という言葉から花をイメージした。
そこから思いついて、植生層から場所の絞り込みをしようとして集中してしまったのだ。
「あ~、っと、確か……、彼女の記憶では花は生えていませんわね」
巧は露骨にがっかりする。
「7月だろうに、農園で作業させて花も咲かないって何だよ」
と、ヴェレーネが別の記憶を引き出す、
「あ、待って下さいな。ティーマちゃんの記憶だと、黄色い花ね。花びらが四つ五つ重なって大きいわ。 あとラッパ状に咲いていますわね」
「それだ! ちょっと絵を描いてみてくれフラウ・ヴェレーネッシェン!」
巧はグーで殴られた。
彼は今、多少間違ったドイツ語ではあるが『ヴェレーネちゃん』と言ってしまったのだ。
どうも、ヴェレーネの言った『ティーマちゃん』という言葉に引きずられた様だ。
ハインミュラー老人には大受けであったが、他の全員は“きょとん”である。
どうやら間違った敬称と定冠詞の組み合わせだった為、翻訳が上手く機能しなかった様だ。
ともかく、花はどうやら『綿』らしいと言うことが分かった。
「綿か、連中、アスタルト砂漠を広げただけじゃあ気が済まんのか!」
オレグの怒りの声が響く。
シナンガルは一度綿の栽培に失敗して、収穫はともかく南部の砂漠地帯を広げてしまった経緯がある。
彼はそれを指して腹を立てているのだ。
地球でも気候の合わない土地で綿を栽培すると大量の水を消費して砂漠化を引き起こすことはよく知られている。
アラル海が消えた件などは有名だ。
「まあ、緯度から考えて乾燥して寒冷で少々心配ですが、品種によっては栽培に向いた土地ですから大丈夫だと思いますがね。
それより、ライン川から西に向かう一番大きな支流を探しましょう。
綿は水を大量に必要としますので、その川沿いの可能性が一番高い。
後は、山の見え方からすると村からほぼ真西と云うことになりますかね。
しかし、西側の地図ってあるんですか?」
巧に今求められている問題解決能力は、環境改善ではなく探査・推察である。
「それなら、さっき見せたでしょ?」
「あれじゃあ、細かな河川は分かりませんよ」
巧の答えにヴェレーネは考え込む。
「少し休憩。地図を調達してきます。皆さんはテラスでお茶でも飲んでいて下さいな。」
そういって彼女は姿を消した
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
議員会館の四階には誰も入れない部屋がある。
正確には『女王以外は』と付くのだが、その部屋にヴェレーネは居た。
この部屋の『主』にとって彼女は女王と同格である。
「ハイ、セム」
相変わらずの呼びかけをする。
『やあ、ヴェレーネ 珍しいところから通信しているね』
「緊急よ」
『いざとなったらその部屋、放棄しても良いよ。こっちには何の影響もないから』
「ありがとう ところで西側の細かな地図はもらえるかな?」
『古いもので良ければね』
「『セム』、気のせいかしら、声が不機嫌よ」
『言いづらいことがあってね』
「どういう事?」
『いま、戦争中だよね』
「そうね」
『地図が必要って事は戦局が動くって事だろ』
「可能性としてはね」
『ひと月で一端でも片付くかな? 或いは東部防衛隊を首都から動かせるかな?』
「どういう事?」
『三十四日後に南部の不可侵地域の森に防衛線を張って欲しい』
「なぜ?」
『魔獣が大量に現れることが分かった』
「……どれくらいの数か分かる?」
『少なくとも八十体』
「小型?」
『いや、君たちが、ハティウルフと名付けたタイプに迫る、或いはそれを越えるものばかりだ』
「……ど、どういう事?」
『管理機構の問題だね』
「管理機構? ん~、あたしの古い記憶の中にもあるんだけど。
どうしても引き出せないのよ」
『記憶の件については後程調整するとして、この件は了解?』
「止められないの?」
『無理! 止めると更に酷くなる可能性が高い』
「気持ちよく了承は出来ないけどね」
『僕も同じだよ』
「教えてくれてありがとう」
『おや、君にお礼を言われるとはね。悪いニュースだよ』
「対策の時間が出来ただけ有り難いわ」
『頑張ってくれ……』
「マイクロ波の周波数一本開けておいてくれるかな?」
『いいよ。でも機材はどうするの、って、あっちから調達か』
「それじゃ」
ドアは閉じられた。
セムは考える。
『そろそろ僕も少し自由に動いても良いんじゃないかな?
ティアマトがどう思うかは知らないけどね』
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「地図、有りましたわよ」
全員がその声に振り向き、日の光を浴びながらテラスで会議の続きが始まる。
まずは、予想される奴隷農場の設置場所を考える。
全員で検討した結果、やはり川に沿っての移動を選ぶことにした。
長距離を走れる偵察車両を調達するべきであろう。
ヴェレーネと巧は一端、第二兵器研究所に転移しなくてはならない。
元ネタは、「虎よ、虎よ」アルフレッド・ベスターですね。
まあ、有名作品ですからすぐ分かっちゃいましたでしょうね。
クイズの解答みたいな後書きでした。
失礼しました。




