26:議員会館奇譚
巧は今、惑星カグラの北大陸ノルンの中央部、ライン川から山脈を一つ越えた国境の町シエネに居る。
結局、あのシミュレーションもどきが現実であると知った後、救った猫族の子供をどうするか決めかねてヴェレーネともども此処までやってきた。
「これもシミュレーションですか?」
巧の声は嫌味たっぷりである。
場所はシエネの議員会館宿舎のテラス。
テラスは四階にあり、シエネの街の大部分が眺望できる上、風通しも良く布製の日よけも架けられているため過ごしやすい場所なのだが人影は巧とヴェレーネの二人以外には無い。
理由は至って簡単で、下層はシエネの議員の事務所になっているが上層部は首都セントレアから来た議員専用になっているからだ。
シエネの議員のテラスはこの一階下である上に、別には会議場も持っている為、この四階に上がってくる者は殆ど居ない。
「そうね」
巧の問いにヴェレーネは悪びれずに答えた。
「何だと!」
巧がはっきりと怒りの台詞を口にする。
この男の悪い癖が出た。
投げやりで時には自分の命ですら『どうでもいい』で済ますのに、人に騙されることや弱い者が虐げられることについては怒りを発するのだ。
そうかと思えば、『例の事件』の時の様な冷酷な意見も出せる。
最後に関しては、まさか下っぱの意見が採用されるとは思わずに『最善なら』と素直に書いてしまった考え無しだった、のだろう。
結局、考え無しの行動で彼は充分すぎる程の報いを受けている訳だが……
昔は単なる含羞み屋で真面目なだけが取り柄の青年だったはずなのだが、酷な体験を経て随分と変わってしまったものである。
「あなたが命令に従ってハッチを開けなければ、此処は未だにシミュレータの中でしたわ。
何より、此処はあなたの世界ではない。そう云う意味では『現実』ではないわね」
「詭弁だな」
「そうかもしれませんわね。でも、そう思うならシミュレーションから降りてこの世界と二度と係わらなければいい。そうでしょ?」
それで割り切れる問題ではないとばかりに、巧は机を叩く。
しっかりとしたはずのテーブルが『ミシッ』と音を立てるのが離れていても分かったのであろう、ウエイターが近寄ってきた。
このウエイターは帯剣が認められていない議員会館の中で衛士の役割も任せられている。
何らかの暴力沙汰になりそうならばすぐに巧を取り押さえる為に動いたのだ。
しかし、ヴェレーネはそれを片手で制した。
ウエイターは直ぐさま下がって、定位置に戻る。
「それで、机を叩く程に何を怒っているのかしら、取引のことで葛藤があるとか?」
ヴェレーネの質問は実は『はぐらかし』である。
巧が何に怒っているのかは知っているのだ。
「何故だ!」
「何のことかしら?」
「何故、あんな凄惨な殺し方をさせなければならなかった!」
その通りである。
三十ミリなど使わなくとも、手で握りつぶさなくとも、踏みつけなくとも、十二,七ミリ、いや、七,六ミリの一丁で片が付いたのである。
「別に早贄まで造れとは言いませんでしたわよ」
ヴェレーネの言葉に巧の表情が固まる。
そうだ、あの残虐な行為は『俺』の仕業だ。
この女に責任は押しつけられない。
そう思って口を噤んだが、彼女は続けてとんでもないことを言った。
「まあ、あれのお陰で目的は充分に達成されましたけどね。良い証拠にもなりますし」
「何のことだ?」
「この件から抜けるあなたに関係はありません。つまり話す必要を感じませんわ」
「嘘を吐いておいて、知らぬ、存ぜぬか!」
怒りで巧の顔は真っ赤であるが、ヴェレーネの答えは意表を突いた。
「嘘? 私が何時嘘を吐きました?」
そう言われて、巧は彼女の言葉を思い出す。
『シミュレータは「リアル」です。
フィードバックがあり本人も傷を負います。精神的にも危険かも知れませんね』
なるほど彼女は確かに『現実』と言った。
決して『現実的な』等とは言っていない。
「引っかけたな……」
「そこは申し訳ないと思って居ますわ。でも、私が悪いと思いまして?」
「……いいや」
『頭脳戦』は負けた側が悪い、と捉える巧の性分を彼女は良く知っている。
実際ヴェレーネはこの三年間、彼を観察し、どの様にすれば思い通りに動かせるか、それを考えていた。
尤も、それに当てはめられているのは巧一人に限らない。
ヴェレーネは地球において多くの人間に罠を仕掛けている。
勿論、巧の国にも愛着はあり帰化した以上はその国に不利益を向ける気はない。
しかし泥にまみれようが地獄に堕ちようが、『自分の租国を守る』
このことだけに心血を注いで居るのも事実だ。
巧ごときでは到底、敵う相手ではない。
「分かった。認めよう。此処は俺自身にも命の危険のあるシミュレータの内部だ」
「それで?」
「しかし、耐えられない。降りる」
「弟さんのことは?」
「諦める! 杏がせっかく持ち直してきたんだ。そろそろ軍も辞めるべきかも知れない」
今まで投げやりだった男が、自分が作り出した『人の死』を間近で見て僅かながらにまともな人間に戻りつつあるのかも知れない。
ヴェレーネは表面上は相変わらず落ち着いてはいるが、表情に出せるなら露骨に落胆していたであろう。
まさか、こんなに早く次のカードを切らなくてはならないとは、と不満なのだ。
しかし、引っかけはさせて貰うことにした。
「この国の事について、少し聴いていきません?」
「降りる以上、俺に関係無いだろ」
先程のヴェレーネの台詞に意趣返しをさせて貰う。
「あなたは今、此処がシミュレータ内部だと認めました。と云うことは、今回の訓練は終わって居ません。上官の話は聞くものではなくって?」
「断る! ミッションは一時間で終了の予定だったはずだ。当に半日は過ぎている」
「そうですか、では自室に戻ることを許可します」
そう言って、ヴェレーネはカップを持ち上げ口元に運んだ。
ならば、と巧は椅子を蹴って立ち上がったまでは良いが、直ぐさま『はっ』となる。
どうやって元の世界に帰ればいいのだ?
「戻さないって訳か……」
「そんな事は言っていませんわ。
時空跳躍は一度行うと補助機関無しでは三日はどうしても休養期間が必要なんですよ。三日間、この宿舎で過ごして帰れば、『あちらの世界』ではミッションスタートの一時間後です。
お気になさらずに少し異世界を楽しんで行かれてはどうですか?」
補助機関もだいぶ改良が進んだが、それでも丸一日の休養期間が必要なところまでしかこぎ着けていない。
そうなると首都に戻るのに一日掛かるとして、結局は二日だとヴェレーネは説明を入れる。
尤も到着して半日以上経っている巧が跳躍した場所に限れば、AS31―Sと『あちらの』莫大な電力を使ってすぐさまでも戻れるのだがこれは隠した。
巧に訊かれなかったからだ。
彼が訊いていたら素直に答えるつもりではあった。
「それとですね。まあ、あまり危険はないとは思いますが今回の跳躍で、あなた、この世界と繋がりが出来てしまいましたので、軍を辞めてどこかで働いている時に不意に此処に跳ばされることがあるかも知れませんよ」
ヴェレーネは一兆分の一より低い確率の話をしたが、巧はそうは捉えない。
「『脅し付き』って訳か……」
「私は事実を言っているだけですわ」
真実を話していないだけでもある。
事実、彼女は今回の跳躍で巧に『しるし』を付けた。
その気になればあちらの世界からこちらへ何時でも跳ばすことは可能になったのだ。
『脅し』という言葉もあながち間違っては居ない。
口にしなければ成り立たないのだが。
「暇つぶしだ。聴こう」
この一言は言うべきではなかったのかも知れない、部屋に戻って三日間の不貞寝を決め込めば彼の運命は変わっていただろう。
しかし、異世界などという場所に連れてこられて、何の情報も無しで過ごせる程に暢気な人間など、居よう筈も無かった。
「素直で助かりますわ」
ヴェレーネが議員会館の自室から地図を持ってくると言うので、巧はその間に風景でも眺めることにする。
テラスの端によって俯瞰すると街全体が見渡せる。
「綺麗だな」
思わずそう呟いた。
ドイツ南部のバイアーン(バイエルン)を想い出させる町並みである。
あの街も交通標識も信号も殆ど見かけなかった。
路面の石畳は同じだが、あちら程しっかりしたものではなく少々粗が目立つ。
しかし、それが又、歴史を感じさせる。
だが、驚くのはやはり街ゆく人々だ。
人間以外にちらほらとだが、虎や狼、数時間前に拾った様な猫などが服を着て二本足で歩き廻っているのだ。
また此処からは遠目では分からないが、この宿舎に入る前に所謂『妖精』という奴も見た。
まあ、マリアン程には美しいとは思わなかったので見惚れることもなかったが。
南の城門前にはかなりの人だかりが出来ている。
城壁の外にAS31を置きっぱなしなのだ。
ヴェレーネが門番に何事か言いつけると、すぐに三十人程の兵士が来て警備を始めてしまったので特に問題はないであろう。
それにしても、あの兵士達の態度。
言葉は分からないが、地に片膝を着いてヴェレーネの指示を受け取っていた彼らの姿は畏れと敬いのそれであった。
彼女はこの世界では地球以上の相当な実力者の様だ。
「よう、お若いの! この街をどう思う。気に入ったかね?」
後からいきなり母国語で声を掛けられて驚く。
振り向いて更に驚いた。
軍服を着た老人が立っている。
だが、その軍服は、第二次世界大戦の頃のドイツ国防軍機甲師団戦車兵のそれなのだ。
帽子にトーテンコップ(髑髏)の徽章がないと云うことはSS(武装親衛隊)ではないと云うことになる。
ヘッドホンを付け、そこから伸びるマイクを口元に伸ばしている。
二〇五〇年代では中々見ない年代物の様だが、軍服に比べてそれだけは新しく見えた。
声は胸元の貼り付け式スピーカーから流れていて随分と流暢な巧の国の言葉が聞こえてくる。
そしてスピーカーの下には鉄十字章。
何故、こんな処にドイツ国防軍の戦車兵が居るのだ?
まあ、自分もある意味では戦車兵なのだが……。
巧は混乱しっぱなしである。
「二〇五〇年頃から来たんだってなぁ? どうだい、うちの国は上手くやっているかね?」
細身の老人ながら背は巧よりやや高い。
どっかと椅子に腰を下ろすと、答えを促す様に巧の目を見る。
「え、ええ、あの、残念ながらと言いますか、その、戦争の方は、」
言いよどむ巧を見て老人は豪快に笑う。
「そりゃ知っとるよ。儂は一九九二年の東ドイツから来たんだからな。
東西ドイツが統一されたすぐ後だ」
「ああ、そうですか。ええ、上手くやっていますよ。
少々、移民が多くなって困っている様では有りますが、彼らとも何とか話し合いながらと言うところですね」
「自由はあるかね?」
「はい、それは間違いなく」
巧としては、やっと明るい話題が出たとほっとしたのだが、老人はその言葉を聞いて逆に寂しそうな表情を浮かべた。
「自由、か……」
「どうか、なさいましたか?」
「いや、儂は生まれてこの方、幼い頃はともかくとして、自由な時代とか自由な社会とか、そう云ったところで過ごしたことはなかった。
この『ひと月と少し』でだな、そういった言葉の意味が分かる様になったのは……」
老人は椅子から立ち上がってテラスの手すりに近付くと、巧に並ぶ様に街全体を見渡す。
「此処は良い街だな。差別もない、税もほどほどだ。
もしかして貧困にあえぐものも居るのかも知れないが、街に物乞いが居るでもない。
何より人の顔が穏やかだ」
「はあ、」
生返事になってしまうが、迂闊なことは言えない。
この老人は八〇歳程に見えるが、七五歳程だとしても丁度第一世界大戦の真っ最中に生まれたことになる。
ワイマール共和国で貧困の辛酸をなめ尽くし、ヒトラー政権下で景気が良くなったとは云えども、ゲシュタポと密告の社会を過ごして二十歳になった頃には戦争に参加していたのだろう。
東ドイツから来た。と言うことは、戦後は悪名高い秘密警察シュタージの跋扈する社会で今までの人生の全てを生きたことになる。
なるほど、『自由を知らない』か、確かにそうだ。
若く、そして自由を謳歌している巧に掛ける言葉など有るのだろうか……
「若い頃戦争に出てな、」
老人は不意に話題を変えてきた。
「ええ、先の大戦ですね」
「うむ」
「その中で、侵略者にもなったが、祖国の防衛者にもなった。
侵略者より、負け戦でも防衛者の方がマシだ。
そう思いながら戦ったが、やはり後退戦というのは惨めなものだったよ」
そう言うと大きな溜息を吐く。
「だが、今度は負けたくないなぁ、此処は故郷によく似ているんだ。
此処の人たちが奴隷に落とされる処など見たくもない。
国が分断されるどころの悲劇ではないよ」
老人の言葉に、巧は飛び上がる程に驚く。
「奴隷! 奴隷って何ですか!?」
「なんじゃ、リズから何も聞かされずに此処に来たのか?
悪い娘だ。しっかり叱ってやらんといかんな」
今度は老人が怪訝な顔をして、体の向きを変えると手すりに背を預けた。
その時テラスに繋がる室内に引っ込む影を老人が見つける。
丁度、巧も老人に釣られる様に同じ姿勢を取ろうと振り返ったところであったので、その影が引っ込むのは一瞬だが見えた。
「こりゃ、リズ! 隠れるんじゃない! こっちに来なさい!」
老人は、どこからこんな声が出るのかという程の大声で怒鳴りつける。
リズ、即ちヴェレーネが丸めた地図を持った両手を揃えて、ばつの悪そうな顔で俯き加減に近寄ってくる。
巧は驚いた。あの『魔女』を萎縮させる人間など、自分たちの世界は元よりこの世界にも居るまいと思っていた矢先である。
しかもヴェレーネが頭を垂れている相手は、巧と同じ世界から来たという老人なのだ。
「えっと、あの、ですね。お爺様、これには色々と訳がありまして……」
「そんな事は知っとるわい。馬鹿にしとるのか!」
容赦無しである。
「どうせお前さんの事だ。手管を使ってこの青年を此処まで引っ張ってきたんだろうが、男にはな『意気に感じる』って事があるものだ。特にこれぐらいの年齢だとな。
素直に話して協力を仰ぐのが筋だったと思うぞ」
「はい……」
消え入りそうな声で答えるが、それでも顔を上げ、
「でも私だって必死なんですわよ。お爺様だったら分かって下さるでしょう?!」
声を張り上げ踵を返す。
が、その手を老人は捕まえ引き留めた。
今度は老人が謝る番である。
「うむ。そう言われると儂も短慮だった。
リズを困らせようと思ったのではないんだがな。
この青年にはちょっと違う方法が良かったのではなかったのか、と思ったのだよ」
「違う方法? ですか?」
ヴェレーネは素直に聞く姿勢を見せる。
巧にとっては何から何まで信じられない光景であった。
猫娘の存在の方が、まだ素直に信じられるとすら思う。
「まあ、とにかく座って話そう」
そう言って老人はヴェレーネの為に椅子を引く。
老人からの貴婦人の様な扱いに彼女は少し機嫌を直した様だ。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「なるほど、この世界とこの国の現状は大体分かった」
巧は地図を使ってヴェレーネに様々な説明を受けた。
その中で時々、老人も質問をしてくる。
やはりこの人も、この世界に来て日が浅いのか。
と巧が思わざるを得ない場面であった。
「しかし、聞きたいんだが、あの行為に何の意味があったんだ。
それに好んで作ってしまった訳ではないが、『早贄』が『良い証拠になった』というのは?」
巧が聞いているのは、山道で行われたASによる五名への殺戮行為である。
「なんだ、それは?」
老人が疑問を口にしたので巧は自然とそれに答えようとしたのだが、
その時、ヴェレーネから『まった』が入った。
真剣な顔で、いや、泣きそうな顔で老人を見る。
「お爺様、何を聞いても私を嫌いにならないでもらえますか?」
「どんな残酷な行為をしていたとしても,お前が人の血を啜っていたとしても儂はお前の味方だ」
老人の答えは即断であった。
ヴェレーネが飛びついて老人の胸に顔を埋める。
全く今日は奇妙な光景ばかり見る。
元の世界で話して、誰が信じるだろうと思う巧であった。
落ち着いたところで話が再開された。
「山岳地帯の結界については話しましたね」
「ああ、あれのお陰で軍隊が山を越えられないって事だろ、だったら尚更、あれは不要だったんじゃないのか?」
巧としては不満顔である。
「『結界』って何だと思います?」
ヴェレーネのいきなりの問いに巧は戸惑う。
言われてみれば、武器を通さないだの、軍人を通さないだの、なんだか便利すぎないか?
それが巧の感想である。
そう素直に告げると、ヴェレーネは頷いた。
老人も興味深げである。
「例えば、あなたをこの世界に転移させた様に我々の多くは魔法が使えます」
そう言って指先に炎を灯して見せた。
「それ、所員の連中に次の慰安旅行で見せると受けると思うな」
結構真面目な感想だったのだが、ヴェレーネは揶揄われたと思ったのであろう、軽く睨まれた。
「しかし、これにもきちんとした科学的な原理が存在するんですよ」
話を続ける。
巧も、阿呆とばかり思われるのも癪なので『A・C・クラークの第三法則』を引き合いに出して答える。
「充分に発達した科学技術は魔法と見分けが付かない、ってやつだな」
「その通りですわ。では、結界にも何らかの科学原理があって働いているはずですわね?
何だと思います?」
ヴェレーネの問いは益々難しくなる。
巧が頭をひねる中、
「方法は分からんが『殺意』に反応しているのかな?」
老人が答える。
「そうですわ! 流石はお爺様です!」
ヴェレーネの表情は子供のように嬉しそうである。
「なーに、昔、よく撤退する時に仕掛けをしたものさ。
欲深い阿呆ほど死にやすいやつを、な。欲を殺意に置き換えてみただけだ」
老人が話しているのは所謂ブービー・トラップと云うものである。
日本語に直せば『愚か者への罠』とでも訳すべきであろうか。
地雷などの上に高価な品を置き、それを取った者が居れば爆発するものなどから、単にワイヤーを仕掛け、引っかけると手榴弾のピンが抜けるというものまである。
M二十四型やM三十九型手榴弾は安全装置を外して紐を引けば爆発した為、ドイツ軍が罠としてよく使った。
M三十九型など七秒、五秒爆発タイプはともかく、一秒爆発タイプというものまであったのだから、思わず「自殺用か!」と言いたくなるが、これを逆手に取った訳である。
「殺意? そんなもの、」
どうやって感知する、と言おうとして、先程自分が言った『クラークの第3法則』を思い出した巧は黙り込んだ。
「まあ、方法は事細かに話す訳には行きませんが、人間の思考も電気信号の中で生きる量子の固まりだと言うことです。
それに影響を与えて、少しでも殺意や緊張感、恐怖心のあるものに対しては脳に働きかけて体の動きを止める事ができるんですよ」
説明を終えるが、ヴェレーネの質問が更に続く。
「例えば、子供が野ウサギを狩ろうとしてあの山に入った場合、結界は働くと思いますか?」
「働かんだろうな」
再び老人が断言した。
巧としては不思議に思い、何故と尋ねる。
老人はこう答えた。
「そのような狩りの時、子供が野ウサギに対して持っている感情は『殺意』じゃあ無いんだよ。
遊技に対する『高揚感』だけなのさ」
「殺意には、緊張感が必ず伴う。
或いは自分が逆に殺されるかも知れないという恐怖心だな」
後半は、巧の意識にヒビが入るかと思うほどの言葉であった。
それは分かる。自分はあの時、『遊び』で人を殺した。
反撃など考えても居なかった。あれは『殺意』ではない。
巧は吐き気を憶えたが、ぐっと飲み込む。
ヴェレーネも老人も巧の顔色が変わるのに気付き、休むべきか問うてきたが、巧は首を横に振って話を続ける様に促した。
サブタイトルは、作中にも登場したA・C・クラークの「白鹿亭奇譚」からです。
近年のSFファンにはあまり良い評価とは言えないようですが、自分はこの短編集が大好きです。
イングリッシュ・ウイットに溢れた素晴らしい作品だと思っています。
本棚に置くだけで誇らしい気分になります。




