24:シエネの血まみれの丘
六日目、夕方、僅かに中央陣地の戦局が動き始めた。
野戦で中央突破、分断包囲程恐ろしいものはない、左右の連携がとれず各個撃破の対象になりかねないからだ。
アウステルリッツのナポレオンように側面からの各個撃破もないではないが、それは一部の天才に許される技である。
シナンガルは基本通り中央突破、右翼包囲を狙ってくるだろう。
その為か、徐々に占領した窪地を広げている気配が感じられる。
七日目の日の出前、軍議が行われる。
「へたすりゃ、中央陣地の下まで穴を掘って地盤沈下を狙っているかもしれん」
そう言った司令官バルテンの言葉に第二副官ポージーの顔面は蒼白になる。
「堡塁ごと壊滅しますよ!」
女性の声は耳に響く。
「冗談だよ。そうなりゃ、あっちも登るのが更に難しくなるんだ。可能性は低い」
そう言った後で、付け加える。
「地下室に集音器を置いておけ、地下を掘る様なら音は良く響くからな」
一応は警戒する様に指示を出したが、集音器と言っても実際は唯の『バケツ』である。
壁向こうの音を聞こうとしてコップに耳を当てる事があるが、あれをバケツを壁に打ち付けることで行おうと云う訳だ。
それに対してポージーは提案をしてきた。
「なら、アイアロス・ビーリー殿に頼んでみては?」
「馬鹿を言うな!」
呆れたようにバルテンは一蹴する。
アイアロス・ビーリーとは魔導研究所からの応援部隊における中央陣地のリーダーである。
名前の意味は姓と名を併せて『白き風の支配者』
その名に負け得ず、風の魔法を得意とする人類種である。
風の刃である『ウインドカッター』の威力などはマーシアに迫る勢いであるが、実は彼の魔法力は通常、魔術師と呼べるレベルではない。
精々、魔法士の中の上と言ったところだ。
そんな彼が、研究所の魔術師達を一部隊とは云えども率いていられるのは何故か?
それは、彼が魔術の本質に迫る男だからである。
人類種の魔力の成長が最も盛んになる十歳から十五歳の間、いや、更に幼い頃から彼は原因不明の脱力症状が現れる病により、体が弱く意識を保っていられる時間が少なかった。
これが魔力の成長を阻害したものと思われる。
しかし、病が癒え体力が付く様になる二十歳過ぎまで、彼は常に『魔力とは何か』だけを考え続け、自分の魔力を出来るだけ消費しないで、つまり意識を保っていられる範囲で何が出来るかを考え二五歳になる今までを過ごしてきたのだ。
その結果、彼は魔法の本質に迫りつつある。
勿論、あくまで仮説である為、間違った知識を広めた場合、彼の影響力から大きな問題になることは間違いない。
そこで所長との会話以外は『その件』について話すことを禁止されている。
彼の影響力、それは魔法士程の魔力量でも『本質』に迫れば、魔術師を凌駕できるという魔力の弱いものにとっての希望。
上からは一目置かれ、下からは敬われるという希有な存在である。
中央集団のリーダーにふさわしい人徳と、何より戦闘に置ける自分の能力の最も有益な活用方法を知っている。
彼は戦闘開始四日目に到着してから今までの三日間、殆ど戦闘らしい戦闘に参加していない。
では、何をしていたか。
彼は情報を集め連絡員としての活動を進めていたのだ。
アイアロスの下に集められた情報は一元化されることによって全軍に正しく通達され、敵に効果的な打撃を与えることにかなり成功している。
その際、彼は自分の魔力を最低限度使って、陣のほぼ全域に声を流した。
少ない魔力で最大の威力、彼こそが正しく魔術師である。
彼はこの前線の無線機でありスピーカーなのだ。
中腹の窪地を占領されたのは痛かったが後続を絶つことに成功したのは、彼によって後続部隊の突入タイミングが計れたためである。
中央及び左翼の全軍によって長弓の一斉射撃が行われ、合流を阻止した。
三キロの陣地全体の半数以上が一斉に矢を射るタイミングを合わせ得たのは偏に彼の能力に寄るところが大きい。
その男を地下に置いておけと云うのだから、この副官のポージー、単純な戦闘力は高いのだが全体が見えていない。
シエネの将軍も、もう少し考えて副官は派遣して欲しいものだ。
彼女は百名前後の中隊指揮官当たりが一番向いているのだから、とバルテンは思う。
もう一人の副官オレグ・バチェクも少々考えが甘いところがあるが、”あいつならばこのような事は言うまいな”と思い、彼の四時間後の休養明けが待ち遠しくなった。
その時、兵から連絡が入る。
「昨夜の内に、騙されたようです」
「どういう意味だ……」
答える伝令兵の顔つきは暗い。
「川岸の橋頭堡の壁を目隠しにして地下道を掘られたのではないかと思います。
窪地の人数が倍以上に増えています。
その上、物資も運び込まれた様で、今、陣地構築を開始しました」
「やられた!」と言うしかない。
あれだけの大軍が夜陰に紛れて穴掘りをする。
しかもかがり火も増やさずに、音も押さえて、だ。
敵の司令官、相当に出来る奴だ。
見た目の派手さなどではなく、着実な追い詰め方を知っている。
俺の力では、だめか。
とバルテンは肩を落としそうになる。
その時、もう一人の兵が入ってきた。
「ビーリー殿から伝言です! 今マーシア様から連絡が入ったとのことです!」
「なに!」
伝言の内容を聞くにつれてバルテンの顔が紅潮してくる。
しかし、何故今になって急にマーシア・グラディウスが……。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
マーシアとしては別段このタイミングが重なると思って居た訳ではない。
マリアンはこの三日間、起きている間はずっと気が張っていた。
今夜当たりなら、自分がいくら暴れても気付かずに意識を閉じ込めて完全な眠りに入ってくれるのではないかと思って居ただけなのだ。
唯それだけだ。
それにしても、シナンガルの奴らも中々やるな。
単に数だけでもやっかいなのに……。
マーシアはそう思いながら、中央本陣に向けて歩いていった。
到着するとマーシアは、まず司令官のバルテンに遅参を詫びた。
バルデンとしてはマーシアが何故中央戦線に来るのを拒んでいたのか尋ねたかったのだが、せっかく来てくれたのだ、下手な話になってへそを曲げられては困ると思い、そこは敢えて聞かずに、
「宜しく頼む」
と言うに留める。
マーシアはアイアロス・ビーリーから地下道の連絡を受けた時から、有る計画を練っていた。
アイアロスに可能かどうか確認を取ると、彼は少し考えて、その場でなにやら描き始める。
描き終わると、それをマーシアに見せる。
「これ、捉えられますかね? ものすごく少ないんですけど、兵士達の煮炊きした後の炭からは結構その素になるものが出ていますので。
あと、名前はまだ付けていません」
と言う。
さて、この世界の魔法について既に気付いている人も多いと思うが、これらは全て化学、物理法則の現象を人間や亜人達が何らかの方法を使って起こしているものである。
その秘密の一つが彼らの『目』にある。
亜人やエルフは当然として、人類種の中で『魔力』を持つ者も全て、大気中、地表、或いはアルスの様に場合によっては、ある程度の深さまで土中や人体の内部の『粒子』を見ることが出来る。
正確には感じ取る事が出来ると言うべきか。
これにより、必要な原子、粒子を集めて化学反応を起こすなり、物理現象を起こすなりしているのである。
フェリシアの人類種に『魔力』を持つものが多く、シナンガル側に少ないことにも当然ながらそれなりの理由があるのだが、その点はまたいずれ話すことになる。
アイアロスが見せた元素を見てマーシアは、まず、最初にイメージを掴む様にした。
それから一言、
「臭いが無くて重いか?」
とだけ訊く。
アイアロスは頷くと同時に、
「但し、大気中には殆ど存在しないんですよ。ですからマーシア様に炭をいじくって貰いたいんです。保管はこっちでやりますから」
そう言って、自分の胸を手の平で軽く叩いた。
任せろ、と言う意味だ。
「後、声を合わせましょう」
彼はそう付け加える。
“人間の聞こえる声の周波数の外で話をしましょう”と云う意味だ。
これなら、風の魔法に乗せていくら大声で喋っても周りに漏れる恐れがない。
これはアイアロスが風の性質を研究している内に音も大気と関係がある事を突き止め、自ら生み出したオリジナルと言える魔法である。
音合わせをして、お互いのみが聞こえる音域で合わせた。
後程、使うことになるので丁寧に合わせる。
さて、準備を始める。
マーシアお得意、養父アーキム譲りの炭素変換である。
作り上げた元素を自分で作り上げた『纏める量子』の中に閉じ込めていたのだが、“これ以上詰めると危ない”と思いアイアロスに渡す。
まず彼は頭上に巨大な纏める量子を生み出した。
直径は二十メートル以上ある。
魔力のある者にしか見えない上に日も沈み切ったところである為、ぼんやり、としか見えないが、マーシアも
(いつ見ても、凄い光景だ)
と思う。
アイアロスは自分の弱い魔力を補う為、出来るだけ沢山の纏める量子を集めることに子供の頃から熱中していた。
普通の魔術師が集められる『纏める量子』の大きさは、直径三十センチ程、マーシアですらも最大一メートルが限界である。
その分彼女は二十センチ程度の小さなものなら一度に百数十を造ることが出来るのでアイアロスは質、マーシアは量、と言うところであろうか。
但し、アイアロスは『炎の始め』のような攻撃可能な元素を集めることは、魔法士程度にしか出来ない。
やはり彼の『魔力』の弱さの為なのである。
『纏める量子』だけが何故こうも彼にとっては集めやすいのか、彼自身には『ある仮説』があるが当然ヴェレーネ以外には話をしたことはない。
「余り得手では無いのですが」
と言いながら、『纏める量子』内部の大気を抜いて外の温度を完全にとは言わない迄も、遮断する。
僅かだが、内部は氷点下に下がった様だ。
マーシアが集めた気化元素が液化して行くのが分かる。
見るものが見れば、頭上五十センチ程の位置に巨大な金魚鉢を浮かせている様なシュールな光景である。
兵士達の中で『見える者達』は驚いてはいるが、なにやら大切なものらしいと気付いて、誰一人騒ぎ立てるものがいない。
空気を読んでくれて助かる。
作業も終わろうかという頃に、アイアロスが妙なことを言った。
「マーシア様。何か変わったことが有りましたか?」
「マリアンのことならお前も聞いているだろ?」
何か有ったか、どころの話ではないではないか。
魔導研究所の上層部には一通り話は通していることなので、マーシアは不思議な顔をする。
「いえ、そう云う事でないのですが……」
この話はこれで打ち切られたが、アイアロスはこのときマーシアの能力に何か大きな変化が現れている様に感じていた。
その時点で根拠がある訳では無かったのだが。
暗闇の中、マーシアはたった一人で敵陣に殴り込みを掛けることにした。
今回、ハルベルトは使わない。
普通のロングソードである。
『バスタード』は既に使わなくなって久しい。
養父アーキムが年老いたある日、彼女に言ったのだ。
「その剣は良い剣だが、名前が良くない。大事な私たちの娘には似合わない」
色々な思いが込められた言葉だったと思う。
もう悩んではいけない。お前は悪くない。
それも含めた言葉だと解り、素直にバスタードを手放した。
長年の感謝を込めて今は首都の近郊で父母が晩年を過ごした実家に保管されている。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
彼女の周りには、いま、全く音がしない。
体も弱く、武芸もからっきしのアイアロスが危険を冒して着いてきてくれた。
空気の振動する割合を変化させ、彼女の周りの音を消しているのだ。
先程の声合わせは、彼女の発する呼吸によって暗闇の中で彼女の位置を知る為のものであった。
アイアロスの変換魔法は半径五十メートル程しか効かない。
一緒に丘を下り、窪地近くまでは行く必要があったのだ。
闇夜の中、彼女は周りは全て敵であり、同士討ちの心配がないことを盾とばかりに片っ端から斬り殺していく。
騒がしさもない為、マリアンの意識が目覚めることもない。
安心して殺しまくった。
シナンガル兵に向き合うこのときばかりは、彼女の中の狂気と残虐性が存分に発揮される。
村を焼かれ、親の名を忘れる程の衝撃を受けた恨みは未だに彼女の中に『暗黒』を飼っている。
何人か異変に気付いて逃げようと、穴の中に飛び込むが、既に岩で蓋がなされている。
それならば丘を転がり落ちてでも、と逃げると斜面の途中にはアルスが待ち構えていて、一人一人、丁寧に凍らされていった。
三十分程で千名以上の死体が窪地に転がった。
マーシアは息一つ切らしていない。最早、作業である。
シナンガルの本陣には未だ気付かれていない。
ここからが本番だ。
内部に敵兵はいないであろうと思って居たが、その通りであった。
急ごしらえの狭い地下通路内は、木材で補給されているとは云え、何時崩落するか分からない。
その上息苦しいとなれば誰が夜中に此処に残るであろうか。
アルスも近付いてきた。
血の臭いに顔をしかめている様だが、それ以上のものではない。
彼女も国境付近の小競り合いにはこの三年の内、何度も派遣され戦いは見慣れている。
今回の様に実際に魔法を使う機会はなく、デフォート城塞や後方からの見物だけですんでいたのだけだったので、彼女程の『魔女』の存在はシナンガルに知られてはいなかったのだ。
これは、大きな戦いで一気にその力を使うことで、相手への抑止力にしたいというヴェレーネの考えから来るものであった。
「これから何をしますの?」
わくわくした感じで聞いてくるが、声を先程教えた周波数にしてくれとアイアロスに注意され、ばつが悪そうに詫びる。
「これから敵陣は大混乱になると思いますので、突入して潰してきて下さい」
「わたしの魔力、六千も殺せれば上出来よ? 相手は十万でしょ?」
「半分潰せば後は勝手に逃げます。それに兵も参加させます。
マーシア様がいますから、彼らを率いて取りこぼしを始末して下さい。
あと、一時間後には弓兵に一斉射撃をさせるかもしれません。
その時の私の声を聞き逃さないで下さいよ」
アイアロスは細かく注意を入れていく。
しかし、如何にマーシアと云えども、まともに十万の中に突っ込んでは魔力、体力共に持たないだろう。
それに、こちらの兵は今すぐならば三万動けるかどうかだ
アルスが気になるのも当然である。
「これを使います」
アイアロスは、自分の背後を指した。
暗くてよく分からないが、ガラスのボウルに入った様な半球形の水が存在している。
まず、その中から、マーシアとアルスに十分の一程を取り分けて貰う。
『纏める量子』の殻に閉じ込めて貰い、二人に穴の奥まで運んで貰った。
感覚頼みだが、二人が“底に着いた”と言うと
アイアロスが『纏める量子』を解放するように指示をした。
水はあっという間に気体になったが、比重が空気の二倍である為、穴の底にたまっている。
アルスに魔力を補って貰い、アイアロスが風を送り込む。
ゆっくりとだ。
敵の陣地のかがり火の高さは一,五メートル以下と云うことはないはずだが、慎重に行う。
何度か繰り返して、気体は敵陣地の中央約四万人程の範囲まで蔓延した。
「燃える気体なんですよね?」
アルスが訊いてきたのでアイアロスが頷くと、
「じゃあ、マーシア。お得意の火炎をぶち込んでやりなさいな」
そう言ったが、アイアロスは首を横に振る。
「我々だけ、特にアルス様、マーシア様だけで片付けては死んだ者の無念は元より、今まで頑張ってきた兵達にも『やる気』を失わせてしまいます。
彼らに自分たちの力が戦局を決めたと思わせなくてはいけません。
栄光の星は皆で分かち合ってこそ、国は栄えるのです」
そう言うと、同じ高周波で味方の陣に大きく声を掛ける。
直ぐさま彼直属の部下が、声を聞きつけて丘の上に現れる。
かなりの距離はあるが、呼吸までも周波数を合わせている為、返答は良く聞き取れた。
アイアロスが指示を出すと喜んで丘の向こうに消える。
最初に現れて丘を下っていくのは攻撃系の魔術師三十人。 彼らは南側に向かう。
またマーシアは北側に向かい、中央をアルスが受け持つ。
「ほんと大丈夫かしらね?」
アルスが問うと、アイアロスは答えた。
「私は子供の頃、ベッドの上で魔力の練習と『六ヵ国戦乱時代』の本ばかり読んでいました。
今夜、相手から夜襲があったなら、我々は大きな被害に遭っていたでしょう」
アルスが首をかしげる。
「じゃあどうして?」
「夜襲は基本的に力が拮抗しているもの同士か、弱い方からしか仕掛けません。
後は敵を倒す以外の何らかの明確な目的がある場合、ですね。
同士討ちの危険もありますから、簡単に使える手ではありません」
「シナンガルとしては自軍の方が強い上に、特に必要はない、と」
「そうです。しかし、「無い」という事も確実では無い以上、単なる賭でした」
自信がある様に見えていたアイアロスがいきなり弱気なことを言う。
「賭?」
アイアロスを信頼するアルスとしては、彼の弱気の根を追わざるを得ない。
「そうです。負ける戦には、負ける理由というものが必ず存在します。
しかし、」
区切る様にアイアロスは言葉を続けた。
「その負ける理由を全て潰して必勝の準備をいくらしていても、最後の一つを失えば決して勝てないからです」
ようやくアルスは納得して苦笑する。
「『運』が良かったってだけなのね」
アイアロスが頷いた直後、彼の部下から声が掛かった。
準備は整った、と。
サブタイトルの元ネタは「地球の緑の丘」です。
次回、やっとヴェレーネがアレを持って駆けつけます。
どうやら一般兵か魔法士に練習させるのに時間が掛かったようですね。
フェリシア軍反撃開始です。




