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星を追う者たち  作者: 矢口
第十章 神々と女王と
222/222

220:獣王の誕生(Eパート)


 おそらくは間に合うだろう。

 だが、その場合、ヴェレーネは完全にティアマトに先手を取られ、次の攻撃を受ける。

 それは避ける事の出来ない必殺の一撃になる。


 巧を守ると言うことは、ヴェレーネ自身の命を盾にしなくてはならない。

 一秒後には訪れるであろう確実な消滅。

 だが、彼女は迷わなかった。


 初めて会った時から嫌いな筈だった。

 死ぬことばかり考え、道を切り開くことを忘れた哀れな存在。

 自分を認められず朽ち果てていくだけの男。


 だが、それは間違っていた。

 彼は自分の弱さを知って、それでも強くありたいと足掻く『唯の男』だった。

 だからこそ静かに『来るべき時』を待つ事を受け入れていたのだ。

 人の弱さを率直に認め、仮に、その『弱さの牙』が自分に向いたとしても穏やかに許す事ができる男だと気付くのにヴェレーネは随分と遅れてしまった。

 それは彼の器がとりわけ大きいから、と云う訳ではなく、信じられぬほどに『不確定』なものだったからではないだろうか。


 彼はその時々で自分の力を発揮するに相応しい『自分の形』を選んでいたに過ぎなかった。

 コップとバスタブの大きさを比べても意味がない。

 必要な時に必要な形が手の中にあれば良いのだ。


 柊巧は、その事を誰に教わるともなく知っている。


 形があやふやな存在を人が捕らえる事は酷く難しい。

 そして、それはヴェレーネも例外では無かった。


 二度、そう一度ならず二度までも、自分の弱さを認めてくれた存在。

 それが彼。

 ゆっくりと肩を抱き、弱さを弱さとしてさらけ出すことを許してくれた。

 醜さも怒りも全て受け入れてくれた。

 罠を張られてこの世界に引き込まれた事すら忘れたかのように、今では私を、いや私が守りたいこの国と仲間に対する責任を、さも自分の事のように背負っている彼。


 問えば、『契約だ』の一言で済ませてしまうだろう。


 しかし、違う。

 第四小隊が壊滅した時、私は自分の暴走を考えずに先走ろうとしていた。

 だが、彼は決断の間も与えずに部屋に飛び込んで来ると、いきなり魔石を引きずり出しては私を諫めた。


 そして、優しく声を掛けてくれた。


『心配、だから……』と。


 私を頼る者は幾らでもいた。気遣う者も多い。

 でも、誰にも見えない筈の私の中の涙に気付いて真っ先に心を痛めてくれたのは、“彼”だけだ。

 彼の前でなら何度でも『弱く』なれる。


 だから……


 だからこそ失いたくない!

 例え、この身と引き替えにしても! 




「ティアマト、あんたの出現点は此処(ここ)よ!」

 転移から実体化するヴェレーネ。

 彼女が賭けたのは、ほとんど地上スレスレとも言えるポイントだった。

 オーファンに対しての水平距離は約四百メートル。


 現れたふたつの影。同時に凄まじい閃光が大地を照らす。

 顕現点に先回りする事に成功したヴェレーネの力場は、ティアマトが出現と同時に放出したエネルギーの全てを弾き返す。

 だが、ヴェレーネの予想は外れた。


 これは粒子砲ではない。

 ティアマトは自身が持つ内部エネルギーをヴェレーネに向けて放出しているのだ。


 無収束エネルギーの射程は極小である。

 だが、その効果範囲に於いての威力は粒子砲の比では無い。

 大気が鳴動する。

 億兆を超える元素が崩壊する悲鳴が空と大地を覆うかのようだ。

 地面が引き裂かれ、土砂と木々とが空中高く巻き上げられていく。

 想像を絶する『力』の衝突に、地表で重力場異常が引き起こされた。

 それは時空を揺るがせる竜巻。


 この力に巻き込まれたなら、後方にいるであろうオーファンは間違い無く引き裂かれ、瞬時に原子へと還元されてしまう。

「通さ……、な、い」

 全力を使ってティアマトの力を抑え込むヴェレーネの力場。

 僅か数秒の攻防の間に相互が発したエネルギーは、カグラ全体を覆う熱量に換算して〇,四パーセント弱にも及んだものの、気候に変動を与える間もなく瞬時に消滅する。

 その代わりに此処とは違う何処かで激しく時空が歪んだ気もするが、それすらも一瞬の事だ。


 巨大な時空竜巻が消えた時、ヴェレーネは攻撃を完全に凌ぎきっていた。


 だが、その成功の代償は大きい。

 取り返しが付かぬほどに……


 地に両手をついて肩を上下させるほどに息を切らすヴェレーネ。

 背後から響く足音に被せて、ティアマトは彼女を嘲った。

 かなりのエネルギーを放出したであろうにも係わらず、勝利が確定した事で彼女は実に上機嫌だ。


『フェアリー、とも在ろうものが“人間如き”にご執心とはね!』


 疲弊しきっている今、次の守りに移るにはワンテンポの遅れが出る。

 何処にも動く事は出来ない。


 つまり、……勝敗は決した。

 

彼女(ヴェレーネ)の人生の日誌(ダイアリー)はここで終わるのだ。


 だが、今の彼女は不思議にやり遂げた満足感だけがある。

 今の戦闘でティアマトは完全に巧を見失った。

 クリールは彼を保護する事に成功したのだろう。

 自分すらも現在位置を掴むことはできていない。

 ならば彼は逃げ切れる。そして、いつかこの化け物を倒すだろう。

 それは未来に於ける確かな事実だ。


 彼なら出来る、とヴェレーネには迷い無く信じられた。


 憂いが無くなった事でヴェレーネの心は平穏を取り戻している。

 緩やかに立ち上がると、虚勢では無い声を発して背後の存在に対して堂々と宣言する。


「自惚れるのもいい加減になさいな。人間はフェアリーの上位存在よ」


 だが、ティアマトも負けてはいない。

 彼女(ツー)上位存在(ワン)の首に縄を掛けたと云う実績に背を押され、堂々と反論する。

『それは種としての問題ね。それも“本社のオーダー”として上位に置かれてるってだけの話だわ』


「あなた、自分が誰に作られたのか思い出しなさい。

 本社は確かに組織(オーガン)かもしれないけど、中身は人間の集合体だってことぐらいも分かってないの?」


『社会的事実なんて私には関係ない。私は、私に与えられた指令を全うするだけ。

 それが私の存在意義(レゾンデートル)よ』


「どうやら狂ってたのはアクスじゃなく、あなただった様ね」


『黙れ! 本社の中身が人間の集合体ですって? 全く笑わせる!』


 怒りと嘲りを交えたティアマトの声は更に高まっていく。

『良いかしら? 思い出させてあげる。進化生命体としての人類は消える事が決まった。

 そう、この星にいる存在を残して、ね。

 いいえ、いずれは彼らも【アミーチェ】へと引き継がれる。それが進化の正しい姿と決まっていた筈よ。

 本社から指令を出していた存在に、アンタの言う【人間】ってのが一体どれ程残っていたことやら。まあ、賭けても良いわ、“ゼロ”よ』


 何かを馬鹿にしたような笑いは、果たして誰に向けられて居るのか?

 自らを(あざけ)っているかの様なティアマトの姿に、自然と怒りが高まるヴェレーネ。

 おそらくは同種であろう存在が間違っている事を明らかにしたい。

 その思いから、声には熱が籠もっていく。


「違う! アミーチェだって結局は人間よ。違う“何か”に進化する訳じゃないの!」


 だが、ティアマトにヴェレーネの感情の熱が届くことは無い。

 声を荒げるとも、その声色は唯々暗い侭だ。

『別に人間がどう進化しようと、あたしの知ったこっちゃないわ。

 最終的にアミーチェが猿に戻ろうが、エビに変わろうが、どうでも良いの!

 今まで随分と停滞していたけど、彼らは契約通りに戦わなくてはならないわ。

 それが彼らの祖先が結んだ契約よ。

 尻ぬぐいをさせるのは分かってる。でも規定の段階に達するまでは頑張ってもらう。

 そうでなきゃ、行き止まるだけなのよ!』


「行き止まり……、多様性の確保? なぜ、急ぐ? いや、時間は……」

 虚ろに響いて迷うようなヴェレーネの声にティアマトは怪訝そうな顔を見せる。


『何を言ってるの!? これは予定通りの事だわ

 ……アンタ忘れてたの?

 さっきから、持ってる情報がやけにチグハグね』


 そこまで声に出して、ハッとするティアマト。

 ようやく気付いた、とばかりに、深く大きく頷いた。

『まさか上位執行機関までも抑え込んでいた、なんて……ねぇ。

 まったく……、セムの越権もここに窮まれり、だわ』


 ティアマトの呻きの意味を捉えたのだろう。

 ヴェレーネは悲しげに言葉を返す。

「彼も悩んだでしょう……」


『何故、あいつに同情するの? 馬鹿げてるわ!』


「その言葉が、半端者の証なのよ」


 ふん、と鼻を鳴らすティアマト。

『半端者、ね。 で、その半端者にすら勝てないあんたは一体なんなのかしら?』


「……」


『そろそろ、良いわね。じゃ、さよなら』

 マーシア、いやティアマトの指先に光の渦が煌めく。

 過去にマーシアが構築したものに比べれば、ごくごく微小と言える荷電粒子の渦だが、今のヴェレーネにはそれすらも防ぐ力は残っていない。

 記憶転換によって力を封じ込めたまま強力な対抗力場を使い切った事で、彼女の能力は今やオーバーフローの状態にあるのだ。


 記憶の回復を行えば、まだ十分に戦えた。

 だが、彼女は『人』として生き、『人』として死にたかった。

 “記憶”をこれ以上に呼び戻すことは死より恐ろしい何かを知る気がしてならない。


「巧、後……お願い、ね。私たちの国を……、みんなを守って……」

 呟きを遺言にしようとする。


 だが、その声は彼女の耳に届かなかった。


 唐突に、爆発のように激しい、だがそれとは明確に違う甲高い空気の吸入音が空気を震わせる。

 実験場で、そして戦場で、嫌になるほど聞き慣れたその轟音は、彼女の小さな呟きを掻き消す。


 地球ではあり得なかった技術を実用化させたのはヴェレーネその人だ。

 聞き違えようも無い。

 希薄な大気の中でこそ活用されるラムジェットを、一気圧の中でも使用可能にした低速エンジンの独特な響き。

 つまり、それは……


 耳をつんざく轟音に導かれて振り向いた時、彼女の目に写ったのは爆散する白い影。

 頭部カメラは高く吹き飛び、安物のブリキの様に嫌な音を立てて地面に落ちる。

 それでも胸元から右上半身を失った巨人は未だヴェレーネの盾である事を止めてはいない。

 左手に残った大盾、その下半分の残骸をティアマトに向け、戦う姿勢をみせる。


 だが、短い奮闘もそこまでだった。

 オーファンと呼ばれた巨人は、ヴェレーネをその背に守ったままに遂には崩れ落ちた。

 頭をもぎ取った直撃弾は、コックピットの上半分までも完全に消し飛ばしている。

 あれでは、パイロットの生存は、……あり得ない。


「な、何で……」

 尻餅をついて、両手で顔を覆うヴェレーネ。


「いや、いやぁぁぁぁぁ!」


 叫び声を上げたヴェレーネの中で何かが、弾けた。



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