21:惑星カグラの魔女(前編)
巧の国の国防軍には旧隊以来からの伝統ある『技術研究本部』の他、様々な関連施設があり、出来うる限り国産兵器の開発を基本方針にしているが、その中で一際変わった研究所がある。
『国防軍第二兵器開発研究所』 それは北関東のとある場所にある。
具体的な地名を上げても仕方ないのでそこは省略するが、他の兵器開発研究所と違う点は、構想機製作、実験機製作、設計、試作、改案、試作完成機、実証など実際の兵器開発に関して一部の例外を除き全く外部の手が入らないと言うことである。
一部の例外とは、この研究所が国内初の第三セクター形式で半官半民であるため、その『民』に当たる企業が中間材と呼ばれる加工済みの金属部品や一部電子部品などを収めているのである。
ところが不思議なことに、この企業、研究所から利益を上げる気がどうにも薄い様なのだ。
それどころか、どう考えても赤字になるのではないかという程に資金をつぎ込んでいるため、他の企業からも不満は出ないものの、今や国防上は無くてはならない存在になりつつある。
また、企業は研究所を分離して子会社化しており、その株式は殆ど一人の女性によって押さえられていた。
女性の名を『鈴音・アルメット』と言う。
オランダ、ベルギーの二重国籍を放棄して帰化したのが十五年前、未だ十五歳の頃であった。
過去にはこの国の教育制度も硬直しており、十五歳なら高校生以外は認めないという時代もあったが、彼女が帰化した頃には外国での大学卒業も認められており、国語の単位さえ取ってしまえば、十六歳で大学卒業扱いとなった。
彼女の場合は大学どころか幾つかの工学分野、物理学分野での博士号も四つ、五つ取得しての帰化だったので政府としても大分驚いた様である。
『鈴音』は当て字であり、『ヴェレーネ』と読むのが正しいが、たまに戻る自宅のご近所さんには、この国の呼び方で“鈴音さん”と可愛らしく呼ばれていた。
実際可愛らしいのは名前だけではない。
彼女は現在三十歳になるはずなのだが、どう見ても十五~十六歳にしか見えないのである。
生物学の博士号も持っているため、人体実験を自分の体で行っているのではないのかと冗談半分の噂まで立っている。
街の奥様方から
『若さの秘訣を教えてほしい』
とせがまれるぐらいなら良いのだが、某美容化粧品会社の職員が一等兵として入り込み、その秘密を探っていたところを摘発されるという、笑えない事件も起きた。
物事を甘く考えていた様で、軍施設内で外部組織のために情報収集行為をしていたのである。
該当女性は下手をすれば軍法会議では『銃殺』も有り得たため、軍刑務所内で半狂乱になって泣き喚いたが、アルメット自身の取りなしで化粧品会社から莫大な慰謝料を受け取ることで矛を収める事となった。
この国の国民の平和ボケは、憲法を変えたり国軍を成立させるぐらいでは全く収まっていなかったようである。
何にせよ、その若さも含めて彼女の二つ名は『魔女』である。
彼女の頭脳から生み出された新技術は、巧の国の国防に大きく寄与した。
新型レーザー加速リング、高圧力燃料電池、耐熱複合装甲板、果ては数十秒間の成功とは云え、『レーザー反射システム』という諸外国にはあり得ない成果まで出した以上、彼女の地位はこの国では揺るぎないものになっている。
そして何より近年の注目は、『AS』と呼ばれる『人型戦車』の実戦投入であろう。
初期の頃は、帰化人である彼女の活動、特にその研究開発の成果に何らかのトラップやバックドアがしこまれ、いざという時にはそれが発動するのではないのか?
と、当然ながらの疑いまで持たれたものである。
しかし、彼女の研究所就任については第二研究所の親会社である大手商社、また数人の政治家の連名によって保証が成されたためその疑いも実績と共に晴れていった。
そして、今日も第二研究所は独自の活動を続けている。
研究所には研究員の他、当然ながら試作機を動かすためのテスターとしての軍人が居る。
小さいものなら拳銃から小銃、大きな物なら航空機や戦車に至るまでだ。
流石に航空機本体や艦船までは今のところ手を出していないが、時間の問題であるとも言われている。
さて、この研究所に『テスターパーソン』として回されてくる軍人は、自分がこの研究所に配置されることの意味をどう考えるかで、大まかに二種類に分けられる。
第一に、次のステップに入るための待機場所として選ばれた、エリートコースへの約束切符を得た成功者。
第二に、行き先がなくなった為にテスターに回された左遷者。
先の記した二種類の評価はいずれも間違っていない。
要は、その条件に合えば誰でも此処に回されるという、唯それだけの事である。
それでは柊巧という男はどうなるのであろうか?
彼は、入隊後の『偽装及び生存率確認訓練』に於いて十年ぶりの完遂を成し遂げた分隊の出身であり、三年前の『武装難民流入事件』において一早く状況を判断し、現在、再検証を繰り返しても最も被害が少なく効率的な作戦案を出した人物である。
また、同年行われた首都防衛のための実験訓練中に防衛拠点に無線の全く通じない通信点が数カ所有ることを発見した。
衛星無線ですら妨害するジャミングの出所は、送電線を使用しないマイクロウエーブ送電設備であったことを突き止め、その改善案を提出する直前まで行ったのである。
国土防衛を実践し、あり得るであろう危機を未然に防いだ『英雄』となっても良いはずの人物であった。
しかし、今後は彼の実績が軍の表に出ることは、決して無いであろうと言われている。
自身の活躍が最愛の弟を殺し、姉を廃人スレスレにまで追い込んだのである。
当人から自分の実績を何ら記録に残してくれるな、と言われては上層部も特例を認めざるを得なかった。
彼の弟の死は、国家要人に対するテロの代用であったことは犯人の自供によって明らかになっているのである。
せめてもの国家からの贖罪と言えたのだろう。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「柊曹長、怪我は大丈夫だったのかね?」
親切ぶって声を掛けるのは五十嵐大尉である。
彼は『アームド・スカウト』隊の中では最古参に当たり、機乗者に割り当てられるナンバー、海軍で言うところのハンモックナンバーに当たる彼のNoは「3」である。
一桁台のナンバーは3,8,9しか居ないため彼は最先任という訳だ。
因みに、同階級ならナンバーが上位の者が指揮の優先権がある。
最初、彼らはそのナンバーを『シャッテンヌルファ』とドイツ語で呼んでいた。
研究主任のミズ、ヴェレーネの主母語がドイツ語であったためである。
しかし発音が面倒であることと、語感が良くないと言うことで独英折衷にして『シャッテンナンバー』と呼ぶものも多い。
意味は実験部隊であることを指す『影の番号』である。
最初に「親切ぶって」と表現したが、自身がそう思わざるを得ない彼なりの理由がある。
彼は、いや『シャッテン1』から『シャッテン10』までのこの研究所のテスター古参兵は全員が過去に巧に屈折した『恨み』を、そして現在は『哀れみ』を持っているのである。そして、それに係わる自分自身への『咎め』をも。
彼らは、元々が国防空軍のパイロットいや、誇りを持って自らを『ドライバー』と呼んでいた。
しかし、二〇三〇年代後半から本格的になってきたレーザー防空システムの完成は、戦闘機数の大幅な削減を余儀なくされる。
彼らはそのあおりを喰らい、部隊の再編成終了まで、この研究所に回されたのだ。
蒼空の王者は高度二万メートルにおいて高圧電源を持ち、ロングノズルの大型レーザーリングをハリネズミのごとくに複数搭載したガンシップに取って代わられた。
一昔前は良かった。
この国の戦闘機は対艦戦闘と対空戦闘を両立できるマルチロールと呼ばれるタイプであり、特に対艦戦闘に置いては『対艦番長』と渾名される程の強力なミサイル武装を誇っていた。
当然だが、相手の艦船も対空ミサイルを詰んでいる。
つまり、五分と五分の戦いで空と海での優劣を競い、空戦においては、レーダーレンジの広さのみならず、いざとなれば個人技能が試されるドッグファイトにその誇りを掛けて蒼空を舞っていたのだ。
だが、大出力熱レーザーの出現が全てを変えた。
戦闘機の仕事は、雨天時の雲の上のパトロールであり、万が一領空侵犯のガンシップが見つかれば遙か上空の味方のガンシップに救援要請を出す、それだけの存在になったのだ。
惨めだった。
勿論、国土に敵兵が上陸するという緊急事態が起きれば、地上を支援する近接爆撃支援という任務はある。だが、それはあくまで攻撃爆撃機の仕事であり、制空戦闘機の任務ではない。
しかし、他に道はなかった。
削減された戦闘機乗りから外された者はガンシップへ移動する。
現在八人乗りのガンシップなら、パイロット八人分の仕事を一機で『与える』事が出来る。
コックピット内の通信士どころか、機体尾部の射撃手ですらウイング持ちという贅沢な乗組員構成だ。
そう云う世の中になった。
彼らは、此処に流され、コックピットの感覚に近い『アームド・スカウト』と云う陸戦兵器のテストパイロットにさせられていた。
どの様な形でも良いからと、いつか蒼空に戻ることを待ちわびて……。
『AS』と呼ばれる機体は元パイロット達の性に合っていた。
単座で自由度が高い。
初期は全天スクリーン採用ではなかったが、かなりの視界性を持ち、機動性も良い。
主力戦車に速度は劣るとはいえ地面を這う様に走るだけではなく、立体的に動けることも気に入った。
本気で空から陸への転属を考えた者も居た程だ。
しかし、三年前のあの日、陸戦の厳しさを知った。
例の『武装難民流入事件』である。
実は彼らは、柊の上申案が出る前に既に整備を終え、問題の都市近郊に陸送されている途中だった。
多分に陸軍幕僚長の岸田とヴェレーネの思惑が重なったのだろう。
彼、彼女らも巧と同じ事を考えていたに違いない。
しかし最後の踏ん切りが付かなかったのだ。
戦闘時に於いて、銃器やミサイルの発射を指示する人間と、実際に引き金を引き、ボタンを押す人間が別れるのは、単に指揮系統だけの問題ではない。
心理学的に『殺人の責任分担』を行っていると言われている。
「自分は命令はしたが、直接は殺していない」
「自分は直接殺したかも知れないが、命令に従っただけだ」
こうして、戦場での心理的抵抗感を弱めていく訳である。
そして岸田と下瀬もその心理的抵抗の排除に『柊巧伍長による上申案』を使ったのであろう。
話を五十嵐大尉達、古参組に戻そう。
空の戦いで人の顔を見ることはない。
訓練でも十数キロ先に居ると示されるレーダー上の赤い光のマークが消え、『エネミー・ダウン』の報告が航空警戒管制機のAWACSから送られてくるだけである。
ASに馴染み始めていたドライバー達は初めて陸戦の恐怖を味わった。
人の顔を見ながら戦うことが、これほど恐ろしいものかと。
いや、それだけなら耐えられたのかも知れない。
しかし、彼らに与えられた命令はあまりにも過酷だった。
「作戦行動域に民間人なるものは一人も存在しない、ましてや人質などは『存在し得ない』」
これを前提として行動せよ、と。
味方の識別信号を発している以外の人体温識別装置に映る人影は全て排除対象と表示された。
県庁舎の壁越しに写ったあのサーモの映像。
十二,七ミリ弾で壁ごと吹き飛ばし、表示は排除完了になった。
だが、あれは本当に『敵』だったのか、守るべき国民を自らの手で吹き飛ばしたのではないのか?
そう考えたのは五十嵐だけではなかった。
作戦成功を祝う声の中、彼らはだけは自分たちが『人』を辞めてしまった様な虚脱感に包まれていた、
「上層部の命令には逆らえない」
その心理的な支えのみが彼らを『再び空へ』との心を引き留める係留柵の役割を果たしていたのであろう。
しかし、暫くして聞こえてきた噂。
『作戦案は一般兵から出された……』
佐官や尉官などの『士官』ではない、『下士官』ですらない、単なる『兵』
その言葉に自分たちは動かされ、敵とはいえ『目に見える』人間を殺した。
いや何より自国民をも殺した。
その兵の名は「柊巧」
陸軍幕僚の下瀬中将はその男を指して『殺人者』と評したと、いずこからともなく話が流れてくる。
彼らもまだ見ぬ男を恨みを込めてそう呼んだ。
「リパー、奴に報いがあればいいのにな!」
そう公言しながら半年のうちに三名が空に戻ることになった。
「俺たちもすぐ追いつくぞ!」
そう明く仲間を送り出した数日後のことだった。
ある一人の子供が誘拐され殺されるという痛ましい事件が起きた。
まだ十一歳にもなっていなかったという。
彼らは、その名を見、そして事件の経過を知って愕然とした。
柊巧に『報い』はあった。
彼らは喜ぶべき筈ではなかったのか?
そうしてやっと気付いたのだ。
案を出すのは誰がやっても構わないことだ。作戦案を採用した責任は上層部にある。
その為の指揮系統だ。
犯人の主張を聞いてさらに衝撃は強まった。
傷つけられた対象が武装難民か「自分たちか」の違いでしかない、同じ主張だったのだ。
彼ら「ドライバー」は、自分たちが上に逆らえない鬱憤をすり替え、下の階級の者を詰っていたに過ぎなかった。
蒼空が遠くなった気がした。
それから暫くしてからのことだ、会ったなら罵ってやろうと思っていたこともあった男が十人の新人の中に含まれ、同じ研究部隊に配属されたのは。
入れ替わりに四人が空に戻る。五十嵐は自分の枠を年上の部下に譲った。
今度は静かな別れだった。
彼らは上手くやっているのだろうか、自分の心を支えていられるのだろうか。
五十嵐は思う。
しかし、研究所内で悪名として『リパー』を連呼し続け、荒れていた時期に階級が下の者に当たっていたこともあって、誘拐事件後にドライバー達がその呼び名を封印したのとは対照的に、整備員などは名誉ある二つ名として彼を「リパー」と呼ぶ様になる。
身から出た錆とは云え、堪えるものがある五十嵐達、古参三人組であった。
五十嵐が数日前にASごと転落した彼の怪我を心配しているのは事実だ。
だが、偽善だとも自分で思ってしまう。 しかし、声を掛けずには居られないのだ。
知ってか知らずか、巧の腰は低い。
「ありがとう御座います、大尉。 しかし今度こそ殺されそうですよ」
巧は、彼特有の寂しげな笑いと共にアルメット主任の部屋へと向かっていった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「シミュレータ、ですか?」
ミズ・ヴェレーネにしては随分とまともなテスト要求であるが、先日の様な罠があるのだろうなと、何故か可笑しくなる。
巧は常日頃から、何かの拍子に死ねたらよいのに、と思う様になっていた。
杏の存在が積極的な自殺を許さないだけである。
だから、『死ねそうだな』と思うテストには無意識のうちに志願してしまうのだ。
今の笑いは、自分が馬鹿なことを考えているなという事を自己分析して、自分を卑下した諧謔である。
「あの、ですね」
ミズ・ヴェレーネが近付いてきて直立不動の巧の顔を下から半眼で見る。
いわゆる『ジト目』と云う感じだ。
「は、何でしょうか?」
ヴェレーネ・アルメットは民間人でありながら、予備役大佐である。
基本的には単に研究主任の上官としてだけではなく、階級上もこのように敬語を使わなければならない。
先日の、訓練でも見られた様な『罵り』など本来あってはならないのであり、このように直立不動で正しく受け答えしなくてはならない。
まあ、そうせずともヴェレーネは気にはしないのだが、頭が冷えると巧はようやく自分が軍人であったことを思い出し、このような言葉遣いになる。
「いえね。あなた、ASにペットネーム付けたんですって?」
「不味い様でしたら、人前で使うのは差し止めます」
「いえ。そうじゃないんですのよ」
首を振るヴェレーネ
「何であんな名前にしたのかな、って思いましてねぇ」
「『オーファン』ですか?」
「ええ」
「良い機体なのに、行き場が無くて可愛そうだな、と。 そう思ったら自然に名を呼んでいました」
寂しそうな目をする巧に、あなたみたいね、と言いたいのを押さえ、ヴェレーネは話題を変える。
「ところで、杏さんの様態はどうかしら?」
急に姉のことを聞かれて驚く巧だったが、
「おかげさまで、近頃は日常生活に問題はありません。まあ、薬が必要ではありますが……」
「……あなたは?」
ヴェレーネ―の矛先が意外なところに向いた。
しかし、この件に関しては、ヴェレーネに対して『プライベートな問題です』、等という訳にはいかない。
それら全てを混みで『拾って』貰ったのだ。
「武装難民の件ですけどね」
答えに詰まる巧を気遣ったのか知らぬが、更にヴェレーネは話題を変える。
「はい」
巧の顔が険しくなる。
全てはあそこから始まったのだ。
「あと四~五年後にはもう一度あり得ると国防省は判断しています」
さらりと重要な情報を口にする。
「何故、そのような話を?」
「私たちは『軍人』ですよ。国防のことについて話して何かおかしいとでも?」
「いいえ……」
「大陸の環境汚染は激しくなりすぎました。東北部が辛うじてまともに人が住める範疇でしょう。『内戦中』とはいっても実際の戦闘はさほど行われて居ません。旧式でも武器は有り余っているんですよ」
恐ろしい見解だが巧も同意で有るため、簡単に事実認識を返す。
「清潔な土地と水が欲しい訳ですね」
「その通りです。そこで、今回のシミュレータのことですけどね。同じような状況を設定して、『より実践的な研修』を積める様にしたいと思いました」
「対人、という訳ですか?」
「そうですね」
「余り気持ち良く無いですね」
巧のその言葉に、滅多に怒りを見せないヴェレーネがはっきりとした不快感を含んだ口調で答えた。
「その対人戦闘を実際に行って心に傷を負ったものも居ます。あなた以外にもね」
先の件で自分だけが不幸だと思うな、とピシャリ言って退けたのである。
厳しい一言に巧の頭の角度が僅かに下がる。
確かに、不幸に酔っていると言われてしまえばそれまでなのだ。
多くの人が死んで、多くの人が体にも心にも傷を負った。その家族も同様にだ。
そしてヴェレーネの言葉で今更に気付いたが、当時命令を受けたドライバー達もその中に入る。
「すいませんね。少々厳しすぎたようですわ」
「いえ、思い上がっていたのは事実です」
「ともかくかなり厳しいシミュレータですわ。そこで、さっきの話に戻るのですが、」
「先程の話?」
はて、と首をかしげる巧にヴェレーネははっきりと思い出させた。
「弟さんのことは、整理が着くでしょうかしら?と言うことですわ」
「整理などいつまで経っても着きようがありません」
「私が言っているのは、そのようなことではありません」
「?」
「どの様な形にせよ、弟さんを探し出して『オーファン』を、いいえ、そんな悲しい名前でなくとも良いんですが、ともかく彼にそれを見せたいとは思いませんか? 彼はASに憧れていたと聞いています」
一瞬惚けてしまう巧である。
マリアンの遺体は海中に投じられ、今や何処にその骨が沈んでいるのかも分からないのだ。
「どうですか?」
「仮の話をして頂いても困ります」
「私の技術力を甘く見て居ませんこと?」
「できると?」
冗談を言うのなら上官でもただではおかない。
自分が甘ったれの馬鹿野郎だと云うことぐらいは今も思い知らされたが、この件で巫山戯ける人間を怒ってはならないと云う法はあるまい、と巧は思う。
「『当時のまま』という訳にはいきませんけどね。流石に」
「それは当然ですね」
遺骨となっているのは当然なのに何を今更。
馬鹿にされているのか、何かを試されているのか悩む。
「条件は?」
試されている方に賭けて問いを発した。
ヴェレーネは、『ニヤリ』と云う言葉が見事に似合う笑いを示す。
「シミュレータは『リアル』です。フィードバックがあり本人も傷を負います。
精神的にも危険かも知れませんね。
それでも最後まで『シミュレーション』そのものから降りないことですね」
言い様は簡単だが、危険きわまりない代物だ。
「何故、そこまでのものが必要なんですか?」
「こっちもいろいろあって必死なんですよ。受けるのか、受けないのか、それだけ答えて下さい」
「どうしますか?」
ヴェレーネの目は険しい。
同時に、断れまい、とも言っている様で、巧は一瞬だがぞっとした。
子供の様に見える姿だが自分より年上だったと今更ながらに思い知らされる。
が、巧にも譲れない一線はある。
「危険、なんですよね」
「ええ」
ヴェレーネの答えは単純だが、それこそ『死亡率は存在する』と言っている訳だ。
「では、私の身に万一があった場合、姉の生活を国で保証して頂きたい」
巧のその言葉に、ヴェレーネは、何だそんなことか、とばかりに肩をすくめる。
「その件なら、杏さんがこの研究所内に居を構える時点で国どころか本社からも保証されていますよ。戻って契約書をお読みなさい」
巧は杏の件で、下士官ながら特例として一戸建への入居を許可されている。基本的に巧は施設に泊まり込みが多いが、市ノ瀬が居るため杏に関しては任せてあるのだ。
迂闊にも忘れていたな、と思う。
確かにそのような契約だった筈だとは思ったが、
「確認して、問題が無ければお受けします。それから、……弟の件も出来るならお願いします」
そう言うに留めた。
しかし、実際は了承したも同じである。
ヴェレーネは満足そうに頷いて退室許可を出した。
巧の退出後、デスクに戻り椅子に深く腰掛ける。
彼女の書斎は、オランダのデルフト工科大学の学習室を摸したネーデルラント・アンティークで統一されている。
オランダ人女性の平均身長が百七十センチを超えるため、レプリカの椅子はかなり大きい。
小柄な彼女が座ると体全体がすっぽり収まってしまう。
「両親を亡くし、弟を亡くし、姉は精神を病んで、不幸を不幸と口にすることが『思い上がり』、ですか……」
「陛下。私、少し心配ですわ。情報を与えないことは『騙す』うちには入らないとは云え、あの生真面目さでは……」
体を一瞬ブルッと震わせるヴェレーネであった。
サブタイトルの元ネタは、ジェイムズ・シュミッツの『惑星カレスの魔女』です。
調べて貰うと分かりますが、宮崎駿氏が表紙イラストを描いているらしく、自分も本屋さんで昔見た記憶があります。
ロリっ子魔女3人組が大の男を振り回して宇宙狭しと大暴れする、古典的なんだか先進的なんだかよく分からないスペ-スオペラだそうですね。
話の評価は高いようです。
今度、読んでみようかなとも思っています。




