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星を追う者たち  作者: 矢口
第九章 激戦区一丁目一番地
192/222

190:シーアンの長い1日(Cパート)

 ヴェレーネが行ったクリールとコンタクトは、珍しく手間取った。

 シーアン周辺の『纏める量子』がやけに不安定であった為だ。


 ヴェレーネはこれを希に見られる自然現象だと思い込んだが、実は此処に来て遂にアクスによる『特殊能力の発動制限』が働き始めていたのである。

 但し、一瞬はリンクに苦労したにせよ、アクスの工作は所詮『係員』に対するものであり、規格から外れたヴェレーネに大きな影響を与えるものでは無かった。


 よって、残念ながら彼女がこの事について深く考える事は無かったのである。



      ◇   ◇   ◇   ◇   ◇  



 さて、そのヴェレーネが今、声を上げることを許されるとしたなら、間違い無く“こう”叫んでいただろう。

『あんた! 何やってんのよぉ~!!』と、


 だが、彼女が指す所の“あんた”とは他ならぬ彼女自身の分身である。

 またクリール(彼女)自身は発声機能を持たない。


 それが事をややこしくするのを防いだと言えるのだが、今ですらも、余り“好ましい状況”とは言い難い。

 この数時間、ハーケンとの会話に集中する為とは云え、指示を与えた後はリンクを完全に切っていたのが災いした様だ。


 ヴェレーネが意識を繋いだとき、問題のクリールは吹き飛んだドアを片手に緩やかにカーンに近付いて行く処であった。


 クリールとしては目の前の存在に敵意など無い。

 彼は本体から安全確保を命じられた存在で有る上に、これまでの流れから『上位種個体“タクミ”』も、同じく彼の存在の保全を求めるであろう。


 今、重要な問題は自分の失敗に関わる状況回復である。

 鍵が掛かったドアが開いたのは良いのだが、どうやら開け方を誤ったようだ。

 ならば、これをどうすべきか、と彼に尋ねたかった。


 とは云え、発声能力を育てていないクリールである。

 ドアそのものを手渡すことでカーンに処置を任せようと考えた。


 樫の木から造られた、重さ五十キロには迫ろうかというドアを片手、それも手首から先だけを使って、軽々とした動作でカーンに差し出す。

 だが、その様なものを差し出されて受け取る気になる人間など、何処の世界にいるのだろうか?


 尻餅を突いた侭に、カーンはようやく声を絞り出す。

「お、お、お嬢ちゃん。いや、別に壊したのは怒って無いんだ。 うん。

 唯、それを私に渡されても、ねぇ……」


 クリールは今、確かに保全個体からの“怒っていない”という言葉を聞いた。

 個体がこの行為を問題にしていない以上、速やかに任務を続行するべきである。

 よって不要となったドアを後方へと放り投げた。



 カーンが逃げ場に選んだ魔法陣から部屋の入り口まで優に二十メートルは在った。

 クリールが手首を返すことで、縦回転しながら飛び去った片面のドアは、軽々と廊下まで飛び出し、次いでは壁を突き破る。


 激突と同時に当然生まれる激しい破砕音。

 合わせて、隣の部屋まで見渡せる巨大な穴。


 だが、その音と破壊の双子の誕生に最も驚いたのはカーンや魔術師、或いは十名近い護衛の騎士達ではなく、事を起こした彼女自身であった。

 首を傾けると、覗うようにカーンを上目に見ては、薄く開いた瞼を通して“また失敗したか?”と尋ねる。


「いや、いや! 良いんだ、良いんだ! 気にしないで良い!」

 大きく首を横に振ったカーンの言葉に、其の場に居た誰もが深く同意する。

「そう……、そうです! 全く問題在りませんな!

 あ、あれぐらいならすぐに直せます!」

「ええ、失敗は誰にでもあります。はい……、」

「で、ですなぁ……」

 残る近衛も唯々、頷くだけ。


 それでもクリールにしてみれば、どうやら不満を持たれずに済んだようだと納得して彼等に習って頷く。


 壁など“どうでも良い”となれば、問題は此処からどうすべきか、なのだ。

 本体に確認を取ると何故か彼女まで”ホッとした”という感情を送り込んできた。


 思った以上に今後は注意が必要なようである。

 よって指示を求めた。

【こちらは先導個体番号リーディング・マテリアル8。今後の処置に対して具体的な指示を要求する】

 うん、我ながら実に冷静だ、と満足する。


 だが、本体は不満をぶちまけてきた。


 “あんた、ねぇ!”

 そうやって怒鳴ったヴェレーネだが、今は時間が惜しい。

 クリールに同調すると自ら動く事にした。


 同調した事でクリールを精神的に“黙らせた”ヴェレーネだが、今度はカーン達に向けて声を出そうとしても、物理的に発声機能が働かない。

 尤も、先にクリールは喋れない前提でスゥエンでの会談に引き連れてきたのだ。

 今更、喋るのもおかしいだろうと考えたヴェレーネは、方法を変えることにした。


 怯える一同を横目に執務机に向かうと、引き出しから一掴みの紙を取り出し、ペン立のペンをインク壺に浸す。

 ボールペンが欲しい、などと思いつつも一文を書き上げた。


『私の名はクリール。ルース様の代行のひとりである。

 現状の鎮圧のために、私の指示に従うか?』


 地獄に仏を見たカーン達は自然と彼女に跪き、誰もが頭を垂れる。

 あたかもキリストの奇蹟に恐れおののく衆愚の如き有様であった。



      ◇   ◇   ◇   ◇   ◇  



 十六時〇二分

 戦闘が開始されてから三時間が経過しようとしていた。


 城壁南部から八百メートル程離れた集落裏手の林の奥にシナンガル軍の本陣は置かれている。

 更に其の少しばかり西側では竜部隊を率いる大隊長以下、各中隊長が竜部隊独自の軍議に入った。

 前線では未だ回廊を突破することは難しい様であり、激しい爆発音と打撃音が遠くからも鼓膜を叩く。


 軍議が始まると早々に、ひとりの中隊長が発言を求める。

「ルナール様、一言宜しいでしょうか?」


 そう、この戦場で残数百三十余頭の竜を一手に率いるのは、軍師直々の出陣を命じられたルナール・バフェットであった。

 彼直属のルーファンショイ所属部隊は、増員された兵員も含めた一万五千の全てが、現在は副官であるシムル・アマートに預けられたまま、不可侵域の森林に潜んでいる。


 今回、彼が率いるのは、そのゴース侵攻までに訓練が間に合わず、今回が初陣となる新設の航空部隊であった。


 五頭で一小隊のチームであり、二十五頭で中隊を組む。

 現在は六名の中隊長の内、大型竜(ドラクール)班の四名がルナールを中心に話し合いに付いていた。

 これに小型竜(ヴァイパー)班の連絡員が加わる。


 発言を許可された中隊長は露骨に不機嫌な口調で話し始める。

 中央議員の四男であり、家柄の問題からかベセラを好いていない事は周知の男だ。

 確か名前はウジェ。兄が序列二位将軍の書記官に付いていた筈だ。

 兄の上司の権勢と自分の力を同一視している最も手に負えない型の小物と言える。


 ルナールがアダマンの直下でも無ければ、礼儀すら守りきれぬ男だろう。

 当然、ベセラを評する口調までも実に辛辣である。

「確かに今回、我々はベセラ様の麾下に属する事となりました。

 しかし、無礼を承知で申しますならば、彼の御仁が竜を使った戦闘を理解しているとは、とても思えませぬな!」


 ルナールは目の前の男を怒鳴りつけたい衝動に駆られるが、この手合いには逆効果であることも知っている。

 呆れる気持ちを押さえて、『貴官も手厳しいな』と笑いで済ませた。


 だが、本音を言えば、『ならば、そう言う貴様は何を理解していると言うのだ!』である。


 竜部隊が実戦活用出来るようになって僅か一年。

 育成要塞司令官ラーグスの元に集められた大型竜による輸送運用や小型竜による情報伝達成果の情報が少しずつ形を作り始めたばかりにも関わらず、急遽、北部侵攻作戦への投入が開始されたのだ。


 つまり、大軍との連携は未だ手探りの状態で有り、その訓練も幾度かは行われているが、マニュアル化されてなど居ない。

 この新設部隊など基礎訓練を終えた竜が殆どであり、数を頼りにしているだけだ。


 飛行時間を少なめにして、いつでも緊急時に対応出来るようにしてはあるが、未だ竜騎士(ライダー)達の質も低い。

 無謀な連携をするぐらいなら、寧ろ何もしない方がマシなのだ。



 だが、中隊長達の意見を無視する訳にもいかない。

 急造編制による大隊では、六名の中隊長をルナールがどれだけ掌握しているかは、未だ分からない。

 各人の特性を捕らえ、自分に完全に服従させる体勢を作る事が急がれる。

 実戦の中から、それを作り上げて行くしかないのだ。


 どうせ、下らぬ答えしか返ってこないだろう。

 と諦めつつも、ルナールの言葉を待つウジェに問い掛ける。

「で、貴殿ならばどうするかな?」


 やはり、と言うべきか、件のウジェ中隊長は喜んで舌を廻し始めた。

「まず現在、竜達は残り一時間以上は飛行力を残しています。

 対して敵側の鳥は姿を消しました。よって、今こそ上空より攻勢の時ではありませんかな!」

 胸を張った自信たっぷりな物言いである。


 予想の範囲とは言っても、ルナールとしては頭を抱えたくなり、“この馬鹿をどう説き伏せるか”と悩む。

 だが、それも心配する事は無かった様だ。


 最低限の知恵が回る将官は別に居た。

 ひとりの中隊長が礼儀を保ちつつもウジェの意見を切って捨てたのである。


「失礼ながらウジェ殿には、二つばかり、お見逃しの点が有るかと存じます」

 露骨に否定されたウジェは、吊り上げた目で射殺さんばかりの視線を発言者に向ける。


 男は大型竜(ドラクール)隊、第一中隊長であるヤン・ホルネンであった。

 ルーファンショイ防衛隊、及び東部方面隊司令官ナルシス・ピナー将軍が『偽装反乱宣言』を発した直後のスゥエンから直々に引き抜いた人物である。

 彼はシナンガルの歴史始まって以来、初めてマーシア・グラディウス相手に交渉を成功させたのみならず、唯一人、『交渉の勝ちを得た人物』として、ウジェを除く他の中隊長全員から一際高く見られていた。


 それが故の第一中隊長であるのだが、その敬意の向けられ方の違いこそが、ウジェにしてみれば許せぬ話なのであろう。

 不快感を増した表情を隠しもせず、振りも大げさにホルネンから顔を背ける。


 やはり下らぬ男だ、とウジェを評しつつも、ルナールとしては部隊内の実質的序列を決定づける機会は見逃せない。

「うむ、ホルネン殿! 先を聞きたい。続けてくれたまえ」

 自然を装いながらも彼に水を向けた。


 案の定だが、ホルネンの発言は正鵠を得ており、ルナールの持つ危惧を周りに知らしめる事となる。


「まず、ウジェ殿は『敵の“鳥”は姿を消した』と仰いますが、我々は唯の一つとして敵を墜とした訳ではありません。

 奴らとて、我々と同じに能力を偽装した上で何処かに潜んでいる危険性は否定できません。

 それを無視した作戦行動は、あまりにも危険過ぎるのでは無いでしょうか?」


 その言葉に顔を真っ赤にした一人を除いた誰もが頷く。

 赤ら顔の馬鹿を放置してホルネンの言葉は続くが、それこそが新造竜部隊における各隊長陣の度肝を抜くこととなった。

「また、先だっての第二次シエネ攻略に於いて私の副官が確認しておりますが、彼等の武器には射程十キロを超えるものがあったそうです。

 つまり、地平線の向こうから此の場を狙われていてもおかしくは無いのです。

 我々は、単に飛び立つ場合ですら本陣位置を秘匿しなくてはなりません」

 そう言って彼は森の東、此処からは見えぬ平野の方向を指した。


 誰もがざわめく。

 彼等は部隊の本陣がこの様な森の中、しかも窪地に設置された理由は『鳥』が上空に現れた場合を想定したものだと考えていた。

 だが、事態は彼等が思う以上に深刻だ。


 地平線は障害物無しでは平均四,五キロ程度迄しか見渡せない。

 その向こうからあの火箭が飛んできた場合、対抗手段は無い。

 どうあっても逃げるほかは無いだろう。


 此処に来て彼等は、ルナールが竜に飛行力を残して引いた理由に、ようやく思い至ったのであった。


 ホルネンの言葉に頷いたルナールは立ち上がって中隊長全員を見渡す。

「と、云う訳だ。

 我らの使命は、地上軍が総員の集結を終え、城門なり水路なりを破壊するまで“あの鳥たち”と対峙する事だ。

 勝たずとも良い、だが出来る限り竜の数を減らすな。

 それだけで奴らにとって我々は脅威なのだ」


 各中隊長が納得の姿勢を見せ、軍議は終了する。

 全員が幕舎から出て行く中、ルナールの前にひとり残る者が居た。

 ルナールの言葉を代弁したヤン・ホルネン、当人である。


「何か話し忘れた事でも有ったかな、ホルネン殿?」


 ルナールの言葉に、一礼してホルネンは口を開く。

「恐れながら、最大の問題に対する対応方針は何ら無かったと感じられますが、」


 頷いたルナールの返答は短かった。

「マーシア・グラディウスに(こう)する準備は出来ている」


 その言葉に納得したのか、再度敬礼を返すとヤンはルナールの幕舎を後にした。



      ◇   ◇   ◇   ◇   ◇  



「ホルネン隊長、軍議はいかがでしたか?」


 中隊詰め所に戻ると、ボーエン・ベズジェイクが待ち受けていた。

 本来はヤンの従卒が行う筈の茶の準備を自ら済ませ、給仕の如くナプキンを腕に垂らす姿まで見事に板に付いており、思わず苦笑いのヤンである。


「お前ね。そう云うことは止めろ、と言わなかったか?」

「ご迷惑でしたか?」

 申し訳なさそうに項垂れるボーエンに向かってヤンはヒラヒラと手を振る。


「そうじゃない。だがな、この中隊の実戦指揮官はお前だ!

 俺はお飾りみたいなものだって事はお前も知ってるだろ?

 兵卒に舐められるような行動を取るな、と言ってるんだよ」


「隊長が“お飾り”ですって、冗談じゃありません!

 何処の何奴ですか、そんな事を言っている奴は! 切り捨ててきます!」

 言うが早いか、椅子に立てかけてあった自分の剣を押し取る。


 ボーエンの沸騰した姿にヤンは思わず笑った。

「馬鹿! 言ってるのは俺だよ」


 その言葉にボーエンは剣を戻すと、ヤンに対して口を尖らせてきた。

「なら、私の好きにさせて下さい。

 大体、今回の出陣の大義名分は兎も角、一般兵士への扱いは酷すぎます。

 こうして隊長との時間を作らなくては、愚痴も吐き出せないんですよ!」


「一般兵? ああ、なるほど陸兵の事か?」

 ヤンの問いにボーエンは黙って頷いた。



      ◇   ◇   ◇   ◇   ◇  



 橋脚前の防衛戦は現在スゥエンの守備隊が主力となり、国防軍兵士は半数が城壁側面の待避壕へ、残り半数が橋に下がって、ようやく一息吐いている。

 時折、大きく弧を描いて跳び込んでくる火炎弾に気を使わなくてはならないため、本来ならば更に下がりたいのだが、下がりすぎると今度はスゥエン兵が浮き足立つ。


 近代軍ならば当然に行える交代制が通じない事は辛い。

“前線から下がった”と言っても、やはり命の危険は付き纏った侭であり、疲労が蓄積されるに任せるしかない。

 体力の低下は、それだけで『死』に近付くのだが、一々それをスゥエン兵に説明できる状況でも無く、彼等は乾いた笑いを漏らしながらビスケットを囓るだけであった。


 反面スゥエン兵は先の巧達の2時間に渡る奮戦によって充分に休めた事からか、体力・気力共に充分に回復していた。

 何よりシーアン城壁からの援護もあって如何に大軍と言えど、前進は容易ではない。

 万が一にも押し込まれそうになったにしても、国防軍兵士のひとりふたりが飛び出してグレネードを発射するだけで逆檄には充分だ。


 今の処は、であるのだが……。


 

 その中で巧は、ようやくクー・タクソンからシナンガル内部、というより新首都ロンシャン周辺の状況と、一般兵士の現状についての情報を得る事に成功していた。



 現在、ロンシャンを中心とした半径三百~四百キロ圏内には大凡(おおよそ)四千万人の人口が集まっているが、城塞都市ロンシャンに生活するのは、その内五パーセントにも充たない二百万人程度である。

 ロンシャン城壁内で大きな『市』が開かれる日には人口は倍に膨れあがるが、城内居住が認められる数には限界がある。


 またロンシャン城壁から数キロも歩けば、五~十万人前後の小都市も幾らか存在しており、ロンシャンとは首都名であると同時に、それら四十を超える各小都市をも含めた都市群をも同時に指すと言って良い。

 これらの街は相互に防衛体制の連携が出来ており、一つの街が包囲されても、すぐに周りの、或いは本丸であるロンシャン市から援軍が出る事で包囲軍を後方から蹴散らすことが可能だ。


 つまりは都市が分散しているからこそ防御が硬い、という見事な相互防衛システムによって成り立つ『首都圏』なのである。


 しかし、それでも各城壁に守られて生活できる住民は最大六百万人を超えない。

 残る三千万以上は首都圏から大きく離れ、分散して農村部に住んでいる。

 

 その中で起きた魔獣の異常発生。

 死者だけでも()うに一万を超えたというが、首都は城塞都市四十ヶ所の守りを固める事に手一杯である。

 更には村・荘園と名が付けば、例えロンシャン市から数キロしか離れていなくとも、その防衛は後回しだ。

 それどころか、魔獣の出没地区と重要荘園が重なった場合、住民がその地を動く事を完全に禁じた上で、農民独自での防衛までも義務づけたのだ。


 議員達の言い分は、こうだ。

「必ず魔獣が出ると決まった訳でもあるまいに、農地を放棄するなど言語道断である」


 これでは農民に『死ね』と言うも同義語である。

 だが、狡猾なことに、彼等は『鞭』と同時に『飴』を与えるのも忘れなかった。


 まず、今回の“スゥエン懲罰の闘い”に於いて顕著な功績を上げた者、及び親族は優先的に城壁内への避難が認められた。

 また魔獣の被害によって、死傷者が多く出た村は独自の防衛が難しくなる事から工兵が優先的に廻され、城壁の建設が約束されている。


 農民達にとっては、その約束も本当に守られるものかなど、知れたものでは無い。

 また、仮にスゥエン独立が成功したならば、政策はどう変わるだろうか?


 数年前に始まったシーオムからロンシャンへ行われた生存圏の移動。

 初期の移動に於いて、自由民は其の名の通りに自由な移動を認められていた。

 新たな農地に誰もが希望を持って入植していった。


 だが、独立を宣言したスゥエンに人が流れるに及んで、国民の管理は厳しくなり続け、今や奴隷と自由民の境目など鞭で打たれるか、そうでないか、程度の差しかない。


 議会のこれまでの行動から考えて、今後も農民・平民に対する締め付けが厳しくなる可能性は高いだろう。

 下手をすれば、魔法兵の増強という形で管理者の兵力は強化され、奴隷階層の増加も有り得る。


 噂に聞けば『鉄兵士』などと言う恐ろしい物まで生み出されたという。

 もしや、これらが自由民を支配するのかも知れないと、誰もが恐れる。


 徴兵された兵士達としては、それだけは避けたい。


 結局、彼等は確実に死ぬことが分かっていても、決して引けない。

 誰にでも守りたい家族は存在する。

 今、目の前で起きている悲しいほどに無謀な突撃は、只それだけの事なのだ。



 こうして、話し終えたタクソンは、大きく息を吐いた。


 巧が手に入れた情報はおおよそに於いて事実であった様だ。

 だが、そうなると自然ともうひとつの疑問も口に出る。

 これこそが、本来聞きたかったシナンガル人の“生の声”だった。


「なるほど、事情は理解できました。

 しかし、シナンガルの平民階級はそこまで追い詰められて、何故、逃亡も反乱も起こさないんでしょうね?」

 

 問われてクーは、ようやく巧に向ける視線が変わる。

 彼も生粋の軍人、と云う訳では無く元は農民であった。

 それだからこそ、当初は『軍人の臭い』を振りまく巧に不快感を示したのだ。


 一息吐くと、クーは呟くように語りかけてくる。

「あんた等の“魔法”だがな。ありゃ、凄いな……」

「はぁ……」


「だがな、若いの。あんた知ってるか?

 “世間”ってものには、それ以上の魔法力がある。

 平民はどうあっても、そこから逃れられないんだよ。

 儂は偶々だが、家族を引き連れてこの地への移動が許された。

 その結果として自分で『道』を選べる様になったのは、本当に幸運だったのさ」


 クーの言葉の指す意味を薄々は理解しながらも、返事に困る巧である。

 結局、“どう答えるべきか、或いは何も答えぬべきか、”と悩む巧にクーは妙な視線を投げかけて来た。


「何か?」

 そう尋ねた巧だが、クーの視線が自分では無く、肩越しの後方を見ている事に気付く。


 慌てて振り向くと、いつの間にか結構な枚数の紙を丸め持ったクリールが立っていた。

 彼女の後方では今でも戦闘は続いている。

 だが、いつもの如く平然とした顔付きは変わらない。


 これでは、クーで無くとも驚こうと云うものだ。


 慣れた筈の巧ですらも、あっけに取られてしまうが、彼女はいつもの如くタブレットを自然に差し出す。


 何事か、と画面を見た巧だが、更に首を傾けざるを得ない文字が目に跳び込んできた。


『ちょっと敵陣に行ってくる。少しの間だけボールペンを貸して欲しい。

 それと……』





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