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星を追う者たち  作者: 矢口
第九章 激戦区一丁目一番地
191/222

189:シーアンの長い1日(Bパート)

 人間には決して認識できない声を彼女は聞き分けた。

 上空三千メートルから地上、つまりはシーアン市内で兵士達が騒ぎを起こしてから殆ど間を置くことなく、クリールは地上の騒ぎを捕らえたのだ。

 とは云え『状況の確認』と『状況の理解』は違う。


 シーアン市内の混乱が何を意味するかなど、クリール自身には分からない。

 当然、本体へと指示要請を行った。


 彼女が指示を仰いだ本体、即ちヴェレーネである。

 彼女から返答は、“混乱からカーンなる指揮官を守りつつ、自分との融合を待て”であった。


『上位種個体“タクミ”』は、何やら『係員トップ・トリプル』の説得に忙しいようだ。

 彼の安全について“現状としては問題無し”と判断する。

 それに、この光景は何やら自身の基調回路を不安定にするのだ。

 視界に入れないに越したことはない。


 転移した。



      ◇   ◇   ◇   ◇   ◇  



 その頃、ヴェレーネはスズネと名乗り、ヒーラギこと巧の代行としてハーケンとの会談を進めていた。


「ヒーラギの言うことは理解できる。だが、年間産出量は実績として一トンだ。

 その全てを十年に渡ってシナンガルに流して(・・・)やれ、だと!」

 ハーケンの言葉は一応に怒気を交えたものだが、ヴェレーネは彼の言葉が演技を交えたものである事など疾うに気付いている。

 しかし、相手の面子もある。

 猿芝居ではあるが付き合わざるを得ない。


 何より、隠し球は未だ幾らも在るのだ。

 クリールの通信から考えるに、あまり“のんびり”と言う訳にもいかないが、さりとて慌てる程でもないだろう。


「ハーケン様。先の会談でのヒーラギ、いえルース様の言葉の意味は理解できた、とお見受けしましたが、それは私の“思い違い”でしたのでしょうか?」


「そうは言うが、君! 失礼、“スズネ”と言ったな」

「はい」

「では、書記官スズネ殿、もう一度お聞きしよう。

 銀ですら鉱山発見以来の三年間、毎年三トンもの収奪が続いていたのだぞ!

 いや、人口増加が確認された昨年など、労働力が高まった事を理由に最低でも六トンからの要求だ!

 これから独立する国が何故、旧宗主国に『(きん)』までも呉れてやらねばならぬのだ!」


 そう、この独立戦争終結後に於いて巧が目を付けた『火種』となるスゥエンの資源。

 それは『金』、『銀』であった。


 スゥエンの独立が成功しても、その国内に『金』、『銀』という資産があれば、シナンガルは常にその収奪を狙い続ける事になるだろう。

 これ程の火種は無い。

 また、単に火種としての価値以上の狙いまでも持って、巧は『財貨』を使った罠を重ねる事にした。


 それが僅かにでも成功すれば、シナンガル経済に大きな混乱を引き起こすことは可能だ。

 それ以前に巧が仕掛けるまでもなく、奴隷制度が始まって以来の八十年間で経済問題の種は撒き散らかされ、悪質な肥料は与え尽くされている。

 中身が隙間だらけの侭に育った大木を切り倒すには充分過ぎる一撃に成り得る武器だ。


 反面、巧の案が失敗して今回進めるスゥエンの工作がシナンガル経済を助ける可能性も充分にある。

 だが、それはそれで良い。

 これまたシナンガルとスゥエンが互いに経済で睨み合う事態が生まれる事は容易に予測が付くからだ。


 当然だがシナンガルに向けて『金』が出た事は知られてはいた。

 だが、その採掘総量は年間五十キログラムにも充たず、何より埋蔵量も全く不明である、とドラークもハーケンも共に情報工作を続けて来ている。


 しかし実際は、金鉱が発見された昨年から丁度一年で、一トンを越える量の産出が有った。

 つまり報告の二十倍以上である。

 一トンと言えば少ないように感じられるが、地球に於いても二〇五〇年代の最新技術を駆使した全世界産出量が二千六百トン前後である。


 この世界が中世という基準で考えるなら莫大な数字だ。

 一六四〇年に於いて西洋諸国が確認していた金の総量は十トンに充たなかったのである。

 これは巧の国でも同様であり、全国の金鉱山からの年間生産量は最盛期でも一トンは行かなかった。

 最も産出量が多かった佐渡金山ですら閉山までの四百年で採掘量は八十トンに充たない。

 つまり年間二百キログラムと言った処だろうか。


 また、スゥエンの銀の産出量は此に輪を掛けた危険な産出量と言って良いだろう。

 今後もスゥエンの金鉱、銀鉱は更なる発見が成される確率は高い。

 今回見つかった金坑道ひとつ取っても、予測埋蔵量は原始的な試算ながら三十年分と考えられていた。

 これだけで既に総生産量三十トンが見込まれる。


 山岳民救出作戦の頃から巧が持っていた疑問。

『何故、過去数百年に渡りこの肥沃な地が放棄されたのか、』

 その答が此処にあるのではないか、と彼は考える。

 未だ揃わぬピースが多く、パズルが完成した訳では無いのだが……。



 話は変わるが、問題の金鉱、銀鉱の発見者である口の軽い鉱山技術者は、不幸なことにハーケンによる独立宣言の直後に強盗の被害に遭い、その際に死亡している。

 事件について問われたハーケンは、“犯人は残念ながら不明である”と事務的な言葉を発しただけだ。


 だが、ヴェレーネのスパイ網は、彼が不運に遭遇する数日前には辛うじて本人との接触を果たすことに成功していた。

 結果、フェリシアはシナンガル本国以上にスゥエンの鉱山についての正確な情報を手に入れていた訳である。

 また、どうしたものかフェリシア女王は、スゥエンにおける金銀の存在どころか、全土に於ける推定埋蔵量に至るまでも疾うの昔から知っていた様である。

 よってヴェレーネは女王の指示の下、発見された鉱山の入り口を知る事のみを狙っただけであり、“其の程度なら”と奢りの酒で口の軽くなった技師は鉱石発見までの苦労話と共に、おおよそでは在るが鉱山の位置を知らせてくれたのであった。

 採掘は既に始まっており、坑道入り口に近付けば護衛兵士も現場に続く道々に溢れている。

 それこそ大した情報にも感じなかったのであろう。


 だが結局、その男は随分と高い酒を飲んだ事になったようだ。



 迂闊で不幸な男の話はさて措き、(きん)の上納に関わるハーケンの怒りの言葉を一通り受け止めたスズネことヴェレーネは僅かに困った表情を見せ、(おもむろ)に呟くように問い掛ける。

「ハーケン様は、いつまで私を試すおつもりなのでしょうか?」


「ふむ、何が言いたいのかな?」

 ハーケンは僅かに片側の眉を上げるが、それは不快を示すものではない。

 同時に口の端までもがつり上がり、腹の中の笑いを隠しきれない事が見て取れるのだ。


 その表情に確信を持ったヴェレーネは、更にカードを一枚切る。

「ルース様がスゥエンの『金』を“シナンガル政府”に引き渡せ、と仰っている訳で無い事は先程からの会話で既に気付いていると思ったのですが、これは私の思い違いでしょうか?」


 睨み合うふたり。

 場に静寂が訪れる。


 だが、それも長くは続かなかった。


 ハーケンの目尻は下がり、遂には声を上げて笑い始めたのだ。

 たっぷりと笑い尽くしたハーケンは、息を吐いて首を左右に大きく振る。

「まあ、ルース殿の言い分は分かった。

 私も遠回りでも“効果は高い”と思ってはいたのだが、一時的にとは云え“金で安全を買う”様に思われるのは(しゃく)でな。

 何より、会議にも国民にも全く理解されんだろう」


「はい、確かにハーケン様の権力基盤は未だ不安定で御座いますれば、実に危険な賭です」

 ヴェレーネは静かに頷く。

 確かにハーケンには軍事的カリスマはある。

 だが、このスゥエンの一般住民の安心を芯から支えているのは、ドラークによって成された、これまでの統治実績であった。


 ドラークが生きているからこそ、住民はその代行としてのハーケンを認めている。

 彼の政策がドラークの方針を破って軍事に偏るようならば、住民は独立に不安を持つに違いない。

 納税相手が変わるだけならまだしも、より過酷な国に住むことすら有り得る。

 その様な事を認める住民など居ないだろう。


 今、ヴェレーネは、その内情全てを理解している、と答えた訳である。


 彼女の言葉に、『分かってくれて嬉しい』と一旦は微笑んだハーケンでは在ったが、事は笑って済むほど簡単ではない。


 念押しをして来た。

「しかし、本当に『この程度の量』で目的は達せられるものだろうかな?

 結局は虎の子の『金』を失って、全ては無駄に終わる可能性も捨て切れんのだよ。

 そうなればドラーク殿の行政方針を裏切ったと見られる恐れもある。

 この街は貴殿らが思う以上に民会の発言力が強い。

 独立後にフェリシアと交易を行うにせよ、鳥使いを雇い続けるにせよ、資金は幾らでも必要だからな」

 大きく溜息を吐くハーケンを見てヴェレーネは意外に感じる。


 ハーケンが人に弱みを見せる男とも思えなかったからだ。

 だが、ヴェレーネは少しばかり考え違いをしている。

 彼は自分が悩む姿を見せる事によって、“スズネ”から更なる情報を引き出したいのである。


 アンドレア・ハーケンは一国を手に入れるという博打に出た。

 一世一代の賭であり、今回の独立戦争は彼が待ち望んだ大舞台である。

 後世、独裁者と呼ばれようが、謀反人と呼ばれようが歴史に名を刻んで世を去りたい。


 ヒーラギが、いやルースが持ち込んだ今回の計画は実行するに値する作戦だ。

 ハーケン自身も機を見て同じ行動に出るつもりではあったが、早すぎるように思えたのだ。

 だが、ヒーラギやスズネとの話を進める程に、今を置いて他に勝負の時は無い事にも気付いた。


 どの様な勝負にも結果が伴う。

 無論、負けるつもりなど毛頭無い。

 しかし、第一次シエネ攻防戦でアイアロスがアルシオーネに語った事を知る訳でも無いが、ハーケンとて如何に必勝の準備を整えても負けるときには負ける事も知っている。


 ならば、間抜けな負け方だけは御免だ。


 アンドレア・ハーケンとは、勝つために必要ならば幾らでも臆病になる事を知っている男でもあるのだ。

 弱気の姿勢を見せて“スズネ”が何らかの言葉を発することを待つ。


 しかし、それに気付いた訳でも無いが、ヴェレーネは警戒の姿勢を崩さない。

 元より韜晦(とうかい)は彼女の得意技である。

 表情一つ変える事無く、時間だけが過ぎ去って行く。


 結局、ハーケンが折れた。

「シーオムに在籍していた時節(おり)に、ルース殿と知己を得る機会に恵まれなかったのは実に残念な事だ。

 ルース殿は“手駒”を選ぶのに長けた方である事は確か、としか言いようが無い。

 マーシア・グラディウス殿、ヒーラギ、そしてスズネ殿、誰一人取っても一筋縄ではいかん」


 ハーケンの言葉に内心喜ぶヴェレーネであるが、表情は崩さない。

 静かに、ひとりの書記を演じ続ける。

「では、やって頂ける、と云う事で?」

「うむ。賭けるしかあるまい。

 貴殿らの兵力を当てにしても、結局は籠城戦の繰り返しになるばかりだからな」


「それを聞いて安心しました」

 言葉に添えてヴェレーネは革袋をテーブルに置く。

「これは?」

 首を傾げるハーケンを見ないままに、ヴェレーネは袋の口を開くと中身を卓に広げる。

 シナンガル銀貨が二十枚ほど滑り出た。


「これが、どうしたと言うのだ?」

「この銀貨は全てフェリシアで鋳造されたものです」

「!」

 慌てて銀貨を一枚だけ摘み上げたハーケンであるが、どう見ても自国の硬貨と見分けが付かない。


 幾ら物作りを軽んじるシナンガルと云えども、基本的な物資製造力が無い訳ではない。

 ましてや硬貨ともなれば、それなりの意匠が施され、素人が偽金を造った場合は製造コストが見合わぬよう様に工夫もなされている。

 処が、目の前の硬貨は見事に複製されているのみならず、自然に使い込んだ痕まであり、とても偽造品とは思えない品だ。


「これがルース殿の切り札だったのか!」

 眼を見張るハーケンであったが、ヴェレーネはそれを否定する。

「どういう事だ?」

「それはひとまず置きましょう。

 それより、今回使用する銀の半分はスゥエンの銀を廻して頂きます」

「ふむ、半分で良いのか?」

「はい」

「何故だ?」

「此方も資金は惜しまない、と言うことです。

 それから、まず『金』ですが、一旦は私どもで全て預からせて頂きます。

 今回はシナンガル金貨の鋳造を行う意味がありません。

 金貨は庶民が持つには額が大きすぎるとは思いませんか?」


 ヴェレーネの問い掛けに、顎に手を当てた侭ハーケンは渋い顔を見せる。

「確かにそうだが、“一トン”、いや正確には一,二トンか……。

 そいつを丸ごと持ち逃げされないと云う保障も無いな。

 銀を餌に金を釣り上げられては溜まらん」


 無論、ハーケンの言葉は本気ではない。

 様々な方向から相手の力量を計ろうとしているだけだ。

 それを知りつつもヴェレーネは今度ばかりは素直に手を晒す。


「ハーケン様ならば、そう答えるであろう、とルース様も仰っていました。

 そこで今度は、此方(こちら)を、」

 ヴェレーネは数枚の文書を差し出す。


 受け取った文書に目を通したハーケンは、書類とヴェレーネを代わる代わる見ては目を丸くするばかりだ。

「これは……。本物、なのか?」

「この様なものを偽造した場合、この世界に逃げ場は在りませんわ」

「嘘か誠か、そう言われているな……。

 ところで何故、これを先に出さなかったのかね?」


「甘えられても困りますので、」


「なるほど……」


 ハーケンの頷きと同時に巧の策は動き始めた

 ヴェレーネがハーケンに差し出した書類の内1枚は、魔導研究所主任としてのヴェレーネの書名が入った今回の作戦に関わる協約書である。

 一つ間違えればシナンガルに対して「侵攻の大義名分」を与えるものだが、どのみち侵攻は既に始まっているのだ。

 外に漏れた所で今更のことである上に、後日の休戦協定で問題になるにせよ、書類の日付から『防衛活動』と言い切ることも可能である。

 又もう一枚は、どう調べたものか、現在発見されている坑道から得られる最終的な採掘推定量であった。

 スゥエン独自の調査で得られた以上の量が根拠を持って見込まれている。


 この文書を最後まで出さなかったのは、“スズネ”として語った通り、ヴェレーネの力を当てにし過ぎて、スゥエンの自発性が弱まることを嫌っただけである。

 だがスゥエンの、いやハーケンの覚悟の程は知れた。

 後は動くだけだ。


 巧に良い土産が出来た、とヴェレーネがようやく喜ぶ姿。

 それはハーケンから見ても実に素直な笑みであった。



 今回の計画が予定通りに動くならば、シナンガルは絶頂に持ち上げられた後、地の底にたたき落とされる事となる。

 巧が気に病む事は庶民を、特に貧民層を苦しませる結果についてだが、それ以上に資産を持つ議員、いやシナンガル国庫そのものへのダメージは計り知れないものになる事も間違い無い。


 この世界では誰も経験したことのない新たな戦争が準備されると、ハーケンに一礼したヴェレーネは室外に待ち受けた随員と共に引き上げる。


 部屋を去る彼女の背中を見送ったハーケンは今度こそ、演技ではない本物の溜息を吐いたのであった。



      ◇   ◇   ◇   ◇   ◇  



 ハーケンの前から去ると同時に、ヴェレーネはクリールとの同調を開始している。

 やけにリンクが取りづらい事も気に掛かったが、兎も角、シーアンの事態はかなり切迫している様だ。


 スゥエン城壁外のキャンプに集結していた増援兵百四十名以上を載せたヘリ部隊は、中継基地(キャンプ)守備員十八名を残して既に全機発進し終えたが、最大巡航速度はオスプレイでも時速四百五十キロ、AH-2Sなど三百キロ程度である。

 つまり戦闘突入前の準備時間まで考えた場合、先行するオスプレイ四機だけでも最短でも三時間以上掛かることに間違いは無い。


 残念だが主役である九機のAHや補給機などは、更に遅れる。


 無線をシエネへ繋ぎ、リンジーを呼び出す。

『池間少佐に準備を急がせなさい。即戦即決を方針としますわ。

 準備が済み次第、少佐には此方へ連絡を入れるように伝達。

 それと魔術師隊、いえ増援は全てあなたに率いてもらいます。

 あ~、あとアルバには残留してもらって転送役を!』


 一方的に話してスイッチを切る。

 さて、如何に事務的に有能な池間でも、指示された準備に明日までは掛かるだろう。

 ならば、此方は此方の仕事を進めなくてはなるまい。


 整備員を始めとした護衛の兵士達をねぎらいながら、ヴェレーネは指揮官専用のテントに入る。


 背もたれに角度のある大きめの椅子に深く緩やかに身を預けると、久々に距離を稼いで意識を跳ばす事に集中した。





あけましておめでとうございます。

本年も宜しくお願い致します。

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