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星を追う者たち  作者: 矢口
第二章 次元を超える人々
19/222

18:5つの時間の物語(前編)

えー、疲れてるんでしょうかね。 途中でふざけたAA入れてしまいました。

読者の皆様の中で「ふざけるな!」とお怒りの方も出るとは思いますが、ご容赦下さい。

楽しんで書いているんですが、どうもインパクトが欲しくなると言いますか、はい。


今回のタイトルは前後編に分けさせて頂きたいと思います。

 一つめ 自由への時間(とき)


 巧の世界における第二次世界大戦のヨーロッパ戦線末期。

 一九四五年四月二五日、ヤルタ会談での合意に従い東西それぞれからドイツ攻略を進めてきたソ連軍と米軍が、チェコの国境北西部におけるベルリン南部の交通の要所、ザクセン州のエルベ川のほとりにある小さな街トルガウ近郊で初めて出会った。


 ベルリンまで北に約百六十キロメートル、米軍換算では百マイルを残すのみとなるこの交通の要所が米ソによって制圧された事により、抵抗を続けてきたナチスドイツ軍の戦力は南北に分断された。

 その結果一九四五年五月九日のドイツの降伏に向けて、戦局は一気に加速して行く。


 エルベ川河畔で合流した米ソ両軍の兵士はお互いに肩を抱き合い、このような悲惨な戦争は二度と起こすまいと誓い合う。

 後年には映画にもなるほどの歴史的な邂逅(かいこう)であり、抱擁であった。


 しかしながら、戦場で命を賭けた兵士の気持ちとは裏腹に、国家という装置は「血を欲すること多し」である。

 既にその時、米ソの対立は始まっており、一九四五年九月二日に巧の国が降伏文書に調印して以降は米ソは完全にその袂を分かつ事となる。


 アメリカはソ連の秘密主義を『鉄のカーテン』と呼んだ。


 所謂(いわゆる)、『冷戦』の始まりである。


 多くのアメリカの外交官、軍人は

「ドイツはともかく、何故あの国を追い詰めて戦争に巻き込む必要があった?」

「お陰で共産主義の防波堤は俺たちが肩代わりだ」

 と影でぼやいた。


 公聴会で『そのこと』を公然と発言した戦争の英雄は大統領選挙への出馬も認められず、

「老兵は唯、消え去るのみ……」

 との言葉と共に歴史の影に消えた。




 この冷戦によって、多くの国が米ソどちらの陣営に着くかで大きく揉めた。

 大体においては、その地政学要因が属する陣営を決めたのだが、悲惨なのは陣営の最前線にある国である。


 内乱の結果、若しくはそれに伴うソ連の機甲部隊の進駐によって多くの国がソビエト連邦の衛星国に組み込まれ、自由を求める人々は戦車の履帯に蹂躙されていった。

 エルフリーデの母国、チェコもそのような国の一つであったのだ。


 ソ連は一九四九年に核開発、一九五七年には世界初の人工衛星の打ち上げ、続いては有人人工衛星打ち上げと、常にアメリカを科学技術でリードし続け、超大国と云われたアメリカですら、核の報復という脅しを使って睨み合うしか手は無くなっていた。



『冷戦』を象徴するものは何か?

 そう問われた時、巧の世界に当時生きていた人たちがこぞって答えたのは、米ソによってドイツが東西に分断されたことを示す、『ある壁』の存在である。


 すなわち、

『ベルリンの壁』



 エルベ河畔での兵士達の約束は守られた。 

 但し、民族のみならず、親子や家族までをも分断するという犠牲を払ってだが。


 一般にベルリンの壁という言葉を出した時、巧の世界に住む人々ですら、当のドイツ人を除けば東西に分けられたドイツ国境線の境目にベルリンはあり、その中心から分断されている。

 そのように誤解していた人が多い。


 しかし、現実にはベルリンは完全にロシアよりの東ドイツ、即ち「ドイツ民主共和国」内にあり、その中の一都市であるベルリンが米ソによって更に分割されたのである。

 つまりは西ベルリンは西ドイツの飛び地であり、西ベルリンの外部との連絡は航空機にのみに頼られた。


 冷戦が始まった頃、東ベルリンの壁際には大きく立派な公共住宅が建てられ、戦争の傷跡も生々しい西ドイツの市民をうらやましがらせた。

 しかし、アメリカはそれに対抗して、『マーシャルプラン』と呼ばれるヨーロッパへの大量資本援助を始める。


 共産主義は出発の頃は良い。

 理想に燃えた人々が、自由と平等に燃えて国を造っていくからだ。


 しかし、次の世代からは『そこにあるもの』が当たり前になってしまう。

 何より、努力しても、努力しなくても手に入るものは一緒であり、ずる賢く、恥を知らず、権力に近寄ることの上手い者こそが利益を得ることが出来る様になる。

 そのような社会に必ず変わるのだ。


 これでは若者程やる気も失せようというものであろう。

 そうして、一九七〇年代も中頃となると東西の経済力は逆転し、東側の市民の生活は目も当てられないものになる。


 ひとつ例を挙げるなら、アイロンである。

 敗戦国である巧の国ですら一九六〇年代の初めには全ての家に揃っていた電気アイロンなど東側では高級品であり、その頃多くの家ではヤカンに焼いた石炭を入れる様な形の石炭アイロンを使っていたのである。

 これでは当然ながら、東ベルリンから西ベルリンへの亡命者が相次ぐ様になる。


 国境沿いに立てられた東ドイツの高級公団住宅は取り壊され、二キロ以上後方へと移された。 

 建前は「市民の安全のため」と言うことであったが、実際は電力不足でしょっちゅう停電する東ベルリン市民は公団住宅の最上階から、賑やかで車の量も多い西ベルリンを指をくわえて見ることになり、「この国は何かおかしい」と気付き始めた為である。


 しかし、それを口にした人々の家には警察が訪れ、連行された者は遂には誰一人戻って来ることはなかった。


 壁の周り五十メートル圏内は市民の立ち入りが禁止され、サーチライトの付いた警備塔が建てられる。

 その外側では高さ二十メートルを越える建物の建設も差し止められた。

 しかし電波はどうだろう。どうやっても入ってくる。


 ソ連政府は、西側の電波を捉えることの出来るTVやラジオを禁止したが、当の政府上層部が西側の番組を楽しみ、使い終わったTVやラジオを安値で下のものに売ると、その周波数コードはあっという間に市民に広がり、自分たちでTVやラジオを改造し始めた。


 そうして市民達はTVで見ることの出来る西側の豊かな暮らしに目を見張った。


 西ベルリン側の国境際には、三十年前と逆転する様に高層高級マンションが建てられた。

 そこに住む人々は手紙を添えた紙飛行機を、風船を、果てはラジコンの飛行機まで飛ばして、東の人々に亡命をすすめていく。


 人々の不満が高まり、東ドイツでは毎週の様に自由化を求めるデモが起き、ソ連上層部の腐敗が最高潮に高まった時、ある政府高官がラジオで思わぬ失言をしてしまう。


 西側諸国へのパスポートを求める運動が高まる最中、規制緩和の法案が一応は通った。

 しかしながら、それは厳しい基準があるものであったのだが、どう伝わったのか、この問題について意見を問われた出入国管理責任者は、一九八九年十一月九日十八時にラジオ中継された記者会見で、


『遅滞なく、誰でも出国が可能です』


 と言ってしまったのだ。


『遅滞なく』

 即ち、「今すぐにでも」と言う意味である。

 東ベルリン市民はゲートに殺到した。


 そして、人々はゲート職員ともみ合いになる。

 日頃はゲートに近付く市民をマシンガンで躊躇(ちゅうちょ)なく撃ち殺していた警備員ではあるが、彼らもラジオを聴いていたのだ。

 どうすることも出来ずに、翌朝、政府が訂正発言をした時には既にゲートは数万の市民によって包囲され、警備員のマシンガンなど意味を成さなかった。


 また、去った一九八六年八月には大陸で天安門事件という自由と民主化を求める人々を政府が戦車で蹂躙する姿がTVで全世界に放送され、大陸は激しい経済制裁を受けた。

 国境上空を飛ぶ報道ヘリすら現れた以上は、武力弾圧も不可能である。


 そして翌一九八九年十一月十日二十二時。遂にゲートは開放され、深夜二十四時には壁の破壊が始まるのである。


 壁の崩壊と共に、東西ドイツ統一とソビエト連邦の崩壊が始まる。




 その壁の破壊が始まる六時間前、人々がゲートに押し寄せる中、ゲートから二キロ離れた集合住宅の近くの雑木林に淡い光が現れた。

しかしながら、興奮してゲートに向かう人々は誰一人として淡すぎるその光に気付く者は居なかったのである。


 



 二つめ 行動開始の時間(とき)


 一応はこの時代の服装に合わせたつもりではあったが、流石にエルフリーデの生きた時代から六十年以上前である。情報が少なすぎた。


 生地の質はフェリシアと同じ程度だが、人々が落ち着けば微妙な違いというものは人目を引く。

 急いで、この時代、この地域にあった服装を手に入れなくてはいけない。

 ヴェレーネはそう考え、街の中心部へと向かう。


 人々の流れと逆行している上に、今、周りの人々は興奮して、道の端を歩く少女一人に誰一人として目を向ける者など居ない。

 誰もが自由を手に入れるという歴史の変化に参加したいのだ。


 いや、このような時でも慌てることなく自分の有り様を変えない人物も居る。

 ヴェレーネが探し当てた店の主もそのような男だった。


『質屋』と言われても巧の時代の一般人は知らないだろう。

 巧は史学科であったので多少の知識はあったが、その父親である穣がそのような知識を持ちエルフリーデとの会話に入れていたのは僥倖(ぎょうこう)であった。

 古風な家庭劇を立体テレビ(ソリヴィジョン)で夫婦して楽しんで観ていた様だ。


 しかしそれは巧の国の話であって、この国ではどうだろうか?

 エルフリーデの記憶には二〇五〇年代のヨーロッパにそのような商売はなかった。

 少しばかり心配ではあるが、時間がないのである。



 意を決して、それらしき店に入ると店内には『良い粒子』が漂っている。

 まあ、そんなもの実際はないのだが、ヴェレーネの勘が、『当たり』を告げているという訳だ。


 店内には見たこともないものから、何に使うのか目星が付きそうなものまで一通り揃っている。 

 見たこともないといってもエルフリーデの記憶を探ると何に使うのかは想像が付くが、これが所謂『質流れ品』という奴だろう。


 質屋はものを預けて金を借りていき、そして期限内に利息と共に借りた金を返せば、預けた品を返してもらえるシステムだ。

 此処に並んで売られているものは、受取期間を過ぎて金が返せなくなった人々の持ち込んだ品であろう。


 品が多ければ、お人好しの無能だと言うことだし、少なければ取り立ての厳しい守銭奴だと言うことになる。

 品数は“多すぎず少なすぎず”であり、ヴェレーネが『当たり』と判断したのも当然かも知れない。


 ふと、カウンターの向こうから声が掛かる。

「どしたい、嬢っちゃんよ?」

 後、一週間も天日に干せば、完全にひからびて干物になりそうな老人であるが、鼻眼鏡の上の眼光は中々鋭い。


 エルフリーデの記憶からこの世界の言葉は完全にマスターしていたつもりだし、道行く人たちの声も理解できたが、自分に対して向けられる言葉というのは緊張するものだ。

 何より上手く発音して言葉を返せるかどうか、実際にやってみるまでは分からないと彼女が逡巡(しゅんじゅん)していると……。


 老人はヴェレーネを値踏みする様に上から下までじろりと見る。

 ヴェレーネの今の姿は、髪型こそ変えないものの、フェリシアで()って貰ったセーターと綿の厚手のズボンである。靴はこの時代の布製のものが欲しかったがフェリシアにはそのような技術がなく、やむを得ず革のブーツはそのままに履いてきた。

 また、その姿の侭に腰には妙な革袋をぶら下げている。

 はっきり言って今の彼女の姿は実にアンバランスだ。


「訳ありかね?」

 そう訊いてきた老人にどう答えるかヴェレーネが悩んだ時、老人は、

「ひゃはっはっ」

 と自分の言葉に笑って、

「まあ、世の中、訳ありでない奴なんか居やせんよなぁ」と言った。


 話せる人の様だ、と安心してヴェレーネは口を開く。


「実はこれを売りたいんです」

 そう言って腰の革袋から取り出した指輪は、ほぼ純銀製でサファイアがはめ込んである。


 老人はそれを手にとってじっくり見ていたが、

「良いものだな、……盗品か?」

 目付きが変わり、ヴェレーネをうさんくさいものでも見る様な目で見る。


「いいえ、形見です」

 慌てて答えるヴェレーネに

「出国の資金にしようって訳かい」

 と、老人の言葉は先程と違って冷たい。


 失敗したか、とヴェレーネが考えた時、老人は諭す様にしゃべり始めた。

「国って奴はな、政治や制度じゃないんだ。そこに住む人の事、さなぁ」

 どこか遠くを見つめている。

 そして言葉を続けた。


「誰も彼も、この国から逃げたがってる。情けないこった。自分たちで何とかしようって思わないのかね。親の形見まで売って、政治家の言葉に一喜一憂しやがって」


「俺たちはドイツ人だ。西ともう一度ひとつになるのはいい。だが、逃げるのは駄目だ!」

「戦争には負けた。だが、民族が消えた訳じゃあない。ドイツ語が、ドイツ人が一人でも残っている限り、ドイツは『有るんだ!』」

 フィヒテの考察からの引用であろうが、その言葉は老人の血肉の一部となっているかの様だ。

 その細い身体の何処にそれだけの熱があるというのだろうかと驚く程に、老人は叫んだ。


 ヴェレーネは、ほっとした。

 どうやら共産党員という訳ではないようだ。


「お爺さん、違いますよぉ」

 少し子供っぽく話してみる。

 老人は子供相手に本気で激高した自分に気付いて恥ずかしくなった様だ。


「いや、すまん。こんな国になっちまったのも、俺たち老人の責任なのになぁ。 おまえさんの様な子供が生き延びるのにどんな手を使っても責められん筈なのにな。喩えそれが犯罪だったとしても……」

 寂しそうに横を向く。

 彼も社会が変わろうとすることに実際は不安ながら、老人特有の『あきらめ』がその姿を鷹揚に見せていただけなのかも知れない。


「ねえ、お爺さん。あたしのドイツ語上手?」

 ヴェレーネがそう訊くと、老人は驚いた様に、

「違うのか?」

『ドイツ人ではないのか』と驚いたが、

「そう言えば、こりゃあ懐かしい。チェコの訛りが僅かにあるな」

 そういって笑った。若い頃に旅でもしたのだろうか、嬉しそうな顔だ。


 ヴェレーネも思わず笑う

「お爺さん。さっきから睨んだり、笑ったり、怒ったり、喜んだり、忙しいですわね」

 そう言うと、老人の顔が真っ赤になった。


「年寄りをからかうな! まあ、詫びと言っちゃあ何だが、訳ありの相談には乗るぞ」


 どうやら、ヴェレーネは『大当たり』(ジャックポット)を引き当てた様だ。






 三つめ 交渉の時間(とき)

 

 質屋の老人、ハインミュラーには大分親切にして貰った。 

 それだけではなく、今も自分が国境を越えるのに附いてきてくれる。


 ドイツに来てから様々な準備を整え一週間が経っていた、十一月十六日。

 これ以上は引き延ばせない。また、今が絶好のチャンスである。


 今、ヴェレーネはハインミュラー老人と共にアメリカ領事館に迎え入れられた。 

 ヴェレーネは自分の名前をエリザベート・アルメットと名乗り、チェコ・スロバキア系ルーマニア人だと告げる。


 この一週間、ハインミュラー老人の口利きで図書館に行き、ルーマニア語の本を読み、テープを聴いて全て量子に記憶させたため完璧ではあるだろうが、本に載っていないことやエルフリーデの記憶にないことは分からない。

 出たとこ勝負であることは、間違いないのだ。

 彼女はわざと緊張を隠さない。十五歳の子供がこのような場で緊張していない方が不自然だからだ。


 十三日には社会主義統一党のドレスデン支部長モドローが人民議会より新政府の構築を託されるなど現在ドイツ統一に向けて東ドイツはめまぐるしく動いている。

 この混乱期がチャンスなのだ。


 十二月に入れば遅すぎる。


「それで、お嬢さんはオランダへの亡命を希望していると、言うことですな?」

 アメリカ大使館の係員は尋ねてくる。


「はい」

 単純にエリザベートことヴェレーネはそう答えた。


「しかしですね。エリザベートさん。パスポートがないのは仕方ないにせよ。

 出生証明書や社会番号ぐらいルーマニアにはあるでしょう。というか、あの国だからこそ、国民を番号で管理しているはずです」


 来た! この質問を待っていた! とヴェレーネの心の中の瞳が光った。

 

 出来るだけ静かに、喋りにくそうに、言いづらそうに、絞り出す様に声にする。


「私は、……『チャウシェスクの落とし子』です」


 その言葉に係員の顔色が変わる。



 当時のルーマニアは鉄のカーテンの向こう側でも特に厚いカーテンで閉ざされていた為、その国家体制には様々な憶測が飛び交うだけであった。


 驚くなかれ、これはアメリカも同じである。

 この頃のCIAの能力の低下は目を覆わんばかりであり、人工衛星や電気的盗聴に頼れば事が済むと思い込んで様々な失敗を披露している。


 この『チャウシェスクの落とし子』についてもそうだ。


 ヒューミント=人的活用調査。即ち昔ながらの人間を使った調査をしていればその正体はすぐに分かったであろうに、CIAは妄想力だけは実に高度な才能を発揮した。

 流石は有名大学をトップで出た者ばかりのエリート集団である。


 即ち『ヒットラー・ユーゲント』の様に子供の頃から英才教育を受け、鉄の忠誠心を持ったニコラス・チャウシェスク大統領のエリート近衛師団であるとか。


 実際、子供だけの暗殺集団だとか。


 酷い例になると、『特殊な子供を集めた超能力部隊』だ。などという話まで大まじめに議論されて居たのである。


 この一月程後、つまり十二月二十四日にルーマニア革命が起こり、翌二十五日に大統領は婦人共々処刑される。


 結果、『チャウシェスクの落とし子』とは、国家政策で堕胎を禁じたため、生活に困窮した親が孤児院や町中に捨てた孤児や浮浪児の事を指すのだと言うことが明らかになるのである。





CIA職員が /つ_∧

  /つ _∧ 〈( ゜д゜)

  |( ゜д゜) ヽ ⊂ニ) まじっすか!

  ヽ__と/ ̄ ̄ ̄/ |

    ̄\/___/


 となったかどうかは知らないが、


 その後は、議会から呆れられたのか、二〇〇三年に新たに開設される『国土安全保障省:DHS』に大きくその地位を脅かされていくことになる。 

 結果として統合されたかどうかは、今のところは話に関係ないため流そう。


 

 ともかく一九八九年十一月十六日現在の段階では、『チャウシェスクの落とし子』は未だ謎の存在である。

 大使館の係員がパニックを起こすのも当然であろう。

 ドイツの一般人が、それも只の子供がその名を知るはずがないのだ。

 

 一時間もしないうちに彼女は西ドイツに移送されることになる。

 ハインミュラー老人には礼を言って落ち着いたらまた会いに来ることを約束して別れた。

 老人には服を揃えて貰い、鞄を靴を譲って貰い、その上に多少の金銭を融通して貰った。

 お返しに、例の指輪と同じようなものを二つ譲った。

 四十万マルク、日本円にすれば三千八百万円にはなるだろう。


「形見とは言いましたが『誰の』とは言いませんでしたよね。大統領に関わる物です。年金にして下さいな」

 そう笑って渡すと、

「そう云うことなら『預かっておこう』必要になったら取りに来なさい」

 と手を振って別れた。



 西ドイツでのCIAとの取引は熾烈を極めたが、国籍取得が先だ。と突っぱねた。

 ブラフ(脅し)ではあるが、こう上手くいったのだ、時間はある。

 少なくとも一月は。ヴェレーネはそう考えていた。


 が、CIAは三日で折れた。

 アメリカ国籍を取得させると言われたが、これは断り、オランダの国籍を求めた。

 オランダは当時二重国籍を認めていたためだ。

 いざとなれば何処へでも行ける。


「来年一月中には必ず全て話します。身の安全が確保されたと安心できるまでは、しゃべれません。オランダとベルギーから出られない様にしておいて下さい」


 これで、決まった。

 国籍を得た彼女は口座を開き、持ってきた宝石類を売り払った後に大学入学資格試験に向けて勉強を始める。



 翌年、一月の始めに全てを知ったCIAは……、彼女を監視対象から外した。





サブタイトルは 皆様ご存じA・C・クラークの「10の世界の物語」から頂きました。


しかし、あと二つ上手くまとめられるかどうか、心配です。

6とか7とかにならないようにしなくてはいけませんね。

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