170:海の中は今日だけ大荒れ(後編)
海面に跳び上がったマーシアはネルトゥスまでの数キロを最大速度で飛行すると、文字通りに甲板上に転げ込む。
最早、体力も精神力も限界に達していた。
その中で最後の力を振り絞ると、CICの響伍長にDAS通信を繋いで最低限の連絡を完了させる。
後は息を荒げるだけで、起き上がることも出来ないほどの消耗だ。
救護班が甲板へと救難カートを走らせ、マーシアを収容する様子を見る操舵艦橋の山崎にCICからの報告が入った。
『マーシアさんからの報告を読み上げます。
大凡二分後を目処に一斉曲射の要請。
ECCM対応発信ピン、敵本体への打ち込みに成功。
背面中央部の現在深度は三三六!』
響からの報告に山崎の眉根が曇る。
「支援砲撃要請はいいが、隊長はどうなる。
位置は兎も角、奴の全体像が見えている訳じゃない。
下手に直撃すりゃ巻き添えだぞ!」
当然の不安に対する響伍長の返答は、『威勢は良いが、要領を得ない言葉』の見本の様ですらあり、山崎は益々混乱する羽目になった。
『いえ、それがですね。 マーシアさんの報告ですと、
“挟み撃ちだ!” と、』
「挟み撃ち? どういう事だ?」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
予備のポイントヘッドを装着すると、ラハルに穿たれた大穴の内部で、巧は左右の壁面に腰部からのアンカーポイントを撃ち出す。
貫通孔内壁は全面が筋繊維であり、タングステン鋼製のアンカーポイントは肉を切り裂いて、その壁面に深々と食い込んだ。
ヴァナルガンドがラハルの体内に此処まで侵入できたのは、偏にマーシアの力のお陰であろう。
マーシアは残る魔力を振り絞り、六つの重力子エリアを見事なバランスで分散することで、最後の最後には質量十四万二千トン、馬力換算三百二十万馬力を越えるラハルを七秒に渡って完全に押さえ込むことに成功したのだ。
マリアンの補助など無い、マーシアのみの力による最大効率を考え抜いた魔法力展開である。
魔力を力任せに叩き付けてきた今までの戦闘スタイルとは、完全に相反する超精密操作とも言える魔法力展開であった。
六十年前、初めてコペルがマーシアに与えた魔力活用の基礎にして極意。
『針のように細く、殴る瞬間にのみ力を入れるが如く、そして力はぶつけるのではない。
“通す”のだ』
と言う言葉を完全に使いこなして見せたのだ。
先のふたつは、マーシアにもすぐさま理解できた。
しかし、力を『通す』とは何か。
マーシアは今の今まで、分かっているつもりで実際はまるで理解していなかったのである。
例えば魔法力を相手に正面から百パーセント完全にぶつけたにせよ、結果として百パーセントの成果として現れる訳では無い。
何事にも力の発露にはエネルギーのロスが生まれる。
電力が全て熱に、熱が全て電力には変わり得ない事と同じだ。
だが、力を相手にぶつけるのではなく、力を相手の向こう側の空間まで通過させた場合どうなるか。
勿論、対象の向こう側まで力が届くことなど、決してあり得ない。
しかし、その様な力の伝達方法ならば、殆どの力は相手の内部に留まる事となる。
打撃系武道に於いてもこれも『徹し撃ち』と呼び、基本中の基本でありながら、充分な鍛錬を積んだ人物ならば相手の腹を殴ることで背骨を粉砕する事まである、いわば『裏』の技にまで繋がる恐るべき打撃方法だ。
とは言え、実戦では相手も動くのが当然で有る。
つまり理屈は兎も角、その様な『徹 撃』が『完璧』に決まることなど余程の力の差がなければ難しく、対等な相手との実戦に於いて“使いこなす”など、其れこそ『神の御業』である。
だが、今回その“神業”を応用した魔法構築にマーシアは挑み、結果、見事に成功させたのだ。
六十年以上積み上げてきた闘いの歴史に加え、全ては兄である巧を救う為の執念から生みだされた奇蹟とも言えた成果だった。
だが、成功するにしても、その代償は大きい。
ネルトゥスに辿り着いたマーシアが、見る人を驚かせるほどに息も絶え絶えだったのは、決して故無きことでは無かったのだ。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
ラハルの体内に飛び込んだ巧の機乗するヴァナルガンドは、再度CCBSを発射すると、遂には内壁を完全に吹き飛ばした。
流れ込む海水。
人間で言えば、水中で腹膜に穴を空けられたのに等しい。
こうなれば最早、これ以上潜ることは出来ない。
魔獣は緩やかに水面に向かう。
此処からが、内部の巧と外からのネルトゥスによる『挟み撃ち』である。
ラハルは今までも時たま自分の周囲で破裂していた妙な物体が、再び自分の周りに飛び込んでくる事に気付いた。
今までなら、その様なものを気に掛けもしなかったラハルであるが、腹に穴を空けられた今は拙い。
殆どの“それ”は今まで同様、張り巡らせた電子的力場に反応してラハルの肌に触れることなく爆発するが、その爆圧まで完全に防ぐ事は出来ない。
左に身体を丸めるようにして、傷口を爆圧から逸らす事になる。
そうしているうちに自らの内部で、傷は益々広がっていく。
内部に飛び込んだ小さなゴミのような存在が体内器官を破壊しながら暴れ廻るのを、ラハルは止められない。
その事実を確認するうち、生物としての怒りの本能が彼を支配していった。
即ち、『屈辱』である。
やむを得まい。
自身の体内を自身で多少傷つけることになるが、この様な異物が体内に侵入した際の防御機構を働かせる必要が在る。
彼は人間で言う処の脊髄中央へと命令を下した。
ラハルの体内に侵入した巧は未だその中央部にも届いていない。
通常の生物と違い、ラハルは体内に何層かの隔壁構造を持っており、筋肉の収縮活動が始まりつつある。
辿り着いた十メートル四方の空間では、殆どの海水は既に排水されてしまい、今はヴァナルガンドの膝下程までの水位である。
このままでは魔獣は破壊した外殻まで修復し、再び深海に逃れる機能を取り戻す事は間違い無いだろう。
出来るだけ早く、この魔獣の『核』となる部位を破壊しなくてはならない。
無論、その位置が分かる訳ではない。
しかし、今までの魔獣の例から考えるなら脊髄に間違いは無い。
いや、見つからないならば片っ端から背骨を破壊し、身体を真っ二つにするまでである。
バスターパイルを真上に向け、三発目を発射する。
轟音が反響した直後、数段の体内隔壁を一気に突き抜けラハルの血液が今居る区画までドッと流れ込んできた。
四十メートル程上方に肉に紛れて僅かに骨が見える。脊髄の可能性は高い。
巧は知らないが、実はラハルには脊髄が三本走っており、その内の一本を破壊しただけでは、動きを止めることは出来ない。
しかし、取り敢えずの目標が出来た事は大きく、思わずニヤリと口角も上がる。
だが、現状を不満に思う存在も居たようだ。
いつの間にか巧の膝に戻っていたクリールが、降り注ぐ血と肉片の光景に眉を顰め、胃をさすりつつ舌を出したのである。
「吐き気がするだって? アホか!」
巧の言葉にクリールは斜めに彼を見上げては、半眼を向ける。
所謂、“ジト目”と云うやつだ。
いつぞやのヴェレーネを思い出し、巧こそ胃が痛くなった。
「分かった、悪かったよ! もう言わない!
唯な、こいつは止める訳にも行かないんだ。我慢してくれ」
巧の言葉にクリールは肩を竦めて“ヤレヤレ”とばかりに首を横に振る。
「だから、そのジェスチャー止めい!」
“まったく!”とブツブツぼやきながら、巧は左肩の盾の裏に装着された大型振動剣を引き抜いた。
CCBSで上に大穴を空けたは良いが、あちこちからかなりの血流が吹き出し、この穴をそのまま上がる訳には行かない。
別の上昇コースを探す必要が在るため、肉壁を切り開いて道筋を作らなくてはならないのだ。
剣は左右に二本装着されている。
一本は破損するまで徹底的に使い潰すつもりだ。
早速、正面の隔壁に向かうと上段に構え、ASの左足を引く。
自動均衡装置が働いているため、実際の剣技は巧自らで機体をコントロールしなくてはならない。
右袈裟懸けとなる場合、左足を引いていなければ、自分の剣で自分の足を切りつけることになる。
これは人間でも全く同じであり、素人が剣を振り回した時に最も犯しやすい失敗だ。
最初の一振りで一生まともに歩けなくなる事すら有る訳だ。
「親父に感謝だな」
そう言いつつ、思い切り振り下ろした。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
ネルトゥスの救護室でマーシアは焦っていた。
介護員に無理矢理寝かせ付けられている状態だが、一刻も早く巧の下に戻りたい。
出来得るなら、自分も後を追ってあの貫通孔へと飛び込みたいのだが、今は闘うどころか、まるで身体が動かないのだ。
急激な魔力枯渇による副作用である。
魔術師はその気になれば死ぬ直前まで、いやその命を糧として魔力消費を行う事が出来る。
マーシアもそのつもりであった。
しかし、巧の言葉がその行為を押しとどめている。
何より、”マリアンが何故、表に現れないのか”
今の闘いを通して、その理由をようやく理解しつつあったのだ。
彼の期待に応えるためにも、決して死ぬ訳には行かない。
無茶はしても良い。だが、無理は禁物だ。
だからこそ、焦る気持ちを抑えて大人しく其の身をコッペリアに委ねていた。
マーシアのベッドにはコッペリアが付き添い、その手を握りしめている。
所謂、“魔力の受け渡し”を行っているのだ。
だがその供給はコペルの片割れとは思えぬ程に緩やかであり、マーシアとしては苦言のひとつも呈したくなる。
「なあ、もっと早く送り込める筈だろ? 何故これほど時間が掛かるんだ!?」
その問いにコッペリアは答えない。
黙って首を横に振るだけだ。
繰り返すが、マーシアの魔力は枯渇寸前であった。
いわば、死の直前にあったと言っても良い。
外見から思う以上に彼女は重傷であったのだ。
その様な魔術師の『核』に急激に魔力を、それもコペルの持つ高濃度の魔力を一気に送り込んだ場合、どうなるか。
胃の手術をした直後の人間に分厚いステーキを食べさせる様なものだ。
間違い無く死ぬだろう。
その様な訳で、コッペリアの魔力供給は緩やかに進められている。
だが、それによって力を取り戻すほどにマーシアは騒がしくなり、遂にはコッペリアによって、身体を拘束されてしまった。
今では、上半身を僅かに起こすことを許されて、正面に据えて貰った戦闘情報スクリーンを睨むしかないマーシアは、コペルに望みを託すのみであった。
だが、そのコペルことコッペリウスは今回の戦闘状況をマーシアから知ると、ある決断を行った。
「今回、僕の出番は様子見にして貰いたいんだけど?」
ブリッジでその言葉を聞いた山崎は一瞬、カッとなったものの、“指揮官としての心構え”を思い出し、努めて緩やかに問い掛ける。
相手が子供の姿、と言うのは怒りを増幅させる効果が有るにも係わらず、山崎は良く自分を律した。
「仰ることの真意をお聞きしたいですね」
まるで上官に問い掛けるかのようだ。
まあ、事実この艦の艦長はコペルである。上官に違いは無い。
その臨時の上官であるコペルの返事を聞き終えると、山崎は一瞬戸惑った表情を見せる。
だが、結局は“ふっ”と息を抜いて了承を返した。
「理由は納得できました。此方も少尉の命が掛かっている以上は全力を尽くします。
しかし、手遅れになる事は認められません。いざという時は、」
「分かってる。話した通り、巧さんを救うための提案なんだ。
勿論“解釈次第”を次に持ち越したい、ってのも確かに有る。
でもね、奴の内部は今の僕には全く見えない。
僕の攻撃が決して巧さんを巻き込まないとは言えないんだ」
いかにも“子供”という口調のコッペリウスだが、言葉の内容は計算高い“大人”のそれである。
山崎はキャプテンシートから身を乗り出すようにして、言葉を継ぎ足す。
キャプテンシートは、天井からのアーム吊り下げ式であるため、コッペリウスの頭は山崎の足下にあるのだ。
「では、マーシアちゃんを万全に戻して下さいよ。
あなたが動かず、その上マーシアちゃんまで動けないんじゃ、闘いようも無い。
この闘いに於いて、残念ながら我々は無力だ」
泣き言とも取れる山崎の言葉を聞いてコッペリウスは肩を竦める。
「そりゃ間違いだ! 君たち人間の力は、そう卑下したものじゃないよ!」
そう言ってウインクを返す少年に対し、山崎のみならずブリッジの全員が苦笑いとなった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「糞ったれ! 中に入ったらこっちのものだ、ってのは考えが甘かったな!」
毒づきながら巧は、もう一匹、いや一頭と呼んで良い程の大きさを持つ“何か”を切り捨てる。
隔壁となっていたラハルの体内壁二ヶ所を切り裂き、上部までの大きな吹き抜けを見つけた巧は、ホバーを吹かして更に上に上がろうとした。
しかし、その時、上から落ちてくるものがある。
ひとつふたつではない、数十、数百と言って良い数だ。
高さは三メートル弱、ASよりふたまわりは小さいが、数が多いのは厄介だ。
巨大な二十面体の水晶状頭部の下には同じような六角柱の細長い胴体を持ち、その下に八本の足を持ってヴァナルガンドに取り付いてくる。
更には数を頼りに動きを止めに掛かってきた。
巧はこの生物を知っている。
T4ファージ
細菌に感染してその核を破壊するバクテリオファージウィルスの一種である。
白血球として人間の体内に潜む粘菌状マクロファージとは大きく異なるが、まあ、基本としてやっていることは一緒だ。
大腸菌などの菌類に自身のRNA(タンパク質情報)を送り込み、相手の体内を自身の増殖工場に変えてしまうという厄介な存在で有る。
尤も地球のT4ファージは大きさも二百ナノメートル。
現在のナノマシン開発の基本モデルともなった上に人間に全く害はなく、大腸菌消毒の為に食品に散布する事すらある。
だが、こいつは姿形こそ良く似ているが、まるで違う存在であった。
このT4モドキは八本足の中心に位置するスパイクを使い、ヴァナルガンドの腹部に確かに傷を付けたのだ。
もう一撃喰らっていたなら、穴が開いていた可能性もあっただろう。
過去、この大きさの魔獣がASにこれ程強力な打突を撃ち込んできた例など無く、巧としては戦車の安定翼付徹甲弾でも撃ち込まれた気分である。
だが、有り難いことに身体の底にある攻撃針以外の本体は案外と脆く、振動剣で充分に対応可能だ。
触れるを幸い、とばかりに切り払っていく。
が――、数が多すぎる。
左腕の耐圧カバーを排除すると、内装式二十ミリ・ガトリング砲が現れた。
弾数に限りはあるが、一千発の弾帯はこの際有り難い。
〇、五秒間のセレクタを選び、正面にばらまく。
およそ七十発の弾丸が内壁と共に数十のT4を一気に吹き飛ばした。
しかし、後から後から湧いてくる。
「糞! これじゃあ、切りが無ねぇ!
そうかと言って動きを止めたら、あのスパイクの良い的だしなぁ!」
ぼやく巧の言葉は正しい。
上に向かうにしても、空中であの様なものに取り付かれてバランスを崩せば真っ逆さまである。
ひとつの層の高さは十メートル前後で有るため、隙を狙って一度の跳躍に成功してはいるが、この調子で進んでいてはASの燃料電池は兎も角、パイロットである巧が持つはずもない。
挙げ句、先程から何やら嫌な予感がするのだ。
ひとつは体内にこの様な免疫生物が存在すると言うことは、別口の存在も覚悟しなくてはならない。
他の存在が居るにせよ、この様な雑魚である事を祈るばかりである。
だが、問題は其れだけではない。
“何か得体の知れぬ危機が迫っている!”
巧には、そう感じられてならなかった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「ラハルはもう駄目か! 全く、もう!
『セム』に負けるなら、まだ仕方ないにしても、人間如きに良いように引っ掻き回されるとはねぇ」
『軍師』ことティアマトは不機嫌である。
アルテルフ9からのエネルギー受信が上手くいっていれば、この様な失態は無かった筈なのだ。
ティアマトがアルテルフ9を通じて送り込んだエネルギーは全て『セム』に横取りされているが、ティアマトは『海中送電に失敗した』としか思っていない。
『セム』は電力を横取りするに当たって実に慎重であり、送電や通信の一時的な不通が、大規模送電による副次的な障害だと偽装する事に成功していた。
反面、ティアマトの送電が終了した現在、今後の事を考えてこれ以上の通信妨害は出来ない。
ティアマトからラハルへ送られる指令にまで介入することは不可能であった。
そのティアマトと言えば、ラハルの現状を正確に把握し、最後の命令を下す決断に達した様である。
『ラハル、御免ね。今度生まれてくる時は、もっと強くなっている様にガーブに祈りなさいな』
哀れむように呟くが、その後に続く言葉には恩讐とでも言う程の鬼気が隠る。
『けどね、あたしも舐められっぱなし、ってのは気に入らないのよ。
特に“マーシア”とか言ったわね、城壁前で話したあの女……、
あいつの泣き喚く顔だけは見させて貰うわよ。
ラハル……、あんた、案外、勝つより良い仕事してくれる事になるかもね』
スーラの顔立ちの侭の『ティアマト』の瞳。
例えるならば、それは紛れもなく『狂人』の“それ”であった。
今回はお礼をふたつしたいと思います。
まず、前回「動物の痛覚」については獣医である和泉ユタカ様から最新の研究情報を頂きました。
小説の深みを生み出す要素としての正しい情報の提供に深く感謝します。
次いで、知花様よりAS20のイラスト(たまり様提供作品ベースに着色・加工)を頂きました。
いずれ小説内で挿絵として活用させて頂くこととなると思います。
此方もありがとうございました。




