161:渦の底
六月十六日
シナンガル船団による最終救出可能ポイントを捕虜達の最終集団が通り過ぎたのは、昼過ぎ頃であった。
彼等が通り過ぎると、小西達は崖の上部を破壊して轟音と共に一枚岩を墜とした。
使用されたミサイルは『ヘルファイアⅢ』、所謂気体爆薬弾である。
圧力増強効果を高め、高密度コンクリートビルですらも破壊可能な超高圧爆薬は地面を揺るがせる爆発音と振動を周囲にまき散らし、足取りの重くなりつつあった捕虜達を一時的にではあるが森林の豹にも負けぬスプリンターへと変えた。
八発のミサイルの同時着弾により一枚岩は見事に落下する。
結果、一千トンを軽々と越える“それ”によって、辛うじて通過可能であった山裾の隘路は完全に消し去られてしまった。
後に残ったのは、幅三百メートル以上に渡る断崖のみである。
今後、この場を通ろうとする者はハインリッヒ・ハラー並みの登坂能力を要求されるであろう。
(※ハラー:オーストリアの登山家、アイガー北壁登頂に成功した初の人物。
大戦中にはパキスタンからヒマラヤを越え、チベットまでの道のりを登山道具無しに踏破した。
彼の七年に渡るチベット生活は後に映画化された)
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
山中で一枚岩が落下した同時刻、ネルトゥスは北岸山峡海岸から北東約二十キロの洋上に於いて『ゼータⅠ-二号機』からの情報を待ち構えていた。
あと十五分もすれば先日打ち上げに成功したばかりのゼータⅠ-二号機はこの海域を通過し、観測データをネルトゥスに直接送信する予定であったのだ。
そのデータ着信直前に起きた海中からの突然の攻撃は、ネルトゥスを軽々と爆沈させてもおかしくは無かった。
水中から飛びだしてきた物体にある程度の大きさがある事が、逆説的にだが艦を救う事となる。
仮にこれが数センチ単位の物体であったなら、警戒レーダーのSPY-3の発する警報は大幅に遅れる事となったであろう。
飛翔物体の大きさは長さ一メートルに満たない。しかし、音速の二倍の速度で迫る七つの物体に対して槍衾こと四十四式対空機関砲は自動的に反応する。
凄まじい発射音と共に、階下の給弾室から砲弾がベルトコンベア、いやジェットコースターの如き勢いで上層機関部へと駆け上がっていく。
二基の六砲身はあっさりと四千発を撃ち尽くした。
直後、自動機構はすぐさま次の大型給弾箱を装填し、次の獲物を待ち構える。
自動給弾機が発した巨大な鉄の塊が落ちるにも似た装填音はCIC(戦闘指揮司令室)にまで鈍く響き渡った。
「な、何ですか、今の!?」
「それを確かめるのがあんたの仕事でしょうが、このド阿呆!」
いきなりの攻撃に驚いたのは分かるが、自分の仕事の判別も付かぬ言葉を発した警戒観測員の新米伍長に桜田は怒鳴り声を上げる。
物体はネルトゥスの五百メートル程手前で全て槍衾の三十七ミリ対空機関砲弾に撃ち落とされていた。
危機一髪、と云う処である。
桜田が偶々CICに詰めており、槍衾の即応性保全機構が切られている、という間違いを発見して五分と立っていなかったのだ。
飛翔体の正体は兎も角、直撃すればネルトゥスは無事では済まなかったであろう。
コペルがどう動いたかは知らぬが、自衛できるならそれに越した事は無い。
桜田はすぐさま、上部ブリッジに連絡を取る。
「代理!」
山崎を呼び出すと、声ではない反応が帰って来た。
ネルトゥスが加速し浮き上がる感覚がある。
CIC中央、情報統括パネルのレーダーレンジに置かれた艦のイメージ映像が見事に弧を描いて東西を逆転させていく。
艦の向きが変わり切ると同時に速度は更に上がったようだ。
全員が軽いGを感じた。
直後、艦内放送から目的の人物の声が聞こえて来る。
『こちらは艦長代理の山崎だ。現在、当艦は既に戦闘状況に突入!
また不明飛翔物の推定発射地点から直線的に後退中である。
左右後方の警戒を厳にせよ!』
僅かに間が開いて、山崎の言葉は続く。
『艦尾にて大規模な魔法戦闘が行われる可能性が高い。
直衛戦闘員以外は垂直翼観測塔への接近を禁止する!』
直衛戦闘員とは、つまりコペルを指す。
約束は守れ!と彼に言ったのであり、また彼に全てを任せると云う意思表示でもある。
コペルに対する不満と信頼を同時に表す、という器用な真似を山崎はやってのけた。
その指名された戦闘員コペルは、左右後方の垂直尾翼上方の鐘楼にふたり同時に立っていた。
ふたり、即ち今の彼はコッペリウスとコッペリアに別れていたのである。
コペルがそのまま縮んだかの様な姿のコッペリウスに対して、赤いコートを身に纏った金色の髪のコッペリアに表情はなかった。
水色の瞳が虚ろに遠く水平線を見つめるだけである。
それでも彼女は、頭を巡らせコッペリウスをその視界に捕らえると、一瞬だけだが確かに笑った。
「飛翔物体の最大速度は音速の約二倍、毎時二三一三キロでした。
それとですね。これ、見て下さい」
CICを包む青いライトの下、先程怒鳴られた観測員の若い伍長がモニタを中央、石岡の席に繋ぐ。
立体スクリーンが石岡の正面に写されるため、立ち上がった彼の巨体が邪魔をして桜田からは全容が確認できない。
石岡を押しのけた桜田がコンバットスクリーンを覗き込み、それから、彼女は思わず口笛を吹いた。
「やるじゃん、コペルさん!」
飛行体は“くさび形”をした薄い板の様な物体であった。
例えるならば、魚の鱗が巨大化した水晶の鏃とでも言うべきだろうか。
コペルの話にあった海中型高位魔獣の身体の一部であろう。
もしかすると本当に其奴の鱗かも知れぬ、と誰もが想像する。
問題の映像は槍衾が攻撃を開始してからの状況を微速度再生したものであった。
高速で飛翔体にぶつかった三十七ミリ高速弾は、最初のふたつを破壊するのに成功したが、その後は、砲弾に対して正対した“鱗”の鋭さに高速弾は真っ二つにされ、かなりの接戦と言えた。
それでも集中した砲弾はそれらの鱗を削り取り、全て破壊していく。
そう、最後のひとつを除いては。
距離計の表示が五百五十メートルを切った映像に全員が息を呑んだ時、紫に輝く光が一直線に最後の鱗に向かう。
この時、槍衾は僅かな給弾の隙間を突かれていたのだろう。
砲弾は一発も見えない。
結局、最後の飛翔体はその紫の光に破壊された。
こうしてVTR確認しなければ、傍目にはこれも槍衾の成果にしか見えなかったであろうが、コペルは確かに約束を守っていたのだ。
「後方はどうなってるの?」
桜田の声に別のオペレータが確認状況を返す。未だ少女とも言える年齢の伍長である。
「大きな動きは見えません」
その言葉に、桜田は左手に肘を支えられた右手で口元を軽く覆うと考え込む姿勢を取った。
それから、
「准尉、聞こえますか? 桜田です」
山崎を呼び出した。
『どうした?』
「着水、願います。ソノブイ(水中音波探知機)射出の為、SH発艦許可も」
『コペルさんの仕事は無しか?』
「報告しますが、彼はもう約束を守ってますよ!」
『そ、そうか、』
桜田の声に気圧されて、山崎は威厳を保つのに苦労する。
『で、ソノブイとは?』
「文字通りです。この速度じゃSHも追いつきません。
ソノブイが投げ込めない以上、後方の海中警戒には限界があります」
ネルトゥスの速度はプロペラ哨戒機に大きく遅れる。
しかし最低飛行速度、時速四百キロともなれば唯ひとつ搭載されたUH、いやSH-80Kですら流石に追いつけない。
SH-80Kはアメリカのシーホークヘリをベースに生み出された国産機ナイトホークを研究対象として、更に独自設計で開発された護衛艦搭載専用ヘリSH-60Kの後継機である。
大出力、重武装、長距離航続性能、そして最大の特徴は電子機器の充実による小型の対潜哨戒機としての機能である。
渋る国防海軍を押さえて開発企業から調達できた唯一の海上機体と云って良い。
海上行動を行うネルトゥスには欠かせない航空兵力として、これだけは二兵研予算で無理に手に入れた。
乗員も彼等のみは二兵研所属であり、純粋な海上航空兵力として桜田が直接指揮出来る存在だ。
輸送隊長大谷少佐が長尾大尉に届けたUHの内の一機がこれであった。
だがコペルが手を焼く相手である以上、対艦攻撃も可能な重武装マルチファイターヘリとも言えるSH-80Kですら単独行動をさせる訳には行かない。
またネルトゥスから直接ソノブイを射出投下できないのは、その高度である。
六十メートル程度の高度からでは投下用パラシュートも使えない上、艦上からの射出装置などネルトゥスには存在しない。
つまり一旦速度を落として着水するしかない訳であるが、水中からどの様な攻撃があるか分からぬ以上は、どうしても悩んでしまう。
事実、先の攻撃を受けた際にも対潜ソナーは稼働していた。
それでも、何ら反応は無かったのだ。
その事を山崎から指摘されると、桜田としても困る。
だが、コペルまでもが睨み合いになっているのでは、どうしようもない。
このままでは捕虜への補給を終えて、未だ海岸線に近い位置に遊弋するフェリシア海軍を敵艦隊が襲いかねないのだ。
フェリシア海軍の艦船数は三十隻程度である。
如何に操艦技術に差があろうと、狭い入り江からの撤退において敵に退路を塞がれれば帆船では闘い方にも限界がある。
何より絶対数が違いすぎるのだ。
歩兵科の石吹中隊に四十式対艦ミサイル運搬車両でもあれば良いのだが、これはシエネに二両持ち込むのが精一杯であった。
小谷達も常にファリシア海軍と連絡は取っているとは云え、護衛に向かう彼等が高位魔獣の目標になったのでは、これまたコペルがこの艦にいる意味がない。
この時点で山崎と巧は大きな失敗を犯していたが、こればかりは海軍兵でない以上は仕方ないと言えた。
国防海軍から人員を一人でも回してもらえていたならば起きなかったミスかも知れない。
彼等の失敗とは、海中の捜索にネルトゥスのソナーを信用しすぎた事である。
地球のものと比べて数段性能の高いネルトゥスに据え付けられたソナーがあれば、先に水中にセンサーを巻く必要を感じなかった。
と云うより、思いつきもしなかったのだ。
だが、不要であろうと念には念を入れておくべきだったのだ。
今更言っても仕方無い事だが、山崎はそれを思いつつ、『どうする?』と悩む。
そんな中でコッペリウスが無線に割り込んできた。
『すみませんね。思っていた以上に手強い。
艦を着水させるか速度を上げるかしないと、強制的に引きずり降ろされる事になりそうだ』
『は? おい、そりゃどういう事だ?』
山崎の言葉が終わらぬうちに、艦橋上部の監視員達が騒ぎ始めた。
何事、と桜田まで艦橋に上がってきたのだが、そこには信じられない光景が広がっている。
左舷後方の洋上にネルトゥス十隻ですら纏めて飲み込めそうな程の巨大渦潮が発生し、そのまま艦を追って来ていたのである。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「う~ん、まずいわねぇ、あの船は邪魔なんだけど、潰して良いのかどうか?
海に手を出すのは御法度ですから、彼も積極的には動けないでしょうが。
でも、ねぇ……」
テーブルに肘を突いて両手で頬杖を着く『軍師』の姿。
傍目には相変わらずの愛らしい童女の姿ではあるが、口にする言葉は物騒この上ない。
「何のお話しでしょうか?」
彼女の側に控えるルナールは軍師が何を話しているのか全く分からず、困り果てて問い掛ける。
現在二人は前線から後退し、副首都ロンシャンから東の翼飛竜育成要塞のやや手前に当たるルーイン・シェオジェの研究所に居を構えている。
北部侵攻軍の壊滅が伝えられた直後から、東征都督であるテレンシオ・ベルナールは方針を変更した。
フェリシア侵攻作戦を完全持久戦に持ち込む事としたのである。
シナンガル軍最大の武器は、国家人口と社会体制から来る、無限と言っても良い軍の回復力である。
また逆にフェリシア軍の弱点は兵力の少なさと、同じく国家の社会体制から来る持久戦に対する備えの弱さである。
確かに平常ならフェリシア軍十四万と国防軍五千でシナンガルには充分に対応可能だ。
その為、今までは防衛戦を突破できないと判断したシナンガル軍は無駄な糧秣の消費を控え、軍を引く事を繰り返してきた。
しかし、ここに来て状況は一変したのだ。
まず、北部戦線の大敗北はシナンガルにとっては思いの外、痛かった。
敗残兵が帰ってくれば、国内に厭戦気分が広がりかねない。
彼等が帰国するまでにあと三ヶ月は掛かる。その間にフェリシアを疲弊させるだけ疲弊させなくてはならない。
普段なら征東都督であるベルナールもこの様な方法を取ろうとは考えなかったであろう。
だが、北部戦線の敗北は単なる敗北で終わらず、フェリシア国内に魔獣が跋扈し始めた、という新たな情報をもたらせた。
シムルに率いられた南部のルナール軍への補給路も得た上に、隠密性も確保できた。
シムルが従える魔獣のお陰で、南部遠征軍がラボリア周辺の魔獣の脅威にさらされる心配も無い。
三ヶ月という限界はあるが、シナンガルとフェリシア、どちらが先に潰れるか。
ベルナールは、その勝負に出たのである。
ルナールが見込んだ通り実戦に於いては兎も角、下準備という一点に於いて将軍ベルナールは決して無能ではない。
彼も兵士の任期を句切り、体力的、精神的な疲弊から来る厭戦気分が蔓延しない様に心がけた。
兵役を終えた兵士の半数は既に故郷に帰還させ、次回の攻勢に自主的に参加した上で功績のあった者には、個人所有の農地を与える事を議会に認めさせてもいる。
その上で二ヶ月後に再攻勢を行う事を心に決めているのだ。
その作戦においては戦意の高い兵士のみ七十万近くが集結する事になる。
七十万。
この数が現在のシナンガル軍に於いて最も効率よく動かせる最大兵数だとベルナールは判断した。
確かにマーシア・グラディウスの砲撃は恐ろしい。
七十万でも心許ないかも知れない。
しかし、次回にはマーシアを押さえる事の可能な新たな魔獣を用意する、とする『軍師』からの確約も取り付けた以上、今はフェリシアを疲弊させる事に賭けたのである。
更にベルナールは、念には念を入れた。
それが現在、ふたりがシェオジェの研究所に居る理由である。
ルナールはベルナール直々に鉄兵士の改良と更なる大量生産を命じられたのだ。
兵士の力の不足分を鉄巨人、鉄兵士で補おうという訳である。
確かに城壁に投げ込まれた数体の鉄兵士はマーシア・グラディウス及びヴェレーネ・アルメットの両名に軽々と叩きつぶされた。
だが、スパイからの報告では、やはり鉄兵士に対抗できるのはあの二人ぐらいなもので、一般兵には充分過ぎるほどの脅威となっている。
数を頼りに乱戦に持ち込めば、如何なあの魔女達と云えども、そればかりにかま賭けて居る訳にも行くまい。
勝算は有るのだ。
ベルナールは、この時点でようやくルナールの言う、“敵の力を計る”という言葉の意味を理解したのである。
こうなった指揮官は強い。
そして、次回現れるのは全て志願兵ばかりである。
フェリシアは未だ其処までは気付いていなかった。
いや、ベルナールがその情報を自身の内部にのみ留め置いている為、次回の攻勢時期すら読めず、唯、睨み合う現状はフェリシア防衛兵から確実に体力を削っていく。
更に地中の魔獣への警戒心がフェリシアの政府関係者、軍上層部の精神的疲労をも高めていき、益々追い詰められているのだ。
北部では巧達が自分の精神を削りながらも捕虜達を嬲り、後日の厭戦気分、場合によっては反乱の種に繋げればと孤軍奮闘している。
しかし、『兵力』、『国力』、この差の大きさは、其の程度の奮闘ではどうにも埋められるものでは無いのだ。
巧は自分が苦しむ割に敵に対して打撃を上げているとは言い難い事に気付いている。
たが、それ以外に道はない事をも知っている。
北部戦線で苦しい戦いを行っているのは、実は誰有ろう国防軍そのものであった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
ルナールとスーラ、いや『軍師』の会話は続いている。
「あの船、と言いますと?」
「あなたには見えないものが私には見える。それだけよ」
ルナールには彼女の言葉の意味がまるで掴めない。
しかし、それも当然で有る。
地上高度二千六百キロ。アルテルフ11はその高度を減衰限界速度で飛行し、眼下の戦場を見ていた。
魔獣を操れる時間はあと数時間である。
それが過ぎれば、次の手駒であるアルテルフ9が同宙域に到着するまでの十時間、『軍師』は“海魔”こと『ラハル』を待機させて置かなくてはならない。
勝手に動き回れては困る。
如何に高位と言えど、魔獣如きが単独で対応出来るほど『セム』の実施形態は甘い存在ではないのだ。
この衛星誘導の時間差は『軍師』にとって最初厄介な事に思えたが、今では『ルールの枠』で行動する為の良い“縛り”となっていると思える。
本来、『セム』に対抗する事を決めた時点でその様な考えは放棄しても良かった。
だが何処まで行っても、結局は彼女も“システム”の一部だと云う事だったのだろう。
サブタイトルは有川浩氏の「海の底」からお借りしました。
恋愛要素の強い自衛隊戦闘物が得意な方ですね。
「図書館戦争」(1巻)と「塩の街」のみは読ませて頂きました。
「空の中」は何故か話の筋だけは知っています。 何処で知ったんだろうか?




