14:ブルー・マーシア
『戦魔王』と呼ばれるマーシア・グラディウスが最初に世に名を上げたのは、今から六十年程前である。
それ以前の経歴を知るものは少なく、首都に於いて知るものは女王ぐらいのものであろう。
彼女は国境北部の山村に八十年程前に生まれた。
丁度その頃である。シナンガルにおかしな動きが見え始めたのは。
しかしながら国境向こうのことであり、マーシアの村では特に気にもしていなかった。
二百人を越えない程のエルフと亜人と人間が入り交じり、僅かな小麦を作り、家畜を育て、そして狩りをする。
大人達は時々、山に入って貴重な鉱石を探すこともあり、『豊か』とは言えないまでも、寒さを除けばおおむね穏やかな土地であった。
彼女は、村の年長の少年少女に引き連れられ、川で、山で遊んだ。
早熟な魔力の開花を見せた彼女は、大人達には内緒で湖に小さな水柱を上げて見せたり、川魚を焼く為に薪に一瞬で火を付けた。
周りの年長の子どもたちからは褒められたものだが、本人はそのようなことより、花を摘んでは、冠を作ってお姉さん達に被って貰うことが好きだった。
小さな虫に驚いて逃げ惑う、子供らしい子供であった。
そう、あの日までは。
彼女は五つを超してはいただろうが七つは近かっただろうか、兄弟が居なかった為、正確な年齢は覚えていない。
周りの友人は少し年かさの少年少女が多く、後は殆どがまだ赤児と呼べる年が多かった。
いきなりのことだった。ある日の夜中、目が覚める。
二階の部屋から里を見ると、村中に火の手が上がっていた。
父と母は剣を佩き弓と槍を持って、村を襲った何者かを相手にする為に飛び出した。
幼いマーシアは井戸の脇にある排水溝に隠れる様に言われ、彼女が隠れた部分だけは母が魔法で作った平たい岩で蓋が成された。
丁度、排水溝を越えるための通路の様に見えたであろう。
村を襲ったのが何者かは知らないが、排水溝の中でマーシアは余り不安を感じなかった。
父も母も昔は自由人として生活し、南方に現れる『魔獣』と呼ばれる、ちょっとした小屋程の大きな獣も狩っていたという。
そんな両親が負けるはずはない、心からそう思っていた。
だが、どれだけ待っても誰も戻ってくる者はなかった。
いや、井戸に近付く者が居る。
声が聞こえるが、聴き慣れた村人の声ではなかった。
「いやぁ、本当にフェリシアの結界を破るとは思わなかったぜ。
今までは剣や槍を持って、この山を越えるなんて絶対に出来ないと思っていたからな」
「凄いもんだな。 魔術師って奴は」
「しかし、此処の連中もこちらの魔術師程ではないが、殆ど魔法を使えていたぞ。
危なかったな」
マーシアの鼓動が早くなる。
自分の心臓の音で上に居る男達に気付かれるのでは無いのか、と本気で恐れた。
「いや、全くだ。まあ、まともに動ける大人が百とちょっとだったからな。こっちも魔術師は三十人は用意してきたし」
「しかし、被害が大きすぎる。俺は次は御免だ。特に獣人は恐ろしかったぞ」
「ふざけた事言うな、死んだのは殆ど奴隷兵だろうが」
「ここから南下すれば街があるんだぞ。結界を破って入れるのは一日、三百人が限界だろ」
「……確かに山の中で六百人が揃う迄、じっとしているのは苦しかったな」
「飯も乾き物ばかりだ」
「下手すりゃ、負けてたぜ」
一般兵のぼやきだろうか、不満が多い。
そこに、もう一人誰か来た。
「おお、お疲れさん」
と兵士に声を掛けてきた。
ザッと井戸周りの兵の足が揃う音がした。
敬礼だろうが、幼いマーシアにはそれは分からない。
ひときわ怯えが強まっただけである。
「アーロン隊長殿、お疲れ様です」
「うん。俺にも水を一杯くれ」
水を汲み上げる『つるべ』の音がした。
「ふー、美味い! とばかりは言えんな……」
「と言いますと?」
兵が訊いてくる。
「こんな小さな村に魔術師を三十人。それと兵六百を引き連れてきても、二百人以上が死んだ」
隊長らしき男の声には力がないが、部下の一人が不満げに返す。
「奴隷兵が殆どですよ」
「そう言う問題ではないのだよ」
「はあ?」
「麓から火も見えただろう。奇襲は良いが、魔術師どもが焦りすぎた。
三日の内には結界もふさがれるだろう」
「ですな」
「つまりだ。今の様な、ちんけな穴ではなく、でかい穴を開けるか、そうでなければ魔術師の数を揃えて穴の数を増やさなくてはならん」
「はい」
「俺たちが生きている間にもう一度、フェリシア領に侵攻することがあるかどうか分からん。
しかし次の世代の主席が、現在の主席と同じ考え方で開墾や鉱山開発を続ける限りは、東部穀倉地帯を手に入れなければシナンガル人三億三千万人の全てが飢えて死ぬぞ」
「そんなに危ないんですか?」
真剣な声で一人が訊いてくる。
「本音を言えば俺たち自身の考え方にも問題があるんだよ」
「どういう事ですか?」
「お前ら、畑で働くの嫌いだろ?」
「当たり前です。手を汚すのは武人としての仕事だけです」
「自分は構いませんけどね、農業好きですよ」
「お前みたいなのを『小人』と言うんだ。
天下国家のことを考え、書を読むか武器を持つのが男の生き方だ」
「何を!」
兵士が仲間割れを始めた。
上官が止めに入る。
「リンハイ、お前の考えは間違っちゃあ居ない。畑に行くのも漁に出るのも立派な仕事だ。
だがな、この国の人間の多くは、そう言うことは嫌ってきているんだよ。
時代だな」
「だから奴隷、ですか?」
「そう言うことだな」
「ところで、今回は奴隷はどうします」
「いらん、と言いたいところだが、そうなると、あの子供ら全員を殺さんといかんくなるしなぁ……」
少し静かになった。隊長と呼ばれる男の考えが纏まるのを部下が待っている様だ
「仕方ない、連れて行け。十人ぐらいだったな。
良いところに買われる様に手配してやれ。
どうせ今回は実験だ、人民会議も別に利益は求めていないだろうさ」
「エルフばかりですからね。高く売れますよ」
「人間は居ないのか?」
「ガキのエルフどもを最後まで守ってましたがね。
魔術師に対応してたところを後ろからブスリ、簡単でしたよ」
「まあいい、引き上げだ。味方の死体は残すなよ。武器もだ。
証拠が一つでもあると不味い。松明はいらんだろうが、念のため持たせて見回らせろ。奴隷に出来そうに無い生き残りが居たら、きちんと止めは刺しておけ」
男達が去っていったが、何時戻ってくるか分からぬ恐ろしさにマーシアは震えていた。
日が昇る。
マーシアは排水溝沿いに這って石版から、日の光のある方向に向かう。
外に出た時、一晩中、自分が『自分の命』の心配しかしていなかったことに気付いた。
友人や村の人々どころか、父のことも母のことも忘れ、唯々、自分の命のことばかり考えていた。
兵が去った時も、奴隷に連れて行かれたであろう一緒に遊んだ村の少年少女の心配より、「さっさとここから去ってほしい」それしか考えていなかった事に気付いた。
それでも泣かなかった。悔しくて気が張っていた訳ではない。
鳴き声を聞きつけて兵が戻ってくることを唯々恐れたのだ。
彼女は逃げた。
燃え切った村も、殺された人々をも顧みなかった。
父も母も探すことすらなかった。唯々、逃げた。
恐怖が全てを上回った。
しかし、本当は見ていた。いや、見えていた。
優しかった隣の叔父さんの首が転がっているのを、味方を殺された腹いせなのか四肢を切り刻まれた死体を、裸に剥かれ腸が飛び出した優しかった村長の娘さんを。
胎児の様に体を丸めた、焼け焦げた人の形をした何かを……。
その中を村の入り口に向けて駆け抜けた。
隣の村に着くまで大人でも歩けば丸一日掛かる道のりを彼女は僅か数時間で踏破した。
『魔力』で風を纏い、背中を押した。
真っ直ぐ進む為に樹を切り裂き、後ろから音がすれば怯えて炎を投げつけた。
川があれば凍らせ、目の前に現れた野犬に驚き、どこかに転移ばせてしまった。
恐怖の中、元々非凡であった彼女の魔力は、普通のエルフの何倍も早く成長した
普通、十五歳を超えなければ『魔力』に目覚めない筈の非力なエルフの子供が、人間の、いやエルフの成人魔術師以上の力を見せた。
よくよく考えれば彼女は、湖で水を噴き上げさせ、薪に火を付ける程早熟であったのだ。
そのような中で力はどんどんと強まっていく、しかし、隣の村に着いた時は、遂に全ての『魔力』使い切り、歩くことすらままならなくなっていた。
山を下りきった隣村で、やっと生きている人間の顔を見たとき彼女は……、気を失った。
翌日には転移の魔法と馬を使い、街から次々と王国軍の兵士が集まってきた。
マーシアがその村に到着してから三日後、王国軍兵士の数も揃い、山道を登って村に向かって行った。
ところが来た時は、騒がしかった兵士達も、帰って来た時は凄まじく不機嫌な顔へと変わり、誰も彼もが疲れ切っていて撤退までの間、必要以上のことを一言も喋らずに居る者も少なくなかった。
シナンガルの侵攻であるという証拠は見つからず、幼い子供の証言だけでは、政治的な抗議すら不可能だった。
せめて姿を見ていたら、と考える者も居たが、彼らの姿を見ていたならマーシアも生きては居なかったであろう。
麓の村には、三十名程の騎士小隊の庁舎が置かれる事になった。
半数が魔術師、残りも魔法士という精鋭であり、巨大な転移魔方陣も毎日の様に整備・点検が行われる。
隊員の半数は人類種であり、隊長も人間であった。
その小隊長が、山村唯一の生き残りであるマーシアを引き取りたいと村長に提案してきた。
夫婦で赴任してきたが、子がなかった為である。
マーシアは聞き分けの良い子供であり、隊長夫妻に対しては常に礼儀正しく振る舞った。
まるで召使いであるかの様に。
見かねた婦人は、
「あなたは、この家の子供であって使用人ではないんですよ。
もう少し甘えて欲しいわ」
と、優しく声を掛けるのだが、マーシアは首を横に振るだけだった。
だが、その頃のマーシアは、自分が知らずとも婦人に甘えることが一つだけあった。
夜中にうなされるのだ。
そのたびに婦人は手を握って「お母さんは此処にいますよ」
と言うのだが、うなされて返ってくる答えは、
「ごめんなさい」
を何度も繰り返す悲痛なものだった。
暫くすると、マーシアは義父に剣を習いたいと願い出た。
「復讐か?」
と訊かれ、素直に頷く。
「実力が付くまでは馬鹿なことをしないと誓えるなら、教えてやっても良い」
義父はそう言ったが実際は五年の内には転属であり、彼女を首都に連れて帰り、普通の子供として育てるつもりであった。
一度も笑わないというのは哀れすぎると思ったのだ。
細身の片刃剣、突きに特化した『レイピア』と呼ばれる剣を選んで渡した。
正確にはその防御用短剣で『マインゴーシュ』と云うものだが。
八つになったかどうか怪しい子供にはこれでも充分だったから,ということもあるが、レイピアは『致命傷』を与えにくい決闘用の剣であるからだ。
義父は彼女に人を殺させたくはなかった。
木剣を使って練習を重ねる内、二ヶ月と立たずに彼女は鋭い突きを放つ様になった。
魔法で風を起こし、自分の体を一瞬加速させるのだ。
他の魔術師にもこの技が得意な者は居るが、体の軽さもあってか彼女の速度は一段も二段も上のものであった。
剣技でも精鋭の小隊の隊員の殆どが彼女のとどめの突きをかわせず、元々の運動神経もあってか、勝負の多くはマーシアの側に決する様になった。
「娘さん、良い腕ですね。宮廷の近衛になれるでしょうな」
隊長にそう声を掛け笑う多くの隊員達は、素直に舌を巻く。
が同時に、笑えなくなってしまった彼女が剣を握っていても良いことはない、とも気付いていた。
危険のない「近衛騎士団」なら剣を持ちながら、気持ちも取り戻せるのではないかと考える者が多かった。
皆、心優しい兵士達であり、彼女に元気を取り戻して欲しがっていたのである。
しかし、彼女はマインゴーシュにもレイピアにも殺傷力が低い事に気付くと、両刃の大型剣を求めた。九歳頃のことである。
最初に彼女が選んだのは義父の姓と同じ剣、『グラディウス』である。
刃渡りは七十センチ程で剣としては短いが刺突力に優れ、斬檄の威力も申し分なかった。
彼女の体格にとっては大人が普通のロングソードを扱うのと同じようなものでもある。
また、通常の兵士が使うロングソードにリーチは劣るが小隊内ではこの剣を好んで使うものも数名いた為、指導者には困らなかった。
一年で使いこなせる様になり、十一歳では大人と同じロングソード、いやそれよりも大きく細身ではあるが頑丈な『バスタード』を選ぶ用になった。
何より彼女はその名前が気に入った。
『私 生 児』
父と母を見捨てた自分にふさわしいような気がしたのだ。
十二歳を過ぎる頃、マーシアは剣を腰に差し、主要武器としてハルベルトを使用する様になっていた。
ハルバードとも発音する武器は長柄の槍に斧が付いたたもので、地球ならヨーロッパで発達した戟といえる得物だ。
重さとバランスの悪さから取り扱いが難しいが、熟練すれば一撃必殺の強力な武器である。
義父グラディウスも愛用していた。
これを十二歳の少女が軽々と扱うのである。異様な光景としか言いようがない。
しかも魔力なるものの補助は一切受けていない様であり、純粋な彼女の力量である。
特にエルフは寿命が長い分の為か筋繊維の成長が遅く、十五歳を越えるまでは人間と比べて非力な部類に入る。
どれほどの執念がその小さな体の内部に秘められているのか、事情を知るものは恐れを抱くばかりであった。
丁度その頃、義父の小隊に転属許可が出た。
『命令』ではない。北部山脈に最も近い王国でも屈指の辺境である為、長く置きすぎて兵士に不満がたまってはいけない。
定期的な部隊の移動が必要だと王宮は考えたのだ。
首都に戻るものと現地に残る物とに別れた。
この村で、嫁を娶った若者も多く、そのような物は次男坊以下が多かった為、首都にさほど未練を残していなかったのだ。
それに一度許可が出た以上、次の隊長が気に入らなければいつでも出て行ける、という算段もあった。
マーシアの義父、義母は首都に戻るつもりであったが、マーシアは、
「自分は十五歳になり『国内通行証』が取得できる様になれば、南方で自由人として腕を磨く」と言い出した。
自由人とは、一カ所に定住して税を納める義務を持たない代わりに、国家の庇護を受けられない人々である。
自由人が殺害されてもその犯人は捜査対象にならない。当然その他の犯罪の被害をこの国の警察である衛士に届けても、なんら取り合ってはもらえない。
逆は当然逮捕されることになるが。
特典と言えば、国境河川の中州にある交流地に入れることと、高給が得られる隊商護衛などの仕事が受けられることである。
もう一つの特典であり且つ義務を挙げるなら、魔獣を退治した場合、『首の骨』を王宮で『その大きさと質』によって、かなりの高額で買い取ってもらえる。
その他は、万が一の際、国家に兵として雇われることである。
『首の骨』は他に流した場合、『死罪』であるので二重に命がけだが、一攫千金を狙い、自由人になりたがる物は後を絶たない。
しかし、自由人の数には制限があるらしく、首都かデフォート城塞の管理所で予約票に名を書いて待つのが普通である。
マーシアの場合、十五歳になったらデフォート城塞に立ち寄り、自由人登録をすることになる。 自由人はよく死ぬので長くとも半年待つことはないだろう。
「わかった」と義父はマーシアに答えた。
翌日、婦人と二人でマーシアにこう言った。
「自分たちも此処に残り、あと三年はお前に稽古を付ける。 次の任期終了までは此処にいるから、自由人になっても時々は帰って来なさい。
家族なんだから、お前の帰る家がなくなちゃ、おかしいだろ?」
マーシアは泣きたかった。
引き取られて以来ずっと甘えたかったが、自分は人に愛してもらえる資格などないと知っていた。 真実がどうあれ、それが彼女の持つ『事実』だった。
一言、他人行儀な礼をしただけであった。
そうして、十五歳になると彼女は南に向けて旅立つことになる。
此処までの物語をヴェレーネも知らない。
『マーシア』……、巧達の地球にもよく似た名前がある。
ラテン語から派生したロシア語の女性名、マーシャ
意味は火星を現す別名、即ち『軍神マルス』である。
サブタイトルの由来は、次回の後書きに書きたいと思います。
まあ、マンガなんですけどね。 SFだからいいかなと思いまして、はい。
あと、主人公に対するメインヒロインが決まりません。
サブキャラクターでは、あいつとあいつはくっつけてやろう、ってのが2組ばかしはいるんですけどねぇ。
杏がまともになるのはもう少しお待ち下さい。
次回までマーシア(過去)編です。




