147:流動少女(中編)
ヴェレーネは今、眠りの中に在る。
自分を恥じ、苦しさの余り、逃げた。 しかし、行き場が分からない。
いや、それは嘘だ。
何故夢の中でまで自分に嘘を吐かなくてはならないのだろう。
そんな事は分かっている。 自分には『過去』が存在しないからだ。
過去がない。
それは其の人間が現実には此の世に存在しないことを指す。
何もかも『嘘』だ。
嘘の中で生きる事に慣れてしまったのだ。
六十年生きてきた。
しかし、その前は?
自分を愛してくれた父母はどの様な人物だったのだろう?
ハーフエルフである自分は此の様な姿ではある。
だが疾うに子を成していてもおかしくは無い。
もしや、過去には夫がいて子供達を育てながら、慎ましく温かい家庭を築いていたのでは無いだろうか?
其処まで考えて、再び否定する。
『あり得ない! それは唯の願望だ!』
自分の中にある様々な情報を纏め上げてみるが良い。
声が聞こえるではないか。
『思い出すも何も、お前には思い出す過去など始めから無い!』と、
苦しいのだ!
“国家のために生きる?”
お爺様は言っていた。
『国とは政治や制度ではない。そこに住む“人”の事だ』と。
あの時は『何を当たり前のことを』と、何ら気にせずに聞き流した。
老人の繰り言にしか聞こえなかったのだ。
だが、その言葉は次第に自分の内部に入り込んで来る。
それから、
『人として生きてこなかった自分に国を考える意味など在るのか、』
そう問いかける。
あの言葉を発した後、彼は遠くを見ていた。
其の場には存在しない過去を……。
それから、ゆっくりと彼は其の過去の中に私を取り入れてくれた。
信頼は受けてきた。敬意をも持たれてきた。
だが、自分の人生の積み重ねに自分を取り入れてくれたのはお爺様だけだ。
いや、もうひとり居た。
目的を共に、命を賭けて私の人生の一部に入り込んできた。
それによって私も彼の人生の一部に組み込まれた。
私の差し伸べた手が姉を救ったと思いながらも、私を憎み、罵り、それでも最後まで信頼してくれた人。
信用はされてないようだけど、ね。
ああ、私は笑っているのだろうか。
そうだ、私は今、幸せに微笑んでいる。
信じ難い事だが、彼に会うのは必然とでも言わんばかりに、逃げた先には空の『器』が待っていた。
何という幸運だろう。
彼を困らせたことは何度もある。
でも、こんなに優しく諭されたことなど無い。
この器は彼のお気に入りのようだ。
彼は意地悪だった。いつも酷く怒鳴っていた。
人が聞けば信じ難い事だろうが、私は泣いてしまったこともある。
ちょっとぐらい困らせても、良いではないか。
器など関係無しに、何時もこうして優しくしてくれれば良いのに、と思う。
そう、あの時、肩を抱いてくれた様に……。
一度、誰かに尋ねられた気がする。
「あなたにとって、重要な人物なのですか?」と、
困ってしまった。 それで、
「―――から、困ってるのよ」
と答えた気がする。
あの時は本当に困ってしまったのだ。
今なら何と答えるだろうか?
処で、此処は何処だろう。
彼が目の前に居るのは分かる。
とても困っているようだ。どうすれば良いのだろうか?
悩むのは辞めよう。
眠ろう。
その間は素直な自分が動き出す。
唯、それを見ていればいい。
心地よい夢を見ていればいいのだ……。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
後方の地面には地割れが広がっていたが、其処からワームが飛び出すとは思えなかった。
その地割れはワームが飛び出すには小さすぎると、各種測定機器までもが判定していたのだ。
だが巧は考えが甘かった、と言える。
先に岡崎が補助機能を盲信してヘマをしたばかりではなかったのか。
勿論、クリールを抱きかかえていなければ結果は違ったものになったであろう。
センサーより早く、巧は後方の気配に反応だけはした。
クリールとの位置関係でフットバーを踏むのが僅かに遅れただけである。
だが、その僅かな遅れが死を決定づけるのも戦場である。
決定的な“遅れ”であった。
亀裂からは、細身ではあるがオーファンを締め付けるに充分な長さの装甲ワームが飛びだしてきたのだ。
後方から巻き付かれ、オーファンは身動きが取れない。
F型は通常のAS20を大幅に改良したものであり、その出力は通常の『20型』の一,五倍にあたる二千二百キロワット。
馬力換算で三千馬力に迫る力を持つ。
AS20とは名ばかりの別物と言っても良い。
それがまるで身動きが取れないのは、巻き付いてきたワームが一頭では無かった為だ。
二頭のワームがまるで襷掛けのようにオーファンに絡みついており、唯一行動が自由になるのは右腕だけだ。
それも可動域に限界が出来てしまっており、引き剥がしを狙うが、あと少しで胸元のワームに届かない。
ワームの一部が脇の下に潜り込んだため、腕が完全に廻らないのだ。
左腕は盾の隙間から入り込んだ細身の長躯に因って、見事な迄にボディサイドにくくりつけられている。
またラムジェットは、吸入口にワームが存在する事で、異物混入の危険を避けるための安全装置が働き、こちらもまるで動かない。
尤も今、低速加圧ラムジェットが動き出してワームを吸い込んだ場合、爆発こそ大きく無くとも、背面部からコックピットまで部品が突き出てしまう可能性は充分にある。
迂闊に動けなくなった。
「岡崎、すまん! 俺もヘマした! そっちから狙えるか?」
無駄とは思いつつ、一応には問い掛ける。だが、残念なことに“答”は予想を裏切らない。
『少尉、無理です! 完全に絡みついてます! すいません。
それにさっきのミスで、……助けに、飛べません!』
岡崎機は現在、崖の孤立地に位置する。
アンカーウィンチを使って降りてくるにせよ、飛行系電子回路の回復までと殆ど同じ時間が掛かるだろう。
何も出来ない悔しさから、殆ど叫び声の岡崎に対して“そりゃそうだ”と何故か冷静な巧であるが、ふと目の前の存在に気を向ける。
目が合うと眉を下げた瞳を曇らせ、今にも泣き出しそうだ。
機械とは思えない存在である。ましてや兵器だ、などと……。
この子だけでも何とか逃がしてやりたいと思う。
このままでは、圧壊した機体に二人は押しつぶされてしまう事は間違い無い。
それでもクリールは流動体である以上、なんら問題は無いだろう。
しかし、其の様な事は問題ではなく、この存在を今の姿の侭に扱ってやりたいのだ。
各関節のアクチュエータが悲鳴を上げている。
振り解く為に、と少しでも力点の弱い部分を探すのだが、二頭のワームは互いの弱い部分をカバーし合うように絡みついており、正しく手も足も出ない。
仮に盾の外側から絡みつかれた場合、其処だけは充分な余裕を持って耐えたであろう。
だが、機体は可動部分を持つ構造上、どうしても脆くなりがちだ。
元々、ASは安い値段で戦車や兵員輸送車、或いは歩兵そのものを守る為の“使い捨て兵器”としての側面を持って設計が始まった存在で有り、現在の頑強さは偏に途中参加でイレギュラー的な存在であった“魔女”こと“ヴェレーネ・アルメット”の天才的な鋼版張力技術に支えられたものだ。
更に言えば、コックピットは他の部分以上に頑強なシェルブロック構造で守られてる。
アラートは未だ危険域までは示していない。
兵器にとって最も脆弱な燃料タンクと電池保護構造の頑強さにも、今更ながらに眼を見張ってしまう。
とは云え、限界は必ず来るのだ。
バックパックの剥離が可能なら、後方からシート毎の射出脱出が基本だが、現状では其れも不可能だ。
何らか、他の脱出方法を考えなくてはならない。
「此処でもヴェレーネに守られてる、って訳か。望まない形でだが“魔女”のお手並みが拝見できたな」
何故かヴェレーネの顔が浮かび、不思議な笑みが巧の口元に漏れた。
「何時も守られてたのは、俺か……、
だがな、ヴェレーネ。今回、俺は駄目でも此の子は守ってやってくれよ」
巧の言葉は馬鹿げている。
目の前の存在は人間では無い。いや、生物ですらない兵器なのだ。
今の姿は擬態に過ぎない。彼にもそれは分かってはいる。
だが人は、長年連れ添った愛車が破損しただけでも、その中に仮想の人格を見つけて悲しむ生き物だ。
これ程までに人の、それも子供の姿をしていれば情が湧いたとして、奇妙な事でも無い。
また巧には、どうしても此の『クリール』という存在が、敵対すべきものには思えないのである。
ふと、コペルの言葉が思い出される。
『本体はこの社会で生かしてやりたいんだ。駄目かな?』
そうだ、コペルは本体を指して“人間”だと言っていた。
ならば、その本体と行動を共にしていた上に、此処まで疑似的な人格思考を持つクリールが“人間の情”を受け取らぬ事も有るまい。
場合によっては此の体験によって、今後は『人間』を“敵と認識しなくなる”可能性は高い。
助ける価値は在るのだ!
「クリール、コックピットが少しなら開くと思う。お前、逃げられるだろ?」
巧の問い掛けに、クリールは下を向いてしまう。
「あのな、このままじゃお陀仏なんだよ。ああ、お陀仏って分からんか?
要は、だ。俺は死ぬ。だから、お前、もう俺から離れろ」
そうは言っても巧は未だ諦めた訳ではない。
岡崎の狙撃が無理でも、パンツァーファウストを持った兵士が近くに居るのを先に確認した。
あれで、どうにかワームをふりほどける程度に狙撃をして貰おうと考えている。
だが、結局は賭である。
射手の腕が悪く、コックピットを直撃した場合、パンツァーファウストⅣのAPDS弾の直撃に複合装甲が何処まで耐えられるかなど明確ではないのだ。
ASのコックピット周りは複合中空装甲であるため、HEAT弾、即ち爆発力を軸とした形成炸薬弾などに対しては実に強い。
だが対戦車を専用としたAPDS弾は物理的な破壊力を現代技術で極限まで高めた砲弾であり、言うなれば『高速質量打撃兵器』である。
其の様なものを撃ち込まれた場合、角度やタイミングで、「盾」と「矛」、どちらが勝つかなど分かったものでは無い。
となれば、正確無比の迫撃砲に頼りたいところであるが、ワームはオーファンを引きずり、少しずつではあるが穴蔵に引きずり込もうとしている。
当然、巧も其れに逆らって機体を少しでも動かすしかない。
如何に凄腕の砲撃員達と云えど、動いている対象に迫撃砲は確実な命中性を持たない。
左右どちらかの腕一本は犠牲にしてもいい。
少しでもふりほどければ、後は三千馬力が物を言うだけだ。
だが、何処までも“賭”なのだ。
「な、クリール。良い子だから、言うことを聞いてくれよ」
まるで本当の子供に語りかけるかのようであるが、巧はまるでおかしな事だとは感じていない。
必死で説得する。
と、その時、機体に軽い衝撃がある。
塞がれていないカメラの端に二人の兵士が見える。
選抜射手である。
バレットのMk221鉄鋼爆裂弾の威力を少しでも信じて、巧を助けに来たのだ。
しかし、近寄りすぎだ。ワームの活動域である平野部に確実に入り込んでいる。
「カレル! あの二人を下げろ! 岩場まで下がらせるんだ!」
巧は無線に向かって怒鳴る。
巧が捉えられたことで、現在砲撃は止んでいる。
何時、別のワームが現れるか知れたものでは無い。
だが、驚くことにカレルは『否』を返して来たのだ!
『巧さん。彼等も必死なんです。やらせてやって下さい!』
カレルの言葉の意味。それは彼等が命令されて来ている訳ではない、と云う事だ。
志願したのだ!
「どういう事だ!」
叫ぶような巧の問いに答えたのは、カレルではなく相田であった。
『柊少尉、君は我々全員を救ってくれたんだ。 “助けたい”と思う人間は一人や二人じゃない』
佐野も割り込んできた。
『なあ柊、分かるか! お前のお陰で、俺たちは“唯の人殺し”で終わらずに済みそうだ。
お前に救われたんだよ! 今度は俺たちでお前を助けさせてくれ!』
更に別の声も入る。
『少尉、あの二人の援護には俺たちの分隊が入っています。
安心して任せて下さい!』
「……城之内! その声、城之内か!?」
『はい、お久しぶりです。そう“お久しぶり”で、そのまま“さようなら”は御免なんですよ!
あなたにはまだ生きてて欲しいんです。此処に居る全員が同じ気持ちです。
みんな、あなたに会いたがってるんですよ』
「俺に? “人殺し”、だぜ、俺は!」
『そう自分を卑下しないで下さい。あなたはやるべき事をやった。
それだけです。それだけなんです! そして今度はそれ以上の事をしてくれました。
だから俺たちは、此処で死んだとしても胸を張って死ねます』
「馬鹿野郎! 簡単に“死ぬ”なんて言うな!」
状況すら忘れて思わず怒鳴る巧に、城之内は詫びつつも嬉しそうな声を返してきた。
『すいません。久々ですね、叱られるのも』
「戻ったら、もう少しきつく灸を据えてやるよ。いいか、部下を持った人間が、」
『“玉砕の方法など考えてはいけない”、ですね』
「くそ、覚えてたか!」
二人で少し笑った。
視界が少し歪む、俺は泣いているのだろうか、と巧は不思議な気持ちになる。
ほんの一年前まで、自分の生き死になど気持ちの外に置いていた男が、何故、こうも“死にたくない”と思う様になったのだろう。
そう思う内に、またもや着弾の音を外部マイクが拾う。
良い腕である。
距離八百を越えて居るが、確実にワームだけに当てている。
いくら的が大きいとは云え、今日は少し風が有るのだ。
この距離では弾道も狂うであろうに、オーファンを傷つける音はひとつもない。
(生き残ってくれよ!)
名も知らぬ救出者に巧は心の中で声を掛けた。
だが、やはり彼等は平野部の奥に入り込み過ぎであった。
射手二名の側面二十メートルほどの地面を大きく食い破り、ワームが姿を現す。
ひとつの穴から二頭が這い出して来る。
拙い! 二人に近すぎる!
砲撃による援護は無理だ。此処でワームを倒せても、あの二人は平地に身を晒し過ぎている。
伏せたところで、着弾の衝撃波からは逃れられない。
巧も必死で機体を操作する。
さっきよりも少し右腕が動く、何よりあの二人が地道に撃ち込んだ弾丸が効果を上げていたのかも知れない。HMDに写る火器管制サインがレッドからグリーンに変わっていた。
確かに、未だオーファンの腕は自分自身には届かない。
だが、それでも構わない。
弾帯が可動可能のサインが出ていると云うことは、機関砲が使えるのだ。
オーファンの右腕を伸ばし、僅かに動く膝を曲げて照準を合わせる。
クロスサイトにワームを捕らえると、一気にレバーを引き絞った。
加熱を避けるため連続二秒しか撃てない事が悔しい。
一秒の冷却時間がもどかしいのだ。
発射可能信号が安全確認に変わる度に、ガトリングの高速鉄鋼弾を叩き込む。
数秒後、二頭のワームは完全な鉄塊と肉塊の混合物になっていた。
二人の選抜員は伏せたままだ。
迫撃砲には程遠くとも、ガトリングの着弾衝撃も充分に凄まじい。
跳弾や破片の飛来があれば、彼らとて只では済んではいまい。
充分に気を使った射撃をしたつもりではあるが、今回は距離が異常に近かった。
大丈夫であろうか?
そう思った時、カメラに写った二人が顔を上げた。
こちらに向かって笑顔で親指を立てる“サムズ・アップ”をしている。
巧もオーファンの指で挨拶を返す。
取り敢えず、彼等は救われた。
だが、ホッとする間もなくオーファンの左腕、その肘から激しい音がする。
完全にアクチュエータが吹き飛んだのだ。 左腕の肘から先はもう動かないだろう。
ワームの締め付けは更に厳しくなった。
今の攻撃で怒らせたのかも知れない。
やはり、少しだが知性というか、感情が有るのかね? “ミミズのくせに!”などと思いつつ、カレルに連絡を入れる。
「カレル、すまんがやっぱりあの二人、下がらせてくれないか?」
『巧さん! 何言ってるんですか!?』
「今のを見ただろ! あいつ等、知性とまで行かなくても、完全な蟲って程に馬鹿でもない。
砲撃が出来ない様に考えて攻撃して来たんだぞ……」
『……巧さん、何か方法は無いんですか?』
いつもは冷静なカレルが、山岳民救出の帰路で竜の話を聞いた時のように焦っている。
久々に聞く声だ。
“部下の前で其奴は良くないぜ、カレル”
と心の中で呟きながら、巧はパンツァーファウストの出番である事を告げる。
「頼む、これしかないんだ。分かるだろ?」
無線が静まりかえる。
誰もが、やるべきかどうか決めかねているのだ。
或いは、パンツァー用の形成炸薬弾頭を手配しているのかも知れない。
だが、それが有るならば、疾うに撃っていただろう。
望みは薄い。
コックピットがミシリ、と鳴った。
いよいよ拙い。クリールだけでも脱出させなくてはならない。
「カレル、悪いが一分だけ無線を切る」
一方的にそう言うと、返事を待たずに無線を切った。
それから巧はヘルメットを取ってクリールの顔を見る。
巧の顔を見て嬉しそうに笑うクリールを巧も愛らしく思う。
「なあ、クリール。逃げな。また後で会えるだろ」
そう言った途端、コクピットに掛かる圧力が強まった。
思わずクリールを庇おうと彼女を包む姿勢を取る。
だが其の時、クリールは巧の腕をすり抜けた。
“避けた”だの“避けた”だの、ではない。
文字通りに“すり抜け”たのだ。
いや、そのままコックピット迄をも擦り抜けると、彼女はオーファンの右肩に立つ。
それから腕を伝い、機械の掌へと向けて弾むような足取りで歩いていった。
ひとつお詫びがあります。
2話前の「ハイブリッド・オーファン」に於ける最後のシーンでオーファンの重量を8・5トンとしてありました。
これは設定上AS31ーS(山岳地仕様)の全装備込みの重量です。
AS20はゴース戦で既に11.4トンと表示してあります。
設定上の間違いとしてご容赦下さい。
衝突圧力は「最低でも60トン」としましたので、それ以上であっても問題無いかと思い、そのままです。
(再計算は辛いのです。 前回の計算表も紛失しました。すいません
どっちにせよ衝突圧力は状況〔速度、進入角など〕によって変わるので、正確なものは出せそうもありません。 ご勘弁下さい)




