140: あなたのための通信
プロローグを除いて140話まで来ました。
ここまで書けたのも応援下さる皆様のおかげと感謝します。
これからもよろしくお願いします。
フェリシア王宮の一室で女王は何者かと話をしている。
ゆったりとした椅子に腰掛け、正面を見据えるが其処には唯、壁があるのみだ。
だが、その壁からこそ相手の声は発せられており、女王と何者かの会話は成り立っている。
声の主は『セム』であった。
『フェアリーの端末が使用不能になったのは仕方ないとして、本人は何処へ行ったか、ご存じですか?』
「嫌な言い方をしますね。“端末”だ等と」
『失礼しました。しかし彼女の本体は既に……』
「そうかも知れませんが、人間はその器も含めて人格を形成するものなのですよ」
『他者との関係性もですね』
「その通り。ですからこそ私たちは此の様な姿になった」
『“させられた”とは仰らないんですか?』
「今は、その様な責任談義をしている場合では無いでしょう。
いざとなれば、私がその“出来損ない”を始末しに行っても良いんですよ」
女王が言う処の“出来損ない”が何を指すのかは掴めないが、どうやら魔獣に類する存在を指す様だ。
或いはそれ以上の存在かも知れない。
女王は自分に“それを消し去る力”が有る事を知っており、『セム』はどの様な理由か知らねど、それに歯止めを掛ける。
『それは、お止め頂きたい』
「意見ですか?」
『まさか! 私は単なる補助機関です。
しかし、あなたひとりの補助機関という訳には行かない、と云うだけの話です。
ですから、此はあくまで希望ですね』
「係員は全て私の指揮・管理下に有りますよ」
『だがカスタマーは、そうではありません』
「“カスタマー”ですか……、
生活地区との契約は破棄されていると考えても良いのでは?」
『カスタマー』という単語を発する時、女王の声には明確な疲れが見えた。
『女王陛下に於きましても“リフューズ”派でいらっしゃいますか?』
「好んでリフューズしようという訳では有りませんが、施設の秩序は保つべきでしょう」
『マリアン君、ですね?』
ひとりの人物の名に女王の顔色が僅かに変わる。
先程の疲れが嘘のように、その瞳は殺気を孕んで鈍く光る。
だが、声は平静を保った。
「あの子はいずれ消え去る存在です。私が私情に駆られる理由にはなりません」
『消える? 本当に“消える”と、お考えで?』
「どういう事ですか?」
『セム』は女王に充分な敬意を払うものの、行動を縛ろうとする姿勢を隠しもしない。
女王はそれを感じ取っているからこそ、露骨に敵意を露わにする場面もある。
その女王の苛立ちに気付かぬ振りをするかのように『セム』は落ち着いた声で答を返していった。
『陛下の中の彼女は見事な融合を遂げつつあります。
彼女の感情を持ったままに、あなたは女王としての人格を保持して居る。
いや、彼女の人生は陛下が別の時間を過ごした時期であったに過ぎない』
「そう、……ですね」
『確かにマリアン君とマーシアの性別は違います。
しかし、子供の性は未分化な時期もある。
マリアン君の場合、元々女性的側面の強い傾向もあったと言えます。
ならば、陛下と同じにマーシアの過去に於ける体験の一部として捉えられる様になるでしょうね』
「そうかしら?」
『普通の人間には無理です。だが、あなた方の寿命ならそれも可能だ』
女王は今度こそは露骨に不快な表情を見せて、話を逸らした。
「話が脇に逸れたわね。国境はどうなるかしら?」
『私の計算では、彼方は暫く睨み合いが続きます。
南部の方もアルシオーネが片を付けるでしょう』
「ふむ、当面はヴェレーネ不在でも問題は無い、と?」
『はい』
「しかし、何時までも彼女が居ないのは困りますね。
私も長くはないですから」
『長くはないと言っても、三年や五年という訳でも有りますまい』
「バイタルは取っているんでしょ?」
(バイタル=生命情報、生存の客観的兆候)
『お聞きしますか?』
「いいわ、寿命を知るほどつまらないものも無いですからね
引き継ぎが出来る時間があればそれでいいの」
『なら、暫くは大丈夫ですよ』
「ありがとう。それよりヴェレーネよ。彼女、今どこにいるの?」
『厄介な事になってますね。いや、ある意味望ましい状況では有るのですが、まさか彼女があれ程、彼を頼っていたとは思いませんでした』
「どういう事かしら?」
『つまりですね……』
セムの報告を聞き終えた女王はクスクスと笑い出した。
先程までの緊迫した空気が嘘のようである。
それに対して『セム』は喜ぶでも無しに露骨に困惑の口調を露わにする。
『良い事ばかりでも無いんですがねぇ……』
「あら、どうして?」
『あれは“レジーナ”の器になりかねないんです」
「ヴェレーネがレジーナになると?」
『なった場合はどうしますか?』
「私が殺すわ。ああ、勿論『ヴェレーネ』は助けますわよ。
あの子は私の跡取りですから」
『“助ける” ですか……』
女王の答えに、『セム』は明確と気落ちした様子だったが、気を取り直したように口調を転じて、やや説教じみた物言いとなる。
『困ったものです。あなたは自分の生命を軽んじる傾向に戻りつつある。
まるで実験前です』
「私の話は兎も角として、あなたの話が事実ならば、彼女の今の有り様は“生きている”と言えるのかしら?」
『そう取って頂きたい』
「自力で回復できますかしらね?」
『彼次第ではありませんか?』
『セム』の答は更に女王の機嫌を良くさせるのに成功したようだ。
女王の口調はより穏やかになった。
「まあ、良いでしょう。他にレジーナの実体に成り得る個体は?」
『旧個体を含めて複数存在します』
「個体数と個体名をそれぞれ報告してもらえるかしら」
『再確認の後でしたなら』
「結構、他に報告は?」
『以上です。通信を終了します』
「お待ちなさい!」
その日、女王は初めて声を高めた。
『どうしました?』
「最後に訊きます」
『はい、何でしょう?』
機械である筈の『セム』に露骨に警戒の色が浮かんでいる。
機械に緊張感が在るというも妙な事だが、今、部屋を押さえる空気は確かにそれだ。
そして、その空気の中で女王は彼にとって大きな意味を持つ問を投げ掛けたのだ。
「セム、あなた何者?」
『はい!? あの、仰っている意味がよく分からないのですが?』
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
巧は判断を迷っていた。
これだけ近付いて、ASを見上げるだけの少女、と云うのも変だとは思う。
いや、何よりこの山中で裸体というのは、どう考えても異常ではないか。
人間ならば怯えがあっても良さそうなものだが、その様子も見られない。
ASを単なる立像だと思っているなら、急にハッチが開いた時、この少女がどの様な行動を取るかも気に掛かる。
反面、この少女が人型の魔獣だとするならば、疾うに攻撃を仕掛けられていてもおかしくは無いが、巧はある条件を満たすならば攻撃は無い、とも考えていた。
よって迂闊に刺激したくはない。
無線でコールを送る。
『少尉、出ましたか?』
待ち構えていたかのように岡崎が緊張した声で尋ねてきた。
堅くなっている事がはっきりと分かる。
いきなりの単騎実戦は早計であったのだろうか?
予定を早めて今からでもネルトゥスに帰した方が良いのかもしれない、と思う程にその声はうわずっていた。
巧は岡崎を落ち着かせるために出来るだけゆっくりと喋る。
「いや、確定ではないんだが。
確かに、これから“個体A”の可能性が捨てがたい存在と接触する。
二十分以内に再連絡が無い場合は、ネルトゥスに帰還せよ」
『……そんな!』
「予定通り此方からは先制はしない。
だが万が一の際のデータは、戦闘展開と共に飛行船に直接送信する。
俺が死んだ場合は、そいつを使って弱点を探れ、いいな」
『馬鹿言わないで下さい!! 今から其方に、』
岡崎は殆ど叫んでいた。だが、巧も負けては居ない。
「岡崎ぃ!!」
一旦は強く怒鳴る。それから再度穏やかな口調で確認を入れた。
「復唱」
『はっ! 岡崎慧曹長は二十分の待機後、分隊長の通信途絶を持って副官の指揮下に入ります』
「よし、山崎に宜しく伝えてくれ」
まるで日常の伝言であるが、反面、岡崎は涙声になりつつある。
『死なんで下さいよ』
何処までも優しく、兵士の似合わない男だ。
「フラグ立てんでくれ」
クスリと笑って通信を切った。
それから、外部スピーカーを使い、ASに声を出させる。
出来るだけ静かに喋るが、左足は中央フットバーに軽く添えられており、何時でも前方に跳べる様にしてある。
対象の頭上を越えつつ、片腕でのパルスガン射撃を考えていた。
「おじょうちゃん、どうしたのかな?」
もう少し驚くものだと思っていたのだが、少女はごく自然にオーファンの頭部カメラに向かって笑う。
初めて見るのに何処かで見たような笑顔だ。
「君、どうしたの?」
返事は無い。
口をパクパクとは動かしているのだが、声が出ていないのだ。
しかし、魔獣かも知れない子供とはいえ全裸は良くない。
交戦にならずに済めば何か着せなくてはなるまい。
コクピットに積んだサバイバルキットのブランケットを使う事を考える。
だが、それを取り出すためにも一旦はハッチを開ける必要が在るのだ。
「空けた瞬間にドカンだったりしてな」
笑いながらバイザーを上げる。
同時に鼻の頭から大粒の冷や汗がグローブに滴り落ちた。
その時、巧は初めて自分が命を惜しんでいる事に気付く。
次第に身体が震えてくる。
『いつの間に……』と、おかしくなる。
今更の命ではないか、そう思うのだが震えは止まらない。
『恐怖』
確かめるように考えて、初めて分かる。
そうだ、熊に襲われた時もそうだが、ワームに追われた時、自分は更に大きな恐怖を感じていたのではなかったか?
マリアンが生きている事を知って以来、益々弱くなったのだろうか?
だが、万が一にも目の前の此の子がマリアンの様な迷い子の存在ならば、助けなくてはならない。
必死でそう考え、遂にハッチを開く事に成功した。
巧は気付いていない。
勇気とは、過去の彼の様に“恐怖心を喪失している事”ではない。
恐怖を友とし、同時にそれを飼い慣らす事なのだ。
彼は守る者が居てこそ強くなっていた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
やはり、人間では無かったようだ。
ハッチを開いた時、少女は既に服を着ていた。
髪の毛と瞳に合わせたかのような真っ赤なドレスだ。
だが、このドレス、何処かで見た事がある気がしてならない。
いや、今はその様な事を考えている場合では無い。
相手が敵である確率は更に高まった。 ”確定”と言っても良いだろう。
コペルの話では、この戦場に現れるであろう魔獣は二体。
一体は人間の護衛となっていたと云う流動体。
会話に表れたスライムだ。
巧達は、此を『個体A』と呼称した。
情報だけでも、最強の存在と判断できる『個体A』をコペルは『クリール』と呼んだ。
『個体B』は『ラハル』と呼ばれる海中型の魔獣と予測されている。
そして問題は『個体A』には付属装備となる兵器が存在すると云う事である。
第一に『バシュム』、これは“毒蛇”を意味する粒子砲であり、単独での行動も可能だ。
平常は『クリール』の体内に収められており、本体から離れた現在の威力は未知数である。
次いで『キャサリカ』、此はムシュフシュのような針炎弾搭載の有翼の『巨牛』、個体Aことクリールによって操られる。
最後に『ギルタブリル』、これは四メートルクラスのガーディアンとのみ聞いている。
足があるという事からASの様な存在と予測される。
意味合いが分かり辛いが“足下に注意”ともコペルは教えた。
彼にとっては最大限譲歩した情報提供だったのであろう。
ともかく『キャサリカ』や『ギルタブリル』への命令優先権も本体にある筈だが、本体はそれらとの接続も切られている以上、実質的な三体の支配権は『クリール』に在ると見て良い。
コペルが魔獣は最終的に十一体と言ったのは、この付属品を含めての事であったのだ。
そして現在目の前に居るのは、どうやら『個体A』、即ち『クリール』と考えられる。
巧、絶体絶命であった。
いつもお読み下さりありがとうございます。
サブタイトルは、長谷敏司氏の「あなたのための物語」からです。
SFでありながら文学としても高い評価を受けている作品であり、今回は「生命」が絡む話ですので、引っかけさせて頂きました。
しかし、この方の筆力は凄まじいものが有ります。
来週、少々遠出します。
帰ってくる日については明日か月曜かに決まりますので、活動報告にでも書き込みたいと思います。
またもや間が空く事をお詫びします。 失礼しました。




