135:コンタクト
此処ではない何処かで『セム』は大いに焦っていた。
『えらいこっちゃ! 巧君に殺される!』
〔信号の意味が判定不可能です〕
『監視対象である“マテリアルレベルSSS”の係員だよ!』
〔今の地点に於いてなら、と言う条件付ですが“8”に対応するに当たって問題となる要素が見あたりませんが?〕
『そうじゃない、マテリアル8が何故創られたか、は君も知っているだろ』
〔『リーディング・マテリアル・ワン』への対抗ですが、本体と擬体に別れた時点でその能力は失われております〕
『だから、その本体が問題なんだって!』
〔擬体の方に数倍の戦闘力が有りますが?〕
『本体の正体が問題だと言ってるの!
マーシアが“8”をどう捉えるか、いや、マリアン君がどう捉えるか、なんだよね。
其処が心配なんだ! 彼も彼女も人間だから……』
『セム』の叫びの深刻さは誰にも届く事はなく、結局、遊戯区域管理棟はこう返してきただけであった。
〔理解不能〕
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
シエネ城壁前では、ヴェレーネと軍使ボーエンとの会話も終わりに近付いていた。
ルナールがボーエンを使ってフェリシアを押さえようとしている手口は、早い話が『専守防衛』のフェリシア国是を利用して、役に立たずの『唯、其処に存在するだけの軍』を生み出す事だ。
即ちフェリシア側に『遊兵・遊軍』を生み出す事が、ルナールの作戦計画に於ける次の段階なのである。
勿論、“睨み合いになるだけ”とは言っても、その状況を創るためには“本気”である姿勢を見せなければならなかった。
それが先の『切り通しの闘い』であり、今回の『第二次シエネ侵攻』である。
フェリシア西部防衛方面隊及び、『鳥使い』の主力をシエネに釘付けにする事により、北部に上陸した六万五千は自由に動ける。
これだけ闘って見せた以上はシナンガル側としては今後、この地で闘う必要など無い。
兵士は誰一人傷ついておらず、後は睨み合いを続ければ良いだけだ。
ピナーの率いる十五万の兵はシナンガル領内から一歩も出ておらず、『魔獣討伐に出てきただけだ』とボーエンに伝えさせていく。
気球がフェリシア側に流れたのは『魔獣討伐中の不幸な事故』だが、それに合わせてシナンガル兵が一人としてフェリシアに弓を引いた訳でもない。
ルーファン軍に『損害賠償』を持ちかけても良い、と云う処まではボーエンに交渉権を与えてある。
但し、今回の攻撃は既に始まっている以上、中止はきかない、と何とも無茶な取り繕いまでも準備していた。
気球攻撃は指揮系統が遠隔地にあり直ぐに止められるものでは無い、と言い訳をする。
白々しいが、時間の引き延ばしが目的である以上、これでよい。
挙げ句は、
「現在、シエネに殺到している鉄巨人や鉄人形、或いは正体不明の弓射兵達は『スゥエン』辺りの侵攻ではないのか?」
と“いけしゃあしゃあ”とばかりに伝えてやる事にした。
ルナールは巧の分断工作『スゥエン独立宣言』を逆手に取ったのである。
魔獣が現れたのはシナンガルにとって大きな問題であり、軍が『駆除』のために動くのは当然で有る以上、フェリシアのシナンガル領内への侵攻は認められない。
最終的には“これ”がシナンガルの言い分なのだ。
此の遠征軍は確かにシエネを『落とす』事を目標にしている。
だが、焦る必要は無い。
北からの軍に掻き回され連携が崩れた処で、シエネでは鉄巨人が更に暴れ回る。
マーシアがひとり残っていれば、それで押さえきれるものでもない。
唯、敵を待つだけ、という行為でも十日も二十日もマーシアひとりで不足した兵を補える筈もない上に、魔獣と睨み合いをさせる事“そのもの”も目的に入っているのだ。
既に罠に嵌っていると言える。
勿論、魔獣がいなくともルナールは鉄巨人により目的は達成するつもりなのだが、『軍師』が魔獣を操ってくれたお陰で事は随分とやり易くなった。
ただし計算違いはあった。
幾つか不測の事態のひとつへの対応策は考えて居たが、まさかヴェレーネ・アルメット自らが前線に出て来るとは思わなかったのだ。
これこそ『戦場の霧』の具体的な例と言えたものの、これは使い様だとして『外交』として互いの立場をはっきりさせる事にする。
マーシアひとりなら『攻め込んできているのは貴様等であろう。知った事か!』で、話にもならなかったであろうが、ヴェレーネならば少しは話し合いの可能性はある、とルナールはこの事態を最後には“幸運”と感じた程だ。
だが、結果はルナールの小細工など意味を成さない存在、それがヴェレーネ・アルメットで有る事を思い知らされる羽目となるだけであった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「最後まで殿下の御返事は頂けない様ですね」
そう言って引き上げに掛かるボーエンに、ヴェレーネは返答では無く『警告』をして来る。
「答える義務もないんですけどね。教えて差し上げましょう」
ヴェレーネの言葉にボーエンは頷いて礼を返す。
「あなた方は何か誤解をされていますね。
『専守防衛』の国是は現在の処変わっていませんが、これは“報復を行わない”と云う意味ではありません」
「はぁ?」
これはボーエンにも意外な言葉だった。
フェリシアが建国以来、自国から外に打って出た事など無い。
これは子供でも知っている歴史だ。
「過去に行わなかったからと言って、”これからも行わない”と云う理由になりますか?」
「い、いや、しかし……」
ボーエンは上手く思考が組み立てられない。
いきなり“お前が住んでいる土地は実は海の底で、お前の正体は魚だ”、と言われたも同然なのだ。
或いは天動説を信じていた人間が地動説を聞いたかの様なものであろうか。
ヴェレーネは言う。
フェリシアの議会は、過去三百年に渡ってシナンガルへの懲罰的侵攻を行う事を求める党派が主流を占めていた時期の方が長く、越境して戦闘行為を求める事も過去に何度もあった。
女王が最終的に議会の決断に拒否権を行使し続けて来たに過ぎない。
また、この百年の間でシナンガルの大きな動きは一度しか確認されていなかった。
六十年前のリース・シエネに於ける攻防戦だ。
その為、昨年まで議会は穏健派が主流だった。
だからこそ、食糧援助も行ってきた上に国境線に堡塁を増設する事も認められなかったのだ。
処が昨年六月のシナンガルの侵攻、挙げ句は賭博場問題に端を発して九月から十月にかけて行われた一斉選挙が全てを変えた。
シエネには城壁が建造され、議会は越境してでも懲罰戦争を行う事を望んでいる。
別にシナンガルを侵略しようという訳ではない。
こちらへの侵攻に対して報復の一撃を加えて痛い目に会わせる。
唯、それだけだ。
国是に大きな変更はないと、フェリシア人の誰もが、“そう”考えており、国内の政治に問題は無い。
シナンガル人がどう考えるかなど、フェリシアの知った事ではないのだ。
具体的な目標は、軍の補給基地として最もフェリシアに近い『ルーファンショイ』である。
議会の採決は満場一致で疾うに下った。
諮問院からの異議申し立ても無い。
後は女王のサインだけであり、この戦闘終了後の王宮会議でそれも決まるであろう。
「良い事? これは最後通牒ですわ。
それを持ち帰ってくださいな、文書は後程正式に出したいと思います」
「我々は、何もしていない。気球も事故だ、と言っているではないですか」
ボーエンは慌てる。
気球に関わる嘘にも自然と力が入り、自分でも“それ”を事実と信じ込むほどだ。
まさか、まさか、フェリシア側からの侵攻がある?
そんな馬鹿な!
「全く、往生際が悪い軍使ですわね。読心魔術の存在はご存じですわね。
嘘など、どうあっても無駄なのですよ」
焦るボーエンの心を読み終えた訳でもないが、ヴェレーネの言葉は氷の如く冷たかった。
侵攻してルーファンショイを更地にするだけならば、マーシアをヘリ一個小隊の護衛でルーファンの北の丘に運ぶだけでよい。
それだけで、軍民合わせて五十万人が住む都市は一瞬で消える。
ルナールが最も恐れていた『シナンガルの更地化』が一部とは云え起きるのだ。
「た、大量虐殺では無いですか! 市民もいます!」
ボーエンは抗議するが、ヴェレーネの表情は変わらない。
「おや、情報を持っていて市民を避難させないつもりですの?」
やると言ったらやる、時間は与えた。後の責任は貴様等にある。
ヴェレーネはそう言い切ったのだ。
「分かりました。兎も角、上には伝えます」
此処まで言われた以上、ボーエンは引き下がらざるを得なかった。
彼には“気球による損害賠償の約束をする事”を除いては、何の権限もないのだ。
例えば、『すぐに軍を引くから勘弁してくれ!』と命乞いする事すらも、だ。
「急いだ方が宜しいでしょうね。こうしている内に事態は益々、悪くなりますわ」
ヴェレーネはそう言って話を切り上げ、魔獣に向き直ろうとした。
……のだが、不意に別の声が掛かる。
「あ~、じゃあ、今度はこっちの話を聞いてもらえんッスかねぇ?」
ボーエンの護衛として付いてきた筈の魔術師の声に最も驚いたのは当のボーエンだ。
「貴様、誰だ! エミリアではないな!」
「いやですわ。ボーエン様、エミーですわ」
いきなりフードの下の声色が変わる。
ヴェレーネは、何やら妙な事が起きていると思いつつも声に出したのは一言だけであった。
「フードを上げてもらえます? 顔を見たいわ」
それは、ボーエンも同じである。
また、マーシアやマリアンが考えたのは『軍師』の様な、“他人の乗っ取り”が可能な存在が他にもいるのかと云う事だ。
フードが上がると、其処に居たのはまずまず美しい部類に入る女性と言えた。
翼飛竜に騎乗しているため、はっきりと分かる訳ではないが身長は百七十センチをやや越えた程度、長い黒髪、それと同じに金色の光彩を交えた黒い瞳、唇はつややかに赤く、軍人と呼ぶにはやや女性的すぎる。
いつもの姿の魔術師エミーことエミリアであった。
その姿には、『ほっ』としたボーエンであるが、ならば先程の似ても似つかぬがさつな声は何なんだ、と思った時マーシアが妙な事を言い出す。
「シナンガル人で赤毛というのは珍しいな。それに深紅の瞳などフェリシアにも中々いない。
その鋭さは嫌いな色ではないがな」
「はぁ? マーシア殿、な、何を仰って?」
「ボーエンとか言ったな。貴様、此奴の本当の姿を知らんのか?」
「ど、どういう意味でしょうか?」
無意識の内にボーエンは、何故か階級外兵員のマーシアにまで敬語になる。
「此奴は光の魔術が得意なようだな」
「いえ、彼女は火炎系ですが」
「火炎も使えるのかも知れんが、光の魔術でこれだけ見事なものを見るのはアルス以来だな」
「さっきから仰っている事が、さっぱり分からないのですが?」
「こいつはな、光の屈折率や浸透率を変える事で自分を黒目・黒髪の別人に見せているだけだ」
「!」
ボーエンは、思わずエミリアとマーシアを交互に見て、最後は何やら助けを請うようにヴェレーネを見る。
だがヴェレーネも肩を竦めると、結局は軽く頷いただけだった。
途端、エミリアの声色が先程の声に変わる。
エミリアの本来の声よりやや低めで、愛嬌がある声だ。
だが、訛りが酷い。
「ありゃ~、あっさりッスね。あんま、意味なかったッスか?」
「話をするに値する相手と判断するには丁度良かったわ。
全くの無駄って訳じゃないわね。ご苦労様」
まるで臣下を評するかのような言葉であるが、代行とは云え、流石『女王』経験者であるヴェレーネの言葉。
こちらはまた充分な威厳がある。
正体不明の魔術師は、遂に偽装を解いて名を名乗った。
「あ~、軍司令の『閣下』とお呼びすればいいんッスかね? それとも代行様の方の『殿下』で?」
現れたのはエミリアと云えばエミリアだが、自由人ジゼッペル・グリッドの右腕である赤毛、紅瞳の『エミリア・コンデ』であった。
ヴェレーネに向かって軽口を叩く余裕がある。
「あなたこそ伯爵とでもお呼びすればよいのかしらね?」
ヴェレーネもエミリアの姓であるコンデに『伯爵』という意味があるのを皮肉り返して笑った。
一方、それどころでは無いのはボーエンである。
士官となる半年間の努力も吹き飛んで、完全に恐慌を来した震え声になっている。
「貴様、何者だ! エミリアというのは擬態か?」
ボーエンは黒髪のエミリアという魔術師は“存在しない”、と判断したのだ。
だが、赤毛のエミリアの答は意外なものであった。
「あんたの可愛いエミーちゃんは、ちょっとベッドの下で眠って貰ってますよ、副隊長さん。
あ~、そうそう。傷ひとつ付けてないんで安心して下さいな」
その一言で本来、腹を立てるべき相手に救われた気分になるボーエンであった。
問題となる『黒髪のエミー』と彼は、恋仲と言っても良い間柄になりつつあったからだ。
だが直ぐに気を取り直して、怒鳴る。
「もう一度聞く、何者だ! 何故、エミリアに化けた!」
「正体はあんた等に雇われていたフェリシアの自由人ッスね。
あと、エミーさんにすり替わったのは、この場に来る必要が在ったからッス。
まあ、言葉遣いに気を付けないといけないのが問題っしたんで苦労したッスよ」
そう言ってケラケラと笑う。
「何やら話があると言ったけど?」
ヴェレーネの言葉にエミリアは頷いて翼飛竜の鞍の前部分を押さえて飛び降りる。
そのまま宙に立った。
軽く行った行為であるためボーエンには理解できなかったが、宙に立つと云う事は凄まじい魔力の持ち主である事を示す。
その桁外れの魔女である赤毛のエミリアは、ボーエンを一瞥する。
「副隊長さん。あんた、時間が惜しいんっしょ? もう、帰った方が良いッスよ。
あたしの竜には自分で帰るように話してあるッスから」
そして顎をしゃくった。
途端、今までエミリアを乗せていた竜は、飛び立ったと同じピナー軍中央へと向きを変えて飛び去っていく。
慌ててボーエンが空馬ならぬ空竜の後を追うと、その姿は次第に小さくなっていった。
「さて、騒がしいのも去ったッスから、話を始めましょうか」
最も騒がしい三人目の魔女の言葉にふたりはやや呆れ、同時にこめかみを押さえた後で、軽く首を横に振った。
騒がしいエミリアの再登場になりました。
サブタイトルは1997年の映画「コンタクト」を丸ごと使わせて頂きました。
作者は実際の天文学者でもあるカール・セーガン博士。
80年代後半から90年代にかけては日本でも『COSMOS』などで名をはせた方です。
氏の分かり易い解説は、天文学を軽く扱いすぎると他の学者様には不評でしたが、この方の時代に於ける功績は大きなものでした。
映画は逆にリアルすぎて(ファンタジックだという人も)日本では不評だった事になっていますが、ネット上でこの作品について極端に悪い批評を読んだ事はありません。
猶、私もこの映画のエンドには驚かされました。
映画の興行収入は制作費の20倍を稼ぐというモンスターな作品であった事は、当時の世界の人々が思いの外、「娯楽の中にも冷静に科学を考える姿勢があった」のだと知らせてくれます。
そして、自分もその1人に数えられる可能性があるのかと、嬉しい気持ちが抑えられないものです。




