130:逆檄のサラマンデル(Cパート)
「現れたぞ!」
「逃がしませんわよ!」
デフォート城塞最北端から南側に約八キロ、東側約二十キロの空域に現れた荷電粒子砲を相手に正面の壁上に立つハインミュラーとリンジーはやる気満々であるが、もう一人の主役である筈のアルバは涙目である。
動転している割にアルバは、”逃げるためには”と必死に舌を廻す。
「此処は、慈悲の心で奴を見逃してやりましょう。
城塞の裏に回せばヴェレーネ様が一撃で破壊して下さいますわ!
人間、何事も無理は良くないと思います!」
「な~に、馬鹿な事言ってるんですか!
あいつのブラックピークポイント(射程)は約六キロと出ています。
あの空域までの距離が二十キロって処ですから、後十二秒もあれば奴の射程に入る位置に私たちは居るんですよ!」
「跳躍されりゃあ、十二秒処か一瞬だな」
ハインミュラーも投げやりにそう言う。
この作戦を思いついた瞬間から、いやこの世界に飛び込んだ瞬間から彼は戦闘の中での死を恐れては居ない。
緩慢な、怠惰な「衰え」の中での死よりも『闘いの中での死』こそが自分の「生」だと割り切っているのだ。
尤も彼は知らない。彼の気持ちを知りつつも、
「それは大きな間違いだ!」
と声を大にして言いたがっている者が彼の周りに少なくは無い事を……。
ハインミュラーの「死生観」はひとまず置くとして、過去に彼が参加した全ての作戦行動と同じく、普通にやれば今回の作戦の成功率は実に低い。
だが、やらなくてはならない。
また、これはチェスのような物であり、相手が最初の一手に掛かってくれさえすれば、勝ち目は充分にあると老人は確信もしている。
何よりこのキネティックを今、この場から逃がした場合は三つの危険が生じる。
ひとつは言わずと知れたシエネ城壁の破壊だ。
五万の防衛隊が籠もる城塞を後方から攻撃された場合に彼等が身を守る術はない。
いや、それどころか数を揃えた鉄巨人の襲撃を押さえきれず戦線は突破され、後続の十五万の敵歩兵に国境は蹂躙されるだけだ。
二つめは、このレーダーサイトそのものである。
現状では魔獣がレーダー官制室に興味がある様には思えないが、滅多やたらと撃ち込まれて、その一発でも官制室に飛び込めば、推定三千度の熱線が全てを燃やし尽くし、灰すら残るまい。
最後に、現在西側でデフォート城塞を守っているリズ(ヴェレーネ)とマーシアである。
現状でも苦戦中だというのに、其処にもう一基のキネティックが現れた場合、彼女達はどの様な行動を取るであろうか。
他の者は、単純に負ける可能性が高いと思っているだけのようだが、ハインミュラーの考えは違う。
彼はふたりが負けるなどとは露ほどにも思わない。
だが、後々禍根を残しかねない『何か』が起きる、と老齢の勘が告げているのだ。
“それを避けさせたい”
いや、それを除いたとしても、最初の二つの理由だけ挙げてもリンジーとアルバに少々無理をして貰う理由としては充分であろう。
彼女達の闘いは魔獣の本体を叩く手段を得るために柳井大尉達レーダー員が計算を終えるまでの時間稼ぎであり、また其れが成功すればシナンガル自体の侵攻作戦に大きなダメージを与える事が可能と予想される。
つまり、どうあっても此の作戦は遂行しなくてはならないのだ。
連絡を受けたミサイル中隊が間に合ってくれた。
地上を進軍する歩兵に手を出さずにいてくれた事で、彼等が生き延びてくれた事に感謝する。
仮に彼等が地上に向けて地対地を一発でも放っていた場合、キネティックの反撃により中隊は壊滅したであろう。
そうして其の後、此の場に奴が再度現れたとは到底思えなかったからだ。
一通りの準備は整った。まず奴を押さえる。そこから全てが始まる。
「ミサイル隊の諸君、準備は?」
「要求には驚きましたが、なんとか間に合いました。こちらは何時でも構いませんよ」
三十メートル程南の壁上路には二両の二六式ミサイル運搬車両がランチャーの開放を“今や遅し!”と待っていた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
リンジーとアルバが見つめる方向とは真逆の宙空を舞う二人の魔女も先程の二人とはやや違う形ではあるが、口論の真っ最中である。
「なあヴェレーネ。最初の油断は確かに私が悪かった。其処は詫びよう」
「あら、随分と殊勝ですわね。でも、それとこれとは話が別ですわよ」
「何故だ! 貴様なら、もう何時でもあの蠅どもなど叩き落とせているだろうに!」
四基のキネティックと二門の巨大粒子砲の猛攻を押さえるのに精一杯に見えるヴェレーネとマーシアであったが、実は呆れるほどの余裕を持って砲撃を押さえ込んでいた。
粒子砲は熱レーザーではない以上、『光速』ではあり得ない。
また、その粒子運動の回転数や磁場・磁力などを計りきってしまえば、彼女らにとっては馬鹿げて簡単にその力を相殺する事が可能だ。
高速の九九、九九二パーセント以下の速度の場合、という条件付ではあるのだが。
更に言うならば、ヴェレーネは例え光速で飛ぶ存在があったにせよ相手が対抗力場を纏っていない限りに於いては、それを捉えて弾き返すなり、破壊するなりの力を持つ。
今、ヴェレーネはその力を使わず、雑魚とも言える相手に自らをいたぶられるがままに任せているのだ。
挙げ句、マリアンを叱りつけてマーシアには『自分に近い力』を使わせないように命令してしまった。
先の失敗もあってマリアンは返す言葉もなく、マーシアの奥深くで怯えたままとなり、結果としてマーシア最大の能力である『微粒子計算』は封印されたのである。
これではマーシアが怒り狂うのも当然であるかに思えるのだが、そのマーシア以上に腹を立てたような言葉をヴェレーネが返してきた。
「もう、いい加減になさい! あれが見えないの?」
両腕を腰に当てたヴェレーネがそう言って顎で指した先には、数百の鉄巨人を盾に千名ほどの単位で分散しながら進軍中のシナンガル軍十五万の兵。
平原の其処彼処に分散し、綺麗な弓状に広がっている。
あれでは、どの方向からマーシアの粒子砲を放っても、全軍の十分の一も殲滅する事は出来ないだろう。
敵ながら見事、としか言い様のない進軍隊形である。
暫く考えていたマーシアだが、ヴェレーネの考えに気付いた様だ。
「貴様! まさかフェリシア兵に闘う場を与えるためだけに!」
「ご名答よ。まあ、あのデカ物だけはこっちでやらせて貰うけど。
これだけ舐めた真似かましてくれた馬鹿だけは絶対にとっつかまえるわよ」
「兵士に余分な戦闘をさせて、無闇に死地に送り込む事が指導者の行う事か!」
マーシアの目は怒りに燃えている。
子供の頃は分からなかったが、育つにつれ『自分たちの村』も兵士として扱われていた事を知り悔しさを滲ませている。
勿論、それは必要な事だった。
いや現在でも必要な事だとは分かっており、王宮に責任を押しつけようとも思わなければ、恨む事自体をも押さえ込んではいる。
だが、無用な戦闘など無いに越した事は無いではないか!
マーシアのその言葉に、一度は頷いたヴェレーネであったが、
「闘えば死者も出る。怪我人も出るでしょうね。それは親を失う子や夫を失う妻を生み出す事だわ」
その言葉にマーシアは焼かれた自分の村、そして酒に酔って泣いていた『母』ラリサを思い出す。
「其れが分かっていて、何故?」
唖然とするマーシアにもヴェレーネは怯まない。
「此の闘いが終われば、やらなくちゃならない事だったと知る機会もあると思うの。
だから、今は協力しなさいな。分かったわね。マーシア!」
最後の言葉には、まるで母親が娘を叱りつけるような勢いがあった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
ヴェレーネが対抗力場無しに荷電粒子砲を弾き返すとするならば、その方法は少々面倒な手法となる。
磁場を混乱させ、飛来したプラス側に荷電した素粒子をマイナスの粒子と結合させる事で急ブレーキを掛けさせるか、弾道をねじ曲げてしまう訳だ。
これには其れなりにエネルギーが必要であるため、普通の魔術師が此の様な事を続けて居れば、数分間で絶命しかねない。
異常なまでの魔力量を誇るヴェレーネのみに許された手法である。
だが、城塞上部でキネティックを迎え撃つ彼女の『祖父』はその様な方法は一切使う事はなかった。
荷電粒子砲は地球に於いても研究中の兵器であるが、思いつくだけでも三つの弱点がある。
まずは何度も言うように、莫大な電力が必要だと言う事だ。
オーファンのレーザーガンと同じ熱量を持たせようと思えば、十万倍のエネルギーが必要だという事も先に述べた。
勿論、微小とはいえ物体の衝突である以上、その破壊力は熱レーザーなど比べものにならない程高い。
つまり使用エネルギーにふさわしい効果が得られるが、いくら何でも電力を食い過ぎるのだ。
二つめは、惑星の持つ磁場の影響を受けて真っ直ぐ飛ぶ事すら難しい、と云う事である。
尤もこれは、発射までの加速を充分に行う事で解消できるが、口で言うほど簡単な問題ではない。
そして、最後は馬鹿げた話だが熱レーザーと同じく、水や塵、埃に弱く、直ぐさま拡散してしまうと云う事であり、挙げ句に射程が極端に短い。
マーシアは、いやマリアンは此等の弱点を全てダークエネルギーの常態転換という離れ業で解決している。
例えば、普通に三億キロワットのエネルギーが熱量として発射されたなら、半径百メートル内に居る人間も物質も全て黒こげである。
鉄巨人を破壊した時、シエネ城壁が諸共に消し飛んでいてもおかしくは無かった。
処が、マリアンはその様な事が起きぬように、ダークエネルギーによって筒を生み出し、その中だけで荷電粒子の嵐を移動させているのだ。
また、スゥエンで行った様に、その外側に対抗力場の膜を作り出す事で周辺への被害も防いでいる。
威力も桁違いに上げられる秘密は、その筒の中に他の元素が極端に少ない事である。
大気中の窒素も二酸化炭素も、だ。
マーシアの粒子砲の射程、つまりブラックピーク・ポイントはマリアンが設定した範囲を超えて粒子が通常の大気と反応した区域に到達した時である。
それが二十キロ以上の恐るべき射程を生んでいるのだ。
だが、今、ハインミュラー達の目の前に現れたキネティックは、ダークエネルギーを纏っている様には見えない。
実際、其の様なものも存在しない。
その為、射程である『ブラックピーク・ポイント』は極端に短く、通常の迫撃砲を大きく下回る六キロ前後の射程しか持たないのだ。
ハインミュラーは其処に賭けた。
つまり、相手は大型の兵器を発見した場合、破壊のためには六キロ以内までには近付かなくてはならない。
其処を『捕らえる』事にしたのである。
『緩やかな移動ですな。あと二十秒以上は掛かりそうです』
DASシステムのバイザーを通じて、ミサイル中隊長の高橋から通信が入る。
彼等との距離は三十メートルと離れていないが、これは今後の事を考えての使用なのだ。
「では、行くか。二人とも、すまんな」
ハインミュラーの言葉にリンジーはにこやかに、アルバは老人の袖口を片手で掴んで頷いた。
アルバの右手の動きを見たリンジーに笑みが消え、アルバの手の甲を軽く叩く。
「酷いわ、リンジー! お爺様とお別れになるかも知れないのに!」
「あんたは死ぬ直前まで傍にいられるでしょ!」
そう言ってアルバの抗議を一蹴すると、リンジーはにこやかにハインミュラーに向かってウィンクした。
「無事に戻って来たら、お茶にお付き合い下さいましね」
頷く老人に納得し、リンジーはアルバをミサイル中隊の方向へ押しやった。
「行きますわよ!」
アルバが隊員と共にモニタを睨むのを確認したリンジーは、初めて被るDASヘルメットにもかかわらず手慣れた様にバイザーを目元まで降ろすと、何ら迷い無くその身を宙へと躍らせた。
アルバもリンジーも共に、今まではマーシアやアルスのようにダークエネルギーを固定化して宙に立つ事など出来はしなかった
しかし、リンジーに限っては其れとは違う方法で空中戦闘を行う事が可能だと確信してはいる。
いや、ダークエネルギーの殆どを使う事は出来ているのであろうが、未だに活用能力に難がある為、使った事が無かった、と言う方が正しいだろうか。
リンジーの空中浮遊は基本的にダークエネルギーの一端を成すとも言われている『重力子』を使用する。
地球では未だ『重力子』は完全には検出されていない。
此の物質は宇宙に蔓延しており、唯一次元の壁を破ることが出来る粒子といわれている。
そして、これが他の次元へ移動する際の運動で『重力』が生まれると考えられている訳だ。
だが、それは物理学的なエネルギー現象ではなく、あくまで『状態』であるということが重要である。
『状態』ならば、作り出すのに大きなエネルギーは要らない。
物体が物体を押し動かす、ヒッグス粒子と素粒子衝突ような『現象』の発生には確かに大きな力が必要だろう。
しかし状態を作り出すとは、場合によっては命じる事でも可能な事だ。
そして命じるだけならば、『声』ひとつでも事足りる。
リンジーは、その『状態』という有り様を作り出す事に慣れ始めてきてはいた。
だが、実戦で使うのはこれが初めてだ。
それでも今の彼女の中に迷いはない。
我が儘にも、異世界の技術に憧れただけの面白半分であった自分たちを信じ、己の半身とも言うべき『戦車』を彼女達に任せてくれた老人。
関わりが深くなるほどに、彼の目は『あの戦車』の更に遠くに在る“何か”を見つめている。
悲しさや悔恨、いや、其れのみではない誇りや信念。
それを心に潜ませて此の世界で闘う老人。
知るほどに“深い”人物なのだ。
『そんな彼に報いたい』
リンジーの中に今はその気持ちしかなかった。
自分自身と、その周りの空間に七つの『重力場』を生み出す。
地上の重力に反発する『上空の重力場』の他に、自由な方向に飛び回る事を他の六つの『重力場』が可能とする。
実はマリアンがマーシアを飛び回らせた方法もこれであった。
そのまま後方の『力』を“ゼロ”として前方に重力場に負荷を掛けると、彼女の体は亜音速の勢いを持って前方に引き寄せられていく。
キネティックがぐんぐんと近付いてきた。
今回のシーンは二つに分けましたがもっと早く書きたかったシーンだったので、こんなに遅くなったのが自分でも残念です。 すいません。
推敲、頑張ります。