12:たそがれの帰り道
今日は、ちょっと長いです。
途中に入っているチェコ語は自分が耳で聞いて書き写したものですから、間違いが多いと思いますが、意味は分かるようにしてありますので雰囲気だけでも楽しんで頂けたらな、と思います。
今日も読んで下さる方に感謝を込めて始めたいと思います。
本州西部の観光地で十二月に起きた『小学児童誘拐殺害事件』の犯人がスピード逮捕に至った経緯は、所轄署二人の刑事の念入りな推察と、それが引き寄せたかの様な幸運が重なった結果であった。
十二月四日の夜、柊家には一台の救急車が駆けつけ巧を搬送すると、入れ替わる様に、念のためにと昼間の内に広田が手配していた医者が鎮静剤を抱えて到着した。
ドアを叩き、絶叫する杏を必死で押さえる市ノ瀬の限界が近付いた時、医者と看護婦が部屋に飛び込むと見事な手際で杏をあっという間に眠らせてしまった。
その間に広田の寿命が縮まったのは言うまでもない。
肋にヒビを入れた小田切は痛みをこらえ、これから始まる捜査会議に参加すると言い張ったのだが、こちらも飯田によって強制的に病院に引きずられていくことになる。
胸の骨にヒビが入った場合、それが折れて肺に突き刺さることは珍しくないのだ。
「自分の立場を考えなさい! 他の警察官の行動の指針となる人間が自己満足で動く気ですか!」
飯田の強い一言は、若く血気盛んとは云えども管理職という立場にある小田切を黙らせるには充分過ぎた。
渋々ながらも頷く小田切に、捜査会議には自分が出席し、情報は全て持ち帰る、と約束することも忘れない飯田であったが、所轄の二人、すなわち白川と玉川も怒りに燃えているのは同じであり、その夜を徹して涙をこらえながら、データビデオを見続けたのだった。
「何かヒントになる音でもあれば良いんだが……」
ヘッドホンを外し、肩を揉む白川。
「明日、音響研に持ち込むしかないとは思いますが、任せっきりってのも悔しいです」
玉川が頷く。
ヘッドホンの音は人間の音声認識部分に当たる、一〇〇ヘルツから四キロヘルツを出来るだけ省いて他の音を探しているが、先程までは、その音も含めて『環境音』を探っていた為、犯人の不快な言葉とマリアンの悲痛な遺言を何十回となく聴く羽目になっていたのだ。
聴く程に怒りが蓄積されていった二人の心情は、他人が計るには余りあるものがある。
だが、明日の捜査会議までにはなんとしても手がかりが欲しい。
そう考えながら、再び機器に向き合った。
「『足を引きずる癖がある』そこまでは分かる。だが、老人ならそんな人間は山ほど居るし、俺の耳じゃあ右足か左足かの区別も付きゃあしない」
「へえ、凄いじゃないですか白川さん」
玉川が目を見張る。
が、白川は溜息を吐いて首を横に振る。
「阿呆! 俺は、音の専門家じゃあ無いんだ。間違えてる可能性の方が高い。見込みで捜査してとんでもない方向に行ったらどうすんだ。簡単に期待も信用もするな!」
その言葉に玉川は項垂れ、ついつい愚痴もでる。
「あ~、もう少し、あかるくできればなぁ。室内にヒントがあるかも知れないのに……」
パソコンを使い光量調整もしているのだが、かなり広い室内らしく後ろの壁も見えない。
ビデオも最初から光量を絞って撮ったことが分かる。
「ビデオは手詰まりですね。後はデータチップの入手先ですが……」
「そこら辺の市販品だからな。配送は関西からと言うことだが、防犯カメラにどれだけ写っているやら。コンビニならともかく、配送所から直接送られたらしいからな」
「サングラスやマスクをしていてもお構いなしですね」
「季節的に寒くなってきている上に、老人が宅配所強盗でもあるまい、と考えるのが普通だな」
「何故、郵便ポストに投函しなかったんですかね?」
「多分、時間指定って奴をする為には窓口に行く必要がある。それで監視カメラのしっかりした郵便局を嫌ったんだ。柊さんに当日いっぱいは不安感を持たせたかったとしか思えないな」
「何処までも、本物の糞野郎ですね! 死刑台に送ってやりたいですよ!」
玉川が吐き捨てる。
時計を見ると二時を廻っている。明日に備えて少しは寝ておかないといけない。
「玉川、先に少し寝ておけ」
「俺、若いですから二時間有れば充分です。五時頃起こしますから先に寝て下さい」
「すまんな、甘えるぞ」
そう言って白川は宿直室に入る。
その時、警察署の前を通る車のハイビームがブラインドの羽根の僅かな隙間越しに室内の壁にグラデーションを作り出した。
はっ、として白川は慌てて解析室に戻る。
「タマ、モニターの光量をリセットしろ!」
ドアを叩き付ける様に開くと同時に怒鳴り声を上げる白川。玉川は文字通り飛び上がった。
「どうしたんですか?」
「良いからよく見ろ!」
玉川がビデオの光量を標準に戻すと、画面の中に室内が暗く映し出される。
「斜光カーテンをしっかり閉めているんだろうが、時たま室内が明るくなる。
分かるか?」
「ほんの僅かですけど、そうですね」
「これ何の光だと思う?」
「車? ……音がしませんね」
「そうだ! よく考えてみれば、人ひとり誘拐して喋らそうってんだ。交通量があったり、人気のあるところでビデオを撮る訳がない。しかも殺しまでしようってんだぞ!」
「でも、結構、光が通ってますよ? 人気が無くて定期的にかなり強い光が通る場所?」
二人が気付いたのは殆ど同時だった。
「「灯台!」」
まさしく灯台下暗し、と玉川は言おうと思って止めた。
そう云う気分でもないし、言えば本気で白川に殴られるだろう事は分かっていたからだ。
「明日、朝一で部長から所長に回して貰って警察庁で『広域扱い』にして貰う。全国の灯台付近の不審な家屋を虱潰しだ!」
やっと目処が付いたと白川の目に力がこもった。
「広域、ですか? 本庁がそんなに簡単に指定を入れてくれますかね?」
「タマ、あのな。これは単なる個人に対する誘拐じゃないんだ。犯行動機を聞いただろ」
「国家に対するテロって事ですか?」
玉川の答えは正解であり、これが内閣での議事に繋がっていくのである。
灯台は大正解だった。
遺体を海に投げ捨てた可能性が高いとして、海際での街を中心に不審者の聞き込みを各県警が指示しようとしたところ、太平洋側のある街で、四日の明け方に日課の海岸での犬の散歩をしていた男性が老人の死体を見つけていたことがわかった。
いや、死体かと思ったが息があった為、病院に緊急搬送されたのだ。
この男が犯人であった。
地元の警察が病院で拘束する中、現地に駆けつけた白川と玉川の手によって手錠が掛けられる。
一二月六日一三時〇五分、犯人逮捕の一報に県内の小さな警察署は大騒ぎとなった。
経緯は以下の通りである。
男は、太平洋側の某岬に近い廃村に隠れ家を構えていた。
二日深夜にマリアンをその廃屋で殺して室内に放置、翌三日に街まで出てデータチップを送る。
配送所が最も混雑する時間帯を選んだらしい。
そして、その夜、マリアンの遺体に重しを浸けて崖から投げ落とそうとしたらしいのだが、胸元のボタンにマリアンを刳るんだ、粗めの袋の目が絡んでしまい、老人の足の弱さもあって自分もそのまま崖から転落したのである。
マリアンの遺体は、結局引き上げられることはなかった。
また、彼の葬儀も行われる事はなかった。
杏が頑なに拒み、巧も一縷の望みを繋ぎたかったのだ。
何より、杏の精神は最早、まともとは言えない状態にまで陥っていた。
目が離せないと言うことで、市ノ瀬はもとより巧も軍に長期の休職願いを出した。
いずれ退職するつもりではあったが、マリアンの遺言がそれを迷わせ続けてはいる。
事件が明らかになった七日には、マスコミが押しかけたが広田の雇ったボディーガードが追い払うなり、穏便に対応するなりして一日が過ぎた。
八日には、白川・玉川と共に検査の為に二日入院させられた上、事件の報告書を纏める為だけに街に残っていた小田切と飯田が揃って柊家を訪れた。
そして、その同行者に池間が居た。
「ご迷惑をおかけしました」
頭を下げる巧に五人は返す言葉もない。
「何も出来なくて申し訳ない」
小田切と飯田は早々に腰を上げたのだが、小田切には命を救われたのだ。
あそこで自棄になった自分が死んでいたら杏も後を追ったかも知れない、と思うと玄関先で手を握りもう一度頭を下げる。
それに対して小田切は、
「西に来ることがあったら連絡して下さい」
気遣いの言葉を残して去った。
白川と玉川には深く礼を言ったものの、犯人がマリアンの殺害を自供した事もあり、恩人であるはずの白川から、
「杏さんの気持ちの整理が付かないうちなのに、逮捕までの時間が早すぎたのかも知れません」
と妙な詫びを入れられる始末となった。
玉川も同じ気持ちで有るらしく、目を伏せたままであったのが巧の胸に響く。
白川と玉川が帰ると、池間と巧の2人きりとなる。
「小隊長殿にはヘリの手配までして頂き、ありがとう御座いました」
互いに、マリアンが『死んだ』という言葉は口に出せない。
「なあ、」
徐に池間が口を開く。
「はい……」
静かに答える巧。
「これからどうする」
巧は何も答えられなかった。
「軍からの依頼と、それから提案があるんだが話しても良いか?」
今は聴きたくないとも言えたが、おかしな話なら池間が巧の下まで持ってくるはずもない。
黙って唯、頷く。
「実は、ひとつは今回の事件は柊家のみの問題では終わらないと言うことだ」
「と言いますと?」
訝しむ巧に、池間は閣議で国防大臣が話したのに同じ言葉を発する。
つまり、国防に拘わる全てのものに対するテロリズムである、と云う話である。
「まあ、それは国の都合であって、お前さんにも、ましてや杏さんにも関わりがないと言われてしまえばそれまでだ。
だから、別に内乱分子摘発キャンペーンの広告塔になれと言いに来た訳ではない」
当たり前だ! そんな事を言う奴が居たなら殴り殺してやる、と巧は思う。
「では何故、そのような話を?」
「ん、だからこれはあくまで『依頼』だ。軍に残るにせよ、辞めるにせよ、軍から、それなりの援助をさせてもらえないか、ということだ。
功績ある兵士への援助を惜しまないという軍の宣伝だがな。勿論、軍曹には断る権利がある」
「お断りします」
即答だった。マリアンの死を利益に転換できる訳がない、彼にとっては当たり前の答えだ。
しかし、返す池間の答えは辛辣だった。
「自分も君ならそう答えるだろうと思っていたし、それでも良いと思っていた」
何故か、過去形で喋る。
「どういう事ですか?」
巧は少し苛ついている。
此処は軍ではないのだ。言いたいことは言わせて貰うぞ。
という腹であったのだが、続く池間の返答は胸に響く。
「今後、杏さんの面倒をどう看る。君だって年を取るんだぞ」
確かに池間の言う通りだ。
いくら遺産や保険金があるとは言っても、それには限度がある。
何より、杏は最早まともではない。目を離して良い状態ではないのだ。
広田や市ノ瀬に何時までも甘えられるものでもない。
巧の頭の中で、自責の念がわき起こる。
「いつも自分はこうだ。身内のこととなると一時の感情で無鉄砲な思考に陥る。
『ガキだ!』分別の付かない子供だ」
巧はひたすら自分が情けなくなった。だが、マリアンの死を利益に変えたくないというのも事実なのだ。
「損とか得とかじゃないんだよ」
思い悩む巧を見かねたのか池間が言葉を継いだ。
「家族を守るってのは、自分のプライドは捨てて泥にまみれるってことなんだ。それでも納得できなければ、軍曹、君が軍を利用してやる、それぐらいの気持ちで居ればいい」
この人にはかなわない。そう思った。
自分と本当に三歳しか離れていないのだろうか?
家族を守るという現実の厳しさを話しつつ相手のプライドをも守り、自分の持って行きたい方向に見事に誘導している。
それが分かっていても、他に選択肢を与えないのだ。
『剃刀』か……。言い得て妙だな、と巧は項垂れる。
と、唐突に池間は話題を変えた。
「という訳で、提案だ」
口調が違う? 巧はその時不思議な感覚を捉えたが、すぐにその訳を理解し口にした。
「『軍』ではなく、池間中尉からの個人的な提案と言うことですか」
池間がニヤリと笑う。悪い顔であるが、何故か頼もしくも感じる。
「良い勘してるじゃないか。流石は、国防大綱の見直しにまで迫る意見を出した男だ」
流石に時が時だけに声を出す訳ではないが、表情を言い表すならクックックッ、という笑い。
益々、悪党の顔である。
「すいません、気になって仕様がないのですが?」
「いや、すまん。実は俺もこの話が来た時、驚いたんだよ。といっても昨日だけどな」
「?」
「何故かは知らんが、このタイミングで『ヴェレーネ・アルメット』、あの女がASパイロットとして、お前さんを引き取りたいと言ってきた」
「魔女!」
驚くしか無い。“ヴェレーネ・アルメット”第二兵器研究所主任研究員。
いや、この国、初の第三セクター方式で作られた軍事研究所の事実上の所長。
国家との資本比で言えば研究所は彼女の私物だという噂すら有る。
何よりAS開発発祥の地であり、その他、この国が諸外国に一歩の差を付けている複合装甲、レーザーリング、高圧燃料電池のすべてが彼女の頭脳から生まれていると言われている。
十五年前、この国に帰化した直後から凄まじい勢いで様々な基礎研究成果を発表し、ノーベル賞の候補にすら挙がっているという。政府も簡単に手が出せない程の人物だ。
いつの間にか付いた二つ名が『魔女』である。
「しかし、何故? 私の階級は軍曹です。
士官候補生試験を受ける資格がない以上、ASのパイロットには成れません。
機乗資格は曹長からです」
いつの間にやら、巧の言葉は軍のブリーフィングルームにいるかの様になっている。
「曹長昇進も混みだそうだ」
開いた口が塞がらない巧に追い打ちが掛かる。
「で、杏さんのことだけどな……」
そうだ!
この提案が何故、杏の為になるのか、そこが一番重要な点だ。
内容次第では却下だ。
と巧が思う間もなく、池間の言葉は続いた。
「どうやったのか知らないが、奴さん、杏さんの今の状態を知っているんだよ。
昨日の今日でね。まあ、正しくは『そうなっている可能性が高い』という言い方だったんだが、」
「はぁ……」
もう巧は驚きを通り越している。
「それで、だ。
看護要員は置くので研究施設内に彼女の居住を認める、と言ってきた」
池間の表情は、最早「どうだ、文句は無かろう」と言っている。
「とは言っても今すぐに決めろという訳では、」
と池間が言葉を閉めようとした時、
「わ、私も連れて行って下さい!」
後ろから声がした。いつの間にか市ノ瀬が立っている。
池間と巧に茶を出そうとしていたのだろう。盆の上には湯飲みが二つあった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
深い海の底、沈んでいく。 沈んでいく。 沈んでいく。
ぼくは死んだはずだ。あの時、首すじに熱いものを感じた。傷みはあまりなかったけど、ゆっくりと体が冷えていった。
寒くなって、体が重くなって……。
そして、今は、不思議だ。重さを感じないんだ。
ここはどこだろう。杏ちゃんは泣いていないだろうか。
お兄ちゃん、ぼく最後まで泣かなかったよ。ほめてくれるよね。
お父さんとお母さん、会いに行くから待っててね。
あれ、誰だろう。誰か居るよ。
ダキエ・スイ・シェン・プロシェル (あら変わった人が来たわ)
お母さんの言葉だ。ぼくの知ってる人かな
ディーゼ・ク・ド? (きみ、だあれ?)
ティアマト (ティアマトよ)
ラインチュアタ?
トゥイノーゼフ・カタリー・セ・ズミニーリョ
(トマト? 変わった名前だね?)
ティアマト!・ティアマト
マーフェ・アヤ・キードウルフ・ドゥハ?
(ティアマトよ、ティアマト。
どんな、耳してんのよ)
ノ・アキエト・ヤク・フッツア
シュ・ネ・オフィシュトゥラタル?
(まあ、それは兎も角として、
あなた係員ね?)
ソエ・オプスルハ? (係員って何?)
イ・コモルニ・オプスルハ (係員は、係員よ)
ネヴィーム クロムニャ、ヤーゼィック・ヤ・ホーネウズゥイーガーマ
(ぼく、しらないよ)(それに、ぼく、その言葉は、使わないよ)
ネ・ジャ・ポウジヴァーテ? (使ってるじゃないの?)
チェコ語はふだんはつかわないんだ。
あらそうなの。一番、底にあったもんだからね。
確かに上書きされてて、この言葉の使用量が一番多いわね。
特に『おにいちゃん』って言葉。
今から、戻るんでしょうから、『セム』に宜しく言っといて。
『セム』? だあれ?
行けば分かるわよ。
プロレスラー?
違う!
まあ兎も角――――には連絡が付くからね。
先に戻った係員も居るけど、あっちは別の量子を引き留めるのに精一杯で、あたしの話なんか覚えてないでしょうね。
カスタマーでもないのに一生懸命守ってたわ。
あれじゃ、言葉を思い出すのにも一苦労だったでしょうね。
きみの言ってることが、よくわかんないよ?
ああ、あなたは大丈夫。忘れてるだけよ。そのうち思い出すわ。
でも今の意識の方が強いから、しばらくはあなたのままね。
上手くいっても半分以上は残るかな。
じゃあ、またね。
あれ、居ない。
あ、なんだか、暖かいよ。お父さんとお母さんのいるところかな?
さっきの人も、どこかに行けるって言ってたしね。
天国かな。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
アルバから『精神跳躍ホール』の監視を交代してから、一時間。
いつもの様に魔法概論の本を読んでいたリンジーは、区切りの良い処で大きく伸びをする。
そこで乾きに気付いて喉を潤したくなったのだが、ふと思い出したのは、いつか見たアルスの優雅な喫茶風景。
ちょっと真似してみたくなった。
「ふふ、アルスお姉様みたいに優雅な貴婦人になりたいわ」
紅茶を煎れ、アルスを真似てみる。
「こんな感じだったかな? でも、ホント素敵だわ。アルスお姉様。
胸はもう少しあった方が良い良いかもしれないけど……」
間が空く
「聴かれたら殺されるわね。独り言でも辞めましょう……。
しかし……」
と言ってリンジーは棺の中をのぞき込む。
女王の護衛として跳躍したものの、未だ行方の分からない近衛隊長である。
「寝てれば、見た目は綺麗なのよねぇ。見た目は。
胸も、う~~ん。良い乳してまんなぁ」
オヤジである。
リンジーは完全にリラックスムードだ。
女王様が戻って一ヶ月、陛下も一時期は確かに錯乱はしていた。
また、今も時折は寂しそうな顔を見せるものの、既に充分な威厳を保っており、議会も諮問院も、何より国民が久しぶりに見る女王陛下の姿に触れ、一時的ながらシナンガルの驚異すら忘れている。
さすがのカリスマと言うべきであろう。
我が事の様に誇らしく、気持ちも緩やかになろうというものだ。
が、『好事魔多し』と言う。
『ピ――――――』
「ねえ、この音、なあに?」
自分一人しか居ない部屋で、リンジ―は聞き覚えのあるその音を初めて聞くものと思う様に必死で勤めた。
前回は良い。目覚めたのが女王様だったのだから。
多少の混乱はあったが、流石は女王様といえる。
元代行・現所長に諫められて、既に自分を取り戻している。
だが、今回もし、この音が目覚めのブザーなら……。
そして女王様の様に、目覚めた彼女が錯乱状態であったなら……。
恐ろしいが振り向かなくてはいけない。
リンジーは勇気を出して、しかしゆっくりと振り向いた。
黄色いランプの点灯。覚醒準備の警告ランプである
「いやあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ」
ありったけの声で叫ぶ。
デジタルメーターを見ると覚醒作業開始まであと一時間程。
「あ、あ、悪魔が、悪魔が目覚める。逃げなくちゃ、ど、何処に?」
「い、いや、だめ。仕事を放り出したなんて知られたら、七七等分に分割されちゃう」
「怒らさないように、丁寧にやればいいの、そうすれば命だけは助かるかも知れないのよ。分かる、リンジ―。
所長もアルスお姉様も居るから上手くいけば奴を殺せるかも知れない」
もう、何を言っているのか、本人にも分かっていないようである。
完全に腰が抜けたので這って隣の部屋に行き、休みに入っているアルバを除いた全員を水晶玉で呼び出した。
当然所長もである。
覚醒作業が始まった。所長と班長の二人は管理室の内側にいる。
アルスは兎も角として、マイヤとリンジーはげっそりとしている。
リンジーなど時々、イヤイヤと首を振るのだが、偶々、彼女が担当の時間に目覚めたのだ。最初に声を掛けるのは彼女でなくてはいけない。
棺の中の人物の体温が上昇し、蘇生完了まであと一分となった。
「マイヤお姉様、もし私が死んだら髪の毛は故郷の母に届けて下さい」
故郷も糞も首都にあるマイヤ・アルス姉妹の邸宅とリンジーの実家は四百メートルと離れていない。
「気分出してないで、サッサと仕上げて下さいな。リンジ―」
管理室から最後の審判の声が聞こえる。
リンジーは覚悟を決めて、蓋を引き上げた。
銀色の髪、白い肌、青い瞳が開く時、この世の地獄が現れると言われる戦魔王。
彼女が従うのは女王陛下のみ。
その名は『マーシア』
その目がゆっくりと開かれた。
恐ろしさに、瞬きも出来ないリンジ―、
……が、何かおかしい。
目にいつもの殺気がない。……と言うか純粋な目で『キラキラ』している。
にっこり笑うととても可愛い。思わずリンジーも微笑んだ。
(あれ、なんで私、マーシア様の顔見て笑ってるの? 馬鹿なの?
死ぬの? って言うか、死亡確定だよね)
などと思っていると。
その可愛らしい顔は、更に可愛らしくなりこういった。
「綺麗だなぁ 天使様?でしょ。
パパとママに会いに来ました。何処にいるか教えて下さい」
リンジ―が予定とは違う意味で気絶した。
マイヤが叫んでいる
「所長、近衛隊長殿がおかしいんです」
管理室の中では、カレルが既に辞表を書き始めていた。
サブタイトルは、光瀬龍氏の大傑作「たそがれに還る」をヒントにさせて頂きました。
異星人同士のコミュニケーションは可能か、生存競争は何か、など考える事の多い「哲学的作品」であったことを記憶しています。
もう一度探して手元に置きたい一冊ですね。
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9月23日修正
白川と玉川が、音域を調整して環境音を探るシーンで、
「人間の音声域20HZから20KHz」
と書いてしまいましたが、「あすか様」よりのご指摘で、これが人間の可聴域であったという間違いに気づきました。
拠って、「人間の音声認識部分に当たる100HZから4KHz」へと変更させて頂きます。
読者の皆様には申し訳ありませんでした。
また、「あすか様」には大変感謝して致しております。
ありがとうございました。




