125:7分後の戦場(前編)
ゴースに於いて単騎奮闘する小野少尉は、僅か五分が永遠に感じられる程であった。
G・E・Hを全力で振り回せる時間は残り十五分と無い。
本来なら戦闘に入る前に補給を済ませておきたかったのだが、二頭の魔獣が南壁に迫るのを確認した二機は、時を待たず一気に戦闘に突入したのだ。
だが、結果はやはり魔獣の意識を一時的に此方に向ける事に成功しただけである。
次第に弱まり逝く雨の中、魔獣の後方に攻城兵器が数基、静かに進んでくるのが見える。
ASの高感度カメラだからこそ明瞭に写ってはいるものの、果たして城壁からは見えているのであろうか。
東西に一,二キロの城壁である。
最西端の小笠原からは望遠カメラによって見えているにせよ、最東端に連絡が届く頃には手遅れになりかねない。
となれば、当然あれを先に破壊すべきであろう、と小野が其方にバルカンを向けた途端、飛翔体アラートが反応する。
左肩の盾を外して頭上を守りつつ、身を屈める02号機。
なまじ相手の攻撃が正確であった事が小野を救う結果となった。
飛び込んできた物体。
多分に地球のレーザー誘導先進破壊弾以上の破壊力を持つメタルジェットは中空装甲化された立方晶窒化炭素混合シールドの最も頑強な部分で受け流された。
とは云え、爆発は確かに盾に亀裂を生み出し、全くの無傷という訳には行かない。
「あのケダモノに叩き込んだ時に今のが飛んでこなかったって事は、“魔獣相手にならASの闘いも認めて下さる”ってえ訳ですかい。閣下!」
“地球の武器を魔獣に向けるのは認めてやろう。但し、カグラの闘いは『カグラの武器』でやって貰う”
後方の巨大な魔獣にそう『宣告』された事が今の攻撃ではっきりと分かったのだ。
「手前処か、ヒラの魔獣二匹取っても人間に取っちゃあ反則じゃねーかよ。
手前勝手なルール作りやがって! アメ公か!」
巧の国のスポーツ選手がオリンピックにせよモータースポーツにせよ優勝台を独占する様になると、直ぐさま自分たちが優位になる様にルールを改正する白人社会の理不尽さ。
小野には後方の巨大魔獣がそれに重なって見えた。
その事からバイ・アスリートとしての選手生命を絶たれた過去も相まって、殊更頭に血が上る。
「神風の末裔、舐めてんじゃねーぞ!」
柴田からの命令は01号機が戻るまでの間、02号機は魔獣の意識を引きつける事、そして城壁に対する援護を遂行する事であった。
勿論、小野とてその事を忘れてなどいない。
しかし、相手の傲慢さに腹が立ってしょうがないのも事実なのだ。
また今、小野が相手に出来るのは一頭が精一杯である事にも不甲斐なさを感じ、それが余計に彼の熱を上げていく。
リヒトとリンス。
今、小野が相手をしているのはリンスの方である。
そしてリヒトは城壁に向かい火炎弾を吐き、挙げ句、その爪を飛ばした。
いや、信じられぬ事だが、リヒトの爪は飛んだだけではない。
それは腕から伸びた筋繊維の鎖に繋がれており、攻城用として這い上がる為のかぎ爪と同じ動きを見せたのだ。
爪は東部城壁の狭間越しの床に見事に突き刺さり、リヒトの巨体をまるで四輪駆動車搭載のウインチワイヤーの様に引きずり上げていく。
最初は四十五度程度の角度であったそのロープ状の繊維はリヒトを引きずると次第に傾斜がはっきりと付いてくる。
リヒトの巨体は既に六十度の角度を超えたままに、その体躯は水堀の縁にまで迫った。
なまじ頑強に作られた城壁にがっしりと食い込んだ巨大な両腕八本のかぎ爪は、叩こうが焼こうがビクともしない。
リヒトの前足の付け根から伸びる筋繊維に向けてバルカンを叩き込もうとした小野だが、その前にリンスが立ちはだかる。
リヒトまでは大した距離ではない。
僅か一秒で良いからターゲットロックできれば、右腕のバルカンは射線を決して外さず、あの筋繊維を断ち切る事が可能であろう。
だが、如何に六十メートルの高さまで飛び上がれるASにせよ、迂闊な跳躍は命取りだと戦士の勘が小野自身に告げる。
あの爪の射出速度はASの腹部を軽々と突き破るであろう事は一目瞭然であり、これだけよく似た魔獣ならば、相対しているだけでも正面の魔獣の爪は小野の02号機を襲いかねないのだ。
もしシールドが失われたならば、その瞬間に02号機の車体はバラバラに引き裂かれる。
これは確かだ。
今、小野に出来る事は二頭の内の一頭を自分に引きつける事、そして柴田が戻るまで戦線を維持する。
悔しいが、唯、それだけであった。
一般のフェリシア兵や魔法兵達もそれぞれに伸びきった筋繊維に攻撃を仕掛けようとするのだが、僅かでも城壁の狭間から身をさらした瞬間に、リヒトの火炎弾が直撃する。
ダミアンも得意の氷結魔法を使い、攻撃を行おうと一度は念を組んだ。
しかし、その直ぐ傍で狭間から身を乗り出した数名の兵士の上半身が骨も残さずに蒸発すると、呆けてしまったのだ。
彼に今や念を組み上げるだけの精神力はない。
唯、闇雲に「やれ! 守れ!」を繰り返すだけである。
一人の副官が、無理な命令を推し進める彼を諫め様としたのだが、錯乱した彼でも副官相手ならば充分に念を練れた様だ。
哀れな副官を一瞬にして氷結化させると、そのまま剣を振って氷像と化した彼を砕いてしまった。
氷の欠片となって転がる副官だった『もの』
城壁東部は既に修羅場であった。
魔獣の影響からか此方からはスパエラも使えぬ状況の中、アルスからの伝達を待つ訳には行かぬと一人の兵士が走り出す。
それを咎めるものは誰一人として無く、急ぎアルスの下へ辿り着け、と誰もが祈る。
その頃には、当然だがアルスも東壁への魔獣の移動状況を見て、其の場へ飛ぼうとはしていたのだ。
だが、それを許さぬ状況が中央本陣で起きた。
ムシュフシュがいきなりの針炎弾を矢継ぎ早に発射してきたのだ。
アルスは対抗力場を張り、その対応に追われる。
凄まじい圧力であり、此方から打って出たいのは山々なのだが、どうにも身動きが取れない。
巨獣が東壁の魔獣と連携を取り始めたのは明確であり、このままではジリ貧である。
そこに東壁からの使者が到着し、ダミアンの錯乱を告げられた事で最悪の状況を知る事となる。
ムシュフシュはゴース城壁を攻撃したのではなく、アルス唯一人を動かさない為にルールを破ったのだ。
いや、ルールがあると此方が勝手に思い込んでいただけなのかも知れない。
アルスは、あの高位魔獣と同等の戦力と認定されたのであろう。
だが、仮にその推察が正しいにせよ、それを誇れるアルスではない。
今はダミアンに対する怒りで、『氷のアルス』の二つ名を返上できる程の怒りの炎が彼女の中に渦巻いている。
「なんて事を! やはり殺して置くべきだったんだわ! あの小僧!」
だが、どうする?
怒りに震えた所で彼女が此処から動けない事に変わりはないのだ。
とその時、傍でアルスと伝令の話を聞いていた国防軍伍長が、ひとつの提案をする。
彼の提案を聞いてアルスは、一瞬は怒りも忘れてあっけにとられた。
「あなた方、全員死ぬわよ!」
伍長の言葉にアルスは、“真剣なのか”と尋ねているのだ。
だが伍長も引かない。
「我々の仕事は、まず任務を果たす事です。
死ぬ事はその任務の中に可能性要素として含まれているに過ぎません。
決して死ぬ事が任務では無いのです」
そこで言葉を句切る。
「だが、今、東壁で闘うフェリシアの仲間達は『死ぬ事そのもの』を任務にさせられています。
これは兵士の仕事ではありません!」
一刻を争う事態だ。今は戦闘の最中だ。
だが、目の前の名も知れぬ地球の兵士は『フェリシアの仲間達』と言ってくれた。
アルスは、泣きそうになるのを堪え、彼に問う。
「準備にどれ程の時間が掛かりますか?」
アルスの問いに伍長は力強く答える。
「状況体制は既に完了して、後方も現在は下命を待つのみです。
後は大まかな指示だけ頂ければ先任曹長が全て責任を持って遂行するでしょう。
西壁まで連絡用単車で二分と掛かりません。
先任曹長が了承すればモールスを打たせます。長くとも五分下さい」
彼の眼を見てアルスは頷く事に決めた。
伍長に頼んで伝令を送り出して貰うと、今度は東壁のフェリシア伝令に告げる。
『ダミアンを刺激せずに、全員、奴の命令に従うとも無理な攻撃は避ける様に!』
『魔獣が城壁を登り切るのにまだ五分以上は掛かるはずです。
私が来るまで、決して諦めてはいけません!』
ふたつの言葉を受け取ると、伝令は再び東へと走る。
アルスの能力で高出力の水晶球通信を使えばダミアンに気取られかねず、迂遠だがこれが一番安全なのだ。
「無能な味方は敵より怖い。ハインミュラー様の仰る通りでしたわね……」
ムシュフシュの針炎弾は次々と城壁中央に迫る。
だが、アルスの対抗力場を破る針は一本として無い。
彼女も又、マリアンと心通じた頃から次第にその力を増大させつつある。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
三分と待つ必要は無かった。
西側に目を向けていた伍長は、アルスにOKを出す。
西陣地のモールスは二度、確かに作戦を実行する事を伝えてきたのだ。
「随分、早いのね。後方は理解できてるの?」
アルスが言う後方とは、ゴース市内に展開している迫撃砲部隊の事である。
それに対して伍長は頷く。
「防衛作戦の基本パターンを最初から決めてありました。ナンバーを指定しただけです」
「なるほどね。なら、今度はこっちが頑張らなくっちゃね」
そう言うと、防衛隊の各部隊長に指示を出す。
「敵の弓射には盾で個別に対応して頂戴。
あの馬鹿でかい針の様な爆弾は国防軍の皆さんが引き付けてくれるから滅多に飛んでは来ない筈だけど一発でも来たなら、第四三魔術大隊の出番だから安心して!」
そう言って後方待機組からより抜きの魔術師部隊四十名をムシュフシュの針炎弾に対応させる。
対抗力場の張れる魔術師など数えるほどしかいない以上、火炎弾や風圧、水圧弾で押し返すしかないが、それだけが頼りなのだ。
彼等は其の為だけに此の場に立ち、如何に味方が辛くとも決して助けてはならない。
ひとりひとりの仕事の分担が崩れた時、ゴースは陥落ちるだろう。
時計を合わせる。これから七分間の勝負である。
小笠原先任曹長が命じた照明弾が打ち上がると同時に、市街地及び西城壁、そしてデフォート城塞から完全に同調して迫撃砲と無反動砲が発射された。
全部で十四発の画像誘導ミサイルと焼夷鉄鋼弾がムシュフシュに迫る。
丁度その時、ムシュフシュはアルスに向けて四発の針炎弾を発射した直後であった。
その一発が、偶然ではあろうが城壁に届き掛けた迫撃砲弾と接触する。
相乗効果によって、PBXハイドラミサイル四発分にも匹敵する凄まじい爆発が中央城壁の真正面で起きた。
その衝撃の全てをアルスは唯一人で軽々と受け止める。
直後、
「後、頼みますわよ!」
そう言って彼女の姿は消えた。
デフォート城塞の二箇所、市内からの二箇所、そして西城壁の計五箇所から同時の攻撃を受けたムシュフシュの怒りは凄まじい。
それぞれの発射地点に報復射撃が開始された。
ハイドラミサイルにも匹敵する程の爆圧を持ってそれぞれの発射地点を目指す針炎弾。
しかし、派遣旅団ゴース駐留迫撃砲中隊員達は先の城塞守備分隊と同じ失敗は犯さない。
各発射地点には、既に破壊対象となるひとつの兵器、或いは一人の兵士として存在しなかったのである。
後にフェリシア中の酒場で詩人によって詠われる事となる、国防陸軍各分隊が見せた弾頭射出後の撤収行動は、“音速も斯く在る哉”(音もこれ程速くは在るまい)
と云う程の動きであったと言う。
次々と発射拠点を変えながら、城壁上の観測員の指示に従いムシュフシュの正確無比な針炎弾のお株を奪うが如き攻勢を掛け続ける国防陸軍迫撃砲分隊の面々。
手順をひとつ間違えれば、揃ってあの世行きだ。
だが、アルスが戻るまで計算上は最長七分、それだけ耐え切ればよい。
その七分を永遠の如き長さに感じるものもいたで有ろうが、表情にそれを表すものは無い。
それどころか、ようやく市民を守る兵士としての職務に戻れた喜色が全ての隊員を覆っていた。
彼女が跳んだ場所は“良くも有り、悪しくも有り”であったが、アルスとしては兵士で混雑する犬走りに直接姿を顕す訳にも行かなかった。
彼女自身は対抗力場でその身を守っているとは云え、仮に跳躍点に大気以外の何かが存在した場合。
特にそれが味方の兵士であった場合、その人物は仮に死なずに済んだとしても大きく弾き飛ばされる。
城壁の上でそれが起きたなら、それは結局のところ其の兵士にとっての『死』を意味するであろう。
『元素爆発』
原子の塊である通常の物質が、単に物理的な衝突を起こすだけでも大きな熱エネルギーが生まれる。
それが、原子核レベルで起きた場合どうなるであろう。
勿論、普通原子に対してのダークマター接触である以上、爆弾の様なエネルギーまでは生みようもない。
だが、アルスの質量から考えて半径二メートル以内に存在する物質を綺麗に弾き飛ばすで在ろう事は、見るまでも無い。
ヴェレーネが行う、自らの体に密着させる力場構築など例外中の例外なのだ。
彼女が顕れたのは、城壁の上方約二十メートルの空間である。
“纏める量子”即ちダークエネルギーの固定化により足場を作り、其の場に浮いている様に見えるが、実際の処は磁場的に位置を確保しているのと大きくは変わらない。
そこからダミアン・ブルダを探す。
見つけた!
幅二十メートルの犬走りの中央より僅か、そう、ほんの僅かに前へ足を踏み出しているのは彼なりのささやかな矜恃であろうか。
しかし、その様な事に頭を使う暇があれば、別の事を考えるべきなのだ。
例えば、だ。
確かに城壁は頑丈ではある。だが、やり様では決して破壊出来ない訳ではない。
ならばあの魔獣の爪が破壊出来ない事が分かった時点で、食い込んだ城壁部分を破壊して魔獣の爪を引き抜いてしまう事も出来たのだ。
それを命じもせずに、魔獣の爪や筋繊維、挙げ句は本体にまで攻撃を仕掛ければ反撃を喰らうのは当たり前ではないか。
敵を攻撃するのは、街を守る為だ。
だが、彼は攻撃するための攻撃に取り憑かれている。
手段が目的化しているのだ。
或いは自分の名誉のために、兵士を蔑ろにしているだけなのかも知れない。
いずれにせよ、副官殺害という明確な罪がある以上は彼を拘束しなくてはならない。
だが、素直に縛に付いてくれるであろうか?
ままよ! と彼女はダミアンの傍に向かおうとしたのだが、城壁真下のリヒトが空中のアルスを見逃すはずもなかった。
火炎弾が吐かれる。
通常のドラゴンの吐く火炎弾を大きく上回る勢いと速度。
アルスの対抗力場が悲鳴を上げそうな程に放電する。
火炎弾とダークエネルギーの膜が強烈な元素反応を起こしているのだ。
勿論、見た目は派手だがアルスにとってこの攻撃は差程に負担を受けるものでは無い。
しかし、リヒトによって照準を合わせられたまま犬走りに降りた場合、どれだけの兵が巻き添えに犠牲となるか知れない。
ダミアンを無傷で捕獲し、裁判に掛けなくてはならないのだ。
国防軍の攻撃が開始されてから四十五秒が過ぎた。
残り時間を考えれば、急ぎ彼を捕縛しなくてはならない。
どうする?
一度、奴の死角になる後方に下がるべきか、だがそうなると街中に被害が広がりかねない。
迷うアルスの眼に、ふたつの光景が写る。
ひとつは、城壁の東側に一匹の地竜をおびき寄せ、縦横に動き回りながら、その盾のみを武器として跳び上がりつつ、高さ八メートル近い位置にある竜の頭を殴りつける国防軍の鉄巨人。
AS20。小野少尉機である。
地球で言うならば全長四メートル、体重二トンのシロサイに身長百七十センチ、体重六十キロの人間が挑む様な体格差は、端から見てとても勝ち目があるとも思えない。
小野はG・E・Hを縦横に操作し、リンスの火炎を避けつつ盾で殴りつけると云った闘い方しか出来ない。
数分前には其のリンスの右目を殴りつけて潰す事に成功したお陰で、死角に逃げ込みつつ闘う事が出来るとは云え、それ以外は殆どダメ-ジを与えられていないのだ。
いや、その小野の02号機の右拳は何発目かのモーターパンチを打ち出した時、遂には潰れた。
今や手首から先は唯、腕にぶら下がっているだけの有様である。
苦戦する小野機の先は長くあるまい。
しかし、アルスが注目したのは別の方向であった。
いつの間にこれだけの距離に近付いたのか、水掘を半分以上も渡りきった地竜の十数メートル後方に一機のASが立っているのだ。
翼を持ち盾を使って闘うボロボロのASと違い、其の肩には二連装のレーザーガンを装備している。
だが、おかしくはないか?
アルスの記憶に因れば、この雨の中ではあの電気式の大砲は使えない筈だ?
アルスが首を傾げた瞬間、疑問の対象であったASの腰がいきなり爆発した。
サブタイトルは村上龍氏の「5分後の世界」からです。
確か1987年頃の作品と記憶しております。 もっと後でしたっけ?
所謂、架空戦記物が流行った頃に日本の負けを認めた上で戦争続行という珍しいパターンに驚かされましたが、広瀬正先生の頃のSF作家ならばもしかして似た発想をするのでは、と今では考える様になりました。
勿論、誰でも思いつく訳ではなく、筆致の高さを含めて名作だと思っております。