109:切り通しの闘い(Eパート)
坂の頂上から振り返ると後方約三十メートル程の地点迄は、左側に向けては更に上に向かって急傾斜が続く。
つまり万が一の場合は、歩兵ならば山頂に向かって逃げる事が出来る。
先の狙撃班も三班の内の二班はその傾斜部に陣取っていた。
迫撃砲が丘と崖の間際の地点に置かれていたのも左右を崖に囲まれていては、発射する方も『反響音』で脳を揺さぶられてしまい傷が出来る事例は少なくないからだ。
冗談ではなく、このような切り通しの中で重砲を使う場合には『音』と『衝撃波』には仕過ぎる程に注意しなくてはならない。
重砲の凄まじい砲撃圧力は場所によっては先に述べたように発射した側の脳に後遺症が残るか、或いは立ち位置が悪ければ反動で怪我人や死人が出る事も希にある。
当然、此処から後方に万が一、地球での五十キロクラス以上の爆弾が落ちた場合は最悪だ。
爆圧の逃げ場は前後と上しかない。
よって塹壕はしっかりと掘った上で、側面への待避壕までも準備する必要がある。
万が一にも爆撃を受けることがあれば、塹壕内にいても兵士は口を大きく開き体内の圧力を逃がすと共に、目と耳をしっかり塞がなくては眼球破裂や内臓破裂は免れない。
この場に居るフェリシア人は砲撃の威力を理屈では教え込まれていても、体感したのは迫撃砲による今回が初めての者が多いのではないだろうか。
「しかし、なんですね。こんなに深く掘るもんなんですか?」
トレの声に重なって前方では重機が火を噴く音がする。
関節部分を狙うという戦法を確立して、足を重点的に狙っているようだ。
時たま、“よっ、しゃあ~”とか“ああ~”など、悲喜こもごもの声が聞こえる。
トレは塹壕そのものを見るのは初めてという訳ではない。
実は今、シエネ城塞の後方に塹壕が掘られているのだ。
その工事を見つつ、此処までは来た。
だが完成した物を見るのは初めてであり、感心しきりである。
塹壕は深さ、約二,二メートル。
段差があって、足をかけて上体を出して小銃を撃つ。
重機関銃を備え付けた場所は更に一段高くなって階段で昇り降りする。
そして、側面の待避壕こそが実に深く掘られており、補強もしっかりしているのだ。
塹壕は隘路の幅いっぱいにWを繋いだようにWW型に掘られている。
兵士は自分の居るV位置に手榴弾のような物が飛び込んできた場合は、隣のVに避難すれば良い訳だ。
当然だが後方への補給路も曲がりくねった形である。
「ふむ、これならあのデカ物は中には入ってはこれませんね。しかし……」
トレは難しい顔になる。
巧なら此処に塹壕を掘ったであろうか?と考えた。
状況次第では掘ったかも知れない。
が、少しはフェリシアの流儀に従ったに違いない。
何故なら、掘るにしても此処まで本格的な物を掘る理由という物がどうしても思いつかないのだ。
それどころか、此処が敵に抜かれた場合は相手に砲撃から逃れる完全な方法を教えるようなものでは無いか。
そう思う。
まあ、掘った以上は仕方ない。
だが万が一の撤退時には自分の全ての力を使っても埋めさせて貰う。トレはそう決めた。
そしてもうひとつ心配に思った事はヘリが奴らを潰せるかどうか、と云う事である。
多分ヘリが現れた瞬間に、あの『筒』は使われるのだろう。
そうでなければ既に使っていても良いではないか。
あの筒の長さと直径ならば、弾は五百メートル以上飛ぶ筈だ。
中身が石弾としても数百キロも有るようには思えない。
或いは、既に準備に入っているのでは……。
そう思った瞬間だった。
二つの声が同時に響く!
『筒が来たぞ!』、『コブラだ!』
トレは急ぎ前方に走る。 相田もその後を追った。
そして見た。
迫り来る巨人は十二体。その前方の四体は、両腕の肘から先が刀になっている。
先程、トレ達が相手にした巨人の両腕は丸太のようであり、手首から先など存在しなかった。
だが、今回上がってきている前列の四体は先程トレが磨き上げ、水系統の魔術師が氷結させた鏡面のような地面に刀を突き刺しては掻き回している。
そうやって足がかりが出来た後方から筒を抱えた八体が付いてくるのだ。
「中隊長殿、関節の破壊は?」
相田の問いに中隊長の声が弱々しく返る。
「あの剣、かなり厚みがあってな、峯や側面部分に当たると弾が弾き返される。
また、刃の部分に当たると軌道が逸らされるな」
高速で飛ぶ重い銃弾程、刃のような鋭い面に当たれば自重で裂けてしまう。
当然だ。
又、あの峯の厚さでは、幾ら高速の鉄鋼弾でも完全な破壊は難しいだろう。
一体の巨人の片腕はもぎ取ったようだが、結局はそれだけだ。
相沢が叫ぶ!
「何故、肩なり肘なりの関節部を狙わないんですか!?」
全くその通りである。
第一小隊は最初は足の関節のみに意識が集中した。
だが刀によってそれが阻まれると、その鋭さに目を奪われて“其処こそ”を破壊しなくてはならない、と思い込んでしまったのだ。
中隊長は慌てて肩を狙うように指示を出したが「時、既に遅し」であった。
坂の下に残っていた八体の巨人のうち二体が持つ筒から何かが発射される。
黒色火薬でも飛ばせる物体というのなら二百キロ前後の物であろう。
だが単なる砲弾とは思えない。
そして、それは第一小隊やトレ達の頭上を軽々と飛び越えた。
狙いは機関銃陣地ではなかったのだ。
ルナールの狙いは最初から“これ”であった。
坂の頂上と塹壕の丁度中間点辺り、迫撃砲隊の後方にそれらは落ちる。
百メートル後方に落たのは、人ふたりは入りそうな樽、四つである。
一つの大砲に二つ詰め込んであった様だ。
落下の衝撃で破裂して場が真っ白になる。
『スクロースだ!』
誰かが叫ぶ!
左右は崖に塞がれた隘路、そして僅かな風。
条件は見事に揃って「粉」は広く、また充分な濃度を持って舞い上がる。
「水魔法!」
トレが叫ぶと魔術師達は、空気中の酸素と水素を集め水蒸気を生み出す。
スクロールの殆どが、水を含んで使い物にならなくなった。
「おお!」
と声が上がるが、続いてはトレが最も恐れていた事が起きた。
更に僅かに遅れて着弾した四樽のスクロールは、迫撃砲弾の手前に落ちたにも拘わらず、空気中の酸素、水素分子を失って気圧の下がった塹壕前に一気に流れ込んだのだ。
最早、塹壕の機関銃は撃てない。
魔術師達はこれ以上、同じ場所から水の構成分子を集める事も出来ない。
水素が少なすぎるのだ。
側に河でもあれば話は違う。
水上でイオン化した水素分子を使う事は可能だ。
だが此処はライン河川から百メートル以上の高さがあり、彼らの能力の限界を超えていた。
飲料水タンクも安全面を考えた為に遙か後方だ。
何より水系統の魔法は「水素と酸素の元素・或いは分子結合」であって、アルスが噴水の水を移動させるような『転移』とは根本的に違う。
巧が、過去、魔法についての仮説をトレに披露した時、トレは思い当たる事が多すぎた。
先に相田に対して、
『水魔法だから必ず火を消せる訳では無い』と語った内容はそのような事であったのだ。
万が一にも発火した場合、風魔法で大気中の七八パーセントを占める窒素でも集めて消化した方が余程速いが、此処に風魔法士は殆ど居ない。
限界があった。
迫撃砲の方向にすら急激な対流が生まれてスクロースは広がった。
塹壕の兵士が消化器を持って飛びだし迫撃砲周りに撒き始める。
緊急時の国防軍兵士の対応は実に冷静である。
決してパニックに陥っては居ない。
また坂道の上のスクロースは風に煽られ発火する程に密度は濃くない。
射撃は可能だ。
だが、『戦闘機を墜とした粉』
これは誰もが引き金を引くのを躊躇するに充分な事実であった。
もしF-3Dが落ちてなかったなら、此処に居た二百数十名は揃って消し炭になっていたかも知れない事を考えると、これは不幸中の幸いと言えたのであろうか。
いや、本当の地獄はここからやってきたのだ。
坂道中央で後方に守られていた残り四体の巨人が持つ筒が火を噴く。
誰もが爆発が起きる、と思う。
トレですら、そう思いポンチョを被るように声を掛けると、自らも身を伏せる。
だか、落ちてきた『それ』は地球人にとっては勿論、フェリシア人にとっても理解不可能なものであったのだ。
『人形』、いや鉄で出来た兵士である。
右腕そのものが巨大な剣になっているのは、まるで坂の途中で後方の砲兵巨人を守っていた『刃巨人』の小型版であった。
呆然とするフェリシア-地球軍を前に彼らは左手を使い、腰から布に包まれた何かを取り出す。
手は器用には出来ていないようであり、フックが付いているだけだが、それで充分だった。
人形が腰の箱形の部分からフックを使って『それ』を引き出すと、周りを包んでいた布が役目を終えてはらりと地面に落ちる。
そして人形がフックにぶら下げているのは紐の付いた陶器製の瓶。
どうやら布は緩衝材として使われていたものだったようだ。
瓶の中身が何かなど、見るまでもあるまい。
人形らはそれを街道の崖に投げつけ、たたき割っていく。
白い粉、時折黒い粉も混じる。スクロースと黒色火薬の混合粉塵であった。
国防軍の火器はこの時点で完全に封じられたのだ。
いや、火器だけであろうか?
兎も角、鉄人形の居る位置は坂の頂上の前線と塹壕の間である。
どちらからも発砲できない。
特に、塹壕側から発砲した場合、坂の頂上の部隊は味方の射線によって皆殺しである。
全員が固まる中、人形は恐るべき動きを見せた。
凄まじい速さで迫撃砲隊に迫ると、その右腕を水平に振った。
一人の兵士の首が吹き飛ぶ。
切り口からは血が噴水のように吹き上がった。
誰もが息を呑むが、攻撃は収まらない。
もう一人の兵士が小銃で次の攻撃を受け止めるが、まずは体の重さが違うのだ。
相手は鉄のかたまりである。
山肌の崖に叩き付けられた彼は片腕が折れたようで、その瞬間に勢い余って引き金に指が掛かる。
そして爆発が起きた。
火だるまになって暴れ、転げ回るが誰も助けには動けない。
今は彼の周囲のスクロースに火が付いただけだ。
だが、近付いて空気の流れを乱せば、更に連鎖爆発が起きかねない。
しかし、それでも最後には同僚は味方を見捨てられなかった
同じ迫撃砲員がポンチョを広げるとそれを彼に被せ火を消そうとする。
戦友を救おうと必死になる彼のその背後から迫った人形は無機質に二人を纏めて刺し貫いた。
「付け剣!」
中隊長の声は銃剣突撃による白兵戦を命じようとしている。
だが、あれは鉄のかたまりなのだ。
効果があるのか?
いや何よりぶつかった衝撃で散った火花が何を引き起こすか分からない。
「中隊長、いけません!」
相田が叫ぶが、初めての事態に混乱に陥った中隊長は全く聞く耳を持っていない。
止めるのは難しいと考えて相田は反射的にトレを見た。
頷いたトレは、弓射隊百人長に命を下す。
国防軍に一時預けてあったフェリシア軍の指揮権を奪い取ったのだ。
「次の防衛点まで後退せよ!」
言葉と同時に塹壕の直前、切り通しの通路に巨大な岩の壁が現れた。
トレの土魔法である。
これも『転移』の一種であり、先程、落とし穴で掘り抜いた土を圧縮して時差を持って空間転移させているのだ。
若くして教官の地位に就いただけ有って凄まじい高等技能である。
また、このように分子の結合と分離。
そして『転移』を同時に扱える事が土魔術師を極端に少なくさせる理由である事も分かる。
努力と才能の成せる技、としか言いようが無いであろう。
ともあれ、トレが幅十メートル以上の通路に造りあげた壁の厚みは五十センチ。更には高さを優先させて三メートル程の高さまでの構成力を振り絞った。
これで、トレの魔法力は“空っけつ”である。
だが、フェリシア弓射兵二百名と第二小隊三十一名は守りきった。
「魔法兵、丘の上に引くぞ! 其処ならスクロースも無い!」
そう言うとトレは迷う彼らを促すように東の斜面に向かって走り出す。
残った相田は重機に取り付くとトレの造りあげた壁、即ち人形達に向かって水平射撃を開始した。
味方を一人でも多く丘の上に登らせなくてはならない。
M2の威力は凄まじく、四体の人形が如何に『鉄の塊』と云えど、穴が穿たれた上で大きく後方に吹き飛んでいく。
だが一旦は吹き飛んでも直ぐに起き上がって来るのが厄介だ。
相手が中身まで鉄である事を思い知らされる。
「どんな構造で動いていやがるんだ! くそったれ!」
相田としては思わず呪詛の声まで呻き出る。
状況的に仕方ないとは云え、苦しい。
「相田少尉!」
トレの呼びかけに目を向けると、中隊長始め第一小隊も既に急勾配の丘を登り始めている。
此の様な時は、一人が動けば後に続く者が出る事を知ってトレは走ったのだ。
中隊長もようやくだが、撤退路がある事とコブラの存在を思い出してくれたようだ。
上空のコブラが坂の下の巨人を全て破壊したのが見える。
PBXの凄まじい爆圧に伴う熱が僅かながらだが相田の位置まで上がって来た。
頭を山頂に向けるAH-2S。
巨人兵の砲弾は全て使い切らせている以上、最早コブラに敵はいないであろう。
だが、中腹に居た筈の巨人達はいつの間にか、すぐ頂上まで上がろうとしているため、その十二体に攻撃を仕掛ける事は出来ない。
相田を含めて退避に遅れた味方の兵士の位置が近すぎるのだ。
相田は、一瞬コブラのガンナーと目があった気がした。
重機を指すと、ガンナーが頷く。
敵に銃の構造を渡す訳には行かない。
“破壊して欲しい”と頼んだ事が以心伝心で伝わってほっとした。
その気のゆるみが、彼の命取りになった。
いや、違う。
白煙に紛れ、気付かぬうちに凄まじい速度で近付いていた人形。
その、巨大な刃が彼の胸に迫る瞬間、相田は誰かに突き飛ばされ、その人物と共に巨人の脇を抜けて坂を転げ落ちていく。
ようやく落下が収まって相田が顔を上げると、坂の上では第一小隊の撤退が完了したのであろう。
ハイドラミサイルを皮切りにコブラが猛攻を加え始めた。
相田の体に覆い被さるようにその爆風から、あるいは落下してくる鉄片や瓦礫から相田を守る白いフード。
だが、今やフードに白い部分など何処にもなく、体の中心に空いた穴からは骨が飛び出し、肺の一つは完全に破裂している。
明るい笑顔で肩を叩いてくれた僅か二時間だけの友は相田に抱かれて静かに息を引き取った。
二つの遺言を託して……。
92話「彼らの使命」に於きまして、荷電粒子砲の出力に関してE=mc²を使いましたが、あすかさんのご指摘でc=(光)速度である以上、公式はmv²ではないかというご指摘を受けました。
私も今ひとつ自信に欠けますが、地上に於ける運動として換算した場合その通りかと思います。
と言う訳で、過電粒子砲のエネルギー公算方程式の記述を(正しくは)と括弧付きで直しました。
間違いの訂正をご了承下さい。
猶、あすか様には「音域」についてのご指摘についてもお世話になりました。
重ねてお礼を申し上げます。 ありがとうございました。




