天使と子竜のホットケーキ
窓の外は、透き通るような青白い月明かりが満ちている。
星の瞬く音さえも聞こえそうなほどの静寂の中、天使はお気に入りの安楽椅子に深く腰掛け、やけにポップなイラストが表紙を飾る書物を読んでいた。
背中の大きな白い翼を丁寧に折り畳み、活字を目で追っていると、不意にカチャカチャと小さな物音が彼女の耳に届く。
「……なんの音?」
天使は本を閉じ、消したはずの照明の光が漏れている台所に近づいた。
そっと中を覗き込むと、そこには小さな影があった。
踏み台に乗り、短い尻尾とまだ上手に飛ぶことのできない小さな翼を一生懸命に揺らしながら、白い子竜がボウルを抱えている。
「なにしてるの?」
天使が優しく声をかけると、子竜はビクリと体を揺らした。
慌てて振り返り、ボウルを背中に隠そうとするが、もちろん隠しきれるはずもない。
「な、なにもしてない……ないしょ!」
しかし、調理台の上の惨状は雄弁だ。こぼれた小麦粉、割れた卵の殻、そして使いかけの牛乳瓶……
しばらくの沈黙の後、子竜は観念したように、もじもじと白状した。
「……お姉ちゃんが作ってくれるホットケーキ、いつもすごく美味しいから、おれもお返しがしたかったんだ」
天使は微笑んで、調理台に近づく。
鉄板の上には、いびつな円を描いて生地が流されているが、いつまで経っても甘い香りは漂ってこない。
鉄板の下の炉に火が点いていなかったのだ。
冷たい鉄板の上で、生地はとろりと広がったまま黙りこくっている。
「だけど、おれ、まだ上手に作れなくて……焼けるのずっと待ってるんだけど」
彼はいつも天使がしているように、生地を広げれば美味しい魔法がかかると思っていたようだ。
しょんぼりと俯く子竜の頭を、天使は後ろからそっと撫でた。
「大丈夫だよ。一緒に作ろっか」
天使がパチンと指先を鳴らすと、小さな種火が炉に灯る。
途端に鉄板が熱を帯び、ジュウと心地よい音が弾けた。
バターと卵が焼ける幸せな匂いが、真夜中の台所を満たしていく。
焼き上がったのは、少し不恰好だけれど黄金色に輝くホットケーキ。
ふたりはそれを半分こして頬張ると、子竜は満面の笑みを浮かべた。
「いつもありがとう、お姉ちゃん」
「ふふ、こちらこそ」
口の中に広がる甘さを噛み締めながら天使は思う。
いつか彼が立派な竜となって大空へ羽ばたく日が来ても、今夜のホットケーキの味をきっと一生忘れないだろう。
それは少し寂しくも愛おしい未来を予感させる味だった。




