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客足ゼロのスープ屋

 開店初日。


 看板を掲げたはいいが、朝から昼までの数時間──客の姿は一人として現れなかった。


「……まぁ、予想はしてたさ」


 リュカは手製の木のカウンターに肘をつき、鍋の中を静かにかき混ぜる。

 今朝仕込んだのは、村の干し野菜と山キノコをベースにした、素朴な滋養スープ。出汁の代わりに長時間炒めた玉ねぎの甘みを重ね、香草で香りを引き立てている。

 王都の味には程遠いが、この村で手に入るものとしては上出来だった。


 鍋の中では、淡い琥珀色のスープがふつふつと湯気を立てている。

 陶器の椀に三杯分だけ盛りつけ、棚の上に並べた。ほんのりとした湯気が、風に乗って漂っていく。だが、誰もその香りに引き寄せられる気配はない。


 ──静寂。


 村の広場は、数人の老人と農作業を終えた青年たちが通り過ぎるばかりで、誰一人リュカの店に足を止めようとしない。


「スープなんて、飲む習慣ないのかもな」


 リュカはぽつりと独り言をこぼす。

 このアストレア村は、王都のような食文化とは無縁の土地だった。朝は冷たいパンと干し肉、昼は芋の塩茹で、夜は煮え切らない雑炊──それが日常。

 そもそも“料理人”という職業すら、村では理解されていないようだった。


 彼の店も、元は崩れかけた倉庫を改装したものだ。壁は一部歪み、屋根の隙間から光が差し込んでくる。

 けれど、リュカはそこを磨き上げ、石釜に火を入れ、村で採れた草花を飾り、立派な“スープ屋”に仕上げたつもりだった。


「誰も来なければ、ただの自己満足か……」


 彼は椅子に座り、膝の上で両手を組む。

 薪のはぜる音だけが、静かな空気を埋めていた。


 ──ふと、王都の厨房を思い出す。

 複数の鍋が同時に火にかかり、命令が飛び交い、料理人たちがそれぞれの技を競い合う喧騒。

 それが、今はこの静けさ。


「……ここで、やれるのか。本当に」


 不安はある。だが、諦めるにはまだ早い。

 村人は彼を知らない。ならば、知ってもらえばいい。


 スープの香りが、誰かの心に届くその時まで──


 その時だった。


 広場の奥から、土煙を上げて走る影がひとつ、こちらへ向かってきた。

 少女だ。まだ十歳に満たない小柄な体。茶色のマントを羽織り、必死に地面を蹴っている。


「だ、誰かっ、誰かいませんかぁ!」


 その叫びは、村の静けさを破るほど切実だった。

 彼女はスープ屋の前で立ち止まり、息を切らしながらリュカに縋るような目を向けた。


「お願いですっ、おにいさん……お薬とか、あったかいもの、ありませんか!? 妹が熱を出して……もう、意識もなくて……!」


 リュカの目が細められた。


 ようやく、スープが必要とされる時が来た──そう思った。

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