追放料理人 辺境へ
王都レグナム。煌びやかな城の調理場で、最後のスープが静かに煮え立っていた。
「……この香りも、もう味わえないのか」
リュカ=グランデルは、大鍋の前で静かに呟いた。香草の清々しい香りと、鶏骨から滲み出た旨味。誰よりもこの味を知っているのに、それを王族に振る舞うことは、もう叶わない。
理由は単純だった。
「“貴族様”の機嫌を損ねたら、庶民の料理人などこの有様だよ」
苦笑しながら、リュカは鍋の火を落とした。
十七歳で王宮に抜擢された“天才料理人”は、わずか五年で追放される羽目になった。貴族の娘の婚約祝いに、塩分控えめの薬膳スープを出したのが気に食わなかったらしい。翌朝には身分証が無効となり、屋敷の荷物は城門の外へ投げ捨てられていた。
理不尽。だが、それが王都だった。
リュカは、皮肉にも自分の料理が「効きすぎた」ことを理解していた。彼のスープは体に良すぎる。味も素晴らしく、体調すら整える。だからこそ、古くからの“味の派閥”には敵と見なされたのだ。
「……ま、いいさ」
最後のスープを土瓶に詰めて、リュカは厨房を後にした。
行き先は、地図の端にある寒村・アストレア。王都から馬車で二週間。水も不便で、作物も育ちづらい。料理人にとっては“地獄”とも言える土地だった。
「……着いたのか、ここが」
馬車の窓から覗いた景色は、想像以上に“寂れて”いた。
道の舗装は甘く、建物は木造。人通りもまばらで、商店の数も少ない。市場の露店には、干からびた野菜と、よくわからない干肉がぶら下がっている。
リュカはため息をつきながら馬車を降りた。荷物といえば、料理器具と香草の種、そして王都で仕込んだレシピ帳くらい。これらだけが、彼の“過去の栄光”だった。
村役場に案内されたリュカは、老いた村長と対面した。
「ほう、おぬしが料理人殿か。まぁ、期待せんほうがええ。ここいらは、食材も水も貧相での」
「慣れてます。どこにでも火をつけ、湯を沸かし、何かを煮ればスープにはなりますから」
リュカの即答に、村長が驚いたように笑った。
「ふむ、なかなか肝が据わっておるな……ちょうど古い倉庫が空いておる。そこで店を開けばいい」
案内されたのは、広場の片隅にある小さな小屋だった。壁は半分崩れかけ、屋根は苔に覆われている。厨房などなく、薪の台と石釜だけがぽつんと残っていた。
「……王宮の厨房とは、だいぶ違うな」
それでもリュカは、微笑んだ。
「……悪くない。ゼロから始めるには、ちょうどいい」
ポケットから小瓶を取り出す。中には、王都で育てていたミルハーブの種。香り高く、どんなスープにも合う彼のお気に入りだ。
地面に跪き、小さな花壇を作る。種を撒き、水をかける。たったそれだけの作業に、なぜか胸が熱くなる。
──そうだ。これは敗北じゃない。
──これは、「はじまり」だ。
「さあ、“辺境スープ屋”の開店準備を始めるか」
そして翌朝、広場の片隅に看板が立った。
『スープ屋リュカ 本日開店』。