01 処女がいない
「まずい……この村にはもう、処女がいない……」
村長のルチは頭を抱えた。
間も無くユニコーン獣人との婚儀の日がやってくるというのに、相手側から言われた“たったひとつの条件”を満たせる者が、この村から一人もいなくなってしまったのだ。
その条件とは“処女”であること。
「年頃の娘は、5人もいたのに……」
この重要な婚儀をなんとか成功させなければ、とルチは一人焦っていた。
ルチは、突然死んでしまった祖父から村長を引き継いだ三十歳の若輩村長だ。茶色いくせ毛に茶色い瞳の地味な見た目と気の弱い性格のせいか、年長者からは侮られ、若者からは軽んじられながら、厄介事ばかりを押し付けられる損なこの役割を日々粛々とこなしている。けれど村長になって以来、こんな困ったことになったのは初めてだった。
街から離れた過疎村であるこの村には珍しく、見目麗しい年頃の娘が5人いた。「この中の誰か一人でも嫁がせることができたら先方も満足するに違いない」とルチは安易に考えてしまっていた。
しかし娘らは見目麗しすぎた……のかもしれない。気づけば隣村の若者に、街の豪商の子息に、たまたま村に立ち寄ったお貴族様にと、あれよあれよと見初められ次々に嫁いでいってしまった。残った2人もまた、将来を約束した幼馴染の男友達と、幼い頃から想いを寄せていた年上の従兄弟と、既に関係を持ちましたと「ぽっ」と頬を染めながら言うではないか。
ルチは、幸せそうに笑う娘たちを祝福しながらも、家に帰るとよろよろと床に膝をつき打ちひしがれた。
「どうしよう……約束の日まで、あと1ヶ月もない」
この村に、もう年頃の若者はいない。
“ユニコーンは処女を好む”というのは、単なる言い伝えではなく本当だったらしい。
条件はたったひとつだというのに、ユニコーン獣人との約束を違えば、この村はどうなってしまうのだろう?
30年前、突如巨大な翼竜に襲われたこの村は、神秘的な力を持つ一人のユニコーン獣人に救われた。
当時村長だった祖父はお礼として、この村から30年に一度ユニコーン獣人の国に処女を輿入れさせることを約束してしまった。そのせいで自分は、今こんなにも困っている。
「じいちゃん、ひどいよ……こんな厄介事、俺一人に押し付けて……」
ルチは村中を駆けずりまわり、すべての村人に聞いて回った。しかしやはり誰一人として候補になれる者はいない。
とぼとぼと家に帰って来ると、一族全員を集めた。
一族と言っても僅か6人――叔父と叔母、従兄弟夫婦、隠居した祖母、そして未だ独身の自分。
状況を説明すると、バツ印ばかりが並ぶ村人全員が載った名簿に視線を落としながら全員が暗い顔で唸った。
ルチはぽつりとこぼす。
「どうしたらいいんだろう……ほんと困る……」
ルチだけでなくここにいる全員が困っていた。重苦しい沈黙の中、この状況を打開する方法は誰も見つけられそうにない。
しかし突如、それまで瞼を半分閉じたまま黙り込んでいた祖母が、かっと目を見開き鋭い視線でルチを見つめた。
「……ルチ、お前は、処女かい?」
ルチはぽかん、と口をあけた。祖母に射抜くような視線で見つめられながら、頭の中にたくさんの疑問符が浮かんでくる。
「あ……え? 処女? って、え? 俺が?」
「そうだよ。みんながいる場で、こんなデリケートなことを聞いてすまないね。でも、とても大事なことなんだ。教えてはもらえないかね?」
「ばあちゃん、俺、男だけど……? 処女って、女の人の話だよね?」
「そうとも限らないよ」
「え? え……えっと……」
ルチは口ごもる。
処女かどうかって……え? どういうこと? 経験があるかってだけの話じゃないよね? 男の俺が処女っていうのは、つまり…………。
――しかも、なんで、俺?
戸惑うルチを皆が見ていた。こんなことできれば誰にも知られたくない。鼓動が早まり、顔がかあっと熱くなるのを感じる。
けれどこれ以上黙っているわけにはいかないと、背筋を伸ばして心を奮い立たせる。いまだに独身の自分には、誰にも言えない秘密があった。
「えっと……はい。女性ではないので、言い方があっているかはわからないけど……しょ、処女です。それに童貞、です。それは。まぎれもなく」
恥ずかしさに誰とも目を合わせられないままルチは俯いて告白した。気まずい空気が流れる中、従兄弟や叔父からの憐れむような視線が痛い。
顔を真っ赤にして羞恥に耐えながらルチはチラリと視線を上げた。祖母が何やら意味深な眼差しを投げかけてくる。
普段無口な祖母が、なぜこんな質問をわざわざ自分にしたのか不思議に思った。その意図をなんとか考えてみる。
ユニコーンとのお役目は、もしかして女性である必要がないのだろうか? “処女”が純潔を意味するならば、性別は特に指定されていないことになる。
であれば……。
「そうか……俺でも、いいのか……俺が嫁ぐのか……ユニコーン獣人に」
――村長の俺が、ユニコーン獣人の嫁に……?
口に出してはみたものの、全く現実味を感じられない。そんなルチに、祖母は満足げな笑みを向けて深々と頷いた。
「すまないね、ルチ。でも、お前がこの村で一番、ユニコーン獣人様の嫁に相応しいよ」
祖母に手を握られ「ありがとう、ありがとう」と拝むように礼を述べられながら、ふと、ルチは思った。
「でも、本当に、俺でいいの? 純潔の乙女の代わりが、30歳の、男の俺で」
周りを見回し同意を求めるも、深く頷く祖母以外は全員、ふ、と気まずそうに視線を逸らした。
ルチは「だよね……」と小さく呟きながら、不安に駆られたのだった。