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冷冽な唇が降り注ぐ


 たとえば、親鳥に与えられた餌を嚥下する雛鳥のように。

 たとえば、孤独に慄然とした赤子が母親を探し哮るように。

 与えられることが、求めることが、さも当然であるかのように。

 在らねばならないわけじゃない。

 そこに義務も強要もない。

 ただ本能があっただけだ。

 親は子を慈しむ。

 それが本能に刻まれた1つの性質であり、おおよそ誰もが持っているだろう。

 即ち世間一般で言う常識に該当するわけだが。

 そもそも常識とはやはり個々の捉え方によって形は様々。

 確固たる、明瞭な、これだと言えるものがあるはずない、それはあまりに不安定な基盤。

 人間はその上に成り立つ。

 だが万物は理そのものの上に成り立ち、それは驚くほど不動である。

 常識という名の目に見えぬガラス板を隔てることもなく万物は存在し続ける。

 人間とは違う。

 理に従う義務を背負いながら、万物の括りに含まれない。

 人間という概念が既に逸脱しようものなら、それに属する人も同様に逸脱しているべきだ。

 だが人は違う。

 時に万物と等しく、時に理を凌駕する。

 考えることができるからか。

 動くことができるからか。

 動植物より遥かに勝る底のない欲望を、持ちえたからか。

 なんにせよ、人とは実に不可解なものなのだ。

 その人が不可解と評価するものは、度を越えて不可解に違いない。


 嗚呼、酷く似ている。

 少女は漠然と思う。

 赤子が親を求める、その不可避的行動。

 抵抗を示す理性など取るに足らない、遠く及ばない本能による衝動。

 在らねばならない、はずがない。

 死神という理解しがない存在が、人の手で留められるものか。

 淡く拙く可愛らしい感情とは、随分異なったものだった。

 本当に、似ている。

 ただただ本能が、親を求めるのと等しく彼の死神を欲している。

 決して強くはない。

 時が経てば記憶は薄れ、存在は掻き消え、そうして忘却の彼方へと追いやれる。

 もし忘れることが叶わずとも、欲は次第に掠れるだろう。

 人とは、そういう生き物だ。

 死ぬ瞬間を目指して、その身を少しずつ軽減していく。

 きっと重みさえ忘れるだろう。

 そして命は空を舞い、輪廻へと戻るのだろう。

 哲学にも架空理論にも興味はない。

 それこそ無知無力な成人さえ迎えていない子供なのだ。

 少女が世界を語れるはずがなく、また語ろうとも思わないはずで。

 兎にも角にも、面倒だった。

 気にして寝付けず、また眠りが浅くなる自分が嫌だった。

 授業中、懲りずに落書きしてしまう自分が嫌だった。

 数日振りになる1人ではない夕食の席で、呆ける自分が嫌だった。

 腹立たしいことに脳内の片隅を占領し常住している彼の影。



 死神は、居なくなった。

 何の前触れもなく。

 去り際の一言もなく。

 突然といえば確かにその通りで、しかし少女に死神の思考が分かるはずもない。

 思い当たることなど何1つとしてなく、けれど死神にとってはいかほどか分からない、そして少女にとっては大きな変化があったのは真実で。

 冷えた指先を払い、咄嗟に握り締めたのが火曜日のこと。

 翌朝、起床と共に気付く存在の欠落。

 姿は完全になく、名残の一片さえもなかった。

 丸2日が過ぎた本日、金曜日。

 たかが2日。

 されど2日。

 48時間。

 2880分間。

 何だか長いような気がしてくる。

 実際少女にとっては十分に長い時間だったと言えよう。

 戻っただけだ。

 死神のいない生活に。

 死ぬ予定のない生活に。

 後者に関しては少女の勘違いに過ぎないけれど。

 どういう意図があって付きまとい、そして離れたのかは知らない。

 もしかしたら、いつものニヒル顔でひょっこり帰ってくるかもしれない。

 未来は未定だ。

 少女に予知能力など無論ない。

 予想できない、予測できない先のこと。

 怯えているのか、恐れているのか、それさえも分からない。

 死神と知り合えたことは、本当に貴重だと思う。

 食べられなくてよかったとも、心の底から。

 そして何故、近くに居ないのだろうと。

 何故、1日経っても帰ってこないのだろうと。

 死神が居なくなったことで"普通"に戻れるのだという考えは、ふとした拍子に砕かれた。

 だって、知ってしまったから。

 少女は死神を知り、死神を認め、死神の存在を許した。

 知ってしまったことは、忘れられる。

 でも進んでしまった道は、戻れない。

 普通には、戻れない。

 過去の修正は不可能なのだから。


 嗚呼、そうか。

「戻れないんだ」

 もう前のようにはなれないんだ。

 死神を知らなかった頃には。

 死神を認めなかった頃には。

 死神という存在を許さなかった頃には。

 先にあるのは1本道。

 死神の真実を抱えたまま、歩くしかない。

 死神への真情を隠しながら、進むしかない。

「何、今更気付いたの」

 幻聴か。

「ちょっと」

 本気で末期らしい。

「おい」

 何か対策を、

「 "  " 」


 ―――かんがえ、なければ。


「……え」

 何度も何度も反芻させた。

 聞き間違いなんかじゃない。

 幻でもなんでもない。

 そう分かった途端に疑問が頭の中を染め上げた。

 なんで。

 どうして。

「私の名前」

 ここに居ること自体不思議だが、とにかくそう問わずにはいられなかった。

 慌てて視線を巡らせると、思いのほか傍に死神が立っている。

 奇妙なまでにビジュアル重視の黒衣と、真実白い肌と、両目を遮る人骨髑髏。

 この上なく愉悦に頬を緩ませて、口角をにいい、と吊り上げて。

 見覚えのありすぎる姿に、その笑みに、少女の受容力はとうに限界値を振り切っていた。

 死神が、その白く冷ややかな両手を広げて伸ばす。

 硬直した少女の首を覆い、親指で頬を撫ぜた。

 窪みの中に、白い眼があった。

 視線が僅かも震えることなく少女を射抜いている。

「知らないとでも思ったわけ」

 この僕が。

 そうのたまう死神に、少女は妙な安堵を覚えた。

 無軌道で横暴で、自己中心的とは彼のためにある言葉だと思わずにはいられない、その変わらぬ本質。

 紛うことなく違うことなく、それこそ疑う余地もなく少女自身が知っている死神。

 今、目前に居る。

 存在している。

 首に添えられた、力のこもっていない両手の冷たさが如実に語る。

「いえ」

 嗚呼。

 嘘偽りなく、本当に。

「思いません。なにせ死神さんですから」

 無性に嬉しくて、嬉しくて、堪らないほど嬉しくて。

 浮かんだ笑顔に答えるかのような、初めて見る死神の微笑みは狂気的ながら、どこか穏やかで、優しくて、不覚にも泣きそうだと少女は思った。

 添えられた両手が肩へと滑らされる。

 体温を微かに奪われた首がさらされて、死神はそこにゆっくりと顔を寄せて。

 そして容赦なく、かぶりついた。

「いっ!?」




「よくよく見れば美味しそうだよね、君」

「……(喜びたいけど喜べないです、死神さん)」

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