臨んだ穢れに酔わされて
「解せぬ」
低く轟いた声が誰のものか、死神には分かっていた。
分かっていたからこそ酷く腹が立ち、苛立たしさを禁じえなかったのだろう。
すべては今という現状が、傍らの空白が物語る。
戯れ、それは死神にとって欠落を許しがたい絶対かつ大前提の必須条件。
刈り取る者の任をまっとうする代価といっても差し支えない。
戯れだったのだ。
些細なことで傾いた、無色透明の心に従ったまで。
結果を見据えぬまま、ただ。
「解せぬぞ」
「嗚呼」
「何故に」
「嗚呼」
「何故に貴公は」
「嗚呼」
聞きたくなどなかった。
けれど聞かねばならなかった。
声との間に身分の差が生じているわけではなく、また立場上に置いても同列か、寧ろ死神の方が上に立つほどで。
遠慮があったわけでも、圧力に耐えかねているわけでもない。
問われる内容も声の心情も自身の末路も、死神はすべてを理解していた。
だから、聞きたくない。
それが自らの崩壊を招くのだと、知っているから。
「塞ぐな」
「分かっている」
「否」
「分かっているのだよ、そんなこと」
「否、貴公はまだ」
「黙れ」
「亀裂は消えぬ」
「黙れ」
「空白は埋まらぬ」
「黙れ」
「死神は」
「黙れといっている!」
声は途切れた。
しかし止まなかった。
「死神は、染まらぬ」
利のない色を、持たないから。
悦のない時を、欲さないから。
「染まらぬのだよ。死神は、染まらぬ」
死神は、死神でしかない。
死神以外に成り代われず、死神以外に模し変われず、死神以外の何者でもない。
変わらない。
変われない。
その嗜好が、その欲望が、捕食者としての性が消えることなど皆無。
何もかもを保ったまま異端を取り込むなど、できるはずがない。
人は、重すぎるのだ。
死神にとって利害以上の万物を知り、かつ有する人という生き物は。
それは世界の律。
逆らえぬ激流。
「染まるのか」
「染まらぬのだろう、死神は」
おどける気力さえ湧かなかった。
気付いても無駄だということは、とうの昔に知らされていたことだ。
だから抑制を徹底したというのに。
あの少女である人の子が、あの少女のすべてがいけなかった。
死神は自嘲した。
愚かしい。
死神である自分の、なんと愚かな姿か。
人の言葉に当てはめるとすれば、堕落したとでも言うのだろう。
馬鹿みたいだった。
意味のない転嫁も、自律も、馬鹿みたいだった。
「染まれぬとは、言わぬ」
声色が張った。
ゆらり、ゆらり。
紡がれた言葉に、死神は視線を上げる。
「貴公は、知ってしまった」
死神の前に、黒い影が立っていた。
「戻れぬよ、もう。戻ることは、許されぬ」
死神は動揺した。
それはもう、反芻させなければ飲み込めないくらいに。
要した時間はほんの数秒。
たったそれだけのタイムロスも、死神からすれば異例のこと。
「……戻れぬか」
「嗚呼」
「もう、戻れぬ。戻れない」
「嗚呼」
「僕は、戻れない」
未だかつて、これほどの歓喜を味わったことがあるだろうか。
否、ない。
そもそも純な悦を知らなかったのだから。
死神は髑髏を掴み剥ぎ取った。
分かっている、いつかは捨てねばならないことを。
そしてそれが、今ではないことも。
いずれ。
そう、いずれ。
続くか続かぬかもわからない、この先に。
「変われぬぞ」
「嗚呼」
「冠する名は潰せぬぞ」
「嗚呼、勿論だとも」
けれど、と。
「僕は所詮、僕であって僕でしかないんだよ」
和らぐ死神の表情に、声は惚けた。
認めないわけにはいかなかった。
なぜなら無色透明の心が渇望したからだ。
上司っぽいのゲスト出演。恋心自覚編に続きまして覚悟編。




