生徒諸君、大いに喜べ。
足早に冬へと向かう季節の中、ふとした拍子に搾り出された夏の暑さを感じないこともない9 月中旬。
あの奇妙な邂逅から優に1ヶ月が過ぎた。
できれば「過ぎようといていた」なんて言ってみたいものだ。
しかし現実はそう甘くない。
なんとなく数え続けて1週間。
うっかり1ヶ月を通り越して1週間。
1ヶ月と1週間、つまるところの37日間、少女は1人だ。
無論それは現在進行形で。
少女の隣から文字通り、彼の死神は姿を消した。
少女の視線の先で、珍しく吃驚した顔で、忽然と消え去った。
前触れはなかった。
こ 前置きもなかった。
彼の死神が驚いていたのだから、きっと誰からしてみても予想外の出来事だったに違いない。
誰かが彼の死神を、連れ戻した。
そう考えるのが妥当だ。
その誰かが身内なのか、友人なのか、上司なのか部下なのかは分からない。
連れ戻す先が、場所が、冥府なのか、天界なのかも分からない。
そもそも前者が居るのか、そして後者が在るのかさえ知らないのだ。
分かれと言う方が土台無理な話で。
1ヶ月を過ぎた時くらいからか。
彼の死神が居たという事実そのものが寂然と、けれど確実に薄れていく。
死神が消えたという事実が1つと、死神は居たのかという疑惑が1つ。
少女に残されたその2つは、後の人生すべてを賭けようと理解できそうにない、あまりに感覚的過ぎる事柄。
どうしようもなかった。
利きの掌がびくんと跳ねて、間接が僅かに曲げられて、思考が伸ばせ伸ばせと指令を送って。
できたことは、それだけ。
彼の死神を引き止めることも、彼の死神へ手を真っ直ぐ伸ばすこともできないまま。
余裕を持つことは許されず、僅かな暇をも与えてはくれず。
忽然と消えた死神の残像を穴が開くほど見続け、ようやく復活した回路が辿った結論は、諦観。
……であったなら、どれほどよかったか。
不可能ではないはずだ。
時が経てば想いは風化する。
だが少女にそれを待てるほどの忍耐力がなかった。
大声で喚き散らしたかった。
子供のように泣き叫びたかった。
とりあえず枕を殴った。
次に壁を殴ろうとしてやめた。
その勢いをまた枕にぶつけた。
ぼふ、ぼふ、ばふばふばふ。
枕を殴って、叩いて、左右に引っ張って。
端を持って振り上げて、布団に投げつけて、また。
開かれた唇から熱く荒い呼気と、声にならない音と、音にならない歯軋り。
殺傷衝動を破壊衝動にすりかえる。
自分を守るために自分を誤魔化す。
激情に混じったのは疑念か、失意か、激昂か、あるいは執心か。
人とは欲をかき集めて欲望を持ち、欲望を持って野望を掲げ、野望を掲げて夢を見る。
その夢が良いか悪いかは本人次第。
当然のように自分は悪い方なのだろうと、少女は思った。
彼の死神に関心を持った、それは知りたいという欲。
彼の死神の形を掴みたかった、それは触れたいという欲望。
彼の死神と共存したかった、それは異種との相互依存を掲げ。
そして少女は夢を見た。
行き着いた先は、未来は、俗に言う最悪の結末。
しかも、少女にとって人生最大の恋慕を置き土産に。
「……さいあくだ」
どれもこれも何もかも、すべてはあの死神のせいだと世界に向かって吼えてしまいたい。
「愚か者め」
地を這うような声が聴覚を突き抜ける。
いっそ地震でも起きそうだとは思うものの、恐怖に体が震えることはなかった。
そもそも感覚器官は最低限の作用以外を一切取り払っている。
音は音として、声は声として、発せられたそれらは最小単位の囲いでしか捉えられない。
そして感覚は感覚でしかなく、捉えて終わりだ。
寒気を覚えたり、緊張で強張ったり、背骨の下方がむず痒くなったり。
連鎖して起こる事象は1つとしてなく。
きっとこの場に少女が居たら、それこそ挙げた例以上の反応で強制終了するだろう。
無論人がこれるはずもないけれど。
漏れてしまいそうな笑い声を軽い溜め息で誤魔化す。
きっと意味はない。
「異端なる死せる神よ、何ぞ申し開きは」
「ない。ていうか無理して口調変えなくていいよ、鳥肌立つ」
説教に要した時間およそ1分、その間王らしく威厳ある口調を保っていわけだが。
「ちったあ配慮しろよおい」
ついに崩壊。
我慢が効かないのは生まれつきらしい。
死神の生まれつきがどこからなのかは敢えて突っ込まないでおく。
「それでこそ我等が王」
「うっせえ黙れこのクソ童」
「嗚呼、化けの皮が」
「ぼそぼそ毒吐いてんじゃねえよ小僧如きが。貴様こそ戻せよそれ」
「それ?」
「言葉だよ。仮にも御前だぞ」
「仮にも、ね」
言葉遊びは死神、常勝である。
怪しくなってきた流れを乱すように振り払った王は、右足の踝を左太腿の上に乗せ肘をつく。
眉間にしわを寄せた険しい表情は、まるで本能むき出しの野生動物。
見るからに独裁してそうだ。
失礼極まりないかの死神の心を読み取ったのか否か、王は冷たく死神の真名を紡いだ。
真名は死神を捕らえ締めつけた。
ニヒルな表情は変わらない。
平然とした死神を不愉快そうに射抜いたまま、王は言う。
「貴様、消えろ」
死神の顔から、はじめて表情が消える。
それはきっと当然の反応だ。
だがその後絶望せずに口角を吊り上げ笑んだのは、なぜか。
嗚呼これだからコイツは聡すぎてむかつくんだ、と。
王は眉をひそめ、むかつくむかつくと当り散らしたい衝動を押さえ込む。
既に威厳もへったくれもあったもんじゃない。
「顔なんぞ一生拝みたくもない」
死神やめちまえ。
失格だ失格、貴様なんぞ要らねえんだよ。
だから。
だから。
「とっとと死神やめて恋でも愛でも語ってこい。俺が杯片手にげらげら笑いながら高みの見物しててやる」
空いた片手で杯を揺らしながら、嘲る。
縛られた死神は酷く愉悦しやはり、嘲る。
本鈴が鳴る。
行き場がなくて外を眺めていた少女は、引き戸を開ける時についてくる耳障りな音で引き戻された。
気だるそうに走らせた視線の先、いつもと違ったのは、教師の後ろに誰かがついてきたこと。
目があった。
相手はなぜか逸らさなかった。
第一印象は誰だこいつ。
初対面であるはずの転入生は、服装から顔から如実に分かる、正真正銘の男の子。
男の子は、笑った。
顔が僅かに上を向いていたせいかもしれない、その目が細められていたからかもしれない、口元の曲線は滑らかなのに、何となく歪な感じが諫めなかったからかもしれない。
それでも確かに、見下されていた。
馬鹿じゃないのとでも言いたそうな、それは嘲り。
あれ。
違和感。
あれ。
既視感。
あれ、なんで。
「死之神、太郎です」
丁寧な言葉も真面目なお辞儀も、恐ろしいほど似合わない。
「何ですかこの前は奇天烈で後ろは並以下な激しい落差」
「人の名前ってこんなんじゃなかったっけ」
「あながち間違いでもないです。けど、けど!」
「何」
「……(芸がなさ過ぎるとか、もっとマシなのをなんて)」
「へえ、そう」
「(言え……な、は、え)」
転生っていうて生成っていうか。ようは人になっちゃったよエンド。次!