嗚呼これだから君は愛しすぎて困るんだ!
「あの時殺せたら何も問題はなかったんだけどな」
死神はそう、唐突に呟いた。
「あの時っていつの話ですか」
「君が寝てる時」
どうしても、手が動かなくて。
右手を軽く握っては緩め、握っては緩め。
かと思えばぐー、ちょき、ぱー。
どこでじゃんけんを覚えたのかと少女は思い、しかし死神に答えを求めるだけ無駄だと思い留まる。
良くも悪くも長生きなのだ。
というよりは不老に近いというか、そもそも死という概念を持たないわけで。
消える、と表現するのが尤もらしいと言える。
しかしどんな時、どんな場合にそれが作用するのか、少女には皆目見当もつかない。
大体いつの間に自分を殺そうとしたのだろう。
人は毎晩床につき、心身ともに休めるべく睡眠をとる。
あの奇妙な邂逅の夜から、名を呼ばれ噛み付かれるまで、おそよ1週間が経過していた。
寝ている時というのは夜の数だけ、つまりおよそ1週間分だけ。
人の思う転機と死神の思う転機は、やはり違うのだろう。
どうにもならない。
どうすることもできない、決定的な違いだ。
種族というにはおこがましいだろう。
それは存在そのものの違い。
定義も理論も交わらない、道理も常識も通じない。
自分を殺そうとした夜が、姿を消す前の晩であったならいい。
少女は思った。
殺せないと分かって、混乱して、結果的に逃走してしまったのなら。
少なからず情を持ったことに気付いた、その上での一時的な処置なら。
それらは人の思考から生まれたものでしかない。
相手は死神。
とにかく死神。
何はともあれ死神だ。
些か無理のある解釈だった。
戻ってきたことが存外嬉しかったのかもしれない。
どうやら浮かれている、らしい。
頬が緩んでいるような気がしてならない。
「満足した今なら殺せるかも」
そんな少女の幸福は、瞬く間に突き崩された。
なんという破壊力。
とんでもない一言だ。
恐るべき死神の言動、まったくもって予想外。
心構えも何もなく、それこそ素っ裸の状態で串刺しにされたような気分だった。
彼の死神が言うと洒落にならない。
どんな時でも死の恐怖に怯えていなければならないというのだろうか。
打ちひしがれる少女を一瞥し、死神は笑みを浮かべる。
無論言うまでもなく、ニヒルと呼ぶに相応しすぎるもの。
「全力で逃走させていただきます」
「遠慮しないで。君の記録は僕の一部になるわけだし。がったーい、みたいな?いいじゃん」
「よくない」
なんだその戦隊物みたいな響き。
日曜日の朝からテレビを見てると思ったら、そんな仕様もないことを学んでいたのか。
「あれ、案外面白いよね」
「……本気で言ってますか、それ」
「うん。言ってることが意味わかんなくてさ、そのくせやけにポーズ決めたがるし、隠し玉多すぎだし、そもそも仲間だからって信用しすぎだと僕は思うんだよねー。世の中あんな陳腐な敵が居てたまるかって思わざるおえないわけだよ、わかる?僕のこの複雑かつ笑い所満載な心境」
「分かんないです」
そして分かりたくもない。
幼少向けの娯楽アニメにそこまで現実性を求めるのがそもそもの間違いだろう。
なんて、言えるはずがなかった。
死神と少女の間にある主従関係は明白である。
どちらが主でどちらか従なのか、言葉に出すのさえ哀れなくらい分かりきったことだ。
今更だ。
「死神さん、最後にご飯を食べたのはいつですか」
「4日前かな。いや、5日前かも」
少女は最近になってようやく、ほんの少しばかり自信がついてきた。
無論、食べられない可能性の高さに、だ。
とはいえ油断してはならない、彼の死神の気まぐれは本当に不可解なのだから。
「そのへんで済ませてきてください。即刻、今すぐに」
保険は大切だ。
地震でも火災でも病でも、何であれ然り。
備えあれば憂いなし、というではないか。
昔の人は時折いい格言を残してくれる。
「大丈夫、君だけは寿命がくるまで食べないから」
読み取れるようになってきた笑みの違いに、楽しげなものが混じっていたのは嬉しかった。
が、それでも寿命がくれば食べるのか。
その寿命とやらは一体いつ訪れるのだろう。
少女が一抹の不安を拭いきれないのは、きっと死ぬまで変わらない。
そうやって、何となしに過ぎ去っていくのだ。
逃避行並に物騒な、死神と少女による日常生活が。
「そのうち上や下から、刺客とか査問員とかが来るんじゃないんですか」
「あーうん、確かに。ありえる話だよね」
「……」
軽く絶望した。
ノーマルエンド後日談。これにて本編完結。
次からはifエンド集になります。