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ーアスバルー
なぁ、お前らは天使やら悪魔やら神やらを信じるか?
まぁ、関係ないか。そいつらは街中の奴らと同じさ。空腹で倒れてる子供を一瞥して、歩き出す。貧民街の奴らだからと、目に映ってもいないと同じ。
ほらな、神とやらと一緒だ。だから、俺は神を信じる。
気付かぬ内にどこかで俺たちは差別されてるんだ。信じて願ったって奴らは応えやしない。奴らの視界に俺たちが映ることはないんだ。
さぁ、今日も一日可笑しく生きよう。
「また頼むぜ。貧民街の『役人』さん!」
「欲しければいつでもお声がけください」
数日は生活に困らない金を貰い、羽毛のように軽い小袋を渡す。ニチャりと笑えば、真っ黒な口に覗く黄ばんだ歯が一つ、二つ、三つ。残ってる方が気持ち悪ぃ。それだけの上客なのだと、思い直して口角を上げて答えてやる。
これだけあれば黒ずんでガタガタな爪も、ぼろ切れのような服ともおさらばできるのに。指で挟んだ銀貨をながめ、あのバカを思う。それがあいつの中では、幸せでもあるんだろう。
自らで意思で堕ちていくのだから、自己責任だぜ。あいつはもう手遅れさ。もう戻れやしない。もう興味も失せた。生気を吸われた、しゃがれた顔。常に何かを求めるくりでた目玉。なかったことにはできない。匂いも染み付いてらぁ。知ってる奴なら一瞬で勘付く。一般人でも遠ざかる。・・・ああ、心が潤う。
『役人』か。誰が呼び始めたか知らないが、その表現は言い得て妙だ。気に入ってもいる。
手を取り合える友人ならば、利益を分かち合える関係ならば、便宜を図ろう。欲しいのは情報か?人か?暴力か?どれも望む形で仕立ててあげようじゃないか。
立場を弁えない部外者には、我が物顔の無礼者には、血も涙もない仕打ちで出迎えよう。ここは、貧民街は、俺たちの縄張りだと教えてやらなきゃな。
なんでもござれ、貧民街の『役人』のお仕事さ。
「お疲れ様です。今月の売り上げの取り分はこちらになります」
「おつかれ~。ありがとね~」
そして、俺を顎で使う『上役』もいる。
上役はおかっぱ頭に、八重歯が覗く。小顔と低身長も合わさって、一見すると垢抜けない童のようだ。透き通る青い眼は、純粋で象られたようだ。魑魅魍魎が蔓延る貧民街を、牛耳る一角の人とは思えない。初めて顔を見たときは愛らしいとさえ感じたが、思い出すと吐き気がする。自分を舐めさせ、逆に鼻を明かして愉悦に浸る。俺もいつの間にか嵌められた。貧民街に似合ういい性格だ。そして人を舐めてるのは上役の方だ。時間通りに来ないとか、いつの間にかはぐれてるとか。尻拭いをするのはいつも横に控える護衛(お世話係)だ。声こそ出さないが、よく頭を下げている。スキンヘッドもストレスのせいかもな。
「あ、そうだ!手が足りないなら言ってね?」
「いえ、今のままで十分ですが」
「ならいいけど。ねえねえ、最近変わったことはない?」
「・・・申し訳ありません」
「謝ることはないよっ」
珍しい・・・。上役が何か意見を求めることはほとんどなかった。それに上役にしては抽象的だ。一瞬言葉が詰まる。俺みたいな手下は、何も考えずについてくのが一番。そうすれば貰える金も、部下も勝手に増えていった。
「アスバルくん、君は貧民街の勢力図を知っているかい?」
「多少ですが。私たちケルトゾソ一行、シバ一味に、ヴォディケ一派が目立ちます」
「そう!その三竦みで成り立っている。これが厄介なんだよね~。先に手を出したら負けるんだ。どれだけあの連中がうざかろうが、動いたら破滅の一歩になってしまうんだよ」
上役はソファの上で胡坐をかき、手に顎を乗せる。子供が蝶を追いかけるような笑みを浮かべる。貧民街では眩しすぎる笑みだ。思い描く図は天と地ほど違うが。
「三竦みに名を連ねているけど、ギリギリなんだよね。僕の作ったケルトゾソ一行は新参者だし、当然なんだけど。それでも一番の金持ちだよ。人材と力が圧倒的に足りないだけで。良く言えば少数精鋭さっ!」
ケルトゾソ一行の生業は、闇金と花街、そして賭博。どれも単価が高いし、需要は人間がいる限り尽きない。あとはちょこっとの粗悪品の薬。薬は顧客は貧民街の奴らで、稼ぎは小さい。
「新参者にも良いところがあってね、しがらみがないんだ。シバ一味やヴォディケ一派の間にある血の歴史とかさ。だから手を取るだったら、僕たちだと思ってた。弱者である僕たちが、貧民街をコントロールするはずだったんだよね?なのにさぁ―
上役は天を見上げて、吐き捨てる。
―シバとヴォディケが協力しそうなんだよね」
上役と目が合う。
「貧民街出身で君、色んなとこと知り合い多いでしょ?」
表情も声色もなに一つ変わっていないのに、底冷えするような言の葉。手のひらで覆い、潰せそうなほどの小顔。つむじが見えるぐらいの体格の差。けど上役はヘビで、俺はカエルだ。なんで俺の謂れを知ってる?
「じゃあ、何かと物騒だからアスバル君も気を付けてね~。今日はもう帰ってもいいよ。次はお金だけじゃないといいなっ」
ヘビが首元で囁いた。
上役はソファに寝そべり、足をバタつかせながら本を読む。いつもへらへら笑ってて、気まぐれで、人をバカにする。護衛が頷いたのを確認して、外に出る。
「また、ヨロ~」
「失礼します」
上役は薄ら笑いで力なく手を振って、俺を見送る。そうやって舐め腐りやがって。何を考えてんのかさっぱり分っかんねぇ。
後ろに立ってるお世話係も怖え。サングラスをつけて、表情が変わった所は見たことない。上役がそばに置いてるんだ。護衛として実力は確かだろう。上役に振り回されてる印象も強いけどな。
真に怖いのは過去がない。噂が流れる前に実績があった。名が広まる前に上に立ってた。手腕は苛烈で、繊細で、致命的。俺が貧民街で生きるためにあがいていたら、瞬く間に上にいたんだ。得体の知らない野郎どもだ。なんで俺の方が知られてんだよ!?
アイツのことが脳裏にちらつくが、俺にはまだ行く所がある。
貧民街のケルトゾソ一行の縄張りの一つ。ほったて小屋が乱立し、人工迷路と化している。貧民街の連中が計画性のかけらもなく建てたせいだ。道端のゴミや腐った木、人間の出す臭いが混ざり、悪臭を醸し出す。どこからともなく湧いた甲虫やハエが目の端を通っていく。慣れたもんだ、と入り込んだ道を奥へ奥へと進んでいく。
煙草を咥え、目的の家のドアノブに手をかければ、くぐもった悲鳴を木目が叫ぶ。
三畳半に詰め込まれたの子供たち。壁にもたれて立つ奴、指の間で銅貨を転がす奴、体を丸めて寝転がる奴、寄り添いあり体育座りをする数人。足音で俺が来たのを察していたんだろう。汚れて伸びきった髪の向こうからの視線は、全て俺に注がれていた。全員が足を伸ばすスペースなどない。ドアの閉まる音がやけに響く。
一、二、三・・・九人。と目をコマ弾きにしてガキの数を数える。今回は欠けがいないようだ。貧民街で子供が一人、二人いなくなろうと不思議ではない。俺も気にしねぇ。もし欠けていても、奴隷になって良きご主人様に巡りあっていると思おう。
右のポッケをまさぐる。…ハズレだ。煙草を右手に持ち替え、左のポッケを探る。
ふかした白煙と銀貨が三枚飛び出した。ガキたちは一瞬銀貨に目が奪われ、体が引き寄せられる。しかしすぐさま俺に目線を戻し、顔色をうかがう。自分の目の間に銀貨が転がろうが、手はつけない。ハハッ、まいどまいど貧民街のガキらしい反応だ。期待はしない。裏切られもしてやらない。生きていくのには、金が必要だと理解はしている。しかし、牙を剥くのは常に人だと、こいつらの脳に焼き付けられているんだ。
「二週間分の金だ」
「・・・ありがとうごさいます」
一人が呟くように返事をする。銀貨三枚では九人が、満足する食にありつくには到底足りない。ギルドで仕事をするか、乞食をするか、金や物を盗むか。それはこいつらもわかってるが、代わりなんていくらでもいる。部屋が余っているからだが、雨風凌げる家をタダで貸してやってんだ。わがままの一つも言えねぇ。
ケルトゾソ一行としてはたったこれだけでガキを飼える。ガキってだけで油断するやつも優しさを振り撒くやつもいる。一行の一員になるかもしれんし、鉄砲玉はあるだけいい。奴隷にして売り飛ばしたっていい。使いようはいくらでもある。
へこんだ眼窩で追い出すように、俺を見つめるガキども。おい、飼い主にそんな態度でいいんのか?鼻で笑って、ポケットからまた一枚銀貨を弾いた。
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「ただいまーーー!」
温かい家庭のまね事を、俺がすることになるなんてな。未来永劫ないと思っていた。だがそれを崩したのはアイツだ。過去の俺だって寝耳に水だし、お手上げ状態だろ。
俺の家なのに俺が寝るのはソファになった。もう一つベッドが入るスペースは、一人暮らしの男の部屋にはない。アイツをソファで寝させるわけにもいかないからやむを得ずだ。
まだ帰ってないらしい。荷物をソファに投げ捨て、ベッドに飛び込む。一人暮らしの癖だ。慣れない甘い匂いに、白毛の羽根。羽根を取って陽光に照らせば、透き通るような羽毛。
「…綺麗だ」
神々しい。羽毛の一線まで品格を感じる。羽根を指をこすって回せば、眼前で優しい日差しが揺れる。
ちょうどこの時間だ。日の沈む頃合い、鼻歌交じりの帰り道、アイツを見つけたのは。
全身を覆う外套に、フードを被り、小動物のように周囲に首を振る女。不意に立ち止まり、また歩き出す。恰好は上等な物といえるものではなかった。市場は生活の場だ。これからの夕食の支度で出てくるんだ。挙動不審はひどく目立つ。
それだけだったら俺も話しかけやしなかった。けどこれまた一々の所作に品格を感じさせる。おかしいだろ?ここは貧民よりの中流階級だ。肌艶、髪艶が妙に良い。変だろ?そんな余裕はここに来る奴は持ってねぇ。決め手には手や首に装飾品を付けてやがった。貧民街の本能が本物だって叫んでた。こりゃ貴族か、どこぞの金持ちの娘だって確信したぜ。装飾品を見える位置に付けちまう。その無防備さも悪意を知らない世間知らずの特徴だ!チャリチャリ、チャリチャリと、頭の中で金の降る音がしたね。話を聞きだして、親に突き出せば、良い小遣い稼ぎができるって妄想だってした。
なのになんだよ!
翼?天使?魔法?魔調度?飛行?
いっぱいいっぱいだ!ノルンといるだけで、人生の密度がまったく違う。
金目的で近づいたんだぞ!?なのに今の所大損だ!小物は既に十分あるし、俺の趣味にも合わない。天使の体は燃費が悪ぃのか、やたらよく食う。上品に、気持ちいいほどに口に吸いこまれていくんだ。男の俺に勝るとも劣らない。自分で稼いでもらわにゃ、こっちが破産しちまう。
・・・あの両手や首に付けてる装飾品でも盗るか?売れば四万クレジットは手堅い。そういう雰囲気を纏っている。二、三年は遊んで暮らせる。薬指と人差し指に指輪が、手首にはブレスレット。それがチェーンで繋がっている。一つをとっても完成度は高ぇ。同じ意匠でもう一方の手にも付いている。首のだって相当いい物だろ。どれか一つぐらい売っても良くねぇか!?
知らん男の家に上がり込んで、そのまま寝るぐらいの無防備さだ。盗みに関しては、貧民街の下水と天使の村の温室育ちは、俺がドラゴンだとしたら、ノルンはスライムみたいなもんだ。
・・・無駄だろうな~。ノルンに関しては想定通りに行ったことなんてねぇ。さすがに俺でも学ぶぜ。盗めてもしっぺ返しがありそうだ。
「はッ、これも神のご加護ってやつか?」
悪党共もうまく躱された。ハプニングだったが、魔法を使って簡単に。・・・ムカつくぜ。生まれながれに持ってるやがる。翼もたずさえて。何処にでもいける。貧民街の俺らとは真逆だな。身近なインプレオの森に、天使の村という神域のまね事が存在してたんだ。人畜生の住処に生まれ落ちる奴が理不尽じゃねいか。
「ただいまです!」
「おかえり」
天使様のご帰宅だ。
少し時間は巻き戻る。