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第9話 プール解放日

 水着に着替えてプールに集まった小学生は、自分を除いて総勢十二人。

 微妙に若そうな女の先生は香坂節子こうさかせつこと名乗ったあと、山村留学でここへ来た私をまず皆に紹介してくれた。


「山村留学で東京から来てくれた一ノ瀬さくらさんです。みなさん、いっぱいお話して親睦を深めて下さいね」

「はーい!」


 先生の呼びかけに、とにかくみんな元気よく応えた。

 ついさっきまでウサギを一緒に探していたことで、地元の小学生たちと私との間に、すでにちょっとした仲間意識が芽生えている気がしていた。


「なんだかもう皆さん、一ノ瀬さんと打ち解けてそうね」


 雰囲気を察して、先生は今日これからの説明に移った。


「今日はプールの開放日です。授業ではないので練習してもいいですし、遊んでも構いません。周りをよく見て怪我のないように楽しんでください」


 そのあと準備体操をしてから、みんなで冷たいシャワーをはしゃぎながら浴びて、プールに足を浸けた。


「一ノ瀬さん、ちょっと」


 日焼け止めをばっちり塗った先生が、プールに入ろうとしていた私に声を掛けてきた。


「もうみんなと打ち解けているみたいですね。特に畠山さんと」

「あ、はい。小春ちゃんとは昨日いっぱい遊んで……」


 そこへ濃紺のスクール水着姿の小春ちゃんが割って入って来た。


「先生、うち、もうさくらちゃんとお友達なんよ。これから毎日一緒に遊んで色々案内したげるねん」

「それはいいわね。分校跡の辺りに住んでる小学生って畠山さんだけだから、一ノ瀬さんをしっかり案内してあげてね」


 少し話しただけで安心したような笑顔を見せた先生は、そのまま日陰へと退散していった。


「先生すっごい日焼けするのを気にするねん。天気のええ日はいっつもあんな感じなんよ」

「女の人はみんなそうだよ。うちのお母さんもいっつも気にしてるよ」

「先生まだギリギリ二十代なんやって。日焼けしたくないんは、きっとモテたいからなんやとうちは睨んでるねん」

「ふーん。そうなのかなあ」


 照り付ける太陽の下、ワイワイはしゃぐ子供たちに混ざって私も泳ぎ出す。

 よく見ると、小春ちゃんほどではないが、みんな健康的に日焼けしている。生っ白い自分だけが浮いている感じがして、少し恥ずかしかった。

 とにかく男の子も女の子も元気が良い。みんなで競争しようと誘われて、横一列になって泳いだ結果、まさかの一番だった。


「すごいやん。さくらちゃん、滅茶苦茶クロール上手いやん」


 絶対に小春ちゃんには勝てないと思っていた私は、その本人に大絶賛されて照れ笑いを浮かべるしかなかった。

 

「なんでそんなに上手いん? もしかして習ってるん?」

「うん。一年生の時からスイミングスクールに通ってるよ」

「それでかー、うちらは学校のプールだけやからみんな大したことないねん。先生かってあんまり上手くないし」


 聴こえていたようで、プール監視をしていた先生はサッと目を逸らした。


「誰も教えてくれる人おらんから、みんなクロールは下手くそやねん」

「ほんとに? 小春ちゃん泳ぎも上手そうに見えるけど」

「うちが得意なのは平泳ぎだけ。クロールはいっつも息継ぎの時に水飲んでるねん。そうや、さくらちゃん、うちに泳ぎのコツおしえてよ」

「えっ! 私が?」


 突然のオファーに躊躇っていると、小春ちゃんはまた良くとおる声でみんなの注目を集めた。


「みんなちゅうもーく! 今からさくらちゃんがクロール教えてくれるねんて」

「ちょ、ちょっと待って。小春ちゃんだけじゃないの?」

「うちは自分だけ美味しいもんを独り占めするような器の小さい人間やないよ。こんな機会滅多にないねん。みんなで上手くなるんや」


 呼びかけに応えてあっという間に全員が集まった。


「というわけで、これからさくらちゃんが頼りにならへん先生に代わって、クロールを教えてくれます。みんなよく聞いとくように」


 気になって先生の方を見ると、やはり聴こえているみたいで顔を背けて小さくなっていた。

 誰かに何かを教えた経験のない私は、自分がスイミングスクールで教わったことを、とにかく一生懸命、そのままみんなに伝えた。

 きっとそれは、酷くたどたどしかったに違いない。

 それでも、拙い私の説明を聞いて、それぞれ面白いぐらい個性的だったみんなの泳ぎに、少しずつ変化が見え始めた。

 きっと、元々元気が良すぎるせいで自滅していただけだったのだろう。中でも飲み込みの早かった小春ちゃんは、見違えるほど上達していた。


「さくらちゃん。うち、なんだか楽に泳げるようになってきたんやけど、まだ水飲んでしまうねん。ちょっとお手本見せてくれへん?」

「うん。いいよ」

「みんなー集合。これからさくらゃんがお手本見せるから」

「やっぱり、みんなの前でなのね……」


 良く通る小春ちゃんの号令で、みんなすぐに集まってきた。私はこっぱずかしさで赤くなりながら短い距離を泳いで見せた。

 私がスイミングで習ったクロールの息継ぎはとても単純なものだった。

 息継ぎ無しのクロールの姿勢を保ったまま、腕が前に伸びた時にクルリと顔を横に回して息を吸うだけ。それを繰り返すだけで長い距離を泳げた。

 要は頭を上げたり、首を回し過ぎたりしなければ、息継ぎは綺麗にできて、姿勢も崩れない。

 泳いだあとにそのことを補足して説明すると、あのウサギ当番の少年が手を挙げた。


「はい、質問!」


 やる気満々の少年は、畳みかけるように不思議なことを訊いてきた。


「息を吸うタイミングは分かったけど、吸った空気はいつ吐いたらええんやろ?」

「えっ!」


 ここでようやく私は気付いた。息継ぎの時に悲惨なことになっていたのは泳ぎというよりも、息を吐くタイミングを知らなかったからでは無いのかと。


「ひょっとして、顔を上げた時にハアハアしてた?」

「うん。ちゃうんか?」

「あのね、息継ぎの時は空気を口から吸うだけ。顔を水に入れた時に鼻からブクブク息を吐いたら次に顔を上げた時にスムーズに息継ぎできるの」

「ホンマか! そんなん初めて聞いた」


 そしてプールに入っていた小学生全員が、一斉にプールサイドの先生の方を向いた。

 先生は絶対に目を合わそうとはしなかった。


 遠く山の向こうに入道雲がそびえたつ青い空の下。

 真夏の強い陽射しの下で、そこそこの冷たさの水に浸かりながら私は里山の夏を満喫していた。

 やかましく鳴いているクマゼミの声と、通り過ぎてゆく夏の風。これほど子供たちの明るい声に似合うものは無いだろう。

 それからプールでたくさん遊んで、そろそろお腹が空いてきた頃合いで、先生がみんなを集合させた。


「はーい、今日はここまで。今週はもう一回プール解放があります。用事の無い子は遊びに来て下さい。一ノ瀬さんもまた遊びに来てね」


 山村留学の予定では、プールは今日だけだったけれど、私は自分の希望も込めて返事をしておいた。


「はい先生。ありがとうございます」

「じゃあ、今日はここまで、みんな気をつけて帰ってね」


 そして解散しようとした時、おかっぱの女の子が手を挙げた。


「せんせー」

「はい、中野さん。どうしたの?」

「うちら一ノ瀬さんのこと、なんて呼んだらええん? 今日はさくらちゃんって呼んだけど、まだ決めてないやろ」

「あら、そうだったわね。決めておきましょうね」


 みんなの視線がこちらに集まる。注目されてそわそわしだした私に、分かり易く先生が説明した。


「一ノ瀬さん、実は学校には決まりがあってね、基本的には名前で呼ぶことにしているけど、それとは別に、ここではみんなお友だちに何て呼んでもらうか自分で決めていいの。つまり愛称を自分で決めていいわけ」


 先生の言っている意味を私はすぐに理解できた。

 そう決めておけば、おかしな愛称をつけられずに、自分が気に入った呼び方で友達に呼んでもらえるのだ。


「決めにくければ名前のままでもいいのよ。ただし呼び捨ては駄目。名前の末尾には必ず「さん」とか「ちゃん」とか「君」をつける決まりなの」


 先生の説明のあとに、何か言いたげに小春ちゃんが手を挙げた。


「はい、畠山さん」

「呼ばれ方、思いつかんかったら、今学校で呼ばれてる愛称でもええねんよ。ちなみにうちは、みきねえにずっとそう呼ばれてたから『こはるん』やねん」

「そうなんだ。えっと、どうしようかな……」


 そこで坊主頭のたっつんが手を挙げた。


「はい、山田君」

「先生、取り敢えずみんなに意見を聞いてみて、気に入ったら採用ってことにしたらどう?」

「それはいい考えですね。じゃあ意見のある人」


 早速たっつんが先陣を切って、手を挙げた。


「はい、山田君」

「さくらん、なんてどうですか!」

「はい!」

「はい、畠山さん」

「あのなあ、たっつん、自信満々のところ悪いけど、それってちょっとイントネーション間違えたら、自分を見失ってる人みたいに聞こえるよ」

「たしかに畠山さんの言うとおりですね。他にいい意見はないかしら」


 色々案は出たものの、結局「さくらちゃん」で落ち着いた。

 自分で呼ばれ方を決めるのは少しこっぱずかしさを感じたが、ここにいるみんなとの距離が、さらに縮まったような気がした。


「とゆうわけで、みなさん、さくらちゃんって気軽に呼んであげてね。一ノ瀬さんがこっちにいる間に、みんなでたくさん遊んで思い出を作って下さいね」


 再び解散しよとすると、今度は一番背の高い眼鏡の女の子が手を挙げた。


「せんせー」

「はい、三浦さん」

「さくらちゃんって、いつまでここにいられるんですか?」

「えーっと、一週間って聞いてます」

「えー、一週間で帰っちゃうのー」


 また一斉に注目を集めて、私はやや緊張する。

 でもそれは嫌な緊張では無くて、こそばゆいような、むしろ気持ちのいいものだった。

 昨日に続いて今日も、たった半日でこんなにお友達が増えた。

 勝手にお友達にしてしまっているのかも知れないけれど、また一緒に遊びたいと、そう思った。

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