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第8話 ウサギ脱走

 坊主頭の少年からウサギ脱走の知らせを聞いて、私たちはグラウンドを突っ切ってウサギ小屋へと急いだ。

 その慌ただしさに、私の頭の中にあった気恥ずかしさは、どこかへ行ってしまっていた。

 校舎裏のウサギ小屋に三人が駆け付けると、なかなか立派な柵の下の地面に、きっちりソフトボール大の穴が開いていた。

 小春ちゃんはしゃがみこんで穴に顔を近づけると、顎に手を当ててウーンと唸った。


「うちの見立てやと、ウサギはこの穴から脱走したんや」

「誰が見てもそうやろ」


 軽くツッコミを入れた坊主頭の少年を、小春ちゃんはムッとした顔で振り返った。


「ウサギ当番のたっつんが脱走を許したからこうなってるんやろ。素人は黙っといて!」

「うっ」


 痛い所をブスリとやられ、少年は言い返せない。


「残りの二匹も逃げ出さんように、取り敢えず穴を塞ぐんや。たっつん、あっちにあるおっきな石、運んできて」

「よっしゃ。わかった」


 脱走したのは一匹だけのようだ。不幸中の幸いといえた。

 少年がウンウン言いながら抱えてきた大きな石で穴を塞いで、本格的な捜索が始まった。

 柵に残ったウサギを観察して、小春ちゃんはズバリ切り込んだ。


「逃げ出したんはチョコや。チップとバニラはここにおるから間違いない」

「そんなことはわかってるって。どこへ行ったか一緒に探してくれよ」


 全く要領を得ない元気娘に、少年はひたすら焦っている。それはそうだろう、学校の外に出たら捜索は絶望的だ。


「うちの経験上、まずこうゆう場合、逃亡犯の立場になって、どう行動するんか考えるんよ」

「おお、なるほど。習性を考えて逃げそうな所を特定するんやな」


 やっとまともなことを言いだした元気娘に、少年の表情が明るくなった。


「それだけやない。ウサギの気持ちになって、なんでこうなったんかを考えるんや。事件の裏には必ず動機ちゅうもんがあるんや」

「動機? なんやそれ?」

「逃げ出すにいたった理由や。そこにこの事件を解明する手掛かりがある筈なんや」

「理由って、そんなもん今考えてる場合なんか?」

「考えんでも、うちにはもうわかってる。つまりこうゆうことや」


 そして小春ちゃんは、早く探しに行きたい少年と、日陰に入って冷たい麦茶を飲みたい私に熱く語り始めた。


「夏休みに入ってすぐにウサギ小屋から逃走したとゆうことは、学校から子供たちがいなくなるのを見計らっていたってことや。つまり計画的犯行なんや」

「まさか、ウサギやで。そんな賢いこと無いやろ」

「甘いでたっつん。その油断が今回の事件を引き起こしたのを忘れてない?」

「うっ」


 また痛い所を突かれて、少年は黙り込んだ。

 私も色々言いたい事があったが、ここは聞き役に回っておくことにした。


「うちは普段からウサギ小屋をよう見て来たから知ってるねん。チップとバニラに比べて、チョコは食いもんにうるさいウサギやったんよ」

「は? それがどうしたんや」

「今年の夏は暑いやろ。ウサギにあげる人参もしなびてたんちゃうか」

「たしかに……」


 そこに置いてあったバケツに入れてあるウサギ用の人参は、しなびていて人参のミイラみたいだった。


「チップとバニラは黙って食べてくれたけど、チョコはグルメや。そうはいかんかった。シャキシャキ感の無いくたびれた人参を毎日食べさせられて、とうとう堪忍袋の緒が切れたんや」

「なるほど。こはるんの言うとおりかも……」


 いつの間にかウサギを探しに行くのを忘れて、少年はウサギ心理に共感していた。


「ええか、たっつん、これは言葉を話せないウサギのささやかな抵抗なんよ。この声なき抗議を聞いてあげるのもウサギ当番の役目と違う?」

「ほんまや。こはるんの言うとおりや。俺が間違ってた」

「わかってくれたらええねん。うちが言いたいのはそれだけや」


 何となく話がまとまって、三人とも落ち着いた。


「いやいやいや、違うって! そうゆうことやないんや。ウサギを探さんとあかんねん。そんでウサギの心理を理解してるこはるんやったら、どこにおるとか見当ついてるんやろ?」


 期待を込めて聞いてきた少年の前で、小春ちゃんは首を傾げた。


「それとこれとは話は別や、取り敢えず捜査の手順を踏んだまでや」

「なんやねん! ウサギの気持ちになって捕まえるんと違うんか」


 そうこうしているうちに、騒いでいた二人の声を聴きつけて、小学生たちが集まってきた。

 

「どないしたん? たっつんもこはるんも、なんか揉めてるみたいやけど」


 ウサギに気を取られていたけれど、知らない子供たちを前にして、また私の緊張が甦って来た。

 気後れしてしまった私の手を小春ちゃんはパッと掴むと、集まってきた十人ほどの小学生に、堂々と紹介し始めた。


「みんな聞いて。こちら東京から来たさくらちゃん。そんで、えっと、ちょっと数多いなあ。そしたら順番に自己紹介していって」

「ちょっと待ってくれ!」


 和やかに自己紹介が始まろうとしたのに、たっつんが割り込んだ。


「ウサギ逃げたんや。みんなで探してくれへんか」

「ほんまや。チョコがおらへんわ。はよう探さんと」


 眼鏡をかけた少し背の高い女の子が、皆を引き連れてグラウンドの方に行こうとしたとき、小春ちゃんが皆を引き止めた。


「ちょっと待って。うちに考えがあるねん」


 皆の注目を集めた小春ちゃんに、たっつんは「またか」といった顔をした。


「頼むからもう掻き回すのはやめてくれ。大人しくみんなでウサギを探そうやないか」

「それがあかんねん。ええか、各々が好き勝手に探し始めたら成功率はぐっと下がるんや」

「なんでや? ここで議論してる間に見つけられるかも知れんやろ」


 小春ちゃんは人差し指を立てて「ちっちっちっ」と振って見せた。


「ここにいるみんなは、今はただの集団や。そやけど作戦を立てて行動に移せば、ただの集団が洗練された組織になるんや」

「組織って?」

「ドラマで殺人事件が起こった時、刑事たちはボスの命令でみんな動くんや。それが組織ってやつなんよ」

「フンフン、なるほどな」


 いつの間にかたっつん以外の小学生も集まってきて、小春ちゃんの話に耳を傾けていた。


「それではウサギ捜索チームを立ち上げます。経験豊富なうちが指揮を執るから、皆さんは組織だった捜索をして下さい」


 そして司令塔となった元気娘は、グラウンドを六つに区切ると、二人一組で捜索に当たらせた。


「短い草がいっぱい生えてるけど、足を使ってくまなく探すように」


 小春ちゃんが皆に聞こえるように声を出す。良く通る声なので、ちゃんとみんなに伝わっているようだ。

 号令をかけると、みんな指示どおりに散っていった。

 私も彼らと一緒にウサギを探す。

 汗を流しながらしばらく捜索していると、小春ちゃんは一旦集合の合図をして、みんなを呼び戻した。


「はーい、みんなしゅうごー」


 結局見つからずじまいで、みんな汗だくの疲れた顔で戻ってきた。

 たっつんはがっかりした顔で、腕で額の汗を拭いつつ不満を漏らした。


「こはるん。結局さっきウサギの気持ちがどうとか言ってたのはなんやったんや? これやったらただの人海戦術やないか」

「たっつん、時代は今も刻々と変化していってるねん。いつまでも古い考えにしがみついてたら時代の波に取り残されてしまうんよ」

「いや、こはるんが言いだしたことやろ」

「うちは、時代の最先端を生きてるんや。常に先を見据えて変化していってるんや」

「ただ手のひら返しただけやと思うけど、正論なんは確かや」


 ウサギが見つからなかったことで、たっつんはちょっと諦め気味に見えた。しかし小春ちゃんはまだまだやる気をみなぎらせていた。


「たっつん、うちが何の考えもなくみんなを動かしてたって思ってる?」

「え? 違うんか?」

「うちを甘く見たらあかんよ。ちゃーんと次の手も考えてるんや」


 そしてどうゆうわけか、小春ちゃんはおかしなことを言い出した。


「みんなその場で靴を脱ぐんや。これからうちがみんなの脱いだ靴を調べるから」


 訳の分からないことを言いだした元気娘に、みんな訝しげな顔をしたまま従った。

 そしてみんなが脱いだ靴裏を小春ちゃんはクンクン嗅ぎ始めた。

 いくらなんでもこれはおかしい。私はその奇行について尋ねてみた。


「小春ちゃん、何で靴の臭い嗅いでるの?」

「へへへへ、まあ見ててーな」


 全員の靴の臭いを嗅ぎ終えて、小春ちゃんはおかっぱ頭の女の子を指さした。


「久美ちゃん、あっちの隅っこを探してたよね」

「うん。それがなに?」

「さっき久美ちゃんが探してたあの辺りをみんなで探すんや。脱走したチョコは必ずそこにおるはずや」


 半信半疑でみんなが探し始めると、五分もしないうちに眼鏡の女の子が茶色いウサギを持ち上げて、弾んだ声を上げた。


「おった!」


 たっつんは泣きそうな顔で眼鏡の女の子に駆け寄った。


「ほんまや。ほんまに見つかった。こはるんが言うてたとおりやった」


 ウサギを抱き上げて、たっつんは大喜びだ。

 小春ちゃんは満足げに両手を腰に当てて胸を張る。


「たっつん、うちになんかゆうこと無いん?」

「うん、こはるん、ありがとう。それと疑って悪かったよ。そやけど、なんであそこにおるってわかったんや?」

「フフフ、知りたい? 久美ちゃんの靴裏からウサギのフンの臭いがしたんよ。この中の誰かがきっと踏むって思ってたんや」

「そうか、それで区画を決めて二人ひと組で探させたんやな。それで大体の場所を特定したんやな」


 汗でボトボトの十数名の子供たち。

 みんなで順番にウサギを抱いて大喜びしていると、先生が呼びに来た。


「なにしてるのー、プールに集合よー」


 こうしてウサギ失踪事件は解決した。

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