第6話 里山の名探偵
少し日が傾きかけた時間帯。
里山に降り注いでいた陽射しは、遠くの山の稜線に沈もうとしていた。
私は小春ちゃんに手を引かれて、今はグラウンドの隅のブランコに二人並んで揺られていた。
「こうやって思い切りこいだら、まだお日さま見えるんよ」
足を振って小春ちゃんがブランコを大きく揺らす。
真似してやってみるが、彼女ほど高くまでこぐことができない。
それでも規則正しくブランコが揺れるたびに、遠くの尾根に顔を隠した太陽の光が、目に射し込んでくる。
その眩しさに目を細めながら、私は勢いよく隣でブランコをこぐその横顔に目を向ける。
今日出会ったばかりの女の子。
夏の匂いがしてきそうな快活な少女に、なんだかずっと前から友達だったような錯覚さえ覚えた。
ブランコをこぎながら、小春ちゃんはこちらに顔を向ける。
「もうすぐさくらちゃんの歓迎会始まるね」
「うん。そんなのあるって聞いてなかった」
「折角遠くから来てくれるんやから、村のみんなで決めたんよ。うちな、ごはん食べた後、ここの音楽室でリコーダー吹くねん。サプライズで聞かせようと思うて、ずっと練習しててん」
今サプライズって言った。しっかりと聞いてしまったが、聞いていなかったことにしておこう。
「みきねえな、ピアノ弾けるねん。そんでうちと一緒に学校の校歌演奏するねん。あっ、お母さんや。さくらちゃんのお母さんも来たみたいや」
大きく揺れるブランコからピョンと跳んで着地すると、小春ちゃんは両手を指先まで伸ばしてポーズを決めた。
「どう? 今の何点やった?」
「え? 十点じゃないかな」
それを聞いて小春ちゃんはガックシと肩を落とした。
「そうかー、いまのは自信あったんやけどなー、百点いったかと思うてんけど」
「え? いやいや違うよ。十点満点で十点だから。ホントすごかったから」
ガックシ来ていた彼女だったが、すぐにパッと笑顔を咲かせた。
「ホンマ? さくらちゃん満点くれるん? やった!」
一旦落ち込んでからなので、余計に嬉しそうだった。
「今度はさくらちゃんの番やで。うちが見といたるから、遠慮せんで跳んでええよ。十点満点で採点したげる」
「いや、私はいいかな……」
やったことが無いので流石にぞっとした。
「心配せんでええ、コケそうになったら、うちが支えたる」
さあ来いやー、といった感じで小春ちゃんはやる気をみなぎらせる。
いいや、絶対支えられないでしょ。二人揃って重なり合って倒れているイメージしか浮かんでこないんですけど。
しかし、ものすごい期待感を込めた視線に耐え切れず、ほぼ揺れが止まった状態で跳んでみた。
そしてさっき小春ちゃんがやっていたポーズを、私も真似して取ってみた。
すると全く感情のこもっていない拍手が待っていた。
「うん。さくらちゃんは頑張った。八点……くらいかな……」
自分に嘘ついてる。私には全部わかっていた。
バーベキューにはたくさんの人が集まった。
山の中腹に位置するこの村には、それほど住人がいるわけではないみたいだが、集まってくれた三十人程の人たちは、みんな都会から来た母娘を温かく迎えてくれた。
そして、遠い昔にこの村を去ったお母さんのことを、みんな覚えてくれていた。
「明日香ちゃん、立派になったねえ」
「おばさんもお元気そうで、おじさんも元気ですか?」
「うちの人はちょっと体悪うしてて入院中なんよ。明日香ちゃんに会いたかったやろうね」
お年寄りたちに囲まれ、お母さんは昔の話で盛り上がっていた。
大人の話は退屈だ。焼いてくれた肉を頬張りながら眺めていると、小春ちゃんが口をモグモグさせながらやって来た。
口の中の物を呑み込んで、すぐに彼女は私の手を取った。
「さくらちゃん、村のみんなに紹介するからついてきて」
さっき全員の前で名を名乗ったが、彼女にとってはそれでは足りないのだろう。
早速近くにいたおじいさんを捉まえて、紹介が始まった。
「さくらちゃん、松田のじいちゃんや。じいちゃんは柿農家やねんけど、桃と葡萄も栽培してるねん」
「一ノ瀬さくらです。よろしくお願いします」
「おお、明日香ちゃんの子か。そうや、丁度桃がなっとるからまた取りにおいで」
お爺さんは目を細めてこちらの顔を凝視している。どうも目が悪くてよく見えていないようだ。
「じいちゃん、眼鏡かけたら?」
「いや、家に忘れてきたんや。えらいことしたわ」
小春ちゃんも私もすでに気付いていた。おじいさんの忘れてきた眼鏡は額の少し上にあった。
小春ちゃんはおじいさんの額を指さして、そのことを教えてやる。
「いっつもおんなじことゆうてるけど、探してる眼鏡、額にかかってるよ」
「えっ? ほんまか? ほんまや、ここにあった。ありがとう小春ちゃん。助かったわ」
「どういたしまして」
お年寄りの小さな悩みを解決し、小春ちゃんは私の手を引いてまた別のお年寄りを捉まえる。
そして今度はおばあちゃんを紹介された。
「和江ばあちゃん、さくらちゃん連れて来たよ」
「ああ、明日香ちゃんの娘さんかいな。よう顔見せてくれるか」
おばあちゃんは私の顔をじっと見つめて目を細めた。
「何となく明日香ちゃんが小さかった頃に似とる。あんたらが二人並んだら、昔の園枝ちゃんと明日香ちゃんみたいや」
「そうなん? あとでお母さんに昔の写真ないか聞いとこう」
簡単に紹介してから、また次に行こうとした小春ちゃんを、おばあちゃんは引き留めた。
「小春ちゃん、悪いんやけどまた頼まれてくれんかな」
「え? またなん? ええよ。探したげる」
以心伝心のように、たったそれだけの会話で、二人は通じ合っているみたいだ。
おばあちゃんは何か探し物がある様子だ。小春ちゃんはおばあちゃんに幾つか質問を投げかけた。
「ここへ来るときはあったわけやね」
「うん。確かにあった」
「いつ無くしたって気付いたん?」
「四時過ぎくらいやったかな。そやけどその辺に見当たらんのよ」
「和江ばあちゃんはいつからここにおるん?」
「お昼過ぎから。会館で老人会のカラオケあって、そのまま夕方まで歌ってたんよ」
小春ちゃんはその時集まった顔ぶれを訊いたあと、別の質問をした。
「部屋にはなかったんやね」
「何べんも探したんやけど無いんよ、みんなも探してくれたんやけど」
ある程度聞き込みを終えて、小春ちゃんは再び私の手を取って会館に向かう。
行動を開始した彼女に、私は今何がどうなっているのか分からず、置いてけぼりにされた気分だった。
「小春ちゃん、さっきのおばあちゃんが探してるものってなに?」
「わからへん? あれやよ。歳とって、足が悪くなってきたら使うものといえば……」
「杖?」
「当たり。和江ばあちゃんは杖を無くす天才なんや。そんでうちは探し物を見つける天才なんよ」
何だかしょっちゅうお年寄りの探し物を見つけてやっている雰囲気だ。
私達は建物の中に入ると、スリッパに履き替えてそのまま奥を目指した。
廃校になった分校は、今時お目にかかることの出来ない木造建築で、足を踏み出すたびに床が鳴ることに、私はちょっとした驚きを感じてしまった。
「ここや。杖は絶対ここにある」
トイレの前で、そう宣言した小春ちゃんの声には自信がみなぎっていた。
「どうしてここなの?」
「先に見つけ出してから解説したげる。それまでは辛抱して」
トイレ用のスリッパに履き替えて、小春ちゃんは順番に個室を開けて周った。
そしてとうとう探していた杖を見つけた。
「ほうら、うちの言ったとおりやろ」
「うん。でも、どうしてここだってわかったの?」
トイレを出て、戦利品を片手に手を繋いで歩きながら、小春ちゃんは種明かしをしてくれた。
「和江ばあちゃんは脚が悪いから、余計な寄り道をせずに目的地に向かうねん。カラオケの部屋以外に、あとばあちゃんが用事があった場所は限られてくるんよ」
「なるほど……」
「ばあちゃんは昼過ぎから冷房の効いた部屋でカラオケをしていた。つまり何度かトイレに行ってると推測できるわけなんよ」
「それでトイレに忘れてきたと……でもみんなに探してもらったけど見つからなかったって言ってたよね」
「それが今回の事件で最大の謎やったんよ」
小春ちゃんは得意げな感じで、持っていた杖の先端を軽く揺らした。
「探し回ったばあちゃんは、杖が無いからすぐに疲れたはずなんや。恐らくそこにいたメンバーに杖探しを任せたんやと思う」
「トイレは探さなかったのかしら」
「普通に考えたら探していそうやけど、今日カラオケに参加してたんはじいちゃんばっかりやったんや。恐らく捜索を任されたじいちゃんたちは、すでにばあちゃんがトイレを探してると思いこんでいて、ばあちゃんは誰かがトイレを確認してくれてると思い込んでたんやろう」
「すれ違っていて、気付いていなかったってこと?」
「女子トイレであっさり杖が見つかったってことは、そうゆうことなんやろうね。さあ、ばあちゃんを喜ばしてあげんと」
はっきり言って舌を巻いた。健康的な夏の妖精は、とんでもない推理力の持ち主だった。
おばあちゃんは杖が戻って来て大喜びし、小春ちゃんはお礼を言ってもらえていい気分になっていた。
そして食事が終わってから始まった、ピアノとリコーダーによる演奏のサプライズは、二人ともたどたどしくって、私にとって別の意味でのサプライズになった。