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第52話 送別会の夜

 山々の尾根を茜色に染めていた夏の夕日が沈んでいき、今日も里山の一日が終わっていく。

 眼下に麓の景色を一望できる分校のグラウンドに、ようやく涼しい風が駆け上がってきた頃、私達の送別会が始まった。

 世話役をしてくれた山ちゃんが、役場の人たち数人と今日の日のために準備してくれていたお陰で、会館にはたくさんの人たちが集まってくれた。

 もう何度も顔を合わせた村の人たち。その中には、今日授業をしてくれた節子先生の姿もあった。

 送別会の会場になったのは、今日子供たちと一緒にお昼ご飯を食べた給食室で、そこには村のおばあちゃんたちが集まって作ってくれた郷土料理が大きなお皿に盛られて、いくつも並んでいた。

 どうやらバイキング形式で、好きなものを選んで食べていい感じだ。

 いっぱい遊んで、かなり空腹だった私は、山ちゃんの乾杯の音頭のあと、小春ちゃんと一緒にすぐに席を立った。


「みんな美味しそう。ね、小春ちゃんのお薦めはどれ?」

「うち? うちはみんな好きやよ。取り敢えず順番に食べて行こう」


 私たちが盛られた料理を取りに行こうとすると、そこに割り込むように、小春ちゃんが「みきねえ」と呼んでいたラジコンカーのお姉さんが、サササと割り込んできた。


「よっしゃ、今日はご馳走食べ放題や」

「あのなあ、みきねえ、今日はさくらちゃんのための会なんやで。ちょっとは遠慮しいや」

「わかった。遠慮しながらいっぱい食べさしてもらうわ」


 それから、大人たちがお酒を飲んで盛り上がっている中、私と小春ちゃんは、送別会に参加してくれたお姉さんと、並んでいる料理を順番に味わっていった。


「おおー、これが食べたかったんや」


 相変わらず陽気なお姉さんは、皿に載せてきた肉厚のカツを箸で摘まんで、ガブリとかぶりついた。


「ん-、美味い。さくらちゃんも遠慮せんといっぱい食べや」

「はい。えっと、これってもしかして……」

「ああ、山ちゃんが差し入れてくれた猪やよ」


 やっぱりそうか。そうだとは思っていたが、かなりポピュラーな料理にされて出てきた。

 小春ちゃんも、お姉さんの隣で、大きな口を開けてカツにかぶりつく。


「うちは脂っこいトンカツより、こっちの方が好きやねん。なあみきねえ」

「こはるんのゆうとおりや。運動不足の豚なんかより、鍛え上げられた猪の方が断然美味い。足の速さだけやなく味もぶっちぎりや」


 どうやら二人とも好物らしい。

 私は自分のお皿の中央に鎮座する一見普通のトンカツにまだ手を付けられないまま、口を動かす二人を観察する。

 トンカツソースを唇の端につけたまま、小春ちゃんはまだ箸をつけるのを躊躇っている私に勧めてくる。


「さくらちゃんも食べてみい。一回食べたら病みつきやよ」

「えっと、どうしようかな……」

「畑の食いもんまあまあ荒らして大きなったんやし、同情することあらへん。ガブッといったって」


 恐る恐る食べてみると、何の変哲もないトンカツだった。


「トンカツだ」

「そうやろ。普通に美味いやろ」

「うん。普通に美味しい」


 さっぱりしているが、サクサクの衣に覆われた猪のトンカツは、まるで臭みもなく、噛めば噛むほど肉の味わいが口の中を満たした。


「いや、普通のトンカツより美味しいかも」

「な、うちのゆうたとおりやろ」


 気の毒に思っていたけれど、一度食べてしまえばもう平気になった。トンカツをお代わりし、大鍋でいい匂いをさせていた豚汁ならぬイノシシ汁も美味しく頂いた。


 お皿に盛られた料理を堪能し、オレンジジュースのグラスに口をつけていた時、お姉さんがちょっとした提案をしてきた。


「なあ、さくらちゃん。実はうちらサプライズでまた演奏しようと思うてたんやけど、実はうち、あんましピアノ得意やないねん」


 知ってる。ここへ来た最初の日、小春ちゃんと演奏してくれたピアノは結構たどたどしかった。


「それでな、今日は節子先生来てるやろ。さっき先生に相談したら、伴奏代わってくれるってゆうてくれたんや。ほんで、せっかくやからこはるんと一緒にさくらちゃんもリコーダー吹いたらええんちゃうかって思うたんよ」

「えっ! 私? ムリムリムリ」

「まあそう言わんと。さくらちゃん、こはるんと同じ三年生やろ。習ってる曲、おんなじやつもあると思うねん。節子先生やったらどんな曲でも弾けるし、記念に二人で吹いたらええやん」


 きっとそうなるとは思ったが、尻込みする私と対照的に、小春ちゃんはやる気をみなぎらせた。


「みきねえ、ナイスアイデアや。流石ぜんりょーせーや」

「フフフ、そうやろ。まあ、うちほど気の付く奴はおらへんよ」


 お姉さんの思考回路は小春ちゃんとほぼ同じだ。私は二人に押し切られるように提案を了承した。


「せつこせんせー」


 お姉さんが大きな声で呼ぶと、赤ら顔の先生はビールの入ったグラス片手にこちらへやって来た。


「話は付いたから、先生頼むわな」

「フフフ、いいですよ。では、曲を決めましょうか」


 何だか陽気な節子先生と三人で話し合って、一学期に習っていたキラキラ星に曲を決めた。リコーダーは分校の音楽室にあった予備の物を貸してもらうことになり、私と小春ちゃんは練習するために、まだまだ盛り上がっている食堂室から抜け出した。

 リコーダーを持って外に出ると、やかましいくらいの夏虫たちの合唱。

 裏へと周った私たちは、月明りの下、並んでリコーダーに口をつける。


「ドレミファソラシド鳴らしてみようよ」

「うん」


 鳴らしてみると、二人とも最後のシとドが、ちょっと裏返る。

 何度か繰り返してみるが、大体同じ感じだった。


「まあええ。これぐらい許容範囲や。さあ、キラキラ星の練習しよう」

「うん。じゃあいくよ」


 それから私たちは、月明りの下、夏虫のコーラスと共に、たどたどしいキラキラ星を何度も練習したのだった。


 そして本番の時が来た。

 食堂室で賑わっていた大人たちが、音楽室へと集まった。

 たった一曲だけのサプライズ演奏。

 ピアノに向かって座る節子先生のすぐ近くで、私と小春ちゃんは並んで、今日参加してくれた村の人たちと向かい合う。

 リコーダーを持つ手に力が入る。隣の小春ちゃんも流石に緊張気味だ。


「今日は一ノ瀬さくらさんも演奏に参加してくれることになりました。先生と子供たち二人の演奏を皆さんお聴き下さい」


 司会の山ちゃんが紹介すると、ワッと大きな拍手が湧いた。

 拍手が鳴り止んだタイミングで、さっきっより赤ら顔の節子先生が、ピアノの鍵盤に指を掛ける。

 そして演奏が始まった。


「あれ?」


 演奏が始まってすぐ、私と小春ちゃんはリコーダーから口を離した。

 そして、一番前で聴いていたお姉さんが、先生を指さした。


「ちがうちがう! 先生! 違う曲弾いてるやないの!」

「え? そうでしたか? 何の曲を弾くんでしたっけ?」

「これやから酔っぱらいは……」


 音楽室の中がドッと湧いて、いくらか緊張が解れた後に、また仕切り直しとなった。

 酔っぱらっていても、流石に先生のピアノは上手だった。

 私と小春ちゃんは、たどたどしいながらも、先生のピアノの音に引っ張られるかのように、キラキラ星を吹ききった。


「ブラボーやー」


 お姉さんの拍手を皮切りに、みんなが温かい拍手をくれた。

 私と小春ちゃんは一礼して、安堵したような笑顔を見せ合う。

 また一つ、君との思い出が出来た。

 緊張から解放された私の頭を、お母さんが撫でてくれた。


「二人とも、とっても素敵だったわ」


 私たちの演奏は終わったけれど、演奏会はまだ終わっていなかった。

 節子先生は椅子から腰を上げずに、再び鍵盤に指を掛ける。


「先程は失礼しました。では私の方からもう一曲」


 節子先生が弾き始めた曲は私の知らない曲だった。

 でも周りの大人たちは、その曲に耳を傾け、そのうちに口ずさむ人も出てきた。


「分校の校歌よ」


 お母さんに言われて私はやっと気付いた。

 お母さんも含め、廃校になったこの分校に通っていた大人たち。

 かつて何度も口ずさんだ懐かしい校歌が、この音楽室に甦った。

 お母さんも、小春ちゃんのお母さんも、ここに集ったたくさんの人たちが節子先生のピアノに合わせて、かつてここで歌った校歌を音楽室に響かせた。

 背筋を伸ばして歌うお母さんを見上げながら、私はあらためて、ここがお母さんの故郷であることを実感したのだった。

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