第50話 終了証
私と小春ちゃんが席についてからしばらく経って、お母さんたち二人は瞼を腫らした状態で「遅くなりました」と謝りつつ、給食室へと入って来た。
私も小春ちゃんも、特に何も詮索することなく、先生の「いただきます」の掛け声で給食の時間が始まった。
給食は見た目も匂いも洋食だった。
私と小春ちゃんは、ソースのかかったやたらといい匂いのするチキンソテーらしきものを、箸で摘まんでひと口味わう。
「さくらちゃん、これ、間違いないわ」
「うん。このチキンのソテー、絶対あのお兄さんの作った給食だね」
私と小春ちゃんは、給食とは思えない複雑な味の大おかずを味わいつつ、節子先生を観察する。
先生は姿勢を正して口を動かしつつ、何だか悦に浸っている。
きっと、お兄さんが配達に来たに違いない。
小春ちゃんは一度箸を置いて、隣で給食を食べている母親に、私も気になっていた質問を投げかけた。
「なあお母さん。うちら昨日、この給食作ってくれた食堂に、お昼ご飯食べに行って節子先生に会ったんよ。多分その時に今日の給食を頼んだんやろうけど、これもおばあちゃんの立てた計画なん?」
おばさんは口に入っていたものを呑み込んで首を横に振った。
「いいや、これは節子先生のスタンドプレーや。節子先生にしては気が利いてるやないの。見直したわ」
小春ちゃんのお母さんは、節子先生が食堂のお兄さんに恋を患っていることを、まだ知らないようだ。
何も気付いていない小春ちゃんのお母さんには、お母さんの口から後で詳しく説明があるだろう。
しかし、電話でも済む給食の予約をするのに、どうして先生はわざわざ食堂まで足を運んだのだろう。
あまり深読みするべきではないが、給食の予約といった理由で、やはりお兄さんに会いに行きたかったのではないかと、私は先生の女性心理を想像した。
相変わらず悦に浸っている感じの先生をじーっと見つめていると、気配を察知したのか、やっと目があった。
サッ
すかさず視線を逸らせた先生に、私と小春ちゃんは大満足だ。
「これは、配達に来たみたいやな」
「来た来た。ぜったい来た。やっぱり結婚かな」
「さくらちゃんのお母さん、まずはデートからやってゆうとったし、結婚まではもうちょいかかるんちゃうかな」
「そりゃそうだよね。それでデートはいつするんだろうね」
私たちの会話が耳に入ったのだろう。近くの席で口をもぐもぐと動かしていた坊主頭の少年が、いきなり訊いてきた。
「なんや、こはるん。デートするんか?」
「アホか。うちがするわけないやろ。デートゆうんは大人がするもんや」
「大人? ほんなら節子先生か?」
少年のひと言で先生の顔に緊張がはしった。
同時に何かが気管に入ったのか、ゲホゲホとむせ返る。
「大丈夫か先生? あんまり急いで食べん方がええで」
しばらく咳込んで、先生はゼーゼー言いながら、何とか息を吹き返した。
「ほんで先生、デートするんか?」
「黙って食べなさい!」
少年を一喝して黙らせた先生だったが、生徒全員が坊主頭の言ったデートと言うキーワードに注目した。
「なんや? 先生ええ人おるん?」
「どこの誰なん? お見合いでもしたん?」
「どんな人なん? やっぱりイケメンなん?」
たちまち質問攻めにあってオタオタし始めた先生に、助け舟を出したのはお母さんだった。
「さくら、小春ちゃん、ややこしいことゆうたらあかんよ。この話はさくらの担任の先生の話だから、みんな誤解せんといてね」
機転を利かせたお母さんの話に、みんな残念そうな顔をした。
「なんや、東京の先生の話か」
「節子先生の話やなかったんか。期待して損した」
「それはそうや。節子先生にデートする相手なんかおらへんよな」
言いたい放題だ。私は先生が気の毒になった。そして、これから食堂のお兄さんとデート出来ますようにと、心の中で応援したのだった。
給食の後、私たちはもう一度授業で使った教室に戻った。
特別授業は一時間だけ。そう聞いていたので、なにも聞かされていない私たちは、再び教壇に立った先生に注目する。
皆が着席して、静かになったところで、先生は口を開いた。
「お腹一杯になったところで、皆さんに伝えておかなければいけないことがあります。もうご存じでしょうが、一ノ瀬さくらさんは山村留学を終えて、明日のお昼過ぎに東京に帰る予定です。短い間でしたが、ここにいる皆さんは山村留学を通して、一ノ瀬さんとクラスメートになれましたね。では、これから集まってくれた皆さんの前で、山村留学終了証の授与を行いたいと思います」
教室の中が自然と引き締まった空気になった。
先生はスッと息を吸い込んで、私の名を呼んだ。
「一ノ瀬さくらさん」
「はい!」
前に出ていくと先生は用意していた終了証をゆっくりと読み上げた。
「終了証。一ノ瀬さくら殿。あなたはこのたび、上ノ郷村、山村留学プログラムの全ての課程を修了しましたので、ここに証します」
先生から終了証を受け取り、私はたくさんの拍手を貰いながら先生に一礼した。
「ありがとうございます」
顔を上げると、先生は私の眼を真っすぐに見ながら、素敵な言葉をくれた。
「一ノ瀬さん、もうあなたは私の大切な生徒の一人です。いつかまた元気な顔を見せに来てくださいね」
「はい先生」
「では一ノ瀬さん、最後に集まってくれたみんなに、何か言ってあげてくれる?」
「はい」
みんなの視線が私に集まる。
あまり人に注目されるのには慣れていない。
静かなプレッシャーを感じながら、私はぺこりと一礼した。
「今日は集まってもらって、とても感謝してます。短い間でしたが、この里山で過ごせて本当に良かったです。脱走したウサギを探したことから始まって、最後はこの教室で一緒に節子先生の授業を受けられました。こんなにたくさんの思い出を貰えて本当に幸せです。ありがとうございました」
もう一度たくさんの拍手をもらって、私は感謝を込めて深い礼をした。
こうして分校での特別授業は終わった。




