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第49話 少女たちの故郷

 子供たち全員の発表が終わった後、生徒として授業に参加していた母親二人も同じ題材で故郷への思いを語った。

 子供たちの前で語った二人の故郷への思いは、私が想像していたものでは無かった。

 子供たちよりも格段に上手く、聞き手に分かり易い様まとめられた彼女たちの発表は、どこかありきたりで、色鮮やかさに欠けていた。

 大人とはみんなそういうものなのだろうか。

 そう私は思ってしまう。

 ここへ来たあの日、この故郷で同じ少女時代を過ごした二人は、抱き合って号泣していた。

 たくさんの思い出を紡いだ二人にしては味気なさすぎる。そう私は感じてしまったのだった。


「ではこれで特別授業を終わります」


 たった一時間の特別授業は、本当にあっという間に終わってしまった。

 授業終了後、先生は生徒全員を給食室に移動するよう促した。

 ここでの思い出になるよう、先生はみんなで学校給食を食べられるよう準備してくれてたみたいだ。

 あのお兄さんが作った洋食の給食だろうか。

 きっと昨日、あの食堂に節子先生が現れたのは、偶然ではなかったのだろう。

 この状況から察するに、今日のことをお願いしに行ってくれたのではないだろうか。

 先生は生徒たちを案内した後すぐに、忙しく給食室から出て行った。

 すると、並んで席に着いた小春ちゃんが、ポンポンと私の肩を叩いた。


「さくらちゃん、うちらのお母さん、なかなか来うへんな」

「本当だね。御手洗いかな」


 何故か気になって私は席を立った。


「ちょっと見てくる」

「うちも行く」


 二人で席を立って、トイレを見に行ったけれど、そこにお母さんはいなかった。


「いないね」

「ほんまや、どこ行ったんやろ」


 私たちはそのまま、さっき授業をしていた一番奥の教室へと向かった。

 教室に近づくと、聞き取りにくい程度の話し声が聞こえてきた。


「まだ教室におるみたいや」


 そのまま教室の戸に指を掛けようとする小春ちゃんを、私は小声で制止した。


「ちょっと待って」


 そして教室から漏れ出す声に耳を傾けた。


「ごめんね。ごめんね園枝ちゃん……」


 お母さんの声だった。

 どこか切実な声色に、私と小春ちゃんは顔を見合わせる。


「急にどうしたん、明日香ちゃん」

「ごめん……私、こらえきれなかった。分校の教室で園枝ちゃんと机を並べてたら、まるであの頃のようで……」

「そうやね。先生がいて、周りには小学生の子供たちがいて、本当に昔みたいやった」

「園枝ちゃん、私、ずっと後悔してた。この村を出て行ってからずっと」


 声の感じですぐに分かった。

 お母さんは泣いていた。

 嗚咽混じりの声に私は耳を傾けた。


「一緒に大人になろうって。私たちはずっと一緒だって。二人で約束していたのに、私は約束を破った。それだけじゃない。村を出ることを打ち明けられずに、ぎりぎりまで黙っていたことで、大切なあなたをたくさん傷つけた」

「明日香ちゃん……」

「……お別れの時に、嘘つきって、泣いていたあなたを今も憶えてる。あなたにたくさんの涙を流させて、この故郷を去って、いつの間にか大人になってしまった。長い間、謝ることが出来ずに、本当にごめんなさい……」


 お母さんのしゃくりあげる様な嗚咽が止まらない。


「謝らなあかんのはうちの方や……」


 聴こえて来たおばさんの声は、今にも泣きだしそうだった。


「うちかって後悔してる。あんなに悲しそうやった明日香ちゃんに、嘘つきって言ってしもうた。あの時のうちの言葉がこんなに明日香ちゃんを傷つけてたなんて……本当にごめんなさい。ごめんなさい……」


 一つだった嗚咽が二つになった。

 すすり泣くような声が教室の外まで聞こえてくる。


「明日香ちゃん、さっきの発表で言えんかったこと、今言わせて」


 そして少女時代の頃の名前を、彼女は自ら口にした。


「私の故郷。北野園枝」


 口火を切った彼女は、二人だけの教室で、赤裸々に思いを語り始めた。


「私はこの分校で小学校の六年間を過ごしました。入学当時、当時から子供の少なかったこの分校には同級生がいませんでした。でも、ある日私に同級生が出来ました。二年生の時に転校してきた女の子。それが明日香ちゃんでした。私は嬉しくて、学校でも家に帰ってからも、毎日のように一緒に遊びました。私にとってこの里山で彼女と過ごした毎日は本当に特別でした。中学で離れ離れになってしまうまで、私達はいつも一緒でした」


 北野園枝のそれはもう発表ではなく、長い間胸にしまっていた思いを、ただ伝えているようだった。


「今こうしていると、本当に分校にいた頃に戻ったみたいです。私の明日香ちゃんがあの頃の時間と一緒に戻って来た。一番素敵な故郷の思い出が戻って来た。今私はそう感じています……」


 何かが込み上げてきたようで、彼女は一度大きく息を吐いた。


「私の故郷の思い出は今も明日香ちゃんでいっぱいや……」


 言葉が途切れて、とても小さな泣き声が聞こえてきた。


「泣かないで、園枝ちゃん。私にもさっき言えなかったことを言わせて……」


 声を出せなくなった彼女に代わって、お母さんは涙声のまま、少女時代の名前を口にした。


「私の故郷。関口明日香」


 同じ声であるのに、昔ここにいた頃のお母さんが、確かに教室にいるのだと私は感じた。


「私が故郷を思い出すとき。そこには必ず一人の女の子の姿があります。小学校二年生の春。おばあちゃんの住んでいたこの里山に私は引っ越して来ました。桜の舞い散る季節。この分校に初めて登校した日に、私はその女の子に出逢いました」


 思い出を辿るように、関口明日香という少女の言葉が教室から聞こえてくる。


「村で唯一の同級生の女の子。それが北野園枝ちゃんでした。脚が速くてついて行くのが大変だったけれど、私はいつも彼女に手を引いてもらい、この里山を駆け巡りました。私たちはいつも何をする時も一緒でした。春は花を摘み、夏はカブトムシを獲り、秋は栗を拾い、冬は雪だるまを作りました」


 お母さんは瑞々しく、親友と過ごした故郷の景色を語る。

 特別な思いが込められているのを、私は彼女の声に感じとる事が出来た。


「時々喧嘩してはいつもすぐに仲直りして、私達は野山を駆け回りました。いつまでも二人はずっと一緒だと、その時の私は当たり前のように信じていました。たくさんの思い出を積み重ねていった五年間は、本当にあっという間だった。やがて分校を卒業し、たくさんの後悔を残したまま私は故郷を去りました。もうあんな友達には二度と出会えない。現実を受け入れられないまま迎えたその別れは、まるで体を半分失ってしまったかのようだった……」


 そこでお母さんの声は途切れた。もう声を出せないくらいにしゃくり上げている。


「明日香ちゃん……ごめん。ごめんね……」


 鼻をすする音に混ざっておばさんの声が聞こえてくる。

 もう声を出すことのできないお母さんに、おばさんは優しいひと言を告げた。


「もう一度、うちらのお別れ、やり直そう」


 私はその言葉でハッとなった。

 遠いあの日に叶わなかったちゃんとした別れを、今ならもう一度やり直せる。


「明日ここを発つとき、あの日のお別れをやり直させて。今度こそ、ありがとう、元気でねって、明日香ちゃんを見送らせて」

「園枝ちゃん……」

「明日、北野園枝として明日香ちゃんにちゃんとお別れを言うから。もう泣いたりせえへんから」

「私も……私も、関口明日香として園枝ちゃんにきちんとお別れする。今度こそ……」


 椅子を引く音がしたので、聞き耳を立てていた私たちは、急いでその場でスリッパを脱いだ。

 そして両手にスリッパという姿で、私と小春ちゃんは足音を立てないよう給食室へと急いだ。

 結果的に盗み聞きになってしまったけれど、何故二人がさっきの授業で多くを語らなかったのかが、ようやく私にも分かった。

 彼女たちが大切にしている美しい故郷の思い出の中には、必ず親友の姿があったのだ。

 ただ幸福なだけではない、消えることの無い後悔を二人はずっと持ち続けていた。それは娘の私たちすら知らない、遠い少女時代の二人に起こった故郷の思い出だった。


 給食室に入ると、行方不明になっていた私たちの給食を、誰かが綺麗に席に並べてくれていた。

 私たちの顔を見て、すぐに節子先生は、席につくように促す。


「なにしてるの? 早く席に着きなさい。それでお母様二人は?」

「もうすぐ来ると思います」


 私はそれだけ告げて、小春ちゃんと一緒に席に着いた。

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