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第48話 私の故郷

 かつての分校の教室で、もう十数年ぶりの授業が行われようとしていた。

 全ての謎を見事に解決してみせた小春ちゃんも、このサプライズには完全に足を掬われてしまったみたいだ。

 そして私は胸の高まりを抑えることが出来ないまま、今里山のクラスメートたちと同じ教室で前を向いている。

 しかも、お母さんと小春ちゃんのお母さんまでもが、同じ目線で黒板に向かっているのだ。

 何だか信じられない気分だった。

 そして節子先生の伸びやかな声が教室に広がる。


「皆さん、今日の特別授業の教科は国語です。皆さんにはこれから先生が出す題目で文章を考えてもらい、発表してもらいます」


 先生って教室ではこんな感じなんだ。

 私は新鮮な発見をして、また姿勢を正す。

 すると斜め前に座る坊主頭の少年が、少し肩を落とした。


「作文かー、苦手なやつや」

「山田君、意見をするときは手を挙げてからでしたね」

「すみません……」


 坊主頭の少年は、先生に窘められてすぐに静かになった。

 先生は鉛筆と消しゴム、そして四百字詰めの原稿用紙を一人一枚ずつ配っていく。

 そして再び教壇へ戻った先生にみんなが注目する。


「では題目を発表します。題目は「私の故郷」《ふるさと》です。皆さんの住むこの里山について、それぞれ発表してもらいます」


 先生は黒板に綺麗な字で「私の故郷」と書いた。


「今から十分間で皆さんの伝えたい故郷をその用紙に書いていって下さい。それと……」


 まだ先生が何か言いかけていた時に、私の隣の元気娘がビシッと手を上げた。


「はい先生!」

「はい、畠山さん」

「うち十分で作文作れる自信ないねん。もうちょっと時間くれへん?」

「それなら大丈夫ですよ」


 先生は「安心して下さい」と言ってから、また説明を続けた。


「文章は頭で組み立てていくものですね。今日は自分が伝えたいことをそこに箇条書きにして、あとは頭の中でまとめながら発表してもらいます」

「うわ、ますます無理なやつや」

「山田君」

「あ、すみません」


 また先生に叱られた少年に、教室のみんながクスクス笑い声をあげる。


「今日皆さんにしてもらうのは、いわゆるスピーチのようなものです。出来るだけ解り易く相手に伝わるように、この故郷のことを自分の言葉で発表してください。では今から十分間、準備してもらって、そのあと発表の時間とします。では始めて下さい」


 開始の合図の後、みんなそれぞれ真剣な表情で取り組み始めた。

 その間先生は、みんなの机を周って小さなアドバイスをしていく。


「身近なことでいいのよ。例えば学校のことでもいいし、自然豊かな里山の、好きな所、あんまり好きじゃない所。そんなことをまとめてもいいかも知れないですね」


 そして先生は私の席へ来て、こんなアドバイスをくれた。


「一ノ瀬さん、あなたにとっての故郷はここではない別の場所かも知れませんけど、できればもう一つの故郷であって欲しいと私は思っています。短い間でしたけど、ここで体験したことを、あなたの素直な言葉で伝えて下さい」

「はい先生」


 素敵な言葉を残して先生は教壇へ戻って行った。

 私はここでもらったたくさんの思い出で、原稿用紙を埋めていった。


「はい、では皆さん、発表の時間が来ましたよ」


 先生は前に座っている子供たちから当てて行った。

 みんなは、思い思いの言葉でこの故郷を語った。

 コンビニが一軒も無いこと、散髪は隣村まで行かないといけないこと、時々猪と遭遇すること。たくさんの笑いを交えながら、みんなこの里山のことを楽しげに語った。

 そして、どの発表も、この故郷に対する愛着がどこかに込められていた。


「皆さん、素晴らしいですよ。では次、畠山さん」

「はい!」


 隣の席の小春ちゃんが大きな返事をして席を立った。

 私は前を向く彼女の横顔を真っすぐに見つめる。


「私の故郷。畠山小春」


 小春ちゃんの良く通る声が教室に広がった。


「私の故郷はすごい田舎です。私の家は山の上の方にあって、麓に住んでるみんなよりまだ便利悪いです」


 いつも自分のことを「うち」と呼んでいる小春ちゃんが「私」と言っていることが、いきなり新鮮だった。


「山の上の村には私以外の小学生は住んでません。遊び友達のみきねえも、ぜんりょーせーに行ってしもうて、あんまり遊べんようになりました。そんな時、新しい友達のさくらちゃんが来てくれました。その日から私の夏休みは特別な夏休みに変わりました」


 小春ちゃんの言葉に私はドキッとしてしまった。

 同じだった。あの日あなたに出逢ってから私の毎日は特別なものに変わってしまった。

 あなたに手を引かれていると、モノクロだった周りの景色が鮮やかなカラーに変わったように見えた。


「私にとって、さくらちゃんは初めての同級生でした。舞い上がってしもうて、あちこち案内しすぎたかも知れません。でも喜んでくれている姿を見ていて私は思いました」


 小春ちゃんは一呼吸おいて、私の方を見た。


「すごい田舎やけど、この里山はいい所なんだって」


 その言葉に私は大きく頷く。


「私達の故郷は山に囲まれてて田んぼや畑ばっかりやけど、子供も大人もじいちゃんばあちゃんも元気でいられる、ええとこやと思います。あと、駄菓子屋のアイスの種類が増えたらもっとええとこやと思います」


 子供たちが一斉に笑い声をあげる。きっとみんなそう思っているのだろう。


「へへへ、ではこれで私の発表は終わりです」


 大きな拍手をもらって、小春ちゃんは着席した。


「とても素敵な発表でしたね。アイスクリームに関しては、相談すれば種類が増えるかも知れませんね」


 先生が最後にまとめて、一旦教室が落ち着く。

 次は私の番だ。静かに緊張する私の名前を先生が呼んだ。


「では一ノ瀬さくらさん。お願いします」

「はい」


 振り返る子供たちにいきなり緊張した。

 私は少し息を整えてから口を開いた。


「私の故郷。一ノ瀬さくら」


 堂々としていた小春ちゃんを見習って、私も背筋を伸ばす。


「この里山に来て、私はたくさんの初めてを体験しました」


 最初の言葉が出ると、少し気持ちが落ち着いた。

 私は箇条書きにしておいた原稿用紙に一度目を落として、また前を向いた。


「美しい山々に、色鮮やかな田畑。ここへ来て初めての日、迎えてくれた景色にドキドキしながら、私は自分がこの里山で受け入れてもらえるのだろうかという不安を抱いてました」


 一度言葉を区切って、私は小春ちゃんにチラと視線を向けた。


「そんな不安は、最初に出会った女の子に簡単に拭い去られてしまいました。彼女は私の手を引いて、冒険に連れ出してくれました。それからはあっという間でした。二人で里山を駆け回り、学校で脱走したウサギを探し、プールや川でみんなと遊び、生まれて初めての野球も体験しました」


 私は綴り切れない思い出を並べながら、楽しかったこの里山での日々を振り返る。


「目まぐるしく過ぎていく里山での毎日の中で、私は大切なことに気付きました。東京の学校では朝登校した時から早く一日が終わればいいと思いながら過ごしていました。でもこの里山に来てから、一日一日がとても貴重なものだということを知りました。本当にここはいい所です。もし自分の故郷がここだったならと憧れてしまうほど……」


 込み上げてくるものに言葉が詰まった。私は胸に手を当てて一旦気持ちを落ち着かせた。


「私はまだ猪と出会ったことはありませんが、一度出会ってみてもいいかと思えるくらい、この里山のことをもっと知りたいと思っています。でも、もし出会うとしたら友好的な猪がいいな。なんて思っています」


 笑顔で締めくくった私に、クラスのみんなはたくさんの拍手をくれた。

 そして先生は、最後にこうまとめてくれた。


「一ノ瀬さんの気持ちが詰まった素晴らしい発表でした。そうですね、友好的な猪もいるかも知れませんね。でも、もし出会ってしまったら慌てずに背中を見せないようゆっくりと後退してくださいね」


 先生はちょっと真面目に、イノシシの対処法を教えてくれたのだった。

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