第43話 二人の願い
ログハウスに戻ると、お母さんはご馳走をテーブルに並べて待ってくれていた。
「やった。手巻き寿司だ」
私の一番の好物だった。
スーパーに寄ったときに籠に入れていた食材で、そうじゃないかと思っていたけれど、期待通りだった。
「なんだかお腹空いてきた」
小春ちゃんも嬉しそうだ。
私は道すがら貰ったマクワウリをお母さんに渡しておいた。
「立派なマクワウリだわ。園枝ちゃんから?」
「ううん、小春ちゃんの家に行く途中でおじいちゃんに貰った。冷やしたら美味しいって」
「そう。何だか二人が出掛けたら色々貰って帰って来るわね」
お母さんの言うとおりだった。
村の人たちは気さくで親切で、やたらと畑で獲れたものをくれたりする。
嬉しい反面、申し訳ない気持ちを私はいつも感じてしまっていた。
「いつもたくさんもらってばっかり。何かお礼したいけど何にもできないし」
「そんなん気にせんでええよ。みんなさくらちゃんに喜んで欲しくてやってるだけやから」
「でも、なんだか悪いよ」
「ほんなら、今度会ったときに美味しかったってゆうてあげたらええよ。それだけでみんな嬉しいはずや」
小春ちゃんにそう言われて、ああ、そうなのかもと思ってしまった。
小春ちゃんはこの里山のみんなから愛されている。彼女の天性の明るさもあるのだろうが、それはきっと今小春ちゃんが言ったことを彼女自身が実行しているからなのだろう。
いつも明るく挨拶をして、当たり前のようにありがとうと言えるその何気なさが、彼女の魅力なのだ。
そしてその明るさで周囲を幸福感の渦に巻き込んでく。
私も彼女にやられてしまった一人なので、自信をもってそう言えるのだ。
今度おじいちゃんに会ったらもう一度お礼を言って、彼女の言うとおり美味しかったと伝えよう。
「二人とも、ご飯の前に手を洗って来て」
「はーい」
そして、その夜、私たちは賑やかに手巻き寿司パーティをした。
その話題の中心になったのは言うまでもなく、今日温泉と食堂で会った節子先生だった。
夕食の最後に、今日おじいさんに貰ったマクワウリをお母さんが切ってくれた。
よく熟したマクワウリの白い身はメロンのような風味で、小春ちゃんが言っていたようにメロンほどは甘くなかった。
それでもその味は、私にとってこの里山のように素朴で、とても特別な味がした。
「なんだか懐かしい味」
スプーンを口に運んでお母さんがそう言った。
一度も食べたことの無かったマクワウリ。
どうしてだろう。私もその素朴な甘さの中に、どこか懐かしい故郷の味を感じてしまっていた。
今日二回目の入浴をして、私はお風呂場で小春ちゃんとじゃれ合った。
パジャマに着替えたあと、小春ちゃんが家から持って来たトランプを三人でした。
神経衰弱で小春ちゃんに私とお母さんは完敗し、その記憶力の良さにただただ感心させられた。
「うちな、神経衰弱だけは得意やねん。でもお母さんもおばあゃんも滅茶苦茶強くて、毎回勝てるのはお父さんだけやねん」
きっと遺伝に違いない。
里山の名探偵の血筋である小春ちゃんも、観察力や記憶力といった才能を脈々と受け継いでいるみたいだ。
神経衰弱では敵わなかったけれど、大富豪では私の方がちょっとだけリード出来た。
あっという間に時計の針がいつも就寝している時間になり、お母さんが片付けておいてくれた部屋で、私と小春ちゃんは布団をくっ付けて横になった。
昼間の暑さが嘘のように、開けた窓から夏虫の声と涼しい風がそよいでくる。
網戸越しの月明かりが、今夜はとても綺麗だ。
「なんか旅行に来たみたいや」
布団に大の字で寝転がって天井を見上げたまま、小春ちゃんはそう言った。
「新しい木の匂いと見慣れへん天井。ここでこうしてたら、さくらちゃんと旅行に来たみたいや」
「うふふ、ほんとだね」
山村留学で初めて里山に来たあの日の私のように、小春ちゃんは初めて泊るログハウスに新鮮さを感じているみたいだ。
「今年はまだ行ってへんけど、お父さん夏になったら海に連れてってくれるねん。さくらちゃんと一緒やったらきっと楽しいやろうなー」
「海かー、行きたいなー」
私は目を閉じて、以前旅行で行った青い海を思い浮かべる。
そこに小春ちゃんがいたなら、きっと楽しいに違いない。
想像上の砂浜で、私は海水で足を濡らしながら小春ちゃんと駆けまわているのを描いてみた。
「海に行ったら砂でおっきなお城作って、スイカ割りしたいな」
「海ゆうたら焼きそばや。それとかき氷も食べるねん。苺のシロップかかったやつ」
「私はメロン味。小春ちゃんに少しあげるから、私にもちょっと頂戴ね」
瞼の裏に、想像上の夏の海が私の中でどんどん鮮やかになっていく。こうしていると潮騒の音まで聞こえてきそうだった。
「さくらちゃんはどうなん? お父さん海とか連れてってくれるん?」
「うちのお父さんは出張ばっかり。でもお母さんが連れてってくれるよ。今もこうしてここにいるし」
「そやなー、さくらちゃん遠くから来たもんな……」
声の感じがほんの少しだけ変化した気がした。
私は首を横に向けて、小春ちゃんの横顔に目を向ける。
僅かな月明りだけのこの部屋では、微細な表情までは読み取ることができない。
「帰ってしもうたら、うち、さくらちゃんに会いに行けるかな……」
「えっ?」
「さくらちゃんがうちの村に来たみたいに、うちもさくらちゃんに会いに行けるかな」
そう簡単に会いに行ける距離ではなかった。電車と新幹線に何時間も揺られ、さらにレンタカーで山道をたくさん走ってここまで来た。
きっと小春ちゃんが思っている以上に、私たちの距離は遠いに違いない。
「休みの日やったらお母さんに車出してもらって会いに行けるかな?」
どうして私なんだろう。小春ちゃんはどうしてこんなに私のことを……
「うん、きっと会えるよ……」
それは嘘ではなく、心からの希望だった。
あなたと離れ離れになるなんて考えられない。
どうしても手放したくないものが私には出来てしまった。
残り少ない里山での時間のことを考えると、本当に胸が張り裂けそうだった。
「私だって小春ちゃんに会いに行く。きっと会いに行くから……」
簡単には叶わない夢だと分っていた。
それでも言葉にすることで私たちは再会できる。
そう私は信じたかったのだ。